警視長との再会
警視庁内でも、エセ警察官の私がバカ面の明智君を連れていても、誰も気に留めない。明智君の警察官の凛々しさとは程遠いのが心配だったけど、やはり警察官の制服が想像以上に効果を発揮しているのだろう。
そして私は、厳密には明智君だけど、みなさんに飽きられる前に警視長室のドアの前に到着した。道中の紆余曲折及びアクシデントやトラブルは省略しよう。しいて一つだけ挙げるとすれば、女性警官に明智君好みのきれいな人が多すぎた。そしてそんな人に限って、明智君を触りに来るし、明智君は一緒に遊ぼうとするのだ。その度に足止めをくらい、私は正体が知られやしないかと冷や冷やする。私も一緒に遊びたいだなんてちっとも……。
私が警視長室のドアをノックすると同時に明智君が一声「ワンッ!」と吠えると、警視庁がまるでドアの前で待っていたかのように、速攻でドアが開いた。警視長という立場上、命を狙われることもあるだろうに、無警戒すぎないだろうか。警視長は笑顔だったので、誰が来たのかをすぐに察知しての行動だとしておくか。それでも早いことにはかわりがないが。まあそれくらい私の来訪が嬉しかったに違いない。
ノックの音だけで私だとすぐに分かるほど好かれているとは思ってなかったので、嬉し恥ずかしだな。まさか警視庁内の監視カメラで私と明智君を見つけて、ずっと追っていたのだろうか。そこまで暇ではないと……何とも言えないな。私の溢れ出ている人間力と魅力が、存在を警視長に気づかせたとしておこう。
そのくせ照れているのか、何も言わず警視長は私を見ずに明智君の方に目を向けている。仕方がないので、私から挨拶をしてやろうじゃないか。来訪したのは私だしな。まずは悪徳政治家から命を助けてあげたお礼を言いたいだろうと、警視長に機会をあげただけだ。と、私が誰にでもなく言い訳をしていると、警視長が先に口を開いた。
「やっぱり、あの時のワンちゃんだ!」
「ワンッ! ワワンワンワワワン、ワンワーン」
「おおー、ワンちゃんも僕の事を覚えてくれてるのかい? 嬉しいなー」
「ワンッ! ワンワ、ワワンワンワワワワーン。ワワ」
「ありがとうありがとう。あの時、ワンちゃんが重要書類を持ってきてくれたから、悪徳政治家どもを逮捕できたんだよ。何かお礼をしないとね。何がいいかなー? えっと……あっ、中で話そうか。入って入って。美味しいお菓子もいっぱいあるからね」
警視長と明智君が警視長室に入ると、私の鼻っ面でドアは閉じられた。え? 警視長なりの冗談なのか?
初めて会った時から不思議と馬が合い仲が良かったが、正式には久しぶりに会ったんだぞ。冗談は、もう少し世間話や近況などを語ってからだろ。それに、あの悪徳政治家を逮捕できたのは、私が助太刀したのが大きかったんだし。もし私が見て見ぬ振りをしてその場から立ち去っていたなら、悪徳政治家を逮捕するどころか、警視長は命を奪われたかもしれないんだぞ。
あの時の私は怪盗のミッション中でちょっとした変装をしていたから、もしかしたら私だと気づかなかったのだろうか? いや、そんなことはない。直接的な事は言わなかったけど、それとなく私を認識していた。だからこそ、ちょっとためらいがちに怪盗の敵である、警察の警視長に会いにきたのだから。
それとも可能性はゼロに近いが、明智君に再会した嬉しさのあまり、私に気づかなかったのか。ありえるな。明智君は誰にでも好かれる不思議な魅力に溢れているし。そして今の私は必死に努力してオーラを消していたから。
うーん、どうしよう。しばし待つか。もう一度ドアをノックしようか。
時間が惜しいからノックをしよう。気のせいとは分かっていても、阿部君が睨んでいるようだし。早くしろと。
私は再度ノックした。しかし待てど暮らせど、時が止まったかのようだ。こうなったら私の怪力でドアをぶち壊すか、大声で呼びかけるしかないな。どちらを選択するかは言うまでもないだろう。
「あけちくーん!」
警視長に呼びかけても無視されると考えたのは、私だけではないだろう。私の作戦はひとまず成功した。明智君にズボンの裾を引かれながら、首を捻っている警視長がドアを開けたのだ。そしてすぐに私に……。
「ほらー、ワンちゃん。誰もいない……。……。……。あれ? もしかしたら先輩ですか?」
ちなみに私は警視長からは『先輩』と呼ばれていた。階級は下だったが、私が先に警察に入ったし年上だし尊敬を込めてなのは言うまでもない。下手に勘ぐるんじゃないぞ。警視長は素直なので、悪意や皮肉とは無縁だからな。おいおい分かるから話を続けるか。
「そうです。久しぶりですね。警部補改め、今は警視長ですか」
「あっ、はい。お陰様で。でも、一体、なんでこんな所でボーっと突っ立ってるんですか? 僕の警護でもするように言われたとか?」
「いえいえ。今日は訳あって警視長にお願いが。中に入ってもいいですか? ここでは何なので」
「あっ、そうですね。かわいいワンちゃんのお客さんもいるけど……そう言えば、先輩はちょっと前にワンちゃんを飼い始めたんですよね? 名前は何と言うんですか? 僕がプレゼントした警察官の制服を模したワンちゃん用の服を着られる大きさに成長しましたか? あっ、それと……」
「そういうのを含めて、中で……」
「ああ、そうですね。そうそう、このワンちゃんはすごく頭が良いんですよ。実はですね……」
「あっ、そのバカ面……じゃなくて、かわいいワンちゃんこそ、私の愛犬で……」
「あー、思い出した。やっぱり、あの時の変な変装をしていた頭のおかしい男は……」
「とりあえず入りますよ! 失礼します。明智君、警視長を奥に連れていってくれないかな?」
「ワーン」
私は、やっとの思いで警視長室に入ると、一応他に誰もいないのかを確認する。さらに警視長にこの部屋に盗聴などの危険がないのかを確認したところで、何から話せばいいのか迷ってしまった。私の話術をフル稼働させないと、阿部君を救いに来たつもりが、私までも阿部君の隣りの留置所に入れられかねないからな。
そんな私の心情を察したのか、明智君が「ワンッ!」と一声。分からない。明智君は何を伝えたいんだ? まさか「当たって砕けろ」とは言ってないだろうな。明智君に構ってられない。考えろ、私。警視長を口車に乗せてやるんだ。
素晴らしい未来は思い描けたが、阿部君の話はなかなか私の口から出て来ない。やはり世間話から入るのがセオリーだろうか。いや、そんな時間はないと思う。少なくとも阿部君が許さない。明智君が言った確信はないが、当たって砕けるか。だめだったなら明智君のせいにできるし。よし、砕けてやる。
私が清水の舞台からそおーっと飛び降りようとしたら、業を煮やしたのか、警視長の方から話しだした。それも、警察官らしからぬ内容だ。私からしたら、さすが警視長と言うべきだろうか。
と同時に警視長室前でのドタバタの意味を理解できた。警視長は敢えて私に気づかないフリをしてくれたのだ。それでも帰らない私と警視長室の外では差し障りのない会話を続けたのは、万が一私たちの会話を聞かれているのを想定してのことだ。話しているうちに私の本気度を感じたのだろう。警視長は腹をくくってくれたのだ。考えすぎだろうか。