六の月 ~騎士アーサーの番~
【Bunny】
あっという間に一年の半分が過ぎて、六の月です。
この時期のエレギア帝都は、一年で一番雨が少なく穏やかな気候のため、結婚式が多く執り行われます。六の月の花嫁は、女神ファティに祝福され幸せになれると言われているんですよ。
社交シーズン真っただ中、ワジャから帰って来たわたくしとウォルフは、もう四回も結婚式に出席しました。
ふふ、実はわたくしたちも、昨年の今ごろ結婚式を挙げたんです。あれから一年……月日が経つのは早いものですね。
いつものようにキスでウォルフを起こし、遅めの朝食を取ったあとはメイド長のジョアンナとお茶会の打ち合わせです。実はホーウッド夫人を招いたお茶会の席で、レオナ嬢を紹介するつもりなんです。
レオナ嬢はあの音楽祭の一件でナイジェル殿下との関係修復が難しいと判断され、婚約解消になりました。わたくしたちが身元引受人となり、今、帝都のお屋敷で同居しています。
ホーウッド夫人はリズ様のお妃教育を担当した社交界の重鎮ですから、彼女を味方につけておけば、この国で暮らしていくうえで何かと心強いでしょう。
「では奥様、紅茶はカルバリ産茶葉のストレートティー、お菓子はオッジール社のブランデーケーキ、ポエ菓子工房のチョコレートスフレ、料理長特製のフルーツサンドでよろしいですか?」
ジョアンナは、メニューリストに書き足しながら確認事項を復唱していきます。
彼女はいつも黒髪をきっちり纏めメイド服をピシッと着こなしています。まだ二十代と若いのですが、いつぞやの新人メイドのような浮ついたところがなく、勤務態度も真面目で噂話をすることもありません。人間ですが獣人の習性をきちんと理解しているので、とても頼りになるのです。
「ええ、いいわ。ホーウッド夫人はブランデーケーキがお好きなの。テーブルクロスは白にしてね。季節の花も忘れないように」
「かしこまりました」
これでよし、と。
あとはジョアンナに任せておけば安心です。
「これからウォルフとレミントンホテルの喫茶室へ行くの」
「レオナ様もご一緒ですか?」
「いいえ。でも彼女は一人で大丈夫でしょう?」
「そうですね。もう間もなくしたら、あの方がいらっしゃるでしょうから」
「うふふ、今日は天気がいいから、あの方と庭のテラスでアフタヌーンティーを楽しむといいわ」
「はい、お勧めしてみます」
わたくしが執務机の椅子から腰を上げた瞬間、玄関ホールがにわかに騒がしくなりました。
噂をすればなんとやら、です。
こっそり様子を見に行くと、白薔薇のブーケを捧げ持つアーサー卿の姿がありました。
「レオナ! 元気にしていましたか? 休日が待ちきれなくて、押しかけてしまいましたよ」
「アーサー様、わたくしもお会いしたかったです」
「レオナ!」
「アーサー様……」
久しぶりの逢瀬のような物言いですけど、この光景は昨日も繰り広げられていました。押しかけるのは親族の我が家だから許されるのであって、番を溺愛する獣人と言えども余所では迷惑行為ですよ?
「落ち着いてくださいアーサー様」と執事のエドガーが宥めていますが、燃え上がる二人の恋には効果がないようです。
え? どういうことかって?
