最後の投球
目の前には、凪野。そしてその先には、佐倉。
こんなにワクワクする光景はどこにあるだろうか。凪野をアウトに取ったら俺の勝ち。俺が打たれたら凪野の勝ち。これは俺と凪野の戦い。
そして、俺と俺の戦いだ。
肩は痛い。正直、相当痛い。けど、なんとか耐えていられる範囲だ。そしてまず1球凪野に投げた。
ストレートでスピードは落ちていない。使える。
でも凪野はバットに当ててきたのだ。ボールはファールとなり、場外へ高く飛んでいく。
やはり俺のほうが不利だが、そうも言ってられない。
俺は確信した。
最後の最後に、覚悟を決めた。
俺は佐倉に合図を送る。佐倉は一瞬驚いた顔をする。なぜここでなのか、今なのか、と。
今しかないんだ。佐倉。首を縦に振ってくれ。
佐倉はしばらく考えたあと、俺に改めてサインを出した。でもそのサインは新しいものだった。
「ありがとう、佐倉」
俺はボールを少し持ち替えて、大きく空に向かって振りかぶった。
そしてボールを手から離す。そのボールは綺麗にまっすぐ凪野の胸元に飛んでいく。
少し高め、そのボールに凪野は焦点を当て、思いっきりバットを振った。
しかし、ボールには当たらなかった。
佐渡島さんはもう一度立ち上がった。ものすごい根性だ。俺でさえあそこにもう一度立つ勇気はない。
俺の後ろでは小利木さんがベンチから立ち上がってみている。そして佐渡島さんはボールを持った。しかし、一瞬、持ち方を調整したように見えたがベンチからは遠くてあまりよく見えなかった。
そして佐渡島さんが大きく振りかぶる。そしてボールを手から離した。
やはり肩の影響か高めに浮いたように見える。凪野はすかさず確信を持ったようにバットを大きく振った。
打たれる
すると、そう思っていた俺達の予想をひっくり返すように、ラウンドにはボールがミットに入る音がした。
会場中、そして何より城聖メンバーの皆、目の前で起きているその信じられない光景に目を見張っていた。
「…曲がった…!!!!!!」
二階堂さんが半ば叫ぶように言った。そうだ。ストレートしか投げなあの佐渡島さんのボールが、凪野胸元でかすかに曲がったのだ。
凪野も面食らったような顔をしていた。
すると後ろから小さく、小利木さんが呟いた。「……一条?」俺は思わず「え、?」と聞き返した。
「あのスライダー、1番近くで見てきた俺が言うから間違いねぇ。一条のフォームだ。」
チームメンバー皆小利木さんの言葉に注目する。
そしてその瞬間、俺は思い出した。
そうか、そういうことだったのか。ずっと前に初めて佐倉さんに誘われていった、佐渡島さんの「100球練習」のときだ。その時、確かになぜか一条さんもいた。そして佐倉さんは「先生かな、」と一条さんのことを言っていたのだ。
初めて見る佐渡島さんのスライダー。いつも自分が投げているはずなのに、また違うように見えた。
一体どれだけのリスクを負いながらも練習して、投げたのか。自分にはわかりそうにもなかった。
わかってはいけないような気がした。
空を見た。初めて投げたのに、何故か懐かしい雰囲気がした。それは、毎晩当たり前のように公園に集まって投げていたあのかけがえのない時間を思い出したからなのか。
「俺にスライダーを教えてくれないか」「えっ」一条は驚いたような顔をした。部活をやめてしばらくして、俺は決めた。いつかの、万が一のときにこのボールを使えるように。そして、弱い自分がどうしてやることもできなかった一条に、せめてものお詫びをするために。
一条はしばらく考えた。そして考えて、俺に笑って言った。「わかりました。ありがとうございます」
それから少しずつだが、スライダーを教えてもらった。一条は嬉しそうだった。
「野球、やりたかったなぁ」という彼の言葉が忘れられなかったから。
俺はもう一度、スライダーを投げる。ここに立てていることに精一杯、感謝して投げた。
そしてそのスライダーはファールになる。凪野を追い詰めた。あと、1ストライク。
そっか。二度と、投げられなくなるのか。最後なのか。最後。嫌だなぁ。もっと投げたかったな。
次に投げようともう一度ボールを持つその手がにじんで見え始めた。やばい。
目をこすり、必死に涙を食い止める。佐倉が相変わらず心配そうな顔をしている。大丈夫だって、と笑顔を向けようとしたその瞬間。
佐倉の、審判のもっと向こう側の放送席あたりの前。だれか立っているのが見える。
先程まではいなかった。そして今もあそこに誰かいるはずはない。遠いから俺は目を細めて凝らした。
「……!!!!!!!」
そこに立っていたのは、あの人だった。
あのときのまま、少し派手な服装をしたあの人が立っていた。
俺は幻覚かとも思ったが不思議とそんなオーラは一ミリも感じなかった。いるはずはないその人が見える。
そして俺は思わずその人に言った。でないと今にも消えてしまいそうだったから。
「なんで、なんであなたはあの時俺をかばったんですか!!!!」
するとその人は、ゆっくりと口を開いた。そして優しく、こう言った。
「君に、生きてほしかったから」
そしてその人は少しずつ、少しずつ透明になっていく。あぁ、消えていってしまう。
でもその時、消える直前。最後にその人はもう一言、俺に言った。
「よく頑張ったな。」
その顔は笑っていた。始めてみた、そしてもう二度と見ることのできない笑顔だった。
俺は気づいたら涙が溢れていた。
多分、これは幻覚じゃない。なぜかそう言いきれる。だって、あの太陽のような笑顔に偽物なんて無い。
「生きてほしかった」と言ってくれた。そして「よく頑張ったな」と褒めてくれた。
ずっと背負っていた荷物が、今始めて解き放たれたような気がした。
お礼を言いたいのは俺の方です。あの時、俺に生きる道を教えてくれてありがとうございました。
生きる道を作ってくれて、ありがとうございました。なんども自分の価値を問いただそうとした。
でも、これでよかったんだ。
「ありがとうございました。」俺は誰にも聞こえない、1人だけのマウンドのてっぺんで呟いて、ゆっくりと涙を拭った。
そして俺は手を大きく空に向かって振りかぶる。そしてまっすぐ佐倉のミットに向かってすべてを込めて投げる。「届け」と。
どこまでも、果てしなく。
ボールが手から離れたその瞬間、「スパンッ」という音が聞こえた。そして次に見たときには、佐倉のミットに、ボールが入っていた。
俺が最後に投げたボールは、時速160キロという最速で駆け抜けていった、真っ直ぐなストレートだった。
電光掲示板にアウト、そして160という数字が表示された瞬間、会場の熱気が最骨頂を迎えた。
投げきった。そして勝った。凪野に、そして俺自身に。
そして俺は交代を告げられ、ベンチにゆっくりと戻った。
「佐渡島さんすっげぇかっこよかったす!!!」と後輩たちが駆け寄ってくる。俺は「まぁな」と答える。
すると一緒にベンチに戻ってきた佐倉が俺の背中をバンっと叩き、「照れてんじゃねーよ」と笑った。
「照れてねーよ」といつもの会話が戻る。そして俺は佐倉に向き直り、まっすぐ見つめて言った。
「ありがとな、佐倉」すると佐倉も「あぁ。こちらこそ、だな」と言ってくれた。
どうしよう。いや、どうすることもできないか。困ったなぁ。
野球、超楽しい。




