謝りたかったから
もう打つしかない。
小利木にも瀬尾にも佐渡島にも打てなかったボールを、俺が打たなければいけない。
でも、少しだけだけどなんとなく見えた。
気のせいかもしれないけど試すしかない。
失敗するかもしれないけど、それがありえないくらい怖いけど、
「豊島くんなら大丈夫」
君はそう言うはずだから。ひるむな俺。
お互いに限界の勝負が続いているそのさなか、
観客席から高みの見物をしている人物がいた。
彼は手の甲に顎を乗せ頬杖をつきながらのんびりと見守っている。しかし、試合を見守る目つきは真剣で、楽しそうだった。
「ありゃめんどうだなぁ」
そう彼がボソッとつぶやいた。
「独学の変化球なんて打てるわけねぇだろ」
と、彼は頭の上で手を組み、伸びをする。
「ったく当たらなくてよかったぜ」
とまるで他人のことかというふうにのんびりと見守っている。しかし、ボールのミットに収まる音が聞こえるとその手を膝の上で組み直し、真剣な表情に変わった。
「でも、打てるな」
彼がそうぼそっと呟いた時、いち隣の観客が変な顔を向けた。城聖以下皆苦戦してきた八浦の球を
「打てる」と一人と観客が言ったのだ。
そりゃ不思議そうな顔もするだろう。
「独自の混ぜ球っつうもんはめんどくさいけど、 いつも見ていないところの小さな変化を見れば
打てる。でもそのポイントに試合中に気づくのは難易度が高い。だから皆打てないのさ。」
と、彼は急にその隣の観客に向かって説明し始めた。隣の観客は驚きながらも「なるほど‥」といつのまにか細かく相槌を打っていた。
そして彼はそのままほんの少し口角を上げた。「でもそれに気づくのって、案外ね、ピッチャーとかキャッチャーとか4番とかじゃなくて、外野の選手だったりするから面白いんだよネ」
そしてその視線の先には、バッターボックスに立つ、センターを守る豊島一樹がいた。
少しずつ気づいているんだ。彼のボールの違いは、足の振り上げ方が違うと。
普通ピッチャーや4番は手などに注目することが多い。そして八浦の場合、それが通じないから小利木も佐渡島も打つことができなかった。
でも、外野の俺から見ると、いつも体全身を見ているからか、足の先まで視界に捉えられる。
八浦が振りかぶった。
…足の振り上げが遅くて低めだ。小さな差だが、ここまででようやく気がついた。このときは確か、
「フォークが多い」
俺はとっさにバットを下からすくい上げるようにして思いっきり降った。
確かに手はスライダーだったかもしれない。けれど、来るボールは絶対にフォークだ。
これが違うなら終わりだ。瀬尾が潰れ、俺達が潰れ、負ける。
そんな大きすぎる賭け。でも、後輩にすげーとこ見させられちゃったからさ。俺も頑張らなきゃってね。
じゃないと、君に怒られそうな気がするし笑。
一番勝負の賭けにでた。もうどうなってもいい。
カキンッ
こわばっていた心を溶かす、久しぶりの感触とともに、久しぶりに球場内に心地良い音が響く。
走れ、俺。喜ぶ暇なんて無い。走れ。走れ。
「豊島!!!!走れぇぇ!!!!!」と心の叫び声を音声化したかのように佐渡島の声が聞こえる。
わかってるよ。と走りながらでも不思議と笑ってしまった。
ズザザーっと滑り込み、なんとか2塁まで進塁することができた。
かなりの大きなあたりだったことは、後で気がついた。
「馬鹿な」と八浦が面食らったような顔でこちらを見ている。
ベンチではみんながガッツポーズをしてくれていた。
そして俺は思い出して俺の次のやつに、なんとか工夫してサインを送る。
俺は挙句の果て足を指さして、必死に「重要」というハンドサインを送った。
ありがたいことになんとか理解してくれたらしく、ぐっとポーズが返ってきた。
それにしてもよく打ったなぁ俺。初めてじゃないか?ちゃんと役に立ったのって。
こんなに心地良いものだったんだ。こんなにうれしいものだったんだ。野球やって、彼女ができて、別れて、後輩ができて、3年になって、甲子園に出て。そしてやっと目の前のちょっとした喜びや幸せを実感できた。だから大きな成果だな、と少しだけ俺は自分自身を褒めてあげることにした。