レオナ嬢はアーサー卿の番だったんです。
そりゃもう、びっくりしましたよ。レオナ嬢を連れてひとまずワジャまで戻ってきたら、アーサー卿が「私にもやっと番が……」なんて涙ぐむんですから。
レオナ嬢の実家オルコック家は人間の一族。この世界では、番を持つのは獣人だけで人間は対象外です。なのに、どうして人間のレオナ嬢が? って思うじゃないですか。
彼女、獣人でした。
幼少期に孤児院にいたところを、サヴィント侯爵に引き取られたのだそうです。野心家の侯爵は、レオナ嬢が獣人であることを王家に隠し、勝手にナイジェル殿下と婚約を結んでしまったのだとか。
もとより王家へ嫁がせるための駒だったのでしょうね。レオナ嬢は婚約解消となったとたん、実家に見限られて行き場を失ってしまいました。しかもナイジェル殿下との不仲が囁かれて以来、冷遇されていたというのですから同情せずにはいられません。
でも大丈夫。これからはアーサー卿の番として愛し愛される未来が待っていますからね。きっと来年の今ごろは女神ファティに祝福され、誰よりも幸せな花嫁になっているはず。
「ああ、早くレオナと暮らしたいです。いっそのこと今日にでも私の部屋に移ってはどうですか?」
「アーサー様ったら」
あー、ダメダメ。アーサー卿の部屋は、プリムス宮殿の一角にある騎士用の独身宿舎です。サプワン領の本家へ挨拶に行って、義母のアリエラ夫人から妻の心得を伝授されるとビーモント家の別邸が与えられるはずですから、それまで我慢してください。
でも気持ちはわかります。わたくしとウォルフもそうだったもの。あのころはウォルフが公務員宿舎のわたくしの部屋へ忍んで来たのよね。懐かしいわぁ。
「あの二人は今日もイチャついているのか」
「あら、ウォルフ」
ウォルフは投資顧問と打ち合わせ中でしたが終わったようです。わたくしを後ろから抱きしめ、アーサー卿の熱愛ぶりに呆れています。
わたくしの髪にキスするウォルフ。他人のこと言えないと思うんだけど。
「何はともあれ、よかったよ」
「アーサー卿は番を切望していたものね」
「思いあまって俺に殺気を飛ばすくらいにな。これでやっとお互い平和が保てるというものだ」
さあ、行こうか……とウォルフに促されて、わたくしたちはレミントンホテルへ向かいます。
今、社交界ではコーヒーが流行っていて、帝都のカフェは連日混みあっているのです。
レミントンホテルの喫茶室には、苦いコーヒーは苦手だというご婦人にも好評なコーヒークリームのロールケーキがあるので楽しみなんですよ。
【Wolff】
音楽祭の、あの夜――。
ナイジェル殿下がホテルへやって来て、俺に頭を下げた。
「レオナをエレギア帝国へ連れて行ってください。お願いします!」
せっかくバニーと花火を見ていたところに水を差されて、俺の機嫌は悪かった。だが、一国の王子がお忍びで訪れたとあっては邪険にあしらうわけにもいかない。だから渋々バニーを置いて、殿下の待つ部屋へ行くことにしたんだ。
廊下を歩きながら、俺のバニーを誘惑しようとしたことや婚約者のレオナ嬢へ冷たい態度だったことで頭がいっぱいになり、説教してやろうと思っていた。
なのに、この謙虚な態度。困惑するだろ?
「藪から棒に、一体なんですか?」
「先触れも出さずに、突然押しかけてすみません。でも、先ほど起こした騒ぎのせいで僕は謹慎処分になるだろうから、今しか時間がないんですっ」
「とりあえず座ってください。今、お茶を持ってこさせますから」
切羽詰まった様子の殿下へ落ち着くよう諭す。
俺も殿下の向かい側の席に腰を下ろした。ぐるりと部屋を見回す。
主な家具は黒茶の革張りソファとテーブルしかない応接室。殿下の専属護衛らしきスーツ姿の男が一人、部屋の隅に控えていた。夜に単独行動をするほど無謀ではなかったようだ。
そのうちに温かいミルクティーがテーブルに置かれ、殿下はおもむろにカップへ手を伸ばした。
「もうすぐ僕とレオナの婚約が解消されます。そうなったらレオナには居場所がない……おそらく父親のサヴィント侯爵は修道院へ送るか、うんと年の離れた男の後妻にするか、家から追い出すでしょう」
「そうなったのは殿下のせいでは?」
「……浅はかでした。病弱だった僕が健康になったとたん、皆が手のひらを返して、王子妃にふさわしくないとレオナを攻撃し始めたんです。だから僕の素行が悪ければ、逆にレオナは同情されるんじゃないかと思って。どんなに我がままな王子でも、貴族たちは王家におもねるなんて考えもせず……」
殿下はしょぼんと項垂れている。
その様子を見ていると、レオナ嬢の呟いた一言が脳裏に蘇ってきた。
本当は優しい人なんです――。
まあ、病気で引きこもりがちだった世間知らずの王子だもんな。社交界の恐ろしさとは無縁の年齢だし、失敗は誰にでもあることだ。しっかり反省すればいい。
