吹くはずのない風
小利木さんがバットを一回振る。普段はあまりしない仕草だった。
そして息を吐きながらしっかりとバットを構えた。
宮峰が1球目を投げる。しかし小利木さんのバットは動かないままストライクが入ってしまう。
このままだと、というあまり考えたことのない敗北の未来を描いてしまった自分の頭を殴りたかった。
今は悔しいけれど、小利木さんに出口を作ってもらうしかない。
1球目のストライクを見逃しても、小利木さんの表情は変わらなかった。
そして2球目、俺は思わず目をそらしてしまった。
しかし聞こえてきたのはいつも数メートル先で聞いているミットにボールが収まる音ではなく、ひさびさに聞いたボールがバットに当たる音だった。
9回。ここで俺が打たないと終わり。皆は4番の俺に期待をしているはずだ。
責任が重い。日向さん、あなたもこんな責任を負っていままでここに立ってたんですか。
それを俺はただたくさん打てるという理由で1番頼っていいと勘違いしてしていた。
立場なんて、実際になってみないとわかるわけない。だから、小利木頑張れ、とか大丈夫だよ、とかいう第三者目線の言葉は昔から嫌いだった。
でもここは違った。城聖は応援の言葉をあまりかけない。その代わり、ずっと目を離さず見てくれる。
見届けてくれる。
瀬尾、お前が今目をそらしたの、見えたよ。今はまだ、1年だからしょうがないのかもしれない。
でも俺はもうそらさない。多分、怖くて逆にそらせないんだ。何か大事な物を見逃してしまいそうで、その人の何かを、見逃してしまいそうで。
見る、というのが1番の証拠だと思う。今だから、そう自分の中で勝手に考えているのかも知れない。
だから瀬尾。
お前もいつか、誰かに見てもらえるようなピッチャーになれ。
俺もまだ2年だけど、4番として、見て欲しい人にいつか見てもらえるようにするから。
宮峰が1球目を投げた。
そしてミットの中にボールが収まった。
これは打てなかったんじゃない。俺の仮説が正しいのか見ていただけだ。
ずっと宮峰の投球を見ていると、なんとなく癖がわかってきた。4番という場所はそういう工夫も含めて務めている。
宮峰の1番得意で使ってくるスライダーを見てみた。
すると、ある組み合わせの法則を見つけた。宮峰は、コースや球速を操ってくるから俺も含めて皆打てなかった。しかし見ていくと、主に3種類だとわかった。そのうちの2種が王道。
甘めのコースに刺さるような球速で食い込んでくるもの。
大きく曲がるが、球速は球がゆっくり追えるほどのゆるさのもの。
そしてたまに投げてくるものはそれらを組み合わせた最強の球。
刺さるような球速かつ、とても食い込んでくる球だ。しかし、それを投げるときにはある癖があった。
注目したのは、手元のボールだ。
俺は運がいいことに目がいいからピッチャーの手元が見える。
宮峰が最後の最強のスライダーを投げるときには、必ず球をいつも投げている握り方よりも手首に角度をつけて握り直している。
この握り方は手首への疲労と負担を重ねるから、やはり球にしか投げることができない。
だからこの握り方をした時、大きく曲がる、かつ球速の速いスライダーが俺の脇腹をかすめることが予想できる。
そして2球目。 それが来た。
俺は宮峰がボールを手から離す直前、俺はインコース側のボールを打ちやすいように少し外側でバットを構え直した。
そして宮峰がいつもやっているように、タイミングを早くバットを思いっきり振った。
すると同時に、俺の頭上を今しがた手元で跳ね返したボールが雲の切れ端をかすめていくように見えた。
そしてそのボールを目で追っていくと、諏訪第一の外野の頭上をゆうに超えていった。
俺の中で、何かが突き抜けるような感触がした。
それは俺の、甲子園という大舞台での初めてのホームランだった。
小利木さんのボールが高く、高く空に舞い上がった。
それは外野の頭を抜けた。
今試合、城聖初のヒットはまさかの小利木さんのホームランとなった。
小利木さん本人もさすがに驚いたようだったが少しなにか言い聞かせるようにほほえみながらベースを走り、帰ってきた。
「小利木、よくやったな」と佐倉さんたちメンバーに声をかけられ、嬉しそうにしていたのはイライラした。
そして小利木さんがこういった。
「帰ってくることができて本当に良かった。今から俺が見つけた宮峰の最短の攻略法を皆に伝えます。」
そして3年を中心とし、俺らは小利木さんが小利木さん直伝の攻略法を使い、みるみるベースを勧めていった。宮峰の表情には笑みはなく、かといって怯えも見られないのが逆に少しすごいとも思ってしまった。
そして俺達は2点返し、佐渡島さんもラスト、やはり誰も手を出させずに安定してアウトを取った。
この瞬間、俺達城聖の甲子園全国大会への出場が決まった。
そしてまさかの、全国常連校諏訪第一高等学校の敗退が決まった。
試合直後、佐渡島さんが整列しながらこういった。
「持ち味の球種が俺みたいに一つしかないピッチャーは、1度崩れるとああなる。だからその一つに命かけるしかないんだよ」
整列の時、少し、諏訪第一の方の整列に時間がかかっていた。
