十の月 ~バースデー~
【Bunny】
十の月には、絶対に忘れてはならない重要なイベントがあります。
それはウォルフのバースデー!
え? 他人の夫の誕生日なんて知ったこっちゃない?
まあまあ、そう言わずに。
誰にだって、わたくしにとってのウォルフが……かけがえのない人がいるはず。
生まれてこなければ巡り会うこともないのですから、素晴らしい日だと思いませんか?
さあ、今年も最高の誕生日にしてみせます!
……なんて気合を入れてみたものの、実はプリムス宮殿から帰って来たばかりであまり時間がありません。ロンちゃんのあまりの可愛さに、つい長居してしまったのよねぇ。
そうだわ。リント王都の音楽祭のような打ち上げ花火なんてどうかしら。魔法なら準備に時間もかからないし、キレイで迫力満点だからお祝いには打ってつけじゃない?
それにリントでは、来客対応のためウォルフは途中でいなくなってしまったので、やっぱり邪魔されずに最後まで楽しみたいじゃないですか。でも。
「課長、花火はやめたほうがいいですよ」
我が家へ遊びに来たベッキーに相談してみたところ、渋い顔をされてしまいました。
「えー、せっかくウォルフの誕生日なのよ? 何か派手なサプライズが欲しいじゃない」
「広い庭園のある宮殿で打ち上げるならともかく、ここの狭い庭じゃ魔術師がやってるって即バレます」
「うっ……」
そうなのです。
皇帝の住むプリムス宮殿周辺には貴族のタウンハウスが集まっているのですが、土地に限りがあるためサプワン領のような大きなお城というわけにはいきません。当然、屋敷の規模は小さく、庭も控えめで花火を打ち上げられるほど広くはないのです。我が家のような別邸の一つなら、なおのこと。
どう見ても打ち上げ不可能な屋敷の空に花火が上がっていたら、そりゃ怪しまれますよね。わたくしが魔術師であることは秘密ですし……どうしましょう?
「特別なことをしなくったって、課長が傍にいるだけでサプライズですよ~。ん、チョコパン、うまっ!」
ベッキーはあっさりとそう言って、チョコレートソースのかかったパンを口に放り込みました。
わたくしたちは今、食堂のテーブルに七段タワーの大きなファウンテン鍋を設置して、チョコレートファウンテンの真っ最中です。
よほど気に入ったのか、再びベッキーはひと口大に切ったパンを串に刺し、タワーの先端から噴水のように流れ出るチョコレートにくぐらせています。
わたくしはイチゴ。大好物なんです。
この立派なファウンテン鍋は、ウォルフが初めて会った日にプレゼントしてくれました。それまでは小さなお鍋にチョコレートを溶かしていたのですが、やはり迫力が違いますね。
このようにわたくしも気の利いた贈り物ができればいいのですけど、財力も品物の目利きも生まれながらの貴族のウォルフには敵いません。
わたくしにできそうなことと言ったら――。
「やっぱり魔法しかないわよね……」
「へ? 今、何か言いました?」
「ううん、なんでもない。もう一度よく考えてみるわ」
わたくしが言うと、ベッキーはこくんと頷きました。
「あたしにできることがあれば、力になりますよ」
優しい子です。昔からそうでした。
わたくしとベッキーは、国の保護施設で育ったんです。そこには、いろいろな事情で両親と離れ離れになった子どもたちがいて、ベッキーはわたくしが十歳のときに母親の虐待により入所してきました。
魔術師への虐待は、この国では罪になります。その母親は逮捕される際に、魔法を使うので気味が悪かったと言っていたそうです。
当時ベッキーは、まだ六歳でした。背が低く、くるっとカールしたゆるふわの赤毛。こんなあどけない少女を気味が悪いだなんてとんでもない!
