これが明智君
おっ、阿部君は表情が全く変わらないな。もしかしたら良いように言われるかもと、現実逃避をしながら極太の一縷の望みを持っていたかもしれない。しかしその前にこの警察官がそれとなく匂わせていたから、割合が極小の阿部君の真っ当な部分が、あまり良くは言われないと結果を想像していたのだろう。
ということは、本当に心の準備をしていたのだな。悪く言われるのを想定した。阿部君は人としてのレベルが数段上がっているじゃないか。これも私の教育の賜物だな。ここでさらに明智君を励ます余裕があれば良かったのだけれど、まだまだそこまで期待してはいけない。石の上にも三年、阿部君の成長に三億万年、とか言うからな。
それよりも、今は明智君だな。阿部君に明智君を励ます余裕がなんとかとかと、私が言ったことからや、明智君を知っている人は分かっているだろう。そう、明智君はあからさまにへこんでいるのだ。
私は心の中で思いこそすれ、なんだかんだで明智君に面と向かってバカ面だと言ったことがない。阿部君だって、例え酔っ払って我を忘れていても、仲良しの明智君の容姿をとやかく言う素振りすらない。努力ではどうしようもない事を言って、明智君を傷つけるだなんてするわけがない。ミッション上のダメ出しはしても、明智君の人格というか犬格を否定するのは、冗談でもした記憶がないのだ。
記憶がないというのは、なんて便利な言葉なのだろうと思ってしまった。うん? 今は明智君の話だったな。大事な家族であり仲間であり友人であり、私といつも一緒にいてくれる明智君。
警視長だって決して明智君をバカにする気がなかった。おそらくバカにしたとも思ってないだろう。明智君自身が言われてへこむような事が、警視長の考えではネガティブな事なんかではなく、それがむしろかわいいと思っているのだ。
結論を言えば、警視長は明智君をバカにしたわけではない。だけど、明智君は今までバカ面だとか食い意地が張っているとかを含め、悪口を言われたことがないのだ。そういう免疫を作らなかった優しい私が悪かったのかもしれない。優しいって罪なのだな。
記憶にはないと言ったが、ついつい勢いで「バカ犬!」と言った可能性はあるかもしれない。万が一そんな事があったとしても、すぐにごまかしたり冗談だよ的な雰囲気を必死で作ったはずだ。あくまでも仮定の話だけどな。
なんか言い訳がましくなってきている。まるで私が悪いみたいに聞こえるじゃないか。いや、誰が悪いとか悪くないとかを言っている場合ではなかったな。あっ、でも一応、この件に関しては、悪いのは警視長ということで。それはそれとして、今の私にはやらなければならない大事な事がある。心で繋がっている明智君をフォローしないと。
でないと、明智君の鼻が必要な時に困る。「真っ赤なお鼻の明智君はー♪」いやいや、そうじゃない。明智君の鼻は真っ赤でもない。明智君は笑いものでもない。ククッ……。失礼。なんだったかな? ああーそうそう、いつまでも明智君がへこんでいては、かわいそうだ。せめて誰も明智君を傷つけるつもりなんてなかったと、分かってもらわないといけない。そうでないと、明智君にとっても我々人類にとっても大きな損失だ。
「明智君、どんまい。へへっ」と私が言ったと同時に、ボディに阿部君の右アッパーが入った。私なりに茶化して明智君を励まそうとしただけなのに。
「リーダーと違って、明智君は繊細なんだから」
私だって繊細だなんて言うまでもなく、こんな私を見て明智君が笑ってくれたらと思っただけだ。しかし明智君は、私とだけでなく阿部君とも目を合わさない。これは相当ショックだったのを裏付けている。
ただ、明智君は警視長のどの言葉が突き刺さったのだろうか。いや、言葉そのものではないのかもしれない。分かりあって尊敬すらしていた警視長に、バカにする意図なんて微塵もなくても、バカにされた事がよほど堪えたのだろう。
これは警視長がどういう人なのかを、バカな……じゃなくて、思い込みの激しい明智君にでも分かるように、懇切丁寧に説明しないといけないようだ。時間はかかるけど、仕方がない。悪いのは、私以外の全員だ。
