二の月 ~冬ごもり~
【Bunny】
二の月ともなると世間はすっかり新年の祝賀ムードが抜けて、いつもの日常に戻ります。
わたくしたちも帝都の屋敷へ帰ってきました。
一年で一番寒いこの時期は――。
うふふ、もっふもふ!
もふ、もふ、もふ、もふっ。
ウォルフのお腹に顔を埋めます。柔らかくって気持ちいい!
え? 変……態、ですか?
普通は夫のお腹に顔を埋めたりなんかしない?
いえいえ、わたくしたちは、獣化した状態でゴロゴロしているだけなんです。
人間だってペットの猫ちゃんやワンちゃんの体に、ついつい顔を埋めてしまう『もふもふ好き』がいらっしゃるでしょう? それと同じです。
今はオフシーズンなので煩わしい社交もしなくていいし、寒さで外出する気分にもなれません。そうなると、もふもふに包まって、ぬくぬくするしかないじゃありませんか!
わたくしは白ウサギ。ウォルフは銀狼とでも言いましょうか。シルバーグレーの毛並みが、そりゃもう素晴らしくて。
ちなみに、獣人の種族は親から受け継ぐことがほとんどで、ウォルフが狼なのは父親の遺伝です。
そして髪の色と獣化時の体毛の色に関連性はありません。わたくしのように栗色の髪で白ウサギの人もいれば、金髪だけど黒猫という人もいます。
「美麗の騎士」と噂のアーサー卿なんて白熊ですからね。あれは白毛に見えて、実は透明なんですって。
カウチソファでの怠惰な時間、ウォルフはいつの間にか眠ってしまいました。
すう、すう、と寝息を立てる夫の体に身を寄せていると、わたくしの瞼も段々と重たくなっていきます。
愛しい人の体温を感じながら、心地よい微睡みの中へ――。
そのときです。
「ちょっと……マズいわよ。バレたらクビになるんじゃない?」
「大丈夫よぉ。どうせ旦那様と奥様なんか寝室から出てこないんだし、今のうちにサボっちゃおう。この前、大きなソファがある空き部屋を見つけたんだ。あんなに豪華なのに、誰も使わないなんてもったいない! こっちよ――」
若いメイドの声が徐々に近づいてきたかと思えば、突然ノックもなしにバンッと扉が開いたのです。
もうっ、せっかくの夫婦団らんを邪魔されるなんて気分最悪っ!
確かに、この部屋は普段、あまり使いません。
もったいない? それも一理あるでしょう。
けれども!
それが屋敷の部屋を無断で好き勝手する理由にはならないのです。
しかも、サボっちゃおう……ですって?
どうせ旦那様と奥様なんか……?
わたくしはビーモント家に嫁入りする際に、義母から妻の心得を伝授されております。女主人たるもの使用人に舐められてはいけないのです。
職務怠慢、主人に対する無礼、許すまじ!
