群像
思わぬ出会いと話にまだ頭が追いついていなかった。が、いいやつだということはわかった。
凪野も多分、相当投げたんだろう。なんとなく、おんなじ雰囲気を感じてしまった。それでも負けるわけにはいかない。次会うときは、敵同士だろう。
楽しんではいけない。そう、俺は楽しむために野球をしてるんじゃない。
約束を守るためだ。守らなきゃいけない。
俺が今日ここに来た本当の理由。ただの散歩ではないのだ。数年ぶりに会うある人と待ち合わせている。スマホの母との会話の履歴を見るも何も変化はなく、またスマホを閉じて空を見上げる。なにげに緊張するものだ。するとこころなしか遠くの方から歩いてくる人物が見えた。でも、俺が求めている人物とは違った。
「瀬尾?」「え、佐渡島さん?ここで何してんですか。」「そりゃこっちのセリフ。瀬尾は何してんの?」
「俺は気分転換に来ました。夜景が綺麗だって小石が言ってたので」「奇遇だな。俺もだ」
そして俺達は夜景の見える柵にもたれかかった。「綺麗だなぁ」と俺が思わず口にすると、瀬尾も頷いた。
しばらくして、瀬尾が静かに話し始めた。「佐渡島さん、肩大丈夫っすか」「まぁな。今回の試合は世話になったよ。助かった」と答えた。「次の津軽新浜戦には出られそうだ。」というと、瀬尾は少しホッとしたような顔を見せた。が、すぐに視線を夜景に戻した。
二人で話すのは合宿ぶりか。あの、事故の話を始めてしたときのことだった。なぜか瀬尾にだけは話すことができた。それでも、まだいろいろこんがらがっているものがある。
「佐渡島さん。なんでそこまでして、佐渡島さんは野球やろうと思ったんですか」
唐突に聞かれた。俺は驚いてしまった。1番答えにくくて、難しくて、でも1番大きい問だったからだ。
「なんでだろうなぁ」と俺は焦る心とは反比例するようにのんびりという。すると、「なんすかそれ」とツッコまれてしまった。そしてしばらくして、言葉がまとまったからゆっくりと真実を話すことにした。
「前、事故の話をしただろ?」「はい。」「その時に、決めたんだ。」
「俺は事故から2日ほど入院し、だんだんと理解した。事故のこと、そしてかばってくれた人のこと。
そして3日目に、そのかばってくれた男性が事故の翌日に亡くなったことを知った。あまりにも、状況の流れが早すぎた。そしてまだ混乱が冷めやらぬ中、母がその人の葬式に出ると言った。それは、俺に対してひどく残酷な仕打ちとなった。」
そう、本当に残酷だった。ただでさえ、自分が生きていていいものかわからなくなっている中での事だ。
「そして、葬式会場に行くと、1人の若いお姉さんがいた。その人は亡くなったその人の彼女さんらしかった。若いけれど、1人で泣かず、堂々としていたのを覚えてる。そして、その人は持っていた何かを棺に入れた。俺はその時馬鹿だったから、空気も読まずその人に聞いてしまったんだ。」
『これ、なんですか』と。すると、その女性は優しく微笑みかけてこう答えてくれたんだ。
『野球の、グローブだよ』と。
『彼はね、野球が大好きなのよ。ちょっと怖くてヤンキー部分もあるけど、本当に野球が大好きなの。』
その人が何も俺を責めること無く、優しく話してくれるその様子に、俺が耐えられなかった。
そのグローブは、ワンポイントでトラの模様が入っているグローブだった。
『じゃあ…!!』
『じゃあ、俺が野球で、日本一になったら、この人喜んでくれますか…!!』
「ちょっと竜聖、」と母が怖い声でいった。目の前の女性も驚いたような顔をした。けれどすぐにその人は嬉しそうに泣き笑いの顔になって、『ええ、そうね』と答えた。
その数日後、病院で検査をしてもらったときに、過度な肘を使う運動はやめてくださいと医者から言われた。それでも俺は医者に食らいつくように言った。「野球は、野球はできるんですよね?!」「ピッチャーになりたいんです。どうしても!!」医者は難しい顔をする。母も、困ったような顔をしてしまった。でも、俺は昔からあまり自分の意志を言わない性格だったから、こうも全力になるのは珍しかったのだろう。母が、「少しでもできませんかね…」と隣で言ってくれた。すると、医者がゆっくり答えた。
「どうしてもと言うなら、ストレートだけ投げていいでしょう。変化球を投げられないピッチャーになりますが、それでもいいですか。」
「投げれるなら、なんでもいいです。」
そうして、ストレートだけしか投げれない佐渡島竜聖というピッチャーができた。
俺が野球をする理由、それはただ、日本一のピッチャーになるために。俺が生きてていい理由を探すために。そのためだけに野球をやっている。だから、楽しむなんて、もってのほかだ。