皆、涙を流していた。肝心の宮峰の表情は、こちらに背を向けていたため見えなかった。
そして整列して正面を向いた時、宮峰はこちらを見た。口を固く結んでいた。
そして審判から礼、という声がかかって帽子を取って俺は深く、頭を下げた。
そして隣の颯に小さくこづかれて「もう顔上げていいから」と言われ、顔を上げた瞬間、目の前に一雫の水滴が落ちるのが見えた。
目の前の宮峰が深く帽子を下げていたが、その隠れた目から流れ落ちた涙だとわかった。
そして握手をしたら、宮峰は小さい声で一言こういった。
「勝てよ」
俺は考える前にとっさに返事をしていた。
「わかった」
この試合で初めて出会った諏訪第一の選手たち。しかし、この一試合で宮峰を含め皆がどれほどの思いを賭けて甲子園という舞台に立っているのかが伝わってきた。
それらを全部持って俺はそれを踏みしめて上の全国という大きな地で戦わなければならない。
ここから、進み続ける。
すべての球児の夢の舞台へ。
千草に勝った。ちーちゃんに勝った。不思議な気持ちだった。
全国。俺には届きそうもない舞台だった。考えもできないような高い高い舞台だった。
嬉しいことには変わりない。しかし、やはり複雑な気持ちがほんの少しだけあった。
いままでずっと支えてもらっていたちーちゃんに勝った。なんて声をかけるべきだったのだろう。
俺の中で、「なりちゃん!」と笑顔で声をかけてくれる宮峰の姿で止まっている。
そんな事を考えて退場して変える準備をしていると、ちょうど目の前に千草がいた。
目があって、少し気まずく感じてしまった。
しかし、千草はいつもの調子で「あれ?なりちゃん背のびた?」と聞いてきた。
だから「えーそうかな」と俺は笑った。いつの間にか一年前の俺達に戻っていた。
そして軽く話が弾んだあと、千草は落ち着いていった。
「今日は負けたよ」
俺は何も言えなかった。千草は話を続けた。
「俺、お前がいつも迷惑かけてごめんって謝ってた理由、ようやくわかった。
俺も今日、先輩たちに頭下げて全力で謝ったんだ。心の底から謝りたかった。先輩たちは優しいから、しょうがないよって言って泣きながら俺の頭をなでてくれた。伝わってほしい一心だったんだよ。」
千草はいつも勝っていた側だから、迷惑ではなくむしろ勝利を与えていた。だからこの弱虫な敗北者の立場はわからなかったのかも知れない。
俺は久しぶりに思い出したことを、順にゆっくりと口に出していった。
「あの時、急に怪我で野球やめちゃってごめん。なんか、ちーちゃんたちみたいになんていうんだろう、
キラキラ野球している人たちをまっすぐ見れなくなったんだ。
それまでもいろいろ守備とかで迷惑かけたし。」
すると、いきなり千草に頭をコツンと叩かれた。
「さっきの俺の話聞いてた?お前がやめた原因、あれだろ。監督の言葉」
俺は驚いてしまった。あの時言われた監督の「信じてたのになぁ」にショックを受け、足の痛みや誰がいたかも覚えていなかった。
あのときも千草はいたのか。
「言っておくけど、俺はお前の信頼があそこで終わったなんて一ミリも思ってないからな。」
千草はわざと頬を膨らまして怒るふりをして言った。
「成斗の代走はめっちゃ心強かったし、守備のミスなんて殆ど覚えていないし、なんせなりちゃんがんばりやだからさ、ファーストなってくれるって聞いて正直楽しみでもあったんだぜー」
「だから、もう自分を責めんな。周りの信頼をもっと信頼しろよ。今のチームだってなんか佐渡ヶ島さんとか変な面白そうな人たくさんいそうじゃん。」
と言われたので思わず泣きそうだったのに笑ってしまった。
すると千草は、「あ、俺もう行かなきゃ」と言いながらUターンして自分のチームを追いかけようとして、また俺を振り返った。そして優しく笑いながら言った。
「成斗は、まず成斗を信頼すること。いいな!」
そう大きく手をふってくれた千草は、相変わらず眩しくて、優しくて、キラキラしていた。
でも、俺も気づいてたよ。ちーちゃん今日の試合後泣いたでしょ。
滅多に泣かないちーちゃんの目元が少し赤いの見えたよ。
ちーちゃんがいろいろなことを教えてくれた気がする。ちーちゃんに俺は勝った。
でも多分、俺は1番勝たなくてはいけないのは俺自身だと思った。俺自身の信頼が、1番必要だった。
カバンを持って外に出た。先程まで見ていたのに、長い時間千草と室内で話していたからか、久しぶりに太陽を見た気がして手をかざしてみた。
たぶん、急がなくて良い。ゆっくりでいい。信頼なんて、完璧を求めなくて良い。
久しぶりに、多分あの日以来、初めてなにか心に刺さっていた細かいトゲが全部抜けた気がした。
大きく息を吸い込むと、真夏とは思えない涼しい風が吹いて一瞬自分を突き抜けていくような、押されていくような気がした。
その心地よい風を感じていたら、遠くから颯がまた
「おい成斗ー!早く帰ろーぜー!」と大声で俺を呼んだ。
俺の中でゆっくりと動き出した明るい感情と反比例するように、俺の足は俺を信頼しようとしてくれている仲間の元へ、勢いよく駆け出していっていた。




