一の月 ~新年~
【Bunny】
帝暦八〇〇年――。
リーンゴーン。
日付が変わるころ、夜闇に大聖堂の鐘が鳴り響きました。年明けの合図です。
我がエレギア帝国には、年初めに女神ファティへ祈りを捧げる習慣があり、人々は街の礼拝堂へ夜通し訪れてはキャンドルに火を灯していきます。
このキャンドルには『生涯に一度だけ、切なる願いを込めると叶う』という言い伝えがあるのだそうです。ロマンチックでしょ?
現在は魔道具による照明が普及していますが、今夜だけは街灯も家の明かりもすべてキャンドルのみ。『ホーリーキャンドルナイト』と呼ばれる、この国の風物詩です。
女神ファティは、番同士の縁を結んでくださる愛の神です。獣人ならば必ず信仰していると言っても過言ではありません。
特にこの国は、竜帝ワイヴァン陛下を含め人口の約七割が獣人なので、女神様の人気は絶大なのです。
獣人たちの切なる願い……それは素敵な番と出会うこと――。
新年のキャンドルに祈りを込めれば不思議と遠からず良縁に恵まれるのは、言わずと知れた事実です。
何を隠そう、実はわたくしも、そうしてウォルフと結ばれました。
ああ、なんて素晴らしい。女神ファティのご加護に感謝を!
わたくしとウォルフは、領地の本邸で鐘の音を聞いています。
ビーモント家では当主のサプワン公爵へ新年の挨拶をするため、毎年、親族が集まるのだとか。
わたくしたち夫婦のほかには義兄フィリン侯爵とその妻ミュウ夫人、義叔父のテューディ伯爵一家、そしてウォルフのはとこにあたる若き騎士アーサー卿が滞在しています。
あ、騎士といっても馬に乗って戦うわけではありませんよ? 今の主な移動手段は馬ではなく、魔力石を用いた魔動車なので。
現在におけるエレギア帝国の騎士とは、皇族警護の任に就く皇帝陛下直属の親衛隊のことを指します。武術だけでなく家柄、頭脳、容姿、性格までもが審査される選りすぐりのエリート集団ですから、彼は非常に優秀なのでしょうね。
「バニー、そろそろ礼拝堂へ行こうか」
「そうね。お義父様たちは?」
「別行動だよ。父上も母上も新年の準備で忙しかったから、夫婦水入らずだってさ。明日の……いやもう今日か。昼餐まで会うことはないだろう」
晩餐のあとに仮眠をとったので体調は万全です。わたくしたちは手を繋ぎ、いそいそと部屋を出ました。
片手にキャンドルランタンを持っていますが、その必要がないくらい廊下の壁面に備え付けられた燭台からは、煌々と明かりが灯っています。
わたくしは思わず「わぁ」と感嘆の声を上げました。
なぜなら、この本邸は三百三十三部屋、東と西に塔がある立派なお城なのです。これだけの広さに一晩中キャンドルを灯し続けるのは、とても大変なこと。女主人として二百名以上の使用人を束ねる義母の力量と采配に、感動せずにはいられません。
ビーモント家は東塔側を住居にしていて、わたくしたちはその三階の客間をあてがわれているのですが、敷地内の一番近い礼拝堂へ行くのには徒歩で十分以上かかります。
大きすぎる屋敷の欠点とでも言いましょうか。玄関までの距離がすっごく遠いのです。
そんな調子ですから、本邸に滞在中の親戚たちと顔を合わせることもなく、わたくしたちはゆっくりと歩を進めたのでした。
礼拝堂は東側と西側に一つずつあって、東は一族専用、西は新年と祭事のときだけ一般開放されます。お城を間近に見られる数少ない機会とあって、毎年、西の礼拝堂には領民たちによるたくさんのキャンドルが灯るのだとか。
わたくしたちが東の礼拝堂に到着すると、厳かな雰囲気に包まれた堂内は誰もおらず、奥にある女神像の前にはすでに数本のキャンドルが捧げられていました。
いち、に、さん……八本あります。
義両親と義兄夫婦、義叔父一家はポーラ夫人と十歳になる子息のレイフ君の三人なので、アーサー卿を加えるとちょうど八本ピッタリですね。どうやら、わたくしたちで最後のようです。
わたくしは白いキャンドルを手に取り、ウォルフへ渡しました。
「はい、ウォルフ」
「ああ」
火を灯し、女神ファティへ祈りを捧げます。
女神様、夫との穏やかな暮らしを与えてくださり、ありがとうございます――。
わたくしの一生の願いはもう叶ったので、日々の感謝を。
チラリと隣を盗み見ると、ウォルフは眉間にしわを寄せた真剣な表情で手を合わせていました。
一体、何を祈っているのでしょうね?