それから罵られても馬鹿にされても嫌われても下手くそでもひたすらストレートだけを投げ続けた。
ストレートだけで日本一、というのは馬鹿げた話かもしれない。けれど、そうしないと俺の生かしてもらえた意味がないんだ。
一通り一気に話し終えたところで、ちょうどスマホがなった。待ち合わせていた人が、待ち合わせ場所についたらしい。俺は静かに黙って聞いていた瀬尾に「悪い、ちょっと用事あるから続きはまた今度で頼む」と言って、急いで走っていった。
そうだ。俺は楽しんじゃいけない。なんのためにやってんのか、ちゃんと思い出せよ俺。
息切れをしながら辿り着いた先にいたのは、あのときの女性だった。
何年ぶりかに見るが、何一つ変わらない、その人だった。
母から、急に、「あの人が、俺に会いたいと言っている」というメールが来た。だから、ここに来た。
「久しぶりね。大きくなったわね。呼び出してごめんね、」と前と変わらない、優しい声で言ってくれた。
俺はなんていいのか答えられず、首を横に振った。すると、緊張する俺に少しずつ話しかけてくれた。
「野球やってるって聞いたよ。あの時からだってね。あの肘でもがんばってるんでしょ。野球。
きっとあの人も喜んでるよ。」
「でも、…でも、俺ストレートしか投げれないし、日本一だなんてできるかわかりません」
「やっぱりそうだったんだね。」とその人が唐突に言った。俺はえっと聞き返した。
「今日、佐渡島くんに会いに来たのは、謝るためだったの。あれからずっとひたすら野球ばっかりやってるって聞いて、もしかしたら私の言葉が呪縛となって君に取り付いているんじゃないかと思って。」
『だから、ごめんね。』とその人は頭を下げた。俺は慌てて、「だ、大丈夫ですから…!!本当に‼」と言った。「やっぱり優しいね、君は。」とその人はゆっくりと頭を上げながら言った。
「いままで、気づいてあげられなくてごめんね。でも、私本当に嬉しかったのよ。あのとき君が野球やるって言ってくれて。日本一っていうすごい目標まで立てて。まるであの人を見ているようだった。
だからもう自分を責めないで。追い詰めないで。いっそあの人のこと、忘れちゃってもいいからさ。
君は君の人生を彩っていけばいいの。その色の中にもしも野球が入っているのなら、私は嬉しい。」
「だからね、野球やっててくれてありがとう、って伝えたかったんだ。」
涙が止まらなかった。いままで付いていた枷が、全部外れたような気がした。ずっと許せなかった自分。
もう、許してもいいのかな。好きに生きてもいいのかな。
野球、楽しんでいいのかな。
小さい頃に戻ったかのように、数年ぶりに泣いた。その人は、優しくそばにいて背中を擦ってくれた。
野球楽しんでいいのかもしれない。そう思えた瞬間に、本当に嬉しくて、報われたような気がした。
そしてしばらくして落ち着いたとき、俺は衝撃の事実を知った。
佐渡島さんは慌ててどこかへ行ってしまった。取り残された俺は1人、夜景を眺める。
楽しんではいけない、か。俺もどこか似たような感情を持っているのかもしれない。父を許しては行けない、勝たなければいけない、と。楽しい、なんて感情はとっくのとうに置いてきたつもりだったのだ。
「グローブ」か。俺は佐渡島さんが言っていた話を思い出す。一つの出来事やものが、その人の人生を大きく変える。そんな話もあるのだな、と思っていた。その時、俺は一つの話に引っかかった。
「トラの模様が入っているグローブ…?」
そのグローブ、どこかで。俺、知ってる。どこで…
その瞬間、俺はハッとした。いつかの二階堂さんにつれられて、二階堂さんの弟、泉くんの野球を見に行ったときのことだった。俺はその時久しぶりに思い出したのだ。
小さい頃、父と野球をしていた頃に父からもらったそのグローブを大事に使っていたことを。そしてそのグローブは突然、母に持っていかれてしまったことを。そして同時に、父が出ていってしまったことを。
まさか…‼‼‼‼
と俺はパニックになった。思いもしない考えが、頭の中をよぎる。そんなことは、いや、でもあのトラの模様のグローブは、俺は他に売っているのを見たことがない。ならもしかしたらやっぱり…と思った先、俺何も考えず、母に電話をかけていた。最初の方は出なくて、何度も何度もかけた。
するとしばらくしてやっとつながった。
「母さん!!!!」
「澪馬…どうしたの?」
「父さんって…もしかして…出ていったんじゃなかったの…?ねぇ、そうなの!?!答えてよ…!!!
