野球、そして人生
2対3。城聖があの津軽新浜を1点上回っているという、信じられない、でも現実であるこの光景。
津軽新浜側のベンチでは、最後の気合を入れているのだろう。向こう側としてはこの最後の9回で点を取らなければ終わりという場面、ただでは俺達を通してくれるはずもない。
奇跡なのかもしれない。たまたまなのかもしれない。でも、これは現実なのだ。
世界一のピッチャーになれ。そう父に言われて、自分でもなると決めてから、何年たったのか。
父を失い、友達もおらず、母にも申し訳ないと思いながら、たった1人でただ、野球をやってきた。
そしてその目標や野球は、いつしか自分自身で縛り付け、己の呪縛となっていた。それにすら気づけず、ただひたすら自分を憐れみ続け、1人で投げ続けてきた。
でも、城聖野球部に入ってたくさんの人と出会った。その人達は、今までとは違った。
すべてを失って、野球だけを続けてきた者。姉のとの約束を守るため野球を続けてきたもの。
「信頼」という言葉の意味を問い続けた者。自分自身の弱さに葛藤する者。それに耐えきれず、目を逸らした者。それを責めてしまった者。そして、どうにもならない、過去の「事故」と向き合ってきた者。
その事故で、父を失った者。
誰一人として、悩んで苦しんでこなかった人はいなかった。その要因が野球でも、野球じゃなくても、
彼らは野球を続けてきた。
だって、それだけじゃないはずだから。
それだけじゃないって信じてきたから。それを証明するために自分自身と戦い続けてきた。その結果が一つになり、ここまでになったのだ。
俺はボールを持ち、グローブをはめる。このグローブは、父に買ってもらったのではない。だが、母が大事な給料の中から買ってくれた宝物だ。場内ではアナウンスが告げられている。「城聖高校、ピッチャーの交代をお伝えします。1番、佐渡島くんに変わりまして11番、瀬尾くん。瀬尾くん。」
俺の名前が呼ばれる。あとは、俺にかかっている。そう思いながらゆっくりベンチをあがっていくと、
「瀬尾」と聞き慣れた声に呼ばれた。振り向くと、椅子に座って腕組みをしている佐渡島さんと目があった。相変わらず合った頃と変わらない偉そうな雰囲気にもうカチンとは来なくなっていて、むしろ安心感さえ感じてしまっていた。
「登板、頼んだぞ」「はい」至ってシンプルな会話。でも、それでも何か伝わってくるような感じがした。
「じゃあ先輩からの、ありがたい最後のアドバイスだ。」
それは出会ったはじめの頃、まだ俺が佐渡島さんの事をよく知らなくて、ただの威張ってる先輩とだけ思っていた頃のこと。「先輩からのアドバイス」というものをいくつかもらったのだ。
それの、最後のアドバイスだということだろう。
「笑顔で投げろ」俺が一番苦手とするものだった。もっとこう、きっちり締めてこい、とか打たれんなよ、とかならわかる。けれど、「笑顔で投げる」なんて、俺にとってどうやればいいのかすらもわからない。
でも、佐渡島さんは最後に、優しく俺に言った。
「そうすれば、守神様に会える」俺は思わず目を見開いた。まさか佐渡島さんからその単語が出てくるとは思いもしなかった。嘘だとは思えなかった。そういった佐渡島さんの目が、まっすぐだったからだ。
俺はゆっくりと頷いた。任せてください、と心のなかで伝えた。するとその瞬間、佐渡島さんは一瞬だけ、俺に初めて笑いかけた。その笑顔は、先輩後輩という関係だけじゃ見ることのできない。
そんな太陽のような笑顔だった。
俺はマウンドに立つ。このちょっとだけ高くなったこの眺めはすべての先陣を切るピッチャーの特等席。
耐えられそうもない最悪なシチュエーションなのに、何故か空を見上げる余裕がある。
「なんで空って届かないの?」
「だって、すぐ届いたら面白くないだろう?」
あのときはわからなかった。届きたくてしょうがなかった。でも今ならわかる。
空は一生届かないようにできている。いつでも見上げることができるように。いつでも目指せるように。
俺は大きく息を吸う。そして手を大空に向かって振り上げる。もう何も迷うことはない。
そしてボールを静かに、手から離した。そのボールはかつて無いほどの勢いを保ったままバッターの胸元をすり抜けて颯のミットにスパンッと収まる。ストライク。そして次は逸らすために際どいところにボール。
次はど真ん中に打ち込み、ラスト、フォークでぶった切る。颯と思い通りにキャッチボールをする。
何の変哲もない投球。でも、その中でも練習してきたものをすべて詰め込んである。
まずは1アウト。
次のバッターも、途中まではうまく言っていた。でも、ストレートを打ち込んだ時、少し頃になった。幸い丁寧にボールを送球をしたので、一塁だけの進塁で止めることができた。
過去の俺なら無理やりなかったことにしただろう。でも今は違う。
「大丈夫」颯がそう頷いてくれる。打たれても、ここから投げ直せばいい。これからアウトを取ればいいとなんども俺を落ち着かせてくれた。普段落ち着きのないのにこういうときだけは頼りにしてしまうのだ。
そして3人目。1アウト1塁での投球。俺はまっすぐ颯を見る。安心感のあるバッテリーのミットを見つめていると、ふとその先に人影が見えた。俺はあんなところに人が立ってるはずがないと目を凝らす。
「…父さん?」
俺はいるはずのないその人をくっきりと視界に捉えた瞬間、思わず声が漏れた。
