ちょっとホームランでも打ってみようかな
「何言ってるんですか。そんなの無理に決まってるでしょ。あんな相撲取りのようなバカ力の持ち主なんて、簡単に見つかるわけないですよ。元プロのピッチャーだって、奇跡的になんとか見つかったというのに。野球人口と相撲人口の差を舐めないでください。ちなみに相撲取りと言っても、横綱級ですからね。学生横綱とかではなく、本物の。あなたも見れば分かりますよ。ただのデブ……まあ、その、ではないですからね。どういうツテでスカウトしたのか謎ですけど、羨ましい……。えっ? もしかしたら、あなたにもそういうツテが? あるわけないですよね」
「確かにツテはない。しかし、私なら打てる。例え相手が元プロのピッチャーだろうとも」
「それでは失礼しますね。そろそろ相手も来る頃だし」
「おいっ! 待て。じゃあ、こういうのはどうだ? もし私があそこまで飛ばせなかったなら、この河川敷の使用料10年分をくれてやろう」
「おーい、そこのベンチをこの方のためにあけろー。それと、お茶とお茶菓子も用意だ。さ、さ、すぐに相手チームも来ると思いますけど、しばしくつろいで待っていてくださいね、ホームラン王さん。なんて言ったりしてね。へへ」
こ、こいつ……。なんて変わり身の早い。こういうのも、ある意味才能なのかもな。もしかしたら怪盗のミッションで役に立つかも。『忍法変わり身の術』っていうのだろうか。『忍法』ではなく、『怪盗術』と言わないといけないか。いや、どうでもいい。とりあえず、こいつが私の話を真に受けただけで喜んでおこう。大抵の奴は、私がお金持ちには見えないようだからな。今の私には警察のバックがついているからなのだろうか。いわゆる日本国が。
「ちょっと待ってくれ。一緒に来ている仲間に、少し時間がかかると言ってくる。あと……ウチで飼ってるワンちゃんにも見せたいから、連れてきてもいいか?」
「もちろんでございますですよ。ゆっくり慌てずにどうぞ。相手チームが来ても、待たせておきます。一年間無料で使えるのだから、喜んで待ちますよ」
こいつのゴマすりは全く使えないな。参考にはしないでおこう。私が打てないと、言っていることに自分で気づかないのだろうか。そう思っていても、「頑張ってくださいね」と言うところだけどな。
それにしても、やけに自信があるんだな。本当にあそこまで飛ばすのは、横綱にしかできないのだろうか。ちょっと不安になってきた。
何を言ってるんだ、私。自信を持つんだ。私なら、できる。数々の修羅場をくぐり抜けてきた、私なら。それに何より、近くでトラゾウが応援しているのだから、絶対にホームランを見せてやる。
あっ、こいつにはワンちゃんと言ったが、連れてくるのはトラゾウだ。明智君にも見せてあげたいが、明智君はいつでもチャンスがあるから、今回は球拾いに甘んじてもらおう。トラゾウはインドネシアにいつ帰るか分からないからな。それに、大型犬を2頭も連れていくと、私がわがままに見えるかもしれない。
そして私は、すぐに戻ってくる旨を低姿勢で声高らかに宣告してから、ムキになって私より低くなっている代表者に見送られて、一旦阿部君パパの車に戻った。待たせておいたので怒ってるかもしれない。それでも私は勇気を出して、車のドアを開けた。
いつの間に積んだのだろうか。昨日の戦利品である美味しいお菓子をみんなで食べて、楽しそうだ。車のドアが開けられてからしばらくして私に気づくと、いたずらが見つかった子供のような目を、誰が一番上手に作れるかを競争しているのが丸わかりで謝ってきた。それでも、誰一人として、私にお菓子を渡すどころか勧めもしてくれない。こんなに目で訴えているんだぞ。……。待つだけ無駄のようだな。
