三の月 ~早春~
【Bunny】
日に日に寒さが和らぎ、帝都では春の訪れを告げるミモザが、丸く黄色い花を咲かせています。
プリムス宮殿の正門に続くミモザの並木道も、今が満開。
「バニー、少し歩こうか」
「ええ」
私とウォルフは、車を降りて歩くことにしました。
ドレス姿がめずらしいのか、道行く人々がわたくしたちに注目しています。
とはいえ、パーティーではないので着飾っているわけではありません。
袖にレースをあしらった、くるぶし丈の青いアフタヌーンドレス。アクセサリーは、サプワン領でウォルフが買ってくれた一粒ダイヤのシンプルなネックレスだけです。
ウォルフはモーニングコートにシルバーのネクタイを着用。
これから皇帝陛下に謁見するので、正装なのです。
わたくしはドレスの裾を汚さないように注意しつつ、一歩足を踏み出しました。ウォルフが肩にスプリングコートをかけてくれます。
普段は気軽なワンピースばかり着ているので、身が引き締まりますね。
え? 貴族女性の装いといえば、足元まで隠れるキラキラのドレスですって?
やっぱりそういうイメージ、ありますよね。
確かに昔は脚を隠すことがよしとされ、家の中でも丈の長いドレスを着ていたそうですが、時代が変わりまして……キラキラのドレスは舞踏会などのごく限られた場のみとなりました。最近の流行は、ミモレ丈(ふくらはぎの真ん中の丈)。シフォン生地のワンピースなど、柔らかで品のあるデザインが人気です。
そもそもエレギア帝国は、他国と比べて習わしや礼儀作法に対して寛容なんです。
というのも獣人は番と結婚するのが当たり前なので、必然的に貴族も身分差婚が大半なんですね。わたくしは平民の公務員でしたし、現帝だって準男爵のご息女と結ばれましたから。
その影響なのか、この国では人間の貴族も恋愛結婚が多く、幼少期から淑女教育を受けていない奥方がほとんどなので、格式張ってもしょうがないという事情があります。
「暖かくなってきたし、どこかへ行きたいわね」
「ずっと家に引きこもっていたからな。気分転換に旅行でもするか」
「テージュ王国の花祭りなんてどうかしら?」
「隣国王都のハルモニア音楽祭も捨てがたい。ほかにもウファン森林公園、ギタリア海岸……」
わたくしとウォルフは手を繋ぎ、宮殿へ向かいます。
春って、なんだか体がうずうずしますよね。
ミモザ、スイセン、ブルーベル……。
そよそよと緩やかな風が、どこからかほのかに甘い香りを運んできて――。
外出したい。そんな気分にさせてくれるのです。
帝国の中枢、プリムス宮殿。
謁見中のワイヴァン陛下は終始ご機嫌でした。
陛下は、国民から竜帝と呼ばれ敬愛されています。御年二十五歳。三年前、リス獣人の皇后リズ様とご結婚の際に、先帝の譲位により即位されました。
先日リズ様のご懐妊が正式発表され、皇室はお祝いムードなのです。
「お手柄だよ。褒美にワジャ旅行をプレゼントしよう」
ワイヴァン陛下は、満面の笑みでおっしゃいました。
実は、先月クビにした二人のメイドは窃盗団の一味で、その親玉が彼女たちを紹介してくれた商人だったのです。彼は自分の配下を掃除係としてお金持ちの家に送り込み、邸内を探らせていました。
そのころ帝都では貴族の邸宅ばかりを狙った窃盗被害が相次いでいて、たまたま商人に苦情を申し入れに行ったウォルフが悪事に気づき逮捕に至ったのです。
それで本日、皇帝自ら感謝状を授与してくださることになりました。
ご褒美までいただけるとは、なんて太っ腹なのでしょう!
