忘れ物に気づく
俺は帰って気づかないほどのスピードで寝た。
自分が思っているよりも体は疲れていた。
当たり前だ。あの諏訪第一と戦ったんだ。
疲れるのも当然だった。
今日一日は休みで、明日は会議、明後日は全国大会の開会式だ。この長野の地を離れて阪神甲子園球場へと向かわなければならない。
今日のうちに荷物整理をしてさっさと体を休めとこうと思いリビングに行った。
そういえば高校に入ってからの遠征はこれが初めてかもしれない。
交通費などを母にねだるのは少々申し訳なく思ったがまた怒られそうだったので置き手紙をしておいた。
そして俺は久しぶりにスマホと財布以外は何も持たずに家を出た。
ゆっくりおきたから、もう太陽は高いところに昇っていて影が短かった。
久しぶりにこんなにゆっくりな時間の流れを感じた気がする。すると目の前を、まだ小学生低学年くらいの子供達が何かを手に持って走ってきて、俺とすれ違っていった。俺は思わず振り返った。
みんな夏休みに入った今、思い思いの時間を過ごしている。
しばらくその背中を見守ったあと、また歩き出そうとすると、先程通った小学生と思われるこの一人が
「あれ?」と言って止まった。
何だ何だと思いながら立ち止まり、また振り返ってみると、その声の主はなんとこの前会った二階堂先輩の弟、泉くんだとやっと理解した。
「やっぱり!この前の泣いてたお兄さんだ!」
「えーこのお兄さん泣いてたの?」
「うん。だから僕がハンカチ貸してあげたんだ!」
こうもこの前の隠したい事実を泉くんにきれいに自慢されてしまうと否定もしづらくなる。
「泉くん、夏休み?」と聞くと、「うん。お兄さんも?」と聞き返された。だから、そうだよ、と答えた。
泉くんが手に持っているものを見ると、少し溶けかかったアイスだとわかった。
「このアイスね、夏休みのときだけあそこのスーパーちょっとだけ安くなるからお母さんに買っていいって言われたんだー!!」
なんとも耳寄りな情報を小学生から聞いた。「まじ?ありがと」と俺は短く返事すると、そのスーパーに向かおうとした。
するとその背中に泉くんの大きな声届けられた。
「あそうだ!律にいがお兄さんのこと言ってたよ!」
「僕なんかよりも、何倍も頼りになるって!」
二階堂さんがそんなことを…?
「でも僕は律にいのほうが頼りになるって思ってるからね‼!」と念を押されてしまった。
正直、先輩に認められて嬉しくなってしまった。いままで誰かに褒められるのは上から目線だと決めつけて嫌いだった。けれど、今回は正直に喜んでしまった。
二階堂さんは確かに公式戦の経験は俺より少ない。甲子園という舞台で、必要以上に緊張しているようにも見えた。けれど、球筋は良い。
投球面以外では俺の何倍もかけ離れた長所を持っていると素直に認められてしまう。
二階堂さんも、もちろん他の人も、もしかしたらバスケとか、バレーとか、あるいは剣道とか弓道とか。
なにか別の「才能」を発揮できる物があったかも知れない。あるいはもうそれに気づいていた人も中にはいたのかも知れない。
それでも僕たちは城聖で野球をしている。
自分たちの選んだラウンド上で野球をしている。
スーパーから出てきたばかりなのに、少し考え事をして立ち止まっていただけでアイスがもう溶けかかっていた。そういえば今思い返すと、先程の泉くんたちの持っていたアイスも結構溶けていたなと思うと、一瞬笑いそうになってしまった。
父が家を出ていってもう8年。
時が立てばもっといろいろ分かるようになって、段々と楽になるのだと思って過ごしてきたが、実際は逆だった。時間が立てば立つほどいろいろわかるようになって、自分に目を向ける余裕なんかどっかに置いてきてしまったらしく、余計なことまで考えてしまう。
いつもより低く飛行する飛行機に驚いたり、またいつもより遠くにある小さい飛行機を見つけて勝手に喜んだり、またそれを隣りにいる人と見上げて笑ったり。
そんな余裕も置いてきてしまった。
どこに置いてきてしまったのか。
守神様なら、こう答えるだろう。
「ラウンド」だと。
今年は、行けるところまで行ってみて、そこで忘れ物を返してもらおうか。
それまで、どうか預かっててください。これからがんばって取りに行きます。
俺は自分のアイスを食べ終わった。しかし手に持っていた母の分のアイスが溶けそうなことにまた気づき、早く冷蔵庫に入れなければと思わず走り出した。
夏は、暑い。そして、熱い。
そして次の日、俺達は作戦会議のため部室に集まった。最初に、皆が1番気になっていた事が発表された。
「俺達が阪神甲子園球場で一番最初に戦う相手が発表された。」
佐倉さんが静寂の中告げる。皆が息を呑む。
「茨城の、神栖工業高校だ」
強い。多分どの学校の名を呼ばれてもそう思ってしまう。しかし、神栖工業は別格だ。
そしてハっとなり気がついた。隣の颯を見る。それは数ヶ月前の颯の話を思い出したからだった。
「神栖工業の新田監督に中学のクラブチーム時代、教えてもらってた」
俺が初めて颯のキャッチャーとしての思いを感じ取った時、こんな事を話していた。
たしかその中でもレギュラーを取っていたとも話していた。しかし、颯はこんな疑問もつぶやいていた。
「俺より良いバッテリーあったはずなのに、なんで新田監督は俺をずっとレギュラーに置いてくれてたのか今でも不思議なんだぜー。いつか聞いてみてぇなぁ」と懐かしそうに笑って言っていた。
そんな颯の顔が今、一瞬曇った。しかしそれを見ていた俺の視線に気がついた颯はすぐ苦笑いをしながら
「新田監督に聞きたいけど、ちょっと怖いな」と小声で言った。
俺は佐倉さんの話に耳と目を傾け直しながら俺はこう言った。
「聞けるよ」
俺なりに一応大事なバッテリーに少し励ましを与えたつもりだったのだが、うまく言えず伝わったかどうかわからない。
けれど、颯はいつものやわらかい小さい子供のような笑顔に戻って、「そう願ってみるわ」と言った。
バッテリー。
どちらが欠けても成り立たない二人。
颯の中で、この言葉に野球人生で1番悩んできたものだということは、颯自身とそれから、
新田監督しか知らない。




