十二の月 ~二度とやり直せない~
人の幸せは、ある日突然、あっけなく幕を下ろすものです。
ハッピーエンドの物語のように上手くいかない。それが人生。
「奥様、竜帝陛下より召喚状が……!」
執事のエドガーが慌てた様子でやって来ました。黒い執事服をきっちりと着こなし、どんなに忙しくても平常心で粛々と業務をこなすベテランの彼が駆け込んでくるとは、ただ事ではありません。
差し出された銀のトレーには緊急を意味する赤い封筒が載っていて、ワイヴァン陛下が個人的にお使いになる竜の紋章の蝋封が押されています。
――大事な話がある。応じなければウォルフを斬る。
急いで書いたような乱れた筆跡。穏やかではありませんね。
今、ウォルフは貴族会議のため宮殿にいます。東国から感染拡大した伝染病がついに我が国の国境にまで迫り、その対策を話し合うためです。育児休暇中のワイヴァン陛下も休みを返上し、単身で帝都へ戻って来られました。
つまりウォルフとワイヴァン陛下は一緒にいる……。
これは脅しではなく本気ということかしら?
「すぐに向かいます」
メイド長のジョアンナが玄関に向かって歩き出すわたくしを追いかけ「奥様これを……」と肩にコートをかけてくれました。
わたくしは赤いドレスです。ちょっと派手、ですか?
実はホーウッド夫人の晩餐会に招かれていて、夫婦で出席する予定だったんです。食事のあとにダンスを楽しむ、彼女にマナーレッスンを受けた生徒が集まる内輪のパーティー。わたくしはウォルフと踊るのを楽しみにしていました。
ですが、仕方がありませんね。欠席するしかなさそうです。
外ではチラチラと粉雪が舞っていました。冬でも雪が降らない帝都では滅多に見られない光景です。
わたくしは空を見上げ、この雪もウォルフと一緒に見たかったと思いました。
一年はあっという間です。
サプワンにあるベーヅェ山の雪化粧。
ワジャの温泉旅行。
リズ様と思いがけず親しくなれたこと。
リント王国のハルモニア音楽祭。
ほろ苦いコーヒーロールに競馬。
ロンちゃんが可愛らしかったこと。
ウォルフの誕生日。
寄せては返すギタリア海岸の波と夕日。
それから、ピクニック。
全部、全部……楽しかった。
人払いされた謁見室では、ワイヴァン陛下が疲れきった体を投げ出すように玉座に座っておられました。切れ長の瞳の下には濃い隈がくっきりと浮き出ています。
「お召しにより魔術師バニー・メイ、ただ今まかりこしました」
ワイヴァン陛下は、平然と口上を述べるわたくしを見るなり眉間にしわを寄せました。それから「訊きたいことがある」と前置きしましたが、その内容はもうわかっています。おそらく記憶が戻ったのでしょう。
「魔術師バニー・メイ。君はこの世界の……」
ここで、悩ましげな吐息を一つ。
「時間を巻き戻したのか? 答えろ」
わたくしはゆっくりと首を横に振ります。
「いいえ。なぜなら魔法で時間を巻き戻すことは不可能だからです」
わたくしたち魔術師の魔法は、時間を巻き戻し運命を変えたり、治癒魔法で本来の寿命を延ばしたり、死んだ人を蘇らせたりすることはできません。それらは神の領域……踏み込むことは許されないのです。
ですが、わたくしの回答がお気に召さなかったのでしょう。ワイヴァン陛下は玉座から勢いよく立ち上がり叫びました。
「そんなバカな! ではこの記憶はなんなのだ? もうすぐ伝染病でリズが……リズが死ぬなんてっ……」
あら、戻った記憶が完全ではない? だから混乱しているのでしょうね。未来の記憶があるなんて普通ではありませんから。
それでもワイヴァン陛下は、筆頭魔術師だったわたくしの魔法に違いないと結論づけ、急いで召喚状をしたためたようです。まあ、当たっていますけれども。
確かに今は帝歴八〇〇年。リズ様が亡くなったのは帝歴八〇一年なので、我々が過去にいることは間違いありません。でも時が巻き戻ったわけではないのですよ。さて、どう説明したものか……。
「帝歴八〇一年一の月の十一日目、リズ様はギタリア海岸の保養所にて、伝染病に罹りお亡くなりになりました」
「やはり時が巻き戻っているのではないか。君が巻き戻したんだろう? わたしに記憶がないなら、史上最悪のパンデミックになると、どうして事前に教えなかった? いや、今からリズを呼び戻せば助かるはずだ。そうだろう?」
あのときもワイヴァン陛下は、リズ様とロンちゃんを保養所に残して、お一人で帝都へ戻られました。貴族会議で国境封鎖が決定されたものの、伝染病は想定よりも急速に伝播し、国内流入を防げなかったのです。次の対策を講じている間に、ギタリア海岸では伝染病が猛威を振るいます。そしてリズ様は……。
「いいえ、リズ様はすでにお亡くなりになりました。今さら、その事実は変えられません。そしてウォルフも死にました。ワイヴァン陛下、あなたが殺したのです」
「なっ!? あり得ない……わたしが、ウォルフをこの手で…………?」
ワイヴァン陛下は信じられないというように目を見開き、頭を抱えます。そうして、ようやく残りの記憶を思い出したのか唸り声を上げました。
どういうことか、ですって?
