一番残酷な選択
甲子園予選が始まる前に、もう一つ俺にとって大きなイベントがあることをわすれかけていた。
定期試験だ。
もし赤点をとって夏休み補習コースにかかったら野球の時間が減ってしまうから
かからないように、と佐倉さんに念を押されて思い出してしまった。
それだけは免れたいから俺はとうとう勉強に手を付けた。
が、集中力が続かない。
まず問題が解けない。颯にメールを送るのは何故か自分のプライドが傷つけられる気がして、光哉に問題の写真を送ったら、案の定丁寧に解説が返ってきたので助かった。
そしてついに試験が終わり、結果と上位順位が発表された。
ちょうどそれを見に来た成斗に「あれ、瀬尾くんやつれた?」と聞かれたが、成斗もそんなふうに見えた。
「成斗、順位どうだった?」と聞くと「152人中78位。微妙だった」と言った。
「瀬尾くんは?」と聞かれ、「俺は108位。ギリギリ補修回避…」と答えた。
そして二人で人が群がっている順位表を見てみると、もう見なかったことにしたい結果が目に飛び込んできた。
「2位 三山颯」
まじか。
「5位 戸賀光哉」
これは納得できる。いややっぱり納得できない。なんで光哉より颯のが上なんだよ。
あとで問い詰めてやろう、そう思った時、成斗が
「瀬尾くん!!みて!!」と言って複数の箇所を指さした。
そこにもあった。
「1位 佐倉塔矢」
「15位 佐渡島竜聖」
「16位 豊島和樹」
見なかったことにしておいた。
すると、隣の2年生の欄に
「3位 二階堂律」という字も見つけたのでこれもまた見なかったことにしておいた。
そして午後の練習に行った時、成斗がとほほというように「なんでうちの野球部ってみんな頭いいの‥?」と聞いてきた。
こればっかりは俺にももうわからない。
2人で格差にため息を突いていたところ、その様子を見ていた二階堂さんが後ろから衝撃の一言を放った。
「大丈夫だよ。小利木なんて最下位から3番目だったよ。この前まで2番までだったから上がって喜んでたから(笑)」
俺は初めて小利木さんに感謝をした。
人は、自分より下を見つけると安心するものだ。
小利木さん以外の補習を免れた全員が練習に打ち込んだ。
小利木さんも3日間の補習を終え、清々しい顔をして練習に参戦した。
そこからは怒涛の練習だった。
帰ったら夜ご飯を食べる気力もなく布団に倒れ込んだ。
自主練で遅くまで残って帰ったときは同じく遅く帰った母と同じくらいになった日もあった。
そんな日は母に驚かれて適当に一緒にラーメン茹でて食べて寝た。
なかなか喋る機会がないから、ふと気になったことを聞いた。
「そういえば、昔のグローブどこにやったの?」
母の箸が一瞬止まったが、すぐラーメンをすすり始め、「どっかやった、」と短く答えた。
それ以上は何も聞かなかった。
夢でも野球をしていた。
もう野球のことしか考えていなかった。
そして予選前日。
夜にいつものランニングをしていて、ふと気になったからまた少し違う道を辿って、前の公園に来た。
すると、また佐渡島さんが佐倉さんといた。
そして隣にまたあの人がいた。
俺が遠くから見ていたら、その人が気づいて
それに佐渡島さんたちが気づいた。
そして手招きをされたからそばにいくと、その人が意外と背が俺と同じぐらいだった。
すると佐渡島さんがその人に「こいつが瀬尾」
とてきとうに説明した。
俺のことをすでに聞いてるのだろうか、その人はなるほど、と頷いた。
優しそうな人だなと声でわかった。
そしてその人が言った。
「多分名乗っても僕のことわからないですよね」
と笑った。俺がなおも不思議そうな顔をしていると、佐渡島さんは「大丈夫だよ」と笑った。
佐渡島さんたちとの仲はかなり良さそうだった。
そして自己紹介をした。
「はじめまして、一条倫太郎です。
小利木と同世代って言ったらわかるかな笑」
と言った。
佐倉さんからこの前聞いた、あの一条さんだとはなかなか結びつかなかったが、理解した瞬間、急に身近な人物だと思えてしまった。