「遡ることうん十年、私の勤務していた交番に……」私が初めて警視長に会った時の事から話そうとした。なのに、出しゃばり屋の阿部君に遮られる。
「明智君、ほらっ、あそこに金髪のきれいなお姉さんがいるよ。ちょっとナデナデしてもらおうか?」
「ワッオーン!」
明智君は阿部君を引きずるようにして金髪のお姉さんのところまで行くと、阿部君に何か言っている。おそらくお姉さんへの交渉をお願いというか命令をしているのだろう。阿部君は自分から言った手前、文句一つ言わず、お姉さんに何か話しかけた。
バカ面のゴールデンレトリバーが突然迫ってきた恐怖から茫然自失になっていたお姉さんの顔が、少しばかり和らいだ。笑顔は引きつっているが、了承してくれたようだ。恐る恐る、明智君をなで始める。明智君のバカ面が、さらにだらしなくなっていた。するとお姉さんの警戒は解けたのか、引きつっていたはずの顔が自然な笑顔となっている。
明智君が猪突猛進で近づいてきた時は、食べられるかもと感じたかもしれない。しかし、ものの数分でお姉さんは、すっかり明智君の虜となっていた。犬がバカ面だとモテモテなのに、人間のバカ面はなぜ相手にされないんだ。不公平じゃないか。いや、決して私がバカ面だとは言ってないからな。私はかっこよすぎるから、女性陣が近寄りがたいだけだからな。下手に言い訳をすると逆効果か。忘れてくれ。
気づけば明智君は調子に乗って、寝転がりお腹をナデナデしてもらっている。悔しいが、お姉さんも嬉しそうだ。どうして私は悔しいんだろう。考えない考えてはいけない考えるだけ無駄だ。
それよりも時間的余裕がそんなにないのに、明智君はいつまで戯れているつもりなんだ。もうすっかり心の傷は癒えているんだから、早くお姉さんにサヨナラを言うか、私も混ぜてくれ。いや、違う違う。私たちがここにいる理由を思い出してくれないだろうか。
しかし阿部君ですら止めるのに躊躇している。こんなことなら、私が励ましてあげた方が早く済んだのに。案内をかってくれた警察官もイライラはしてないが、手持ち無沙汰が辛そうでかつ羨ましそうにしている。だけどあの状況で明智君が今日の目的を思い出してくれるなんて、期待する方が間違っている。かと言って、阿部君ですらできないのに、私が強制的に終わらせようとしたなら、理不尽だけど我が家兼アジトから私が追い出されるだろう。
何か打つ手はないだろうか。ないな。明智君は諦めるか。明智君の鼻は事件解決には役に立つだろう。被害者の身元が判明していないのなら尚更だ。だけど明智君がいなくても、阿部君は言わずもがなで、私一人でも事件を解決できるはず。シャーロック・ホームズにしたって、犬を捜査に使ったのは、私の記憶では一度きりだ。助手のワトソン君はたいてい傍にいたようなので、この警察官を助手で連れていけばいいだろう。
私が名誉ある私の助手に、この警察官を任命しようとしたその時、突然事態は動いた。なんと、金髪のお姉さんがすくっと立ち上がり、明智君に何か話しかけている。明智君は静かに聞いている。そしてお姉さんは明智君に手を振りながら、名残惜しそうに立ち去った。
明智君のかっこいいのは、ここからだ。決してお姉さんを追いかけない。お姉さんを困らせたくないからだ。バカ面会心の笑顔で手を振りながら見送るだけだ。バカ面のくせにかっこつけやがってなんて言ったなら、私が惨めになるのだろう。私だって犬だったなら、きっと同じようになったはず。負け惜しみではないぞ。
明智君は阿部君を従え、威風堂々と戻ってきた。こころなしか大きく見えるのは、気のせいか。私が心のどこかで敗北を認めたからなのか。明智君に対してだけでなく、このアイデアを瞬時に思いついた阿部君に対しても。どうでもいいことだな。他の事では、私が全勝だ。明智君相手だけでなく、阿部君相手でも。
そんなことよりも捜査だ。私が最初に解決してやる。いや、違うな。私は監督として、阿部君と明智君を操るんだった。珍しくムキになるところだったな。