帝歴八〇一年一の月、リズ様の死に耐えられなかった陛下は、今日と同じようにわたくしを召し、命じたんです。
リズを生き返らせよ、と。
もちろん断りました。だって、不可能なんですから。すると、陛下はわたくしの前でウォルフを撃ち殺したのです。
「蘇らせることができないなら、時を戻せ。次こそはリズを守ってみせる。君もウォルフを失いたくはないだろう?」
そう言って引き金に指をかけるワイヴァン陛下は、薄ら笑いを浮かべ正気を失っているようでした。
わたくしを巻き込むために、自分の幼馴染みに手をかけるなんて……!
ですが、時を戻すことなどできません。このとき、わたくしにできた唯一の方法は――。
「わたくしは、自分の残りの寿命をすべて帝歴八〇〇年に変えました。今、この世界は、リズ様が亡くなる前の十二か月をループしているだけなのです。わたくしの命が尽きたとき、帝歴八〇一年一の月の『あの日』に戻り、陛下の目の前にはわたくしとウォルフの亡骸が並んでいることでしょう」
すでに起きたことは変えられないので、ループ中の出来事は消去されてしまうけれど、同じ時間を繰り返すだけなら魔法でも可能です。わたくしは自分の寿命と引き換えに魔法を成功させました。
わたくしの命はあと何年でしょう。無事におばあちゃんになれたのなら、五十年? それとも六十年でしょうか。
その間、人々は年を取らず、記憶にも残らない。何が起ころうとも、新年の鐘の音とともにすべてなかったことになり、また新たな同じ年が始まるのです。悲劇前の猶予の時間。平和だった最後の年。わたくしとウォルフの時間。
それが終われば、人々は何も気づかぬまま人生の続きを歩み始めるでしょう。
魔法をかけたとき、十二の月でワイヴァン陛下の記憶が戻るように設定しました。年が明ければ忘れてしまうのに、あえてそうしたのはこの憔悴した姿を見たかったからです。
だって、わたくしのウォルフを殺したのですよ?
リズ様を失う恐怖と哀しみ、幼馴染みを手にかけた後悔、そして絶望を思い出してほしかったんです。
性格、悪いですか?
そうですね、意地悪ですよね。ウォルフには内緒です。
ワイヴァン陛下にはロンちゃん、ローマン殿下がいらっしゃいます。
以前、リズ様は『自分の命に代えてもこの子を守りたい』とおっしゃっていました。今後はワイヴァン陛下が、リズ様の分までローマン殿下を守っていかねばなりません。
絶望のなかに輝く希望があるのだと、彼は気づくでしょうか? それとも正気を失ったままでしょうか。
残念ながら見届けることは叶いませんが、その役目はベッキーに任せるとしましょう。
現筆頭魔術師の彼女だけは、わたくしのしたことに勘づいているようでしたね。優しい子。番と出会うのは六十年後でもいいなんて……。ありがとう、ごめんね。
頬に冷たい涙が伝います。いつの間にか泣いていたみたい。
「陛下、過去をやり直すことはできないのですよ」
「嘘だ……」
ワイヴァン陛下は呆然と呟きました。
【Wolff】
バニーが泣いている。
俺は胸が痛い。君には笑顔でいてほしいから。
話は全部聞こえていた。貴族会議のあと、陛下に呼び出されて謁見室の次の間で待たされていたんだ。
ここでも人払いがされていて、いつもは騎士がいるのに今日は一人もいない。まあ、聞かせられる内容ではないからな。
ただ、ベッキー嬢が扉の横の壁に寄りかかって腕組をしている。彼女が騎士の代わりだろうか? 筆頭魔術師ならあり得なくはない。
「君は知っていたの? 驚いていないみたいだけど」
「あたし、魔法解除だけは課長より得意なんで。特に記憶と精神系は」
俺の質問に、ベッキー嬢はムスッとした顔でぶっきらぼうに答えた。
ん? 俺、やっぱり嫌われてる?