バチッ、バチッと怒りで乱れた魔力が、不穏な音をたて始めました。
わたくしはウォルフの眠りを妨げないように、そっとカウチソファから降り、二人の前に立ちふさがります。
「あ・な・た・た・ち……! ここで何をしてるのっ!?」
激怒する白ウサギを見て、赤毛をおさげにしたメイドと黒髪をお団子に纏めたメイドが、キョトンとした顔になりました。
頻繁に獣化するわけではないので、わたくしだとすぐ気づかないのは致し方ないです。二人は人間、しかも新米メイドですし。
出入りの商人の紹介で掃除係として雇い入れたのですけど、やはり獣人の習性を理解しきれない人間に、我が家は向いていないのでしょう。貴族の屋敷で働くのも初めてのようだし、この調子で邸内をウロチョロされたら、今度は客人の前で粗相をしかねません。
いっそのこと、洗濯係に移動させてみる? けれど、洗濯室の人手は足りているし……だったら、もうクビでいいかしら。
口が軽そうだから余所様に我が家のことをベラベラしゃべらないように、魔法で制約を加えてしまえば……。
「ももも、もしかして、お、奥様……?」
「ひ、ひぃ……まさか、奥様がいらっしゃるなんて……」
我に返った二人は顔面蒼白になり、一歩、二歩と後ずさりしました。
バチバチバチバチッ……。
不穏な音は鳴りやむどころか火花のような光を帯び、激しくなっていきます。
「もしかしなくても奥様よっ! 油を売ってないで、さっさと仕事に戻りなさい!!」
わたくしの一喝とともに、魔力がピカッと稲妻のような青白い光を放ちました。
「は、はいっ。すみませんでした!」
「し、失礼しましたっ」
二人は身をひるがえし、バタバタと走り去っていきました。いくら慌てていたとはいえ、ビーモント家の屋敷であの品のない足音はいただけません。
うん、やっぱり、クビだわ。
あの子たちの処遇はあとにするとして、わたくしはウォルフのところへ戻ります。ちょっと騒がしかったので起こしてしまわないかと心配したけれど、まだ眠っているようですね。
「よかった……」
そしてまた、もっふもふな彼のお腹に顔を埋めるのでした。
【Wolff】
あ、バニーが戻ってきた。
一部始終を薄目を開けて窺っていた俺は、寝たふりをする。
俺は耳がいいんだ。部屋に入る前のメイドたちの会話もしっかり聞こえていた。そうでなくても、あんなにバチバチしてたら、さすがに起きるって。
獣人は番との時間を邪魔されることを極端に嫌う。だから、バニーの怒りはすごくわかる。
その辺りの獣人の習性や貴族の屋敷で働く注意点については、事前に執事のエドガーから説明されているはずなのだが?
ま、屋敷で働く使用人のことはバニーの管轄なので、余計な口を挟まないで見守るとしよう。あの二人はクビになるだろうが、俺はそれでいいと思っている。
そうだな、あんな人材を紹介した商人にはガツンと言っておくか。
バニーは俺の腹に顔を埋めたまま、うとうとし始めた。
俺はすっかり目が冴えてしまったので、逆立っているバニーの背中の毛をベロンと舐めて整えてやる。すると、もぞもぞと身じろぎをするので少しくすぐったい。
照明や通話機、冷暖房、魔動車など、現代の文明の利器は魔力石を動力源としている。魔力と言えば石。これが、この世界の常識だ。
しかし、ごく稀に魔力を身に宿して生まれてくる者がいる。彼らは人ならざる奇跡の力……魔法を操るため魔術師と呼ばれ、バニーはその一人だ。
つまり、一般人は魔法なんて使えないし、もちろん怒りで魔力がバチバチすることもない。
たぶん、あのメイドたちは目の前で何が起きたのか、わかっていないだろうな。
バニーが自分の生い立ちや魔法について触れたがらないので、俺は気づかないふりをしている。そう、さっきみたいに。
公にしたところで好奇の目で見られるか、利用しようとする輩が近づいてくるだけだろうから、言いたくなければ言わなくていい。
だけど、番のことを知りたいと思うのは当然の心理だろ? 名門ビーモント家に正体不明の人物を入れるわけにはいかない……なんてもっともらしい理屈をこねていろいろと調べてしまったことは、どうか許してほしい。