「ウォッフォン……。これから実証実験をやるぞ。阿部君パパは車で待機でいい。阿部君と明智君は事件現場に行って、ボールが飛んでくるのを確認してくれ。トラゾウは私と一緒に行くぞ。ホームランを見せてやるからな」
「はい」「はいっ」「ワンッ」「ガッオーン!」
「トラゾウ、分かっているだろうけど、向こうに行ったら決して声を出すんじゃないぞ。昨日ニュースになっての今日だから、臆病で敏感なやつが怪しむからな。それでも誰かが悲鳴を上げたら、阿部君パパの車まで一目散だぞ。後は私がなんとかごまかすから安心しろ」
「ガオ」
私がトラゾウを連れて戻ってくると、相手チームは既にそろっていた。みんな、やけに嬉しそうだ。私を見て、野球場の一年間の使用料がタダになったのを、確信したのだ。いいさ。バカにされるのには慣れている。それに、最後に笑うのは、私だ。
あれ? よく見ると、一人だけ薄ら笑いで私をバカにしている。そう、通称、横綱くんだ。私が大口を叩いていたのを聞かされているのだろう。そこから自分と同じくらいの大きな人間を想像していたら、現れたのがひょろっとした私だ。
相撲をするならデブ……じゃなくて、大きい方が有利なのかもしれない。しかしこれは野球だ。いや待てよ。相撲でも勝てるような気がする。柔道ではないが、柔よく剛を制してやる。私がホームランを打った後に、相撲対決だな。トラゾウが喜ぶぞー。
プレイボールがかかるとすぐに、チャンスがやって来た。こんなに早くから代打を使うなんて、こいつら少しでも早く、私がホームランを打てないのを見たいんだな。あさましいな。私にとっては好都合なので、文句を言うつもりはないが。私の出番が遅いと、阿部君と明智君が待ちくたびれるからな。さらに飽きてしまい、再び悪徳政治家宅に何かを盗りに行きかねない。なにせ悪徳政治家宅は宝の山だからな。
私は携帯電話を取り出し、阿部君にかけた。喜ぶのが目に見える。時間を無駄にしなくて済んだのと、私の声を聞けたからだな。余計な詮索はしないでおくれ。
「阿部君、もう出番が回ってきた。準備はいいか?」
「えっ! あっ、はい。いつでもいいですよ。明智君、急ぐよ。リーダーにしては、なかなか良い仕事をしてるみたい。ほんと、ほんと。まあ私も半信半疑だけど、万が一があるから、リーダーは。もう一回嫌味を言われたら、この次は手が出るかもしれないでしょ? 私は我慢できるかもだけど、明智君はもう無理じゃない。分かったのなら、急いで。もおー、そんなの後で食べればいいじゃない。誰も取らないから。パパ、明智君のお菓子を食べたら絶縁するからね」
……。少し時間を稼ぐか。阿部君と明智君がのんびりお菓子を食べていたのは分かる。私ですら、しばらく見学だと思っていたし。いくらなんでも出番が早すぎるもんな。
私は携帯電話をトラゾウに預け、バッターボックスまで大物演歌歌手のようにゆっくり歩いた。相手チームばかりか味方チームまでもが焦れているのが分かる。しかし誰も私に「急げ」となんて言えるはずもない。1年間の使用料を受け取るまでは、私を怒らせるようなことはしたくないからな。ほんの2、3分我慢すれば、1年間の幸せを得られるのだ。
私はトラゾウを見た。阿部君から準備OKの電話があったようで、私にだけ分かるようにサインを出してくれている。何気にトラゾウは役に立つのだ。トラゾウを連れてきて正解だったな。
バッターボックスに入り、ピッチャーに一瞥をくれてやると、どこかで見たやつが立っていた。私が助っ人で入ったチームに加わったはずの、元プロのピッチャーだ。ユニホームだってそのままだから、間違いようがない。そこまでするか。あからさま過ぎるだろ。せめて相手チームのユニホームを着るくらいの手間をかければいいものを。ホームランを打って私が勝ったとしても、事件解決に協力してくれたということで、1年分の使用料くらいお礼のつもりで払ってやってもいいと思っていたのに。