わたくしは痩せっぽちの彼女を放っておけませんでした。あれこれ世話を焼いているうちに姉のように慕ってくれるようになって――。
「ベッキー、こっちのマシュマロも美味しいわよ。うちのシェフの手作りなの」
つい昔の癖が出て、チョコレートにくぐらせたふわふわマシュマロの串をベッキーの口元まで運びます。
ベッキーは魚のようにぱくんと食いつき、モゴモゴと口を動かしながら締まりのない表情になりました。
にょき。
頭に黒い猫耳が生えています。
これは、美味しいの合図。施設にいたころは、自分のお菓子を分けてあげると、よくこうして耳を出していたものです。
わたくしも白いうさ耳を出して返事をします。懐かしいやり取り……。
わたくしたちはクスクスと笑い合いました。
「課長は今、幸せですか?」
ベッキーに尋ねられ、わたくしは「幸せよ」と即答します。
「あなたも番と出会えばわかるわ」
「あたしは課長が幸せならいいんです。番はあと五十年……うーん、六十年くらい先でもいいかな?」
ベッキーは悪戯っぽく舌を出すと、わたくしに抱きついてきました。
あらあら、甘えんぼさんですね。
「ふふ、そんなに待ったら、おばあちゃんになっちゃうわよ」
わたくしは彼女の髪をなでてあげました。
何度も、何度も。
その度に赤い猫っ毛が顎をくすぐり、少し切ない気分になったのでした。
ごめんね、優しい子。
そして、ありがとう――。
その晩、フィリン侯爵と一緒にワイン愛好会の集まりに出席していたウォルフは、ほろ酔いでした。
「今日は楽しかったかい?」
上機嫌でわたくしを後ろから抱きしめます。
「ええ! あのファウンテン鍋、ベッキーも気に入ってくれたの」
「それは、よかったな」
「今度はウォルフも一緒に、ね」
「もちろん。でも俺、あのお嬢さんに嫌われてない?」
最初に会った日、少しぎこちなかったことを気にしているのでしょう。でも自分だって普段はポーカーフェイスで、お世辞にも愛想がいいとは言えないんですよ?
「あたし、課長の番に嫌われてません? 『ぜひ遊びに来てください』って、あんな無表情で言われてもねぇ。夫婦の時間を邪魔するなって威圧されてる気分になっちゃうんですけど」なんて、ベッキーも言っていたんですから。
わたくしは「気にしすぎよ。彼はいつもあんな感じなの」と答えておきました。
ふふ、二人は似た者同士なのかしら。
「気にしすぎよ。彼女はいつもあんな感じなの」
わたくしは同じように答えます。
するとウォルフはホッとした声で「そうか」と言って、しなだれかかるようにわたくしの肩に顎を乗せたのでした。
あらまあ、こちらも甘えん坊さん。ワインの飲みすぎじゃない?
そっと頭をなでてあげたら……。
ちゅっ。
耳にキスをされてしまいました。
【Wolff】
秋は一年で一番好きな季節だ。
冬にぬくぬく過ごすのも、春旅行の解放感も、夏の競馬でスリルを味わうことも悪くはない。しかし、この時期になると社交シーズンが終わりを迎え、街は落ち着きを取り戻すのだ。暑くもなく寒くもない、心地よい気温。それになんといっても、俺とバニーの誕生日がある。
「ウォルフ、明日はテラスでディナーをするから夜は空けておいてね」
「わかったよ」
大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。
何しろバニーときたら、最近毎日この調子なんだ。まあ、去年もそうだったんだけれども。
俺のスケジュールは、常に君が優先。決まってるだろ?
明日は俺の誕生日だから、内緒で何か計画しているのはわかる。なんだろう?
「ふふ、楽しみにしていて!」
質問する間もなく、バニーは大急ぎと言わんばかりにパタパタと足音を立てて行ってしまった。
一人残された俺は、不在中に溜まった書類の山を処理するため執務室へ向かう。主のサインが必要なんだと、さっきエドガーに急かされてしまったのだ。
エドガーは六十過ぎのベテラン執事である。元々サプワン本邸の筆頭執事だったのだが、兄上の結婚を機に彼の息子がその任に就くことになったので、引退する予定だったところを我が家へ来てもらった。生まれたときから知っていて信頼できるし、彼は有能だ。
「エドガーは、バニーから何か聞いてないか?」
決裁書に目を通しながら、探りを入れてみる。
俺の前でサインを待つエドガーは呆れた表情で、きちっと整えられた白髪頭を左右に振った。
「坊ちゃん、それを私に訊いてどうするんですか。執事が奥様に口止めされている内容を軽々しく話すとでも?」
「それはそうなんだけど、気になるじゃないか」
「あとたったの一日ですよ。楽しみに待ちましょう」