バニーは三歳のときに魔動車事故で両親を亡くし、国の保護施設で育った。公務員として総務省に勤務、所属は施設管理部第三課。その後、ビーモント家当主の次男、イサード伯爵である俺と出会い結婚退職して今に至る。
一見、平凡で何も問題ない経歴だが、施設管理部に第三課は実在しない。
そこは全国から集められた魔術師たちが在籍する秘密の部署なのだ。どこの国も希少な魔術師の囲い込みに躍起になっているから、国の施設で育ったバニーが所属していたとしてもおかしくない。
この部署のことを知る者はほんの一握り。俺も公爵家のコネと力がなければ、ここまでは調べられなかっただろう。
「んふふ…………フォン……デュ……」
バニーが寝ながらふにゃりと笑い、鼻をぴくつかせる。
幸せそうだな。食いしん坊だから、美味しいスイーツの夢でも見ているのかもしれない。
フォンデュ……チョコレートフォンデュか。
バニーは溶かしたチョコレートにイチゴをつけて食べるのが一番好きなのだ。
思い返せば、俺たちが出会ったきっかけもチョコレートフォンデュだったな……。
「まあ、チョコレートの噴水だわ!」
青い空を突き抜けるように、朗らかなソプラノボイスが響く。思わず俺は声のする方へと視線を走らせた。
この日は、プリムス宮殿にほど近い公園の芝生広場で『スイーツフェスタ』という新作スイーツの催しが開かれていて、その目玉がチョコレートファウンテン、まさしくチョコレートの噴水だったのだ。
液体を汲み上げて循環させる鍋型の魔道具『ファウンテン鍋』が近々発売されるので、ご婦人方へのデモンストレーションというわけだ。
メインテーブルには大きめの、その周りのいくつかのテーブルに小さめのファウンテン鍋が設置されている。
わらわらと人々が集まってきた。
俺は、メインテーブルの前で口を大きく開けて驚く一人の娘に目が釘付けになった。首元まで襟の詰まった水色のワンピース、ウェーブのかかった長い髪はハーフアップに纏められていている。年のころは、十七、八だろうか。
ドクンと胸が波打つ。
俺の番……。
「よし、あの鍋を全部買い占めよう」
うっかり呟いた独り言を、隣にいた同僚の狐獣人フェネックが聞いていた。
「おまえ、正気か!?」
俺がスイーツに興味ないのを知っているからな。
じゃあ、なんでこの場にいたのかというと、会場警備のため。
当時の俺は軍人だったんだ。この国の貴族は皇帝に忠誠を示すため、俺みたいな家を継がない次男坊などは軍に属することが多い。退役したのは結婚が決まったあとだから、最初から今みたいに無職だったわけではないのだ。
「あの鍋をプレゼントしてプロポーズする」
「はっ? もしかして……この会場で番を見つけたのか!?」
「そうだ。急がないと!」
「ちょっと、待て、待て。だからって買い占めるなよ。テーブルにイチゴやらマシュマロやら、チョコレートフォンデュの具材が置いてあるだろ? あれを皿に盛って『一緒に食べませんか?』って声をかけるんだ。いいか、紳士的にだぞ。がっついたらダメだ」
そうか、ファウンテン鍋なんて、いくつもプレゼントされたら困るよな。
焦るあまり冷静さを欠いていた。
俺は深呼吸してから、手櫛で髪を整え彼女の元へ向かう。
「初めまして、ウォルフ・ガイ・ビーモントと申します。よかったら、一緒にチョコレートファウンテンを楽しみませんか?」
「ええ、喜んで……!」
すぐに俺を番だと認識してくれたらしい。薄くそばかすの散った頬が、ぽぽっと赤く染まった。差し出したイチゴの刺さった串を受け取る小さな手。
なんて愛おしいんだ!
視線が交わり、時が止まる。周りの喧騒すら聞こえない……。
このときフェネックは、適切なアドバイスだけでなく上司に俺の早退を掛け合ってくれたんだ。
お陰で一緒にスイーツフェスタを最後まで満喫できたし、とんとん拍子に婚約まで進み……。彼には一生、足を向けて寝られない。
思い出に浸っているうちに、バニーがのっそりと身を起こす。
「寝ちゃった……ウォルフはあったかいわね」
目覚めたバニーからは怒りが消えて、いつもの穏やかさが戻っている。そして口元にはヨダレが……。
次の瞬間、バチッと小さな音がしてヨダレが消えた。
いいのさ。俺は何も知らないし、何も見ていない。
俺にとってバニーは、お茶目で可愛い普通の女の子だからな。




