小利木と二階堂、塁と律。
「…すんげぇ観客の数だな」と颯がラウンド上で感嘆の声を漏らす。たしかに今までとはレベルが違う。
「なんせあの津軽新浜と城聖が戦うんだからなぁ。不思議でならないよ」と小利木さんが苦笑いで言う。
これが、父さんの見た景色。そう思うと、不思議でもなぜか一度来たことあるような気がした。
今から、津軽新浜と戦う。今から、野球をする。
俺達はまっすぐ刺さる太陽に照らされながら一人一人、堂々と歩みを進めていく。
もう、弱小とは言わせない。ここまで来たのだから。証明し続けてきたのだ、自分の強さを。
でも多分、この会場にいるほとんどの人が津軽新浜が勝利するとどこかで思っている。こういうときに城聖が勝つと面白いんだよな、とか言ってるベテランッぽい甲子園の観客も、どうせ心のなかでは津軽新浜の勝利を確信しているのだろう。でも、俺達はそんなんで野球をやってきた覚えはない。
何度も何度もそれぞれの自分の弱さを知って、打ちのめされて「楽」という言葉なんてもう何年も聞いてないし、逃げたり、泣いたり、怒ったり。それだけ向き合ってきた跡がある。
それでも野球をやってきた。だって、それだけじゃないって信じているから。
「行くか」と佐倉さんが言った。「はい」と俺らは返事をして整列する。目の前には、津軽新浜が並ぶ。
今、最高に面白い試合が始まる。
審判の声にそって、よろしくお願いします!!という声が響いた。そして深く深く頭を下げた。
先攻は俺達城聖だ。颯が緊張した顔でバッターボックスに立つ。ここまでずっと一番最初の風邪を巻き起こしてきてくれた颯は、まっすぐ前を見ながらバットを構えた。
バッターボックスにはあのときの11番。豪速球のあのピッチャーだ。ピッチャーの手元からボールが離れたと思うと、その瞬間にミットにボールが入る。やはりボールを追うことすら難しい。あの異次元の佐渡島さんの一歩下というくらいの速さだ。
颯はそれを見てフーっと息を吐く。打つ気は有り余っているようだった。
そして2球目、颯が思いっきりバットを振る。もちろん、2級で反応できるほどの簡単な球じゃないことは颯でもわかっているはずだ。でも、思いっきりバットを振る。そのバットは空を切り、大空に向かってきれいな空振りをした。それでもなお颯は堂々とバットを構え直す。まるで、なんどでも来い、とでもいうような気迫だった。
そして颯はノーヒットで終えた。でもその勢いに押されて、皆が堂々と続いてバットを振っていく。
まずは当たらなくてもいいからこの速さになれることが大事。その代わり次から打てばいい。という策略のスタートを颯は見事に切った。
そうして無得点で津軽新浜の攻撃に入る。
先発は、俺だ。
防具をつける颯に「大丈夫か」と聞くと、嬉しそうに「おう!絶好調だぜ」と言った。その颯の姿は今まで見たことがないほど輝いていた。心の底にあった悪いものが取れたような感じだった。
そして俺はマウンドに立つ。スライダー、フォーク、ストレート、カーブなどたくさんの手段がある。
俺は一発目にスライダーを選んだ。胸の前にそっとボールを当てながら息を大きく吸う。少しでも気を緩めたら吸い込まれてしまいそうな会場の空気に圧倒されながらも俺は大きく振りかぶってその手をおろした。
ボールはかつての俺とは比べ物にならないほど美しく、繊細に弧を描いてミットに入った。
観客の探っていたような視線が一気に期待に変わる。俺は世界を知らなかった。中学の「天才」に満足していた。高校は、甲子園は、もっと大きかった。もっと上の人間がいて、それにただ驚くことしかできなかった。それでも、そこから学んで、新しい物を手にすることもできた。
「点は与えていい。だが俺達も死ぬ気で奪い返す」と佐倉さんが試合前に言った。
俺の登板は3回、そして二階堂さんが2回、そして佐渡島さんがラスト4回を投げる予定だ。
粘って粘って延長線にまで持っていくつもりだった。
しかし、大量得点が持ち味の津軽新浜には、それは通じなかった。