そこをなんとか、とお願いしてみるが……。
「坊ちゃん! 手が止まっています。早くしないと奥様とランチをご一緒できませんよ」
なんて、にべもない。
エドガーは人間だから、番のことならなんでも知っておきたい獣人の気持ちなんて理解できないんだ。しかし。
「人間にだって愛する人のすべてを知りたい欲求はございます。でもねぇ、坊ちゃん。誕生日のサプライズまで事前に知る必要ありますか? 獣人は、番を理由にすればなんでも許されると思っているようですが無粋ですよ」
というのが彼の言い分。
恋は儚い。心変わりをすることもあれば、運命だと信じた相手を嫌いになることだってある。だからこそ、大切な相手との関係を丁寧に紡いでいく。美しく丈夫な糸になるように。それが人間の愛。
初恋。
片想い。
悲恋。
ひと夏の恋。
老いらくの恋。
すれ違いの恋。
忍ぶ恋。
淡い恋。
盲目の恋。
正直、溺愛しか知らない俺たち獣人にはよくわからない。
「人間て複雑な生き物なんだな」
「そうですね。でも私は自分が人間でよかったと思っています。獣人のように生涯を番に捧げるような愛では、きっと妻の死に耐えられなかったでしょうから」
エドガーは数年前に先立たれた妻を思い出すように遠い目をした。
胸がドクンと脈打つ。
バニーがいない世界なんて想像できなかったから。だが、人は一人で生まれ、一人で死ぬのが宿命だ。
もしもバニーがいなくなったら俺は……狂ってしまうかもしれない。
翌日、庭のテラスに用意された晩餐の中心には、チーズファウンテンが置かれていた。
ファウンテン鍋の用途ってチョコレートだけじゃないんだ、と今さらながら気づく。俺はあまり甘いものを食べないから、バニーが気を利かせてくれたのだろう。
具材もパンにベーコン、ポテト、ニンジン、エビまであるぞ。料理のメインは鶏もも肉のコンフィ、俺の大好物だ。それから、赤ワイン……ラベルに俺の生まれ年が刻印されている。
「ハッピーバースデー! 今日の料理は全部わたくしが作ったのよ」
「本当に!? 怪我はしなかったかい?」
俺はバニーの手を取って、切り傷がないか確認する。
普通、上流階級の女性は料理なんてしない。料理は使用人や料理人の『仕事』だから。当然、バニーも結婚後は一切料理をしていなかったはずだ。
「大丈夫よ。これでも独身時代、寮の食堂に飽きたときは自炊していたんだから。チーズファウンテンの具材を切るくらい、どうってことないわ」
バニーは大袈裟だと言って笑った。そして、スモークしたベーコンにチーズを絡めた串を俺の口元へと運ぶ。
「美味しいよ」
バニーが食べさせてくれるなら、なんでも旨い。
「よかった。料理のことは、お義母様やホーウッド夫人に内緒よ。今日はウォルフの誕生日だから特別なの」
「この鶏のコンフィも?」
「そう。料理長に手伝ってもらったけどね」
「ケーキまである……」
「それは飾りつけだけ」
バニーの大きな文字で『ウォルフ お誕生日おめでとう!』と書かれたデコレーションケーキを見て、胸がいっぱいになる。
手作りのディナー。どうやら、それが今日のサプライズらしい。
「ありがとう、バニー。最高の誕生日だ」
バニーが照れくさそうに顔を赤らめ、俺は彼女のそばかすを指でそっとなでる。
それからワインで乾杯をして、俺はバニーにニンジンを、バニーは俺にポテトをファウンテン鍋のチーズに絡めてお互いに食べさせ合った。
うん、これがファウンテン鍋の正しい使い方だと思うんだ。だって、同じ具材でもバニーが串で絡めたほうが、はるかに旨い。
テーブルの皿が空になり、最後のケーキに手をつけようかというころ。
パーン、パパーン――。
夜空に花火が打ち上がる。
いや、打ち上がっているのではない。突如として、空中に大輪の花火が現れたのだ。パッと咲いては消え、また花開く。夜闇を覆い尽くすほど、空一面に。まるで空の仕掛け花火――。
すごい……。
あまりの迫力に息を呑む。
「あら、偶然ね。宮殿の花火かしら」
バニーはすっとぼけているけど……魔法だろ?
これが本当のサプライズか。
「そうだな」
俺は騙されたふりをして、バニーの手を握る。そうして二人、空を見上げた。
パーン、パパーン――。
この咲き誇る美しい花火を、俺は絶対に忘れない。
「キレイだ」
「うん……」
屋敷のバルコニーに使用人たちがわらわらと出てきて、どよめいている。きっと今ごろ、帝都中の屋敷では同じ状況になっていることだろう。
花火は夜更けまで続き、俺はバニーを抱きしめて眠る。愛妻の寝息を聞きながら思う。
さて、君の誕生日は、どうやって驚かせようか?




