九の月 ~新たな命~
【Bunny】
夏の終わり。ようやく暑さが和らいできたころ、皇帝夫妻に待望の第一子が誕生しました。
「ロンちゃーん♪ お母さまですよぉ」
リズ様は子供部屋でゆりかごを揺らしながら赤子をあやしています。
ワイヴァン陛下と同じ竜の男の子。なので、次代も『竜帝』です。
ちなみに先帝は『狼帝』でした。もし、リズ様の種族のリスを受け継いでいたら『栗鼠帝』なんて呼ばれていたのかしら?
わたくしはリズ様が産気づいて以来、ずっと付き添っています。暗殺を阻止したせいでしょうか? わたくしがいると安心なんですって。
ワイヴァン陛下にリズ様の床上げがすむまではとお願いされ、あと数日間はウォルフと宮殿に泊まり込みです。
え? なぜウォルフと一緒なのかって?
わたくしたちは番ですもの。いつだって一緒なのは、獣人の常識ですよ。
「見て、バニー夫人。今、笑ったわ」
ぷくぷくとした頬っぺたに、小さな小さな手のひら。
ロンちゃんたら、なんて可愛いの!
ええ、お察しのとおりロンちゃんは、本名ではありません。
ローマン殿下……略してロンちゃんなのです。
わたくしは今までウォルフ以外の男性を『可愛い』なんて感じたことはないけれど、これは反則だわ。
リズ様は、自分の命に代えてもロンちゃんを守りたいのだそうです。母親の愛ですね。
血のつながらないわたくしですら、ロンちゃんのためならなんでもしてあげたいと思うのですから、もしウォルフとの間に赤ちゃんが生まれたら、どれほど愛おしいでしょう。
彼そっくりなアイスブルーの瞳、笑うとクシャッと皺が寄って……なんてね。妄想が膨らみます。
「ロ……」
いけない。ついうっかり『ロンちゃん』と呼びそうになりました。
皇太子殿下に向かってちゃん付けなんて不敬だわ。少し落ち着きましょ。
すう、はぁ~。
深呼吸をした瞬間、バンッとわたくしたちのいる子供部屋の扉が開きました。
「ロンちゃ~ん。おばあちゃまですよぉ♪」
相好を崩した皇太后様。手には大きなクマのぬいぐるみを持っています。その後ろに、子供服やラトルなどの玩具を持った侍女たちがズラリと並んでいました。
すでに子供部屋は、皇太后様から贈られた玩具でいっぱいです。よほど嬉しいのでしょうね。初孫に会うため世界一周旅行を中断して帰国されて以来、毎日のようにプレゼントを手に通ってこられるのですから。
「皇太后様、本日もご機嫌麗しゅうございます」
わたくしが形ばかりの挨拶をすると、皇太后様も心得たように「イサード伯爵夫人も」とすまし顔で返答されました。ふふ、このやり取り、かれこれもう十日以上していますものね。
「お義母様……」
「あらあら、寝てなきゃダメじゃない。産後の障りがあったらどうするの? さあ、ロンちゃんは、あたくしとお世話係に任せてお休みなさい」
「ええっー、そんなことを言って、お義母様はロンちゃんを独り占めしたいだけじゃないですか。わたくしだってこの子の傍にいたいんです!」
「リズさん、今無理をしたらいけないとお医者様にも言われているでしょう。あたくしが陛下を産んだときは二十日もベッドの住人だったのよ……」
「座っているから大丈夫ですよ。お義母様こそ、長旅でお疲れではございませんか!」
「そんなの、一日ゆっくり寝れば十分よ。リズさんだって……」
皇太后様とリズ様の『ロンちゃん争奪戦』が繰り広げられている間、わたくしは、魔法サーチで危険物が持ち込まれていないかチェックします。
リズ様がご出産されてからというもの、商人たちはこぞってベビー用品を皇室へ献上しているので、よからぬことを考えた輩が何か仕込まないとも限りません。
皇子誕生に国中が歓喜に包まれるなか、警備は厳戒態勢。当然、第三課も駆り出され、手が足りないため、わたくしもお手伝いしています。
皇太后様が抱っこしているクマちゃん、異常なし。侍女が持っている黄色のベビー服は……赤ちゃんが着るには粗悪な品なのでやめておいたほうがいいでしょう。つるつるのお肌が荒れてしまいそうです。その他の玩具も特に危険物なし、盗聴器もなし――。
「皇后様には、あちらの寝椅子でお休みいただいたらいかがでしょう。ゆりかごを隣に移動すればよろしいかと」
「そうね、そうするわ」
「あたくしがロンちゃんを抱っこするから、あなたたちはゆりかごを移動させてちょうだい。そこのあなた、リズさんの寝室からクッションと綿毛布を持ってきてくださる?」