「恐れ入ります」
ウォルフは無表情で応じ、ワイヴァン陛下が「君は相変わらずだねぇ」とクスクス笑っておられます。
その後ろでアーサー卿は、きゅっと口を引き結び護衛任務を遂行中。置物みたいに気配が消えています。
「あ、そうだ。バニー夫人、このあとリズのところへ寄ってくれないか? たまに顔を見せてやってくれると彼女も喜ぶ。その間、我々は客間で世間話でもしているから、ゆっくりしておいで」
陛下にそう言われてしまっては、断ることなどできません。
わたくしは素直にリズ様の部屋へ向かいました。
けれど……あんまり喜ばれないと思いますよ? だって、わたくしとリズ様は個人的なやり取りをするほど親しくないですから。
「まあ、すみません。イサード伯爵夫人自ら来てくださるなんて! きっと陛下が無理にお願いしたのでしょう」
案の定、リズ様はわたくしと会うなり、薄茶の巻き毛をゆらして申し訳なさそうに頭を下げておられます。
先触れが出ていたため事前に人払いがされ、誰にも見られていないことは不幸中の幸いです。皇后が伯爵夫人にペコペコするなんて、あってはなりませんから。
「お気になさらないでください」
わたくしをここへ寄越したのはワイヴァン陛下で、リズ様ではありません。
わたくしが結婚前まで勤めていた総務省の施設管理部第三課は、宮殿や重要施設の安全管理が主な役目でした。
わかりやすく説明すると、室内に危険物が仕掛けられていないか魔法でチェックするだけの簡単なお仕事です。当然、皇帝、皇后の私室も含まれます。
実力主義なのでお給金は成績順。これは自慢になりますが、わたくしは課長だったんですよ。
ですから陛下は、先程わたくしにリズ様の部屋の安全を確認してほしいと暗にお願いされたわけです。
本来、辞めた者に頼むのは筋違いですが、よっぽど身重のリズ様が心配なのでしょうね。その美しい番愛に免じて今回だけ、特別サービスしちゃいましょう。
では、さっそく魔法サーチ開始!
まず、宮殿の外側には……危険物なし。続いて内側、リズ様とワイヴァン陛下のお部屋も問題なし。ですがリズ様の枕元の香り袋に、妊娠中は避けるべきハーブがブレンドされていますね。
こんなことにも気づかないなんて、宮廷医は何をしているのかしら? まあ、毒物とまでは言えないので、あとでこっそり陛下へ報告すればよいでしょう。
あっ、宰相補佐室、皇后専属侍女の控室、女官長室に盗聴器を発見しました。
第三課の者が最低でも週に一度はサーチしているはず。ということは、これは最近仕掛けられたのでしょうね。ついでに破壊しておくとしますか。
意識を集中させて三つの盗聴器へ同時に狙いを定めます。少しでもズレると同じ部屋にあるほかの魔道具を壊してしまう可能性があるので慎重に。
いきますよ、せーの!
盗聴器にセットされている魔力石を遠隔魔法で砕き機能を停止させたとたん、指先からバチッと静電気に似た魔力音が鳴りました。
はい、終了。
どうです? スゴイでしょ。宮殿ごとサーチできるのは、実力トップのわたくしだけ。普通は一部屋か、使用人宿舎など小さな建物の場合は一階ずつとか……。
だけどこのことは、ウォルフに内緒なんです。
第三課の詳細は国家機密のため守秘義務があります。それに残念ながら魔法に畏怖の念を持つ者は、いつの時代も一定数存在するので言わないほうがいいのです。
「検査完了しました。この部屋は安全ですわ」
「さすがイサード伯爵夫人、いつも仕事が早いですね」
「ほかに異常もないようですし、わたくしはこれで失礼いたしま――」
「お、お待ちくださいませ」
用がすんだので帰ろうとしたら、リズ様に引き止められてしまいました。ビクついた様子で愛想笑いを浮かべているところから察するに、この方もわたくしのことが怖いのでしょうね。
「ちょうど帝都で話題のベリーチョコレートがありますの。イチゴにカシス、ラズベリー……お好きでしょ? 一緒にいただきましょう」
あら? リズ様に誘われるなんて初めてではないでしょうか。でもウォルフを待たせているのよね。どうしましょう。
ベリーチョコレート……。
ゴクンと喉が鳴ります。
「では、お言葉に甘えて……」
ほんの少しの間だけ。
心の中で言い訳をして、リズ様に勧められるがまま向かい側の席に腰を下ろしたのでした。
【Wolff】
「陛下、事前に相談もなく、勝手なことをされては困りますよ」
バニーが謁見室を出て行ってから、俺は陛下に抗議した。
どうせ感謝状なんて、バニーをここへ呼び出すための口実だろ?
