交渉成立
「先輩が怪盗なのは分かってます。このワンちゃんも仲間なんですね。それで捕まるのを覚悟でわざわざここへ来たということは、よほどの事があるんですね? 安心してください。今日のところは先輩を逮捕しません」
「なんで私が怪盗だと? 悪徳政治家宅で偶然たまたま会った時には、私はそんな素振りは見せなかったような」
「ああ、それなら簡単です。悪徳政治家の汚職の件で家宅捜索をした時に、悪徳政治家夫人が無くなっている物がいっぱいあると大騒ぎしてたんです。現金はもちろん、高価な美術品から希少なワインまで。タイミング的には、あの日あそこにいた怪人が疑われるのは当然ですよね?」
「……」
「でも大丈夫です。被害届が出されていないというか、受理してないので。なので私は先輩を……怪盗を逮捕する理由がないんです。しいて言えば、悪徳政治家のボディガードへの傷害がありますけど、正当防衛のようなものだし。何より私を助けるための暴力だったのだから」
「なるほど。ということは、今の私は名ばかりの怪盗であって、犯罪者ではないのですね?」
「悪徳政治家の件に関してはですけどね。他にもどこかで盗みを働いているのなら、私もなかなか見て見ぬ振りをするのは難しいかもしれないですよ。まあそれは聞かない方が、お互いのためですよね?」
やはりなかなか鋭いな。実は他にも2、3件盗みを働いているのだけれど、口はおろか顔にも出さないようにしよう。発汗が著しいのは、この部屋が暑すぎるだけだぞ。しかし私のポーカーフェイスに比べて、明智君は動揺を遠慮なく披露しているな。明智君に百戦錬磨の私を真似ろと言うのは酷か。
まあでも大丈夫だ。おそらく他の被害者たちは警察に届けていないはず。なにせ暴力団なのだから。
安心した私は、ほんの少しだけ声を上ずらせながら、強引に話題を変える。動揺している明智君を見て大笑いしたいが、時間がないからな。決して私の保身のためではない。明智君、感謝するんだぞ。
「そういう事を考えても意味がないので忘れましょう。それよりも今日はお願いがあって来たんです」
「お願いですか? いいですよ。先輩のためなら、喜んで」
「ありがとうございます。実は、私は『株式会社ラッキー』という会社の社長をしてるんです。それで、私の部下が無実の罪で逮捕されてしまって……」
「先輩が社長? さらに、部下がいる? わざわざそんな冗談を言いに来たのですか?」
「冗談ではないです。確かに『株式会社ラッキー』とは幽霊会社ですけど、部下は存在しています。ちなみに、このバカ犬……じゃなくて、このかわいいゴールデンは『株式会社ラッキー』の社長秘書兼取締役です」
「なるほど。まあ確かにダミー会社でもあった方が、無職よりは聞こえがいいのかもしれないですけど。それはそれとして、その部下の人は、本当に無実なのですか?」
「まあ、その、……、逮捕された件に関しては無実です。本人が言ってたので」
「ほー。先輩はよほどその部下の人を信用してるのですね?」
「いえいえ。それは、心外です。全く信用してないですよ。ただ、その部下……名前を『あべひまわり』というんですけど、唯一の取り柄が正直なところなので。仮に嘘をついたとしても、負け惜しみのような明らかに嘘だと分かる嘘しかつかないので」
「なるほど。それでその阿部君とやらが……うん、そう言えば、このワンちゃんの名前を聞いてなかったですね?」
「ああ、このバカ犬……うぉっふぉん、このかわいい子は『明智君』と言います。『明智君』の『君』までが名前です」
「おおー。見た目通りに賢そうな名前ですね。名は体を表すって言いますもんね」
確かに、あの江戸川乱歩の小説に出てくる名探偵から名前を拝借したのは、事実だ。ただ、明智君があまりのバカ面だったので、少しでも賢く見えるためというのが本当のところだけど。もちろん言うつもりはない。警視長だけでなく、明智君までもが気を悪くしてしまう。
だけど警視長は本当に明智君が賢く見えるのだろうか。警視長はお世辞を言う人ではないから、明智君の雰囲気でそう見えるのだろう。明智君のバカ面を見て賢いだなんて言おうものなら、ただの嫌味にしか聞こえないからな。とりあえず適当に模範的な相槌を打つところだな。
「そ、そうですね」
「少し話が逸れましたね。で、その阿部君が無実の罪で逮捕されたということで、きちんと捜査をしてくれるように頼みに来たのですか?」
「あっ、いえ、その……。きちんと捜査はもちろんですけど、できれば阿部君を釈放してくれないかと……」
「大丈夫ですよ。日本の警察は優秀なので、すぐに真犯人を捕まえますよ。だからいずれ釈放されるかと」
「いや、あの、その……。いずれではなく、すぐにでも……」
「そう言われましても。先輩も分かっていると思うんですけど、そんな簡単には。例え無実だとしても、容疑者として逮捕した以上は、犯人ではないという証拠を見つけないといけないので。だから、せめて勾留期限が切れるまで待ってください……と言いたいところですけど、先輩たっての頼みなので一週間いただけませんか? それだけあれば、なんとか釈放の手続きに入れると思うんですけど」
「いっ、いっしゅうーかん!」
「そうです。すごいでしょ? 超法規的措置を、この僕、警視長特権で発令しますよ。だからって、そんな感謝しないでくださいね。明智君と先輩のおかげで悪徳政治家を逮捕できたのもありますけど、それ以前に先輩と僕の仲なんだから。当たり前の事をするまでですよ」
「ありがとうございます。と言いたいところですけど、もう少し短くできませんか?」
「えー! も、もう少しですか? うーん、この僕が必死に頼み込めば、3日くらいにはできるかも……」
「み、3日ですか?」
「そんなに驚かないでくださいよ。ちょっとした賄賂を使うかもしれないですけどね。それで『鬼に金棒』と同じような意味で『警視長に賄賂』は無敵の象徴のようなものです。すごいでしょ?」
「すごいですね。それで、すごいついでに、もう一声お願いできませんか?」
「えっ! ええー! え゛ー! せ、先輩、まさかとは思いますけど、今日中に出せとか言うつもりはないですよね?」
「あけちくーん、あの悪徳政治家から裏帳簿を奪うために、私たちは銃で撃たれて殺されそうになったよね?」
「ワンワーン。ワワワンワンーワンワンワンワンワ。ワッワーンワーンワ」
「明智君が何と言ってるのか分からないが、表情からして先輩に賛同しているような。先輩だけでなく、明智君までなんて姑息な」
「でも本当のことなんです。ねえ、明智君?」
「ワンッ!」
「分かった。分かった。分かりましたよ。今日中に出してあげますよ。そのかわり、条件があります」
「条件?」「ワウワン?」