お二人のロンちゃん争奪戦は、気を利かせた皇太后様付きの侍女の提案により引き分けとなりました。
そうそう、仲良くしましょう。ケンカはいけません。
とにかく、皆がロンちゃんに首ったけなのです。
ワイヴァン陛下なんて、我が子可愛さに歴代皇帝で初めて育児休暇取得を発表したくらいです。一時的に先帝が政務に復帰することになったので、今、引き継ぎをしているのだとか。
そして、一族の処刑が言い渡されていたデクスター家ですが、恩赦が与えられキサラン伯爵夫人と実行犯以外は流刑に減じられることになりました。
リズ様自ら「罪のない者の命は助けてください」とワイヴァン陛下に懇願されたのだそうです。この裏話が国民に広まり『女神のように慈悲深い』と皇子誕生の慶事と相まって、リズ様の人気はうなぎのぼりなんですよ。
皆でロンちゃんを囲み和気あいあいとした時間を過ごしたあとは、執務を終えられたワイヴァン陛下がいらしたので各々自分の部屋へ戻ります。
夫婦水入らず、ですね。そこは獣人同士、心得ていますとも。
ワイヴァン陛下と一緒にウォルフも子ども部屋の前まで来ていましたが、女性ばかりの部屋に入室するのは憚れたのでしょう。開いた扉からわたくしたちの様子を窺うだけです。けれども、ロンちゃんを見つめる瞳がとてもとても優しくて――。
ズキッと胸の奥が痛んだのでした。
【Wolff】
権力欲のない君主を戴くこのエレギア帝国が、なぜ強国として世界に名をとどろかせているのか? きっと不思議に思う者もいるだろう。
だが、宮殿で寝泊まりするようになって、陛下の暮らしを目の当たりにすると妙に納得できてしまうんだな。
「父上! 早くしてください、スケジュールが押しています。ほんの三年前まで皇帝だった方が、これくらい即決できなくてどうします? 隠居してボケたんじゃないですか」
「おまえこそ父親になったとたん、せっかちになりおって。まあ、落ち着け、子どもは逃げたりせん」
「あん? こうしている間にも赤子は刻々と成長しているのですよ。ロンちゃん初めての寝返り、初めてのハイハイ、初めてのタッチ――」
「わかった! わかったから。我が子の成長を見逃したくないんだろ……まるで二十数年前の自分を見ているようだ。あのころは、暇さえあれば子供部屋で過ごしたものだよ」
「おや、父上もそうだったんですか」
「ああ。それで、おまえたちに誇れる皇帝になりたくて、テージュ王国のエッセテを手に入れた」
「あのムムパ鉱山のある町……」
ムムパ鉱山は魔力石の発掘量、世界最大を誇る。この世のエネルギー源は魔力、即ち魔力石だ。バニーの好きなチョコレートフォンデュのファウンテン鍋だって魔力石で動いている。帝国はその鉱山のあるエッセテを手中に収めてから、さらに国力が増した。
妻子のためなら侵略戦争も辞さないのがエレギア皇帝なのだ。
現皇帝で言えば隣国リントのワジャ領奪取、最近では我が子に会う時間を捻出するため、日々の政務をどんどん効率化している。
家族愛が原動力ってところが、獣人らしいだろ?
「ウォルフ。リントを併呑したら、ロンちゃんに自慢できると思うか?」
陛下が俺の座っている机へ顔を向ける。
これで「できる」と答えたらどうなるんだろう? まさか、その気になったりしないよな。こっちは暇だから善意で書類の整理を手伝っているだけだぞ。こういうことは宰相に訊いてほしい。
「我が家の嫁を狙った犯人がいた国か。いいと思うぞ。他国へのいい見せしめになるだろう」
先帝が俺の代わりに返事をする。
「騎士アーサーの婚約者を虐げていたのもリントの王子だっていうじゃないか。やっぱりあの国、いらない気がする」
「あー、それは……」
どんどん話が物騒になってきたので、俺は事情を説明した。レオナ嬢を冷遇していたのは父親のオルコック侯爵で、第二王子ナイジェル殿下の本意ではなかったこと。二人の関係は決して悪くなかったということは強調しておく。
「そうか。レオナ嬢を悲しませるとアーサーに睨まれるからな。やめておくか」
そうそう、平和が一番。穏やかに、穏やかに。
せっかく俺とフェネックが宰相を説得して、デクスター家の恩赦でリズ皇后のイメージアップを図ることになったんだ。今代は『慈悲深い皇后』『初めて育児休暇を取った子煩悩な皇帝』――そういう温厚路線でいいだろ?