「君、なんでこの子が打つってわかったんだい??」隣のおじさんになおも不思議そうに聞かれる。
「いやぁ、わかっちゃうもんですよ。いろいろやってると」と俺はもったいぶって答える。
「君、なにもんなんだい?野球やってるんだろう?」
「さぁ?まぁ、ピッチャーですけど」
「普段はただ青森の田舎で楽しく野球やってる人間ですよ」
「はぁ、」とおじさんはよくわからんとばかりに首をひねった。
そしてしばらくの間試合展開を見守っていると、急に先程のおじさんがこちらをバッと向いて
「青森ってまさか君!!津軽…」といいかけたところで俺が遮る。
「しっ。ほらちゃんと試合見てください。彼打ちますよ」と俺は視線を試合から離さない。
途中で止められてなにかいいたりなさそうなおじさんは不満を見せながら試合に向き直った。
カキンッと音が響く。またもやあたりだった。
「ほら言ったとおりでしょ。このチームは1人が打ち始めると、そのあとよく続くのが長所だという情報があります。そのとおりっすね」と俺は笑う。
そして俺は観客の視界を遮らないところまで座って移動し、すくっと立ち上がった。
おじさんが、「君、試合まだ終わってないよ」と呼び止めてくれた。俺は簡潔に説明した。
「多分、このまま俺の予想だと城聖が勝ちます。そしたら一刻も早く、対策したいじゃないっすか。
次の対戦相手として。」
「次の対戦相手ってまさかやっぱり君…」怪盗は名乗らないからこそかっこいい。
「良かったら俺の出る試合も見てください。きっと楽しませますから」
それじゃっと俺は軽く会釈して、観客席をあとにする。と同時に、すごい歓声が湧き上がった。
「打ったか」と思い、俺はスタジオ外に出る。そしてある男に電話をかけた。相手はすぐに出た。
「茅森、城聖が勝った」
「海。お前ネット速報より速いってどゆことだよ」「見に行ってた」「はぁ?!」「だからお前今日ずっとホテルにいなかったのかよ」「今日はミーティング無いからいいだろう」「一言言えよ一言!!!」
「うっせ」
ブチッ
全く俺のバッテリーは丁寧なほどうるさい。まぁキャプテンだからこの性格なのも承知なんだけれど
やはりめんどうくさいからまだなんか言ってたみたいだったが、電話を切らせていただいた。
すると隣では先程の俺のように男子高校生と、大学生らしき男性が大きな声で会話をしていた。
「犯罪かしらねぇ」とか思いながらも俺は通り過ぎて茅森のまつホテルへと戻っていった。
久しぶりに、野球を見ていた。試合を見ていた。みんなを見ていた。
あぁ、瀬尾くんがんばってるなぁ。あ、塁三振してんじゃん笑
誰にも見つからないように。自然に。自然に。いつかの夜練のとき、佐渡島さんに「お前も見に来いよ」
と言われたから、来た。見るだけで、会えとは言われていない。なら大丈夫だ。
そうして試合が終わってホテルに戻ろうとしたとき、道端で急に誰かに腕を掴まれた。
「うぇッ?!」と思わず変な声が出てしまった。内心誘拐犯かとドキドキしていたが、その声が発せられて、顔を見た瞬間、すべてを思い出した。
「一条…だよな…?」
「溝口先輩…?」
その人はかつて、俺達に部活内で苦痛を与えたメガネを掛けた変わらない、元副部長だった。
記憶が蘇る。顔が青ざめていくのが自分でもわかった。なんで、なんでここにいるんだ。この人が。
腕をふりほどいて逃げようとするも、離してくれない。
「ちょっ待ってくれ!!悪いことはしないから。話を、聞いてほしいだけなんだ。」
「あそこのカフェでなにか奢るから、少しでいい。時間をくれないか」
2年前の部長の隣で暴言をはいて部長の暴力を見て見ぬふりをしていた溝口先輩とは、違うことを理解した。とはいえ、トラウマは消えない。少し考えたあとで、俺は決めた。
「少しだけなら」
そのあと、溝口先輩はコーヒーを買ってきて、近くの公園へと行った。そして向かい合って改めて真剣に話し始めた。