「君とずっと一緒にいられるように祈っていたんだよ」
視線に気づいたウォルフが、こちらの疑問を察したらしく、照れたように小声で答えます。
わたくしは嬉しさのあまり彼に抱きつきました。
「ずっと一緒よ。愛してる」
「愛してるよ、バニー」
甘い口づけを交わします。
長く、長く……。
こうして、また新たな一年が幕を開けるのです。
【Wolff】
俺、ウォルフ・ガイ・ビーモントと愛妻バニーは、東の礼拝堂で祈りを捧げたあと、西の礼拝堂と城下にある礼拝堂をいくつか巡って、眠りについたのは明け方だった。
新年は、どこの家も礼拝堂巡りで夜更かしをする。起きる時間も遅いから、この日最初の食事は昼になることが普通だ。
母上から通達されていた昼餐の時間はいつもより一時間ほど遅かったが、正直まだ少し眠い。
それは俺だけではなかったようで、兄上や叔父上たちも心なしかボーッとしているし、バニーを含め夫人たちは食欲がなさそうにジャガイモのポタージュをゆっくりと匙ですくう。
唯一、元気なのは甥のレイフだ。ミートローフを平らげ、カボチャのパイをパクついている。子どもって回復力がスゴイよな。
俺も負けじと骨付きチキンに手を伸ばすが、それを見た母上にくすんと笑われてしまった。大人げないと思われているのだろう。
そもそも料理の品数が多いのだ。白身魚のフライ、スモークサーモンのオープンサンド、ニンジンサラダ、クリームチーズを挟んだクラッカーまである。新年を祝う午餐会だから、質素にするわけにはいかないのだろうが。
「レイフちゃん、デザートのチョコレートムースもあるわよ」
「ホントですかっ! 僕、大好きなんです」
母上の言葉に、大きな瞳をクリクリさせて喜ぶレイフ。俺の隣でニンジンサラダを食べていたバニーの肩がピクリと動く。
わかってるよ、バニー。スイーツは別腹だもんな。特にチョコレートは君の大好物だ。
「こちらにもチョコレートムースを」
給仕に命じると、バニーは恥ずかしそうに頬を染める。
か、可愛い……!
続けてミュウ夫人とポーラ夫人が「わたくしもいただこうかしら」と言い出し、それに感化されたのか母上までもが「わたくしも」と追加注文したので、結局女性陣全員の席にチョコレートムースが置かれることとなった。あんなに食欲がなさそうだったのに、本当に別腹なんだな。
美味しそうにチョコレートムースを口に運ぶ妻を愛しげに見つめる夫が、同じテーブルに三人。実に幸せそうだ。俺もその一人だけど。
そんな彼らに冷めた視線を向けているのは、はとこのアーサーだ。彼にはまだ番がいないから、何をやっているんだ、こいつら……とでも思っているのかもしれない。父上なんて当主の威厳はどこへやら、デレデレと鼻の下を長くしているし。
でも、番を得た獣人の男なんて皆こんなものだ。相手の満足している顔を見るのが、何より嬉しいのさ。
食後は、食堂に隣接した談話室でバニーとお茶を飲む。
サプワン領は冬でも滅多に雪は降らないが、ここから雪化粧をしたベーヅェ山を望むことができる。帝都ではまず見られない景色だ。
バニーはとても気に入って、窓際の席でのんびりとミルクティーを味わいながら観賞している。
「キレイねぇ……」
バニーは、ほぅと息を吐く。
その唇はぷっくりとしていて、つい触れたくなってしまう。
時折、栗色の髪を掻き上げる仕草が妙に色っぽい。ふと見ると、緩やかなウェーブのかかった髪の毛先が、昼餐会用にドレスアップしたVネックの襟ぐりの隙間から服の内側に入り込んでいて、無性に気になる。
胸、くすぐったくない?
