自慢の弟
くそ、羽角さんのナックルカーブが読めない
打てない
6回までずっとこの調子だ。ある意味接戦だろう。
羽角さんのボールはキレが落ちるどころかだんだん強くなってる気がする。
小利木さんからかろうじて塁にはでられるようにはなってきたが、
それに対して俺は‥‥
先ほどから息切れが止まらない。
ハァ、ハァとリズムよく刻んでいく。
暑い。汗も止まらない。なんで羽角さん、そんな涼しい顔をしてられんだよ。
颯からのサインを読み取り正確に投げるだけで精一杯だ。正直、きつい。
さっきベンチでも佐渡島さんに言われてしまった。「瀬尾、無理するなよ。二階堂も待ってる」
「いえ、二階堂さんはなるべく満タンで次の戦力に‥」
「ここで負けたら次はないけどな」
佐渡島さんは苦笑する。確かにそのとおりだ。
「んじゃ最悪8回までは投げろ。どうせお前止めても頑固だから投げんだろ」
佐渡島さんがあきれたように言った。
俺はまだ投げられるんだと少し安心して、「はい」と返答した。すると急に笑いながら頭を冷たいタオルでぐしゃっとされた。
「相変わらず可愛くねぇ後輩」
「やめてください」
佐倉さんが笑いながらこちらを見ている。
そして試合が動いたのは、その8回だった。
また目の前にはあの八浦がいる。
そして明らかにやはりオーラが違った。
絶対こいつは俺の暑さの限界に気づいてる。だからより強力に打ってくるだろう。せっかくここまでゼロゼロで引き分けてんだから、きっとここで打たれたら終わりだ。負けが確定するだろう。
まずはスライダー。ボールになってしまう。
最初の頃とわけが違う。正午過ぎ、更に太陽が高く上って俺達をまっすぐ照りつける。
日差しが痛い。汗も止まらない。目の前がぼやける。ここでまた八浦に粘られたら今度こそ俺は終わる。
ここが正念場、そんなことを頭でぐるぐる考えていると、不意打ちで城聖のベンチから
「タイム‼」という佐倉さんの声が聞こえた。
フッと我に返り振り返ってベンチ側を見ると、1人の人に、みんなが集まって注目しているようだった。
「氷持ってきて!早く!!」佐倉さんが2年の先輩に指示を出しているようだった。
氷…まさか…
八浦は表情を変えずに首を傾げる。
一瞬最悪のシチュエーションが思い浮かぶ。観客席が異変に気づいたらしく、ざわざわし始めた。
審判の引き止めにも応じずに颯がベンチ側に駆け寄るのが見えて、俺も無我夢中でベンチに走った。
息を切らしながら颯と近くにいた佐倉さんに声をかけた。
「…佐倉さん‼何が‼」
「‼…瀬尾と三山」
佐倉さんは驚いたような顔をするも、すぐに厳しい表情に変わった。
「二階堂が倒れた。熱中症だ。」
「えっ…」
嘘だろ…
「二階堂はずっとベンチにいた。動かない分レギュラーメンバーよりクールダウンが行き届いていなかったんだ。動かないことで熱もこもりやすい。だから倒れた。」
佐倉さんが避けたことで、少し隙間ができた。そこから覗いてみると、確かに二階堂さんがぐったりしており、小利木さんに支えられながらクールダウンしていた。
二階堂さんがいないと、肘の心配もある佐渡島さんも投げれないからピッチャーは実際俺だけになる。
とにかく二階堂さんの状態が心配だ。俺もギリギリなのにどうする、颯も厳しい顔をしていた。
すると小利木さんが二階堂さんを内室に移動させようとしたとき、振り向いてこう言った。
「律は大丈夫だ。俺に任せろ。だから少し不安はあるが佐賀加唐はお前に任せる。いつものその頑固っぷりで加唐ぶっ潰してこい‼」
「…はい‼‼」
俺と颯は力強く返事をした。
あと小利木さんが初めて二階堂さんのことを「律」と力強く呼んだのを初めて聞いたのは、俺の気のせいかもしれないけれど少しずつ絆というとなんだかうさんくさく聞こえてしまうが、そういうものができていると思うと良い力になった。
再び試合再開。
八浦は何もなかったように安定のバッティングで粘ってくる。
あいっかわらずイライラするバッティングをしてくる。
そしてフルカウントのまま2球ファールになったあと。
俺はフォークを投げた。
「…‼汗で!!」
汗でボールが滑った。まずい、甘いボールになる。打たれる。
そして最悪の事態が起こった。そのボールは八浦のバットに確かに跳ね返り、センターの方へと飛んでいったのだ。
「光哉‼‼‼‼」バッと俺が振り返ると、すでに八浦の打球は高く舞い上がっていた。
先程の八浦が出塁した打ときの球より高いかもしれない。
光哉には取れない。終わりだ。ホームランだ。せっかく頼まれたのに、負けてしまった。
ただ呆然と後ろを見つめるしかなかった。
するとなんと、光哉が全力疾走しているのが見えた。何してんだよ光哉。どんなに走っても取れない。
それでも光哉は速度を変えず全力で走る。
おい…そっちは壁だぞ…‼‼‼…このままつっこむとぶつかる‼‼怪我につながる…!!!!