俺はあのメイドたちを紹介した商人へ文句を言う前に、弱みの一つでも握ってやろうと思っただけ。大したことはしていない。
バニーは、もう宮廷魔術師じゃないんだぞ。都合よく仕事を押しつけないでくれ。ワジャ旅行なんかで誤魔化されてやるものか。
「今回だけだ。バニー夫人のように信頼できる女性は貴重なんだよ。それにリズが彼女に憧れていてね、会わせてやりたいじゃないか。そう目くじらを立てるな」
刹那、陛下の後ろから殺気が飛んできた。
アーサーの警告。
こいつがいるのをすっかり忘れていた。気配消しすぎだろ。ちょっと苦情を言ったからって、どれだけ任務に忠実なんだよ。
迂闊に「魔法」だなんて口を滑らせなくてよかった。皇帝直属とはいえアーサーは、バニーが魔術師だと知らないはず。俺たちがなんの会話をしているか、わかっていないだろう。
「なぜワジャ領なんです? 旅行先ならほかも候補はあったでしょう」
さりげなく話題を変えると、アーサーからスゥと殺気が消えた。
エレギア帝国は大陸一の強国だ。
隣のリント王国の領土だったワジャは、四年前にエレギア帝国へ併合されたばかりである。獣人よりも人間の割合が多く、閉鎖的で有名な景勝地があるわけでもない。強いて言えば、温泉が湧いていることくらいだろうか。
そんな鄙びた土地を帝国が手に入れたのは、ワジャの領主がリズ皇后に無礼を働いたから。お忍びの婚前旅行で秘湯を訪れ、ひと悶着あったらしい。その報復として当時皇太子だった陛下は、その男のすべてを領地ごと奪ったのだ。
げに恐ろしきは番愛……。
でもまあ、気持ちは理解できる。自分の最愛に危害を加えられそうになったら、完膚なきまでに叩き潰す。当然のことだろ?
「ワジャの様子を見てきてほしいんだよ。リズが無事出産したら、子どもと三人でのんびり温泉へ行く予定なんだ。そのとき、また身の程をわきまえない無礼者がのさばっていたら興醒めじゃないか」
「のんびりって……公務はどうするんです?」
「あのねぇ、皇帝にも育児休暇が必要だと思わないかい?」
陛下は呆れ顔で冷ややかな視線を向けてくるが、呆れているのはこっちのほうだ。私的な理由で振り回すのはやめてほしい。
獣人の男は積極的に育児をするので、この国では育児休暇が当然の権利として認められている。しかしそれは、自分の代わりに仕事をする人がいるからだ。皇帝の代わりはいない。
諫めようと口を開きかけると、俺の言いたいことを見透かしたかのように陛下は切れ長の瞳を細める。怜悧な顔から静かに放たれる眼光……これは悪だくみしているときの表情だな。
「わたしの代わりはいるよ。こんなときこそ父上の出番だろう。本当ならまだ現役でもおかしくなかったのに、早々に引退して遊び惚けているんだ。たまには役に立ってもらわねばな」
「あ……」
ごもっとも。
この国に限らず、獣人の君主は自分の地位に執着しない傾向がある。
先帝も皇太子に子ができるまでは譲位しないという帝国の慣例を無視して、さっさと退位してしまった。現在、今まで多忙だったぶん、夫婦の時間を大切にしたいと世界一周旅行を満喫中である。
孫見たさに出産までには一旦帰国するはずだから、おそらく陛下はそれに乗じて育休をもぎ取るつもりなのだろう。
「まあ、幼馴染みを助けると思って、よろしく頼むよ。一番いい宿を予約しておくからさ」
まったく調子がいい。そう言われたら断れないじゃないか。
俺と陛下は年が近い。ビーモント家の初代が皇族だった縁もあり、幼い頃の俺と兄上は宮殿で陛下と一緒に遊んでいたのだ。
俺が結婚したとき、機密任務に従事するバニーがすんなり退職できたのも、俺の退役がすぐに認められたのも、陛下の助力があったからこそ。
でも――。
「……貸切風呂もお願いします」
これくらいは要求したっていいだろう。
再びアーサーから殺気を感じるが、かまうものか。その敵意の中に彼の私情が混じっている気もしなくはない。
こっちは番と出会えてもいないのに、って思っているんだろ? 心配するな、そのうち見つかるからさ。
客間に移って陛下とチェスに興じながらバニーを待つ。
勝敗がつくころ、やっと扉が開いて――。
「お、お待たせ、ウォルフ」
おずおずと悪戯が見つかったような顔を覗かせるから、可笑しくてつい口角が上がってしまう。
くん、くん。
微かにチョコレートとイチゴの甘酸っぱい匂いがする。なかなか戻って来ないと思ったら、ベリーチョコレートをご馳走になっていたのか。
「チェックメイト!」
陛下が勝ち誇った声を上げる。
しまった! 油断した。
まあ、いいや。
用事もすんだことだし、そろそろ帰ろうか、バニー。