直してやろうと手を伸ばしかけ、ぐっと堪えた。ここは寝室じゃないからな、あとにしよう。
今のバニーは化粧でそばかすを隠しアイラインで大人っぽく仕上げているけど、素顔は童顔だ。本人は平凡だと思っているようだが、とんでもない。
可愛いのに色っぽいってなんか反則だよなぁ……なんて、ベーヅェ山に見惚れる妻に、俺は見惚れている。
「ねえねえ、そんなに見てたら顔に穴が開いちゃうよ? うちの親もそうなんだけどさ、どうして大人って、そんなに番にベッタリなんだろう」
端っこの席で本を広げていたレイフに話しかけられた。口調は好意的だが、ムスッとした表情をしていて拗ねているのが一目でわかる。
「そりゃ、番だからさ」
「何それ? わけわかんない」
「理屈じゃないのさ。どうした、レイフ? また叔父上に置いてきぼりを食らったのか」
談話室には俺とバニーとレイフだけ。つまり叔父夫婦はレイフを置いてどこかへ行ってしまったのだ。
「これからは大人の時間なんだって。部屋に引きこもっちゃった」
つまらないよ、とレイフは頬を膨らませる。
「寝不足なんだろう。昨夜は一晩中礼拝堂巡りをしていたから疲れたんだよ」
「それならわかる。僕は途中で眠っちゃったから」
レイフがやたらと元気なのは、しっかり睡眠を取ったかららしい。そりゃ、子どもが夜遅くまで起きていられるわけないか。
窓の外を眺めていたバニーがこちらを向き、ニコッと笑う。
「レイフ君、もし暇なら街へ行ってみない? 好きなものを買ってあげるわ」
「わぁーい! 行く、行く」
レイフのふくれっ面が、パッと笑顔に変わる。調子のいいやつめ。
ここサプワンの繁華街は、帝都に引けを取らないくらい賑やかだ。
バニーに新しい首飾りをプレゼントするのも悪くないな。あの胸元に煌めく特大のダイヤモンド……想像しただけで顔がにやけそうになる。
さっそく外出着に着替えて玄関前へ行くと、車が二台停まっていた。俺たちが頼んだ一台と、もう一台は……。
「もう帝都へ帰るのか?」
トランクを片手にやって来たアーサーに声をかけた。
「竜帝陛下の人使いが荒いので、のんびり休んでもいられないのですよ。リズ皇后がご懐妊とあって神経を尖らせていらっしゃるうえ、人目もはばからず毎日毎日イチャイチャと。私なんて番と出会う暇すらないのに……」
アーサーが青筋を立てそうになるのを「まあまあ」と宥める。
いつも理性的な彼が苛立ちを見せるのはめずらしい。しかし、あっち(帝都)でもこっち(領地)でも目の前でイチャイチャされれば辟易するのも無理ないか。
「あらまあ、陛下に振り回されるなんて騎士様も大変ですね。でも、ひょっとしたら帰りの道中で運命的な出会いがあるかもしれませんよ? 出会いはタイミングですもの。アーサー卿の番になる方は幸運ですわね。眉目秀麗、文武両道、温厚篤実……非の打ちどころのない男性は滅多にいらっしゃいませんから」
バニーがおっとりと言う。
おいおい、褒めすぎじゃないか? 確かに、艶やかな金髪とパッチリ二重の翠眼に加えてスッと鼻筋の通った優しげな顔は、人間の令嬢たちから『美麗の騎士』と呼ばれ大人気らしいが。
気をよくしたのかアーサーは「そうでしょうか」なんぞと眦を下げている。
「気をつけて」
「また帝都で」
別れの挨拶を交わし車の後部座席へ乗り込むアーサーを見送ったあと、情けないことに嫉妬に駆られてしまった。
バニーへ文句を言いそうになった瞬間、車の中から待ちくたびれたようなレイフの声が聞こえてきた。
「早く行こうよ~。時間がなくなっちゃう!」
「そうね、急ぎましょう」
バニーは俺の腕に絡みつき、ふわっと微笑む。ただそれだけで、心が浄化されたかのようにたちまち機嫌が直っていく。
うん、やっぱり彼女の一番は俺だよな。
単純?
ま、獣人の男なんて皆そんなものだ。