欲深いやつは最終的には不幸になると、昔の話とか格言とかで言われてきただろうに。どうやらこいつらは学習してこなかったようだな。おおいに反省してもらうとするか。こいつらが犯した数々の失敗を。
元プロの最初に投げたボールは、私の度肝を抜くためと観衆の注目を浴びたいのが重なり、なかなかのスピードがあった。さすが元プロだっただけのことはある。だけど、その程度だ。想像を超えるにはほど遠いな。はなから1球目は振らないで見ていこうと思っていたので、私はピクリともしなかったが。
それを見たみんなは、私が手も足も出なかったと錯覚していることだろう。私をバカにする野次もしっかり聞こえているし。なんて哀れなのだろう。普段から阿部君たちにバカにされる見当外れの発言を受けて鍛えられている私には、蚊に刺されたほども効かないぞ。ゼロではないがな。
なので、ここで私の陰険さが顔を出した。喧嘩両成敗だからな。どうせなら持ち上げるだけ上げて、ドスンと落としてやるか。悪いのは私じゃないぞ。
2球目は振ろうと思っていたが、1球目と同様に手が出ないように見せることにした。こいつらは勝負あったかのように乱痴気騒ぎするかもな。野次もグレードアップすだろう。あまり私を笑わせるんじゃないぞ。手が震えて3球目を打ち損じてしまいかねないからな。負の要素をプラスに変えられる私なら、少々打ち損じても問題はないが。
さあ、来い、元プロのピッチャー。と余裕しゃくしゃくでピッチャーを睨んだのが失敗だった。元プロというのが災いしたのだ。実力者ゆえに、私の能力を見抜いたのか、オーラを感じたのか、勝手に萎縮してしまった。おいおい、私の実力に気づくまではいいとして、ビビってどうするんだ。腐っても元プロだろ。
そんな元プロの投げたボールは1球目とは雲泥の差があった。スピードは打ちごろのうえに、大きくストライクから外れていた。もちろん私はバットを振らない。
「ストライーク!」と審判は声高らかに宣言する。
え? 聞き間違いか? 際どいとかのレベルではないぞ。キャッチャーが飛び上がって手を伸ばしなんとか取ったんだぞ。……。
なるほどなるほど。どうやら来たボールはどんなに外れていようとも、打たないといけないようだな。だけど、今のようなボールはどんなに頑張っても、バットを当てるのが精一杯で、ホームランなんてとてもじゃない。スピードがあろうが変化がすごかろうが、本当のストライクなら、打てる自信はある。しかしバットが届かないような所に投げられては、無理だ。
いくらなんでも、私は超能力だけはないのだ。ピンチだな。
元プロのピッチャーよ、落ち着いてくれ。少しくらいはプライドが残っているんじゃないのか。深呼吸でもしてみろ。あっ、またもや睨んでしまった。だめだ。さらに萎縮してしまったぞ。
こんな独裁国家主催のサッカーでもドン引きするくらいのアウェイの洗礼を受けて、私は負けるのか。この大怪盗で名探偵の私が。
すると、諦めかけた私を勇気づけるような視線を感じた。言うまでもなく、トラゾウだ。フフッ。悪あがきの天才が諦めるわけにはいかない。ありがとう、トラゾウ。トラゾウがいてくれて、本当に良かった。
私はバッターボックスから少し出て素振りをした。と同時に派手に転んであげた。
敵味方審判を含め、トラゾウ以外全員大爆笑だ。想像以上の。くそー。わざととはいえ、恥ずかしいじゃないか。
それもこれも、元プロのピッチャーのくせに、こんな草野球くらいで緊張するからだぞ。だから若くしてプロをクビになったのだろうな。昔の事はどうでもいいか。それよりも落ち着いてくれたのだろうか。