「ならば、今からでも大切になさったらいかがです? まだ婚約は解消されていないし、殿下はレオナ嬢を好いておられるのでしょう? こうして我がビーモントの助力を求めるくらいには」
とたん、殿下の顔がくしゃりと歪んだ。
「それじゃあ、ダメなんです! レオナは獣人だから、僕と一緒にいても幸せになれない。人間は獣人の番になれないのでしょう?」
「レオナ嬢が、獣人……?」
おいおい、オルコック家は人間の一族だろ? それが獣人? 王子の婚約者? どうなっているんだ。
殿下はクズッと鼻をすすった。
「たぶん本物のレオナはもう死んでいて、それを隠すためにサヴィント侯爵は、同じ髪色と瞳の娘を孤児院から引き取ったんだと思います。幼いころのレオナは兄の婚約者候補だったから、侯爵家は王太子妃の座を諦めたくなかったんでしょう」
結局王太子妃に選ばれたのは別の令嬢だったが、その数年後、サヴィント侯爵はレオナ嬢を殿下の婚約者にねじ込むことに成功した。
当時、病弱な殿下と積極的に婚約を結ぼうとする貴族はおらず、サヴィント侯爵領では薬草栽培が盛んなことから殿下の利になると、子煩悩な国王は考えたのだ。
始め殿下とレオナ嬢の仲は良好で、姉弟のような関係だったという。当然、いずれ結婚するものだと思っていたそうだ。
「でも、レオナが白いライオンに獣化するところを偶然見てしまったんです。それからいろいろ考えるようになりました。レオナはもう十八です。運命の相手が別にいるのなら、早く解放してあげなければ。エレギア帝国へ行けばファティ神のご加護もあるから、きっと番が見つかると思います」
「殿下はそれでいいのですか?」
「引きこもりの王子だと皆から遠巻きにされるなか、家族以外で親切にしてくれたのはレオナだけでした。熱で寝込むたびに看病してくれて……幸せになってくれないと困るんです。それから、これ――」
そう言って、殿下が差し出したのは宝石箱だった。ダイヤモンドのイヤリング、パールの首飾り、トパーズのブローチ、エメラルドの指輪、サファイアのブレスレット、アメジストの髪飾り……よく吟味され、どれもレオナ嬢に似合いそうなデザインである。
「レオナに贈るとサヴィント侯爵に取り上げられてしまうので、手元に置いていました。結婚が決まったら持参金として渡してください。僕の名は出さずに」
俺はもう一度同じ問いを返した。
「殿下は……それでいいのですか?」
自分の気持ちを伝えないで――。
プレゼントの一つも贈らない、ひどい婚約者だと誤解されたままで。
「はい。それがレオナを辛い境遇に追いやってしまった自分への罰ですから」
殿下は澄んだすみれ色の瞳で俺を見た。
そんな真剣な顔をされたら断れまい。
「わかりました」
その後、本人の希望を聞いたうえで、レオナ嬢を連れてエレギア帝国へ帰ることにした。
ワジャへ向かう車の中で、俺は一つ約束を破った。
結婚するときに渡すはずだった宝石をレオナ嬢に差し出したのだ。番はいつ現れるかわからないし、サヴィント侯爵に絶縁され無一文で家を出てきていたから、金銭的な不安を排除してやりたかった。ビーモントからの施しではない自分の財産は、きっと心の支えになるはずだ。無論、誰からとは告げなかったが――。
「殿下っ……」
レオナ嬢は宝石箱を開けるなり嗚咽した。
ああ……これだけでわかってしまうのか。
恋愛感情ではなかったかもしれないが、二人の間には確かな絆があったんだな。
黙って運転していたバニーも彼女の涙に配慮したのか、車の速度を落とした。
そのあとすぐにレオナ嬢はアーサーと出会って……まあ、そういうことだ。
アーサーのやつ、毎日我が家へ押しかけてくるから騒々しいのなんのって!
レミントンホテルの喫茶室で、バニーがコーヒーロールを食べている。
苦いのは嫌だというわりに飲み物はコーヒーだ。ミルクをたっぷり入れると味がまろやかになるらしい。
バニーがフォークを口に運ぶ。
俺はロールケーキになりたいと思う。その口に食べられたい。
唇の端にクリームがついている。なんだかエロティックなんだよな。
斜め前の席の男がその唇に魅了されているなんて、君は気づいていないだろう。だから俺は、わざわざ見せつけるようにクリームを指で拭ってやる。
バニーは顔をほころばせて俺に言う。
「甘いのにほろ苦い、ちょっと切なくなる味ね。気に入ったわ」
「そうか。よかったな」
今朝、殿下から手紙が届いていた。
サヴィント侯爵は、分家から養女を迎えてレオナ嬢とすげ替え、殿下の婚約者にしようとしていたことが発覚。レオナ嬢から取り上げた殿下の贈り物はその養女のものになっていて、王家から大目玉を喰らったらしい。本物のレオナ嬢は、やはり幼少期に病死していた。
そして殿下は、隣国の王女と縁談が進みそうだ。
よし、家に帰ったら、レオナ嬢のことはもう心配いらないと返事を書くか。
何せ『美麗の騎士』アーサーの妻になるんだ。彼女を嘲笑っていた令嬢たちは、さぞかし羨ましがるに違いない。