すかさず「無駄話で時間を潰していたら、いつまでたってもローマン殿下に会えませんよ」と忠言すると、陛下はシャキッと背筋を伸ばす。
「いかんっ! 急がねば」
すごい勢いで仕事を終わらせ、俺たちは子供部屋へ向かった。
陛下が扉を開けた瞬間、女性たちのキャッキャウフフと楽しそうな笑い声が弾ける。乳の甘い匂い……。
俺は部屋の中へ入らなかったけど、バニーが赤子に向かってラトルを振りガラガラと音を鳴らす姿が扉越しに見えた。
ああ、あんなに優しい顔になるんだな。
もし俺たちに子が生まれたら、どれほど素晴らしいだろう。
君と同じ黒曜石の瞳、波打つ栗色の髪……なんて、つい想像してしまった。
じっとバニーを眺めていると目が合って――。
「ウォルフ!」
駆け寄るバニーの柔らかな体を抱き留めた。
子供部屋からの帰り道、俺たちは手を繋ぎプリムス宮殿の一角にある庭園を散歩する。
そこは代々皇后が管理する場所。帝国の国花で皇室の紋章にもなっている青い矢車菊が咲き誇り、皇族の個人的なお茶会や国外の要人が訪れたときの接待に利用される。
一年中コーンフラワーの花が咲いているのは、魔術師の魔法によるものだ。
希少な魔術師たちは国に保護され、普段、表舞台に出てくることはない。しかし、こうした魔法による演出は、大抵どの国でもやっている。たぶん、我が国の魔術師はこんなことができるんですよ、という自慢みたいなものなんだろう。
リズ皇后の厚意で、俺とバニーは滞在中の立ち入りが特別に許可されている。
庭一面の鮮やかな青。時折、そよ風に揺れて葉が銀色にきらめく。
これが魔法……。あまりの見事さに暫し言葉を失った。
俺たちは歩きながらゆっくり庭を観賞する。
「……課長?」
不意に後ろから声がかかった。ここには誰もいないと思っていたのだが……?
振り向けば、赤い髪のおさげにあどけない丸顔の少女がパッと目を輝かせた。
「やっぱり、課長だ!」
「あら、ベッキー。お久しぶりね、元気だった?」
「課長がいないと忙しくって、ゆっくり休む暇もありゃしませんよぉぉ」
「忙しいだなんて、大袈裟ねぇ。それにわたくし、もう課長じゃないのよ?」
「あたしにとって、課長はずっと課長です!」
どうやらバニーの元部下らしい。
ということは、この子も魔術師か。
庭の管理に来ているのだろう。この美しい庭は彼女の魔法によるものなのかもしれないな。
いや、それより今『課長』って言わなかったか……!?
施設管理部第三課の課長は、我が国の筆頭魔術師ということだぞ。道理で陛下とリズ皇后が何かと頼りにするわけだ。
バニー…………。
「ウォルフ、こちらは以前一緒に働いていたベッキーよ」
「こんにちは。夫のウォルフです」
紹介されて挨拶をすると、ベッキー嬢は「うひゃっ! こりゃまたクールなイケメン」と素っ頓狂な声を上げた。
うん? なかなか愉快な子だね。
「ベ、ベ、ベッキーといいます。黒猫の獣人ですっ。課長にはずっとお世話になりっぱなしで……」
「うふふ、ベッキーは優秀なの。まだ若いのに課長なのよ」
「それは素晴らしい! 今度、ぜひ我々の屋敷へ遊びにいらしてください」
「そうね。一緒にチョコレートフォンデュでも食べましょう。我が家には大きなファウンテン鍋があるのよ」
「うひょっ! ぜ、ぜ、ぜ、ぜひ……」
こてり、と頭を下げるベッキー嬢。そうして「まだ仕事の途中だから」と、ねじ巻人形のようにギクシャクと手足を動かして去っていってしまった。
人見知りなのか、緊張しているのか……。
なんだか筆頭魔術師らしくないな、なんて思ってしまう。
だけど、バニーだって外見は普通の女の子だ。
「この庭は、本当にキレイねぇ。きっと魔術師の腕がいいのね」
バニーはうっとりとして俺に寄り添う。
そのとき、庭園に大きな虹がかかった。
「そうだな」
感謝しよう。
君たち魔術師の魔法が、こんなにも美しい夢のような世界を見せてくれているのだから。