おおー、見るからにリラックスしている。なんて分かりやすい。だから若くして……何度も言う必要はないな。後で、メンタルトレーナーを雇うように助言してあげよう。再びプロのマウンドに立てるはずだ。
だけど今は対戦相手である私が、なんとか手助けをしてあげないといけない。ノミの心臓のあいつのためにしてあげられる事は、とにかくオーラを消すだな。それしかない。ただ、それだと、三振してしまう。なので、あいつがボールを投げて、そのボールがホームベースを通過するまでの僅かな時間で、オーラの再点灯だ。リスクは高いが、それしかない。間抜けのふりをしつつも、集中力だけは高めておこう。
私は、トラゾウを見た。うん、大丈夫だ。私は打てる。トラゾウ、見てておくれ。メジャーリーガーも真っ青のどでかいホームランを見せてあげるからな。
完全に自信を取り戻した元プロのピッチャーは、ものすごいボールを投げた。1球目を遥かに凌駕している。体感で言うと、200キロくらいは出ているだろうか。しかし、200キロだろうが上下左右に大きく動こうが、数々の修羅場をくぐり抜けてきた私には、ただの軟球だった。
「ドッカーン!」
爆音だけを残し、ボールは悪徳政治家の家に吸い込まれていった。まるで悪徳政治家の家が大きな掃除機のように。河川敷は、あまりの衝撃を目の当たりにして、誰もいないのかと思われるくらいに静まり返っている。私とトラゾウだけは笑顔で。
ゆっくりダイヤモンドを一周しようとしたその時、携帯電話の呼び出し音が褒め称えるように鳴り響いた。私の電話で間違いない。まったく阿部君ときたら。少しくらい余韻に浸らせてくれてもいいじゃないか。
ああ、そうか。一緒になって喜びたかったのだな。少しだけ待っておくれ。ダイヤモンドも一周しないといけない。目立ちたいからではないぞ。ホームランといえども、必要以上にコースから離れるとアウトにされるからな。あっけにとられているこいつらに、それを指摘する余裕があるとは思えないが、油断大敵だ。なにせ1年間の使用料がかかっているのだから。
それにしてもうるさいな。静まり返ったままで、よく耳に届くからか。トラゾウ、出てくれるかい? めで合図すると、待ってましたとばかりに、トラゾウは出てくれた。そんなに大声で対応しなければ、誰もトラだとは気づかない。
いや、もしかしたら、トラゾウが歌って踊っても気づかれないかもしれないくらいだ。みんなは、まだ放心状態で、ボールが飛んで行った方を口をポカンと開けて見ている。ベンチでふんぞり返っていた横綱くんですら、あごが外れるぞと言いたくなるほどだ。素人相手なら、横綱くんでも飛ばせた。だけど、元プロの投げた今のボールは、ホームランどころか、かすりもしないと自分自身がよく理解しているのだろう。横綱くん、世界は広いだろ?
横綱くんに構っている場合ではない。笑顔だったはずのトラゾウが、電話に出た途端に表情が曇っている。私の推理が当たっただけでなく有言実行で大ホームランを打ったものだから、居ても立っても居られなくて、てっきり私を称賛していると思ったのだけれど。
すぐに出なかったから、怒られているのか。阿部君、悪いのはトラゾウではないのだから、怒るなら私にしてくれないだろうか。それとも間近で見られたトラゾウにヤキモチを? 分からなくもないが。仕方がないな。やっぱり野球場の1年間の使用料を払ってあげて、永世名誉助っ人にしてもらおう。それなら大勢で来ても歓迎こそされても邪魔者扱いはない。
「リーガー!」
トラゾウのやつ、うっかりスピーカーをマックスにしてしまったな。まあ、いい。褒められて嫌な気はしないから。さあ、いいぞ。遠慮なく褒めておくれ。照れないように頑張ってみせるぞ。
「明智君が大変なんです!」