俺の声はかき消えて出ない。すると少し離れたところから成斗が「光哉…‼‼」と叫んだ。すると
近くの颯も「光哉‼‼前見ろ‼‼」と必死に叫ぶ。しかし光哉は止まらなかった。
「おい‼‼‼‼光哉ぁぁぁ‼‼‼」
ごめん。ごめん、ごめんごめん。みんな心配してくれてる。みんなの必死に止める声が聞こえる。
ごめん。今は止まれない。でも、ありがとう。心配してくれて。
僕はずっと臆病で、何もできない人間だった。だけどね、それでも僕は捕り続けた。いつかこんな僕でも光ることができるんじゃないかって、心の何処かで信じてきた。背が低くて、役に立てなくて、うまくいかなくて、周りに否定されるたびにそれがちょっと傷ついてしまうこともあったけれども、それでも野球はやめなかった。
なぁ、姉ちゃん。見てる?見ててくれてる?僕、ちゃんと甲子園まで来たよ。今の状況、姉ちゃんなら何て言うかな。やっぱり「危ないからやめなさい」っていうかな。それとも、ただ「頑張れ」って言うかな。
どっちでもいいよ。僕の野球はもう僕だけのための野球じゃない。頼れる友達とか、面白い友達とか、優しい友達とか、かっこいい先輩とか、僕に野球を教えてくれた姉ちゃんとか、みんなのためにやってる。
だから、僕が今できる最大限のことをしたいから。
僕は大空に向かって飛び出した。今までで1番飛べた。眩しい太陽にも負けなかった。
ゴンッという鈍い、大きい音がして、肩と腕に激痛が走る。痛みに顔をしかめるも、それでも伸ばす手は止めなかった。力を振り絞って体ごとボールに飛びつく。
お願い。届いて。届いて。届けぇ‼‼‼‼
そのまま地面にドサッと倒れる。「っっ‼‼」肩の痛みが増し、地面に倒れたまま腕を抑えうずくまる。
審判が駆け寄ってくる。「大丈夫か⁉」という声とともに、僕のグローブを確認する。僕自身、ボールを確認する余裕もなかった。
審判がしゃがむ。そして驚いた顔をして、すくっと立ち上がった。
観客と、八浦と、澪馬と、他のみんなが一斉に審判に注目する。
判定は、アウトだった。
光哉のグローブには、ボールがしっかりと掴まれていた。
少しの沈黙の後、「ワァァァ!!!!」とこれまでにないような歓声が沸き起こった。
1番低かった人間がすべての力を出し切って、1番高く飛んだのだった。
「光哉…すげぇ‼‼」「光哉…‼‼‼」颯と成斗が興奮した声を出した。二人の顔は久しぶりに明るくなった。
俺はほっとするとともに、光哉にありったけの感謝をした。八浦はさすがに少し悔しそうな表情を見せた。
光哉は手当をするために、ベンチに下がった。その後も、しばらく会場の興奮は収まらなかった。
光哉がつなげてくれた。まだ負けてない。まだ終わってない。
ラジオから、興奮した声が聞こえる。
「戸賀選手…壁に激突しましたがどうでしょうか…」
「…とっています‼‼なんと戸賀選手、ボールを掴んでいます‼‼‼」
私はよしっとガッツポーズをした。
「戸賀選手、かなりの低身長でのセンターとなっていましたが、誰よりも高く飛びましたね…」
「いやぁ、ものすごいプレーを目にしましたね…」
「もうあの瞬間の戸賀選手、太陽に照らされて名前の通り光って見えましたよ笑」
「本当にあれは壁への激突の恐怖との戦いもありましたからね…よく飛び込んだと思いましたよ」
「もしかしたら、あの瞬間、彼自身が光輝いたのでは無いでしょうか?」
「そうかもしれませんね笑」
二人の解説者がテンポ良く会話していく。私は車の運転をしていたから、テレビでは見えなかったけれど
ラジオではしっかりと聞いた。
「よくがんばったね、光哉。ちゃんと私との約束通り、光輝いたじゃない」
「それでこそ我が弟よ」
私は嬉しくなって1人で笑ってしまった。
ずっと返していないメールの返信。申し訳ないけど、なかなかできなかった。する勇気がなかった。
返ったら一言、ねぎらってあげようかな。
ちゃんとテレビでもハイライト、見返してあげよう。
私の代わりと言ってもあれだけど、ちゃんと野球続けてくれてありがとう。
途中であんなことになって、ごめんね。
でも、あの低身長でセンターをよく守りきったね。光哉が小学生の頃から泣きながらもずーっと努力してたの、お姉ちゃん誰よりも見てたから。
ちゃんと自慢の弟だよ、光哉。