じっと顔を見ると、急にたじろいで「じ、自分にかけられた魔法くらい察知できるから……。えっと、時間ループと記憶は別の魔法です。課長は、ループしている間の皆の記憶を封じたんですよ。だから忘却魔法だけ解除すれば記憶は残ります」と補足してくれた。
「じゃあ、君はずっとバニーを見守ってくれていたんだね。ありがとう」
「べ、別にっ。あたしは課長が幸せならそれでいいんです」
今度は、照れたように赤くなっている。面白い子だ。
「奇遇だね。俺もだ」
俺はバニーのもとへ行こうと扉の前に立つ。ベッキー嬢に制止されなかったが、いいのか?
彼女のほうへ顔を向けると、自分の赤毛を指で弄びながら肩をすくめている。
「あのクソ皇帝の命令に従う義務なんてないですもん。あたしは課長がいるからこの国にいるだけ……」
それもそうか。本来、人ならざる奇跡の力を操る魔術師は自由な存在。皇帝の命令を堂々と拒絶できるからこそ、陛下はバニーの弱点である俺を殺すしかなかったんだろう。魔術師の保護を謳いつつ、本音は畏怖しているのだ。
世界には、魔術師を受け入れる国はたくさんある。ベッキー嬢のように帝国の筆頭魔術師とあらば、なおのことだ。バニーのいるところが自分の居場所――。
「俺もだ」
扉を開ける。すれ違いざまに「きっといつか課長を救う方法を探し出してみせます」というベッキー嬢の呟きが聞こえた。
謁見室では、バニーの悲痛な声が響く。
「陛下、過去をやり直すことはできないのですよ」
そう、過去はやり直せない。だからこそ俺たちは、悩み間違えながらも未来を切り開いていくしかないのさ。後悔しないよう、精いっぱいに。
「嘘だ……」
陛下の呆けた顔。
泣き顔で対峙するバニー。
俺はいたたまれずバニーへ駆け寄った。
「嘘じゃない!」
俺の一喝に陛下の肩がビクッと跳ねた。
「時を巻き戻して運命を変えられるなら、バニーはとっくにそうしていたでしょう。両親の魔動車事故を阻止し、国の保護施設で育つこともなく家族で幸せに暮らしたはずです。でも、そうならなかったということは――」
「本当に、やり直せないというのか。わたしはリズを失う……そして君を……?」
陛下は力なく玉座に腰を下ろした。
そうだよ、殺したんだ。文句の一つも言ってやりたいが、陛下の苦悶に満ちた表情を目の前にすると、かける言葉が見つからない。
これ以上、心を抉る言葉ってなんだ? 死ぬまで許さない? 呪ってやる? そんな陳腐なセリフを吐いたところで、何も変わらないんだ。
「ウォルフ……ごめんなさい……」
バニーが抱きついてきた。
「いいんだ、バニー」
「わたくし、あなたを守れなかった……陛下が本当に撃つとは思わなかったの……」
しゃくりあげるバニーを抱きしめる。
「いいんだ」
「ずっと黙っていて……ごめんなさい」
いいんだ、いいんだよ。君のすべてを赦すよ。
俺たちは番だ。嬉しいことや楽しいことだけじゃなく、悲しみや苦しみも分かち合いたい。
もう自分を責めないで。
俺はバニーの涙を指で拭い、額にキスをして落ち着かせた。
「ほら、あんまり泣くと目が腫れてしまうよ。このあとはホーウッド夫人の晩餐会だろう? 夫婦喧嘩したなんて噂されてもいいのかい」
バニーは泣き笑いしながら答える。
「大変、急がないと遅刻だわ」
さあ、行こう。
俺はバニーの手を引いて謁見室を出ていく。
陛下に退出の許可を取るのを忘れたけど、別にかまわないだろう? もうすぐ今年は終わる。年が明ければ、どうせ忘れてしまうんだから。このちょっとした粗相も、俺を殺したことも。
そうして、また能天気な顔で言うんだ。
並木道のミモザが満開の日。「褒美にワジャ旅行をプレゼントしよう」ってね。