3回。4対1で津軽新浜が優勢。ここで俺はマウンドを降りる。
やはりきつい。厳しい。ここまでで4点差もつけられてしまった俺はゆっくりとマウンドを降りる。
「すみません、取られました」と佐倉さんに言うと、「しかたねぇ。まだ3点差だ。次の二階堂に任せて行けるぜ」と笑ってくれた。そして俺は汗を拭いながらベンチへと戻る。どかっと座ると、不意に隣の佐渡島さんが小声で言った。「瀬尾。次の登板の交代、ライトにしとけ。」「え…?」一昨日の気まずい雰囲気からの一言目がこれで心底驚いてしまった。「ライトって、俺もう登板終わりっすよ?」というと、佐渡島さんは「いいから。万が一だよ万が一」と言った。佐倉さんにはどうやら内緒らしい。「延長ってとこまでには持っていけなさそうだ。だったらこの中で決着つけるしかねぇ。長丁場だ。」と佐渡島さんが言う。俺ははぁ、となんとか理解したような返事をした。
でもそんななかでも1点取れたことが奇跡だった。最初の颯で勢いづいた小利木さんが張り合うようにバンバンバットを振り、その1つがあたったのだ。すると、「おい適当に振ってたらあたってたみたいに言うなよ」と小利木さんに突っ込まれてしまった。
そして俺はライトに行き、二階堂さんがマウンドにたった。
「ここにいていいのは、本当は俺じゃない。」俺はそう思いながら瀬尾と交代する。そしてゆっくりとベンチから立ち上がり、準備をする。俺は途中から入った、何の才能もない半端者だ。野球以外があるのだから、それにすればいいとよく嫌味を含め、言われてきた。でもあえてその野球を選んだのはある意味自分を試してみたかったのかもしれない。
「お前、それでピッチャーなのかよ。」とかつて入ったばかりの頃、小利木に言われたことがあった。俺なりに精一杯やってきたつもりだったから、俺はそんな小利木塁が実は大嫌いだったのだ。理由もなく俺にただあたってくる最低なやつ。そして一度佐倉さんのもとに相談しに行ったことが合ったのだ。その時に佐倉さんから一条のことを初めて聞いた。
一条は俺と違って球も良くて、腕のいいピッチャーで、優しくて、小利木のバッテリーだった。
そんなものに、俺がなれるはずがない。本当はここにいていいのは一条なのに。俺じゃないのに。
小利木は多分、一条と入れ替わるようにここに来たからそれが許せなかったのだろう。
そんな事を考えているうちに、急にマウンドに向かう足がすくむ。俺には無理だ。すると止まっていた俺の背中がいきなり「バンッ」と叩かれた。驚いて前に思わず踏み出してしまい、「いった…」と振り返ると、小利木が立っていた。いままで喋るのもきまずかったのに、急にこんなことをしてくるのは意外だったから驚いてしまった。
「何止まってんだよ、格好つけヤロウ」と小利木はぶっきらぼうに言う。「っ格好つけヤロウって何だよ」と俺はすかさず反論する。てっきり励ましてでもくれるのかと期待していたのが間違いだった。
それでも小利木はなぜか少しだけ笑った。そして先程叩いた俺の背中に手を当てる。
「こんどはぶっ倒れんなよ。お前は2年全員の魂背負ってんだからさ。ま、ぶっ倒れたら俺がかんびょうしてやらねぇこともねぇな」という。そうだ。前回俺が倒れたとき、自分の打順と守備以外はずっと俺の様子を見ながら看病してくれたのだ。小利木なりの最大の優しさなのだろう。「もう大丈夫だよ笑」というと、小利木は満足気な顔をしていた。自然と先ほどの沈んでいた気持ちが軽くなった。よし、行くか。と足を踏み出したとき、また小利木の声が聞こえた。
「頼むぞ、律。」
俺は驚いて思わず振り返る。小利木が初めてちゃんと俺の名前を呼んだのだ。小利木はなぜか嬉しそうな顔をしていた。俺は一条にはなれない。そのかわりにもなれない。でも、俺として精一杯頑張ることはできるから。「頼むぞ」というその言葉は「頑張れ」とかよりも何倍も心強かった。
「任せろ、塁。」と俺はお返しに笑顔で言った。