「改めて、時間を取ってくれてありがとう。」と先輩はかしこまって言った。やっぱり、前の先輩とは違うものを感じた。「単刀直入に用件を言わせてもらう」と言われ、何かと身構えていると、いきなり先輩は俺に向かって深々と頭を下げた。驚いている俺に向かって、先輩はひたすら言葉を紡いだ。
「すまなかった。お前が部活をやめたのは、俺達の横暴のせいだとわかっていても、逆らえなかった。
止めることができなかった。本当に申し訳なく思っている。」
「なんでいまさら、頭下げに来たんですか」口から出てきたのは、許しの言葉ではなかった。怒りだった。
「なんでいまさら!!!!!」自分でもこんなに怒ったのは久しぶりだった。今まで溜まっていた言葉が喉を伝ってスラスラと怖いくらいに溢れ出てきた。
「俺は、俺達は、希望と夢を持って高校に上がって、そして野球部に入りました。ここから始めるんだと、固く決意したんです。でもそれは半年もたたずに、粉々に砕かれました。半年ですよ。短すぎませんか?先輩方は、3年間、好きなように思いっきりここで野球をしてきたんだと思います。でも、俺達は半年です。
俺達の過ごすはずだった3年間、返してくださいよ」
「返してくださいよ!!!!!!!」
一気に言ったので、息切れがしていることに後で気がついた。その様子を、溝口先輩も重く見ていた。
「言い訳はしない。本当に申し訳なかった。と言われても、許さなくていいから。」
と溝口先輩はゆっくりと言葉を選んでいく。俺は怖いほど冷静に自分の気持ちを返していた。
「許す、許さないの問題じゃなくていいです。ただ、俺が先輩に思うことがあるというなら…」
そうだ。これだ。これだったんだ。
「先輩方にも謝ってください」「え?」と溝口先輩は戸惑う。
「佐倉さんや佐渡島さんと豊島さん、そして日向さんに俺のように、いや俺の3倍以上の気持ちを込めて謝ってください。先輩方がどれだけ耐えてきたか、俺は見てたんです。あの日向さんだって責任を感じて辞めたんだと佐渡島さんから最近になって初めて聞きました。」
溝口先輩の目が少し大きく開く。やはり心当たりがあるのだろう。
「俺じゃなくていいから、先輩方の時間を返してくださいよ‼‼それができないのなら、それ相応のものを返してくださいよ‼‼」
気持ちを言葉にして先輩にぶつけながら勝手に涙が出てくる。これが俺の中にあった怒りなのか、と言葉にして初めて知った。
溝口先輩はしばらく黙ったあとこう言った。
「4人にもみんなにも必ず謝る。それにしてもすげぇよな、あいつら。こんなとこまで来て」
そういいながら球場を見る。きっと溝口先輩も試合を見てきたのだろう。
「俺達じゃ無理だったな。」と少し寂しそうな表情を見せた。この人もきっと、夢があった。希望が会った。もし佐渡島さんたちと同じ年代だったら…そんなありえないことを考えるのも変だが、きっとこの人は
違う部活人生を歩んでいたのではないだろうか。そう考えると、溝口先輩も少しかわいそうに思えてきた。
「俺も、他の奴らも、部長の山科の横暴がおかしいことに気づいていたんだ。でも、止められなかった。止めるべきだったのは日向じゃない。俺なんだよ。」
そして、そんな勇気もないから、もう野球をやる資格もあいつらを応援する資格はない。と言った。
俺は何も言わなかった。もう一生、関わりたくないと思った人間に、同情することが難しかった。
それでも、ラウンドの上ではきっと、誰もが平等でいなければいけないから。
「じゃあせめてもの償いとして、見届けてくださいよ」俺は静かに結論を出した。溝口先輩は少しためらい、「でも…」と言いかけたが、俺は遮った。
「瞳をそらさずまっすぐに見るっていうことも、一種の試練だと、僕は思ったので」
そう。だから、俺は部活をやめたあとも佐渡島さんと佐倉さんにお願いして、夜の100球練に付き合わせてもらったのだ。正直、苦しかった。目をそらしたかった。けれど、見なければ行けないと思ったから。
塁に、いつか謝りたかったから。