すると佐倉さんが少し離れた所に歩いていき、しゃがんでミットを構えた。
「瀬尾、一条の、先輩の投げるボールを見ろ」
空気が固まった。
しかし、一条さんはのんびりと「もうそんな投げれませんよ笑」と言ったが、佐倉さんはいいから
と言って、しぶしぶ一条さんはボールを持った。
佐渡島さんも何も言わず見守っていた。
一条さんがボールを持ち、手を振り上げた。
もう笑ってはいなかった。
佐倉さんのミットだけを見て、手からボールを
離した。
すっと音もしない静かな美しい投球だった。
ストレートかと思ったら違った。
球速は速い。だがいきなり曲がった。
この前佐倉さんが言っていたことを思い出した。
「一条はスライダーが得意だからな」
いい球だと素直に思えた。
この人が部にいたらかなりの戦力になっていたはずだ。
でももう、この人はいない。
一条さんは肩を回しながら「久しぶりに投げたにしては良いコース行きましたよ」と満足そうに微笑んでいた。
一条がまだ所属している時、密かにいつかこのままライバルになると思っていた。
いつかくるはずのレギュラー争いが少し楽しみでもあった。
しかしある日から一条は部活に来なくなった。
真面目で、当時の3年の先輩の言うことも我慢して聞いてたし、練習も人一倍投げてた。
そんな一条が連絡もなしに休むわけがないと思ったが、それからしばらくして退部届を出したと言う噂を聞いた。
いつも小利木と4人組だったが、小利木だけ残った。何があったかは知らないし、聞こうとも思わなかった。
「佐渡島さん!」いつも笑顔で声をかけてくれた。掃除なども代わろうとしてくれたし、俺のストレートを後輩の尊敬の目で見てくれた時は正直認められたように思えて嬉しかった。
久しぶりに投げてくれたスライダーも相変わらずの威力があった。
部を辞めて1年半ほど。
この環境に慣れたと言ってしまえば、そうなのかもしれない。
瀬尾と佐倉が帰った後、俺はお礼を言って帰ろうとする一条を引き止めた。
「どうかしましたか?」と不思議そうにきく一条に、一つこのことを聞こうとずっと考えていた。
もう、聞いてもいいだろうか。
「一条、お前が部活やめた時、」
「どんな気持ちだった?」
責めているように聞こえてしまわないか。
言ってしまった後に後悔したが、一条は少し考えてゆっくり話し始めた。
「練習もきつかったですし、なかなか上手くいかないことも多いし、朝練は毎日めんどうくさいし、練習と実力は当然比例しないし、3年の先輩方はむちゃくちゃでしたし、そんな時にちょうど
小利木からは図星を突かれるし。
でも辞めてそれらがなくなって、楽になりました。」といって苦笑いした。
「でも」
と一条はうつむいた。そして、また顔を上げて、曇った夜の空を見上げながら言った。
「やっぱり野球、やりたかったなぁ」
一条の口から溢れたのは、本音だった。
「野球楽しいですし、同級生も先輩も優しかったです。だから小利木に『逃げるな』と言われた時、つい反抗してしまったんです。
人って、図星を突かれると必死で反抗するもんなんだなぁって後でやっと気づきました(笑)」
「でも」
それは一条のせいじゃない。
3年の先輩が酷かったんだ。お前は逃げてない。
そう続けようとしたが、遮られてしまった。
「俺は逃げました。そうしないと、危険だと思ったからです。でも、その選択に後悔はない、と言うと嘘にはなります。小利木を見ると、
特にそうやって羨ましく感じてしまう。」
日向も、そうだったのだろうか。
ずっと気になっていた。
日向も多分、いや、絶対野球が大好きだった。
それでも辞めなくてはいけない。
もしくはその状況に置かれてしまう。
そういう場合の理由はその人による。
怪我、病、人間関係などなど。
「逃げる」という選択は
実は一番残酷な選択なのかもしれない。
「それじゃあ甲子園、明日の予選頑張ってください。瀬尾くんにもよろしくと、」
そういって一条はペコっとお辞儀した。
そして背中を向けてとことこと帰っていった。
一条にも、日向にも、後ろ姿