なんで父さんはいなくなったの!!!」
ずっと聞きたかったことが、ここになってやっと出てきた。一気に聞いてしまった。
母は驚いているのか、しばらく電話先で黙っていた。が、小さい声でこういった。
「いま、どこにいるの?」
「えっ」
「澪馬はいまどこにいるの?」
「えっと、甲山森林公園の軽く登ったところ、かな」
「待ってて。今行くから。」
「え?ちょっと母さん?なんで??長野じゃないの?!」
「息子をこっそり応援しに来て何が悪いのよ、」と電話先で笑う母の声が聞こえる。どうやら俺に見つからないようにこっそり試合を見に来ていたらしい。まったく、変な母だ。
そしてしばらくして、母が来た。「ここ、結構登るわね、」と少し息切れをしながら来た。
「へぇ、きれいね!!夜景、登った甲斐あったわぁ」と嬉しそうに眺める。こんなに嬉しそうな母を見たのは久しぶりかもしれなかった。そしてしばらく親子で夜景を眺めた。先ほど佐渡島さんと眺めたときとはまた違う景色に見えた。
「澪馬、ずっと曖昧にしてて、ごめんね」と母が唐突に言った。俺は、「別に、」と答えた。
「今からちゃんと言うから、落ち着いて聞いてね。」と言われてしまったが、俺はどうも落ち着くことができなかった。俺と母を捨てて出ていったと思っていた父。その本当の理由が、約10年ぶりに明かされる。
母が静かに息を吸って、言葉を紡ぎ出した。
「あなたの父さんはね、あの人は、もういないの。ここには。数年前の事故で亡くなったの。それも、」
「一人の男の子と、そのお母さんをかばってね。」
事故…かばった…。捨てたんじゃなかった。違った。父さんは、ただ誰かを守って死んだんだ。その誰かは
「その子はね、あなたのよく知っている先輩よ。佐渡島竜聖くんって子。あの子にも今さっき、ちゃんと澪馬のこと伝えたから。」と母は言った。
ずっと、ずっと勘違いしていた。ずっと恨み続けてきた父の姿が一気にはっきりと思い出される。
「澪馬、おっきくなったら、一緒に父さんと守神様に会いに行こう。きっと会えるよ。澪馬とならな」
俺の頭をいつものようにくしゃっとなでてくれるその姿をやっとくっきりと思い返すことができた。
ごめん、父さん。ずっと、ずーっと勘違いしてた。父さんは俺達を捨ててなんかいなかったんだ。最後まで守り通したんだ。
「父さんはね、ぶっきらぼうだけどああ見えて優しかったからさ。澪馬が佐渡島くんのことを責めないようにって勘違いされてもいいから大人になるまでは黙っておいてて欲しいって。だから今まで言えなかったんだけど。まさかあの子が澪馬の先輩になってるし、澪馬ももう立派になってきているし。それに、ずっと勘違いされたまんまだと、私が耐えられないような気がして。」
そう言って、母はまた謝った。「今まで黙っててごめんね。澪馬。」
俺はううん、と首を横に振る。「母さんのせいじゃないよ。」という声は少しかすれていた。
「ごめんなさい」と俺は小さく言った。母さんが真っ直ぐ俺を見る。「ごめんなさい、ごめんなさい」と下を向きながら父さんと、そして母さんに謝る。すると、いきなり周りが包みこまれた。
久しぶりに母さんに抱きしめられた。
「突然いなくなって、死んだと思うほうが変だよ。だから勘違いはしょうがなかったのよ。澪馬は悪くない。謝らなくていいの。それにね、」
「きっと父さんも、澪馬のこと恨んだりしてないわ。」
涙が止まらなかった。久しぶりに母さんに抱きしめられながら泣いた。そういえば、小さい頃も俺はあまり泣かなかった。試合に負けて泣いたところを父さんに見つかったとき、こんなことを言われたのだ。
「澪馬。泣いてもいい。泣いてもいいが、誰にも見つからないところで泣け。人前で泣くな。そうしねぇと、負けを認めることになる。そんじゃぁ格好悪いだろ」
言葉は強かったし、怒られているようで怖かったけれど、そのときに俺の頭をいつもより優しくなでてくれたことを思い出した。そこから絶対に人前で泣かないようにしてたんだ。
でも、いまだけは。