「父さんなの…?」何も言わずまっすぐこちらを見つめながら佇む、数年ぶりに見る父さんの姿。
その瞬間俺はずっと伝えたかった言葉が溢れ出した。
「父さんごめん、ごめん、ずっと俺知らなかった。ごめん、」
そういいながら、涙が溢れてきた。颯が心配そうな顔をしている。でも止めることができなかった。
しばらくひたすら謝り続けていた。が、これも言わなきゃ、とふっと言葉が出てきた。
「父さん。俺に野球を教えてくれてありがとう。」
その瞬間、父さんが笑った。数年ぶりに見る笑顔だった。その笑顔はかつて小さい頃の俺に向けてくれたものと変わらず、やさしくてクシャッとした無邪気な笑顔だった。
そして父さんは最後に初めて喋った。
「澪馬。お前は俺の自慢の息子だよ」
そう言って、もう俺の前にはいなくなってた。
俺はひどいことを思っていたのに、父さんは何も言わず、ただ「自慢の息子だ」と言ってくれた。
ありがとう、父さん。自分の命をなげうってでも人を助けた、そんな父さんの息子で良かったって胸張って言える。そうだよね、母さん。俺をここまで育ててくれてありがとう。迷惑かけたけどもう大丈夫だよ。
多分、観客席の何処かにいる母さん、泣いてるんだろうな。見なくてもわかっちゃうよ。
そっか。そうだったんだ。守神様は、父さんだったんだ。ずうっと見守ってくれてたんだ。
そうして俺は前を向く。もう、笑っていいんだよな。もういいんだよな。
俺は数年ぶりに誰かに笑顔を向けた。
ベンチで皆が瀬尾に注目していた。その時。
「佐渡島さん、今見ました!?」と小利木が騒ぎ出す。一体何だと思いながら瀬尾を見ると、その理由がわかった。
「あいつ、今初めて笑いましたよね?!?!」「俺も見た!!!!」「俺も!!!!」
全く、何で騒いでんだか。でも、瀬尾が笑えてよかった。俺のせいだったらどうしようとかまた余計なことを考えてしまっていたところだったから。
ベンチが騒がしい。俺を見ているのだろう。でも、彼らがいてくれたから今の俺がいる。
だったら俺も恩返しをしなくてはならない。
俺は大空に手を振り上げた。気持ちが、体が軽い。行ける。そう思いながら俺は思いっきり颯のミットに向かって投げた。
カンッと鈍い音がしてボールが俺の目の前に転がってきた。その瞬間に、後ろの気配を感じ取り、投げた。
「頼む!!!!成斗!!!!」「うん!!!!!」そうして成斗がしっかりキャッチし、2塁に送球する。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!!!!!」
ランナーが滑り込むのと同時に、ボールが届いた。判定は、
アウト。
しばらく沈黙が続いた。
でも数秒後、ラウンドはありえないほどの歓声に包まれた。わずか1点差。
あの王者の津軽新浜に、無名の城聖が勝った。呆気にとられていると、急に抱きしめられた。颯だった。
すると次々に先輩たちも走ってきた。皆まるで優勝したかのような喜びようだった。よく見ると、全員泣いていた。
「勝ったぜ、俺ら」と佐倉さんが言うと、みんな「っしゃぁぁぁ!!!!!」と喜びを分かち合う。
空が晴れていた。
今まで見た中で1番、美しい眺めだった。
津軽新浜に劇的勝利を果たしベスト8となった城聖はその次の試合で敗北。
結果的に最後の大舞台での奇跡の勝利となった。
あの試合の後、颯のところにかつていじめていたやつらが謝ってきた。颯は優しいから、一応許してやったとドヤ顔でいってきたから、その時だけは褒めてやった。光哉は試合直後に姉から電話がかかってきて、興奮気味におめでとう、と言ってもらえたらしい。近々会えるのだと喜んでいた。成斗は千草とともに甲子園お疲れ様会をしながら、昔の愚痴を言い合ってスッキリしたらしい。
二階堂さんは、その後さらなる実力を高めるため、本格的に野球の勉強を始めた。弟も順調に腕を上げてきていると言っていた。小利木さんは、気まずそうにしながらももう一度しっかりと一条さんと会い、お互いに謝ることができた。休みの日はたまにキャッチボールを再開したとのこと。
佐倉さんはキャッチャーとしての実力が認められ、プロから声がかかったが、「竜聖がバッテリーじゃないならお断りします」と言って、佐渡島さんを怒らせたらしかった。
豊島さんは津軽新浜戦の直後、スマホを取り出して、入院中の彼女さんに電話した。
「もう一度言わせてほしい。君が好きだ。俺なんかで良ければ、付き合ってください。そして今度はちゃんと守らせてください。」と。もちろん彼女さんも快くOKしてくれて、今は病状も落ち着いているとのこと。
仲良くやっているらしいぜ、と佐渡島さんが悔しそうにぼやいていた。
日向さんは、あのあと連絡がつかなくなった。が、自分の道を歩み始めたのだろうと佐倉さんは言った。
そして肝心の佐渡島さんは、試合直後に病院へ直行した。診断によると、やはりもう二度と投げないでください、じゃないと腕の切断にも関わってきてしまいます。言われたそうだ。でも、佐渡島さんなりに覚悟はできていたらしく、「わかりました」とだけ短く答えたそうだ。
野球とは、残酷だ。人生みたいだ。でも、そんな中でまだ若い俺達は精一杯プレーして、ラウンドの上で光り輝いている。ときに影になってしまうこともある。それでも、いつか必ず光が指すから。
その時まで、せめて笑って。全力で生きよう。
『ラウンドの守神』次回、最終回。どうぞ見守ってくださると嬉しいです。お楽しみに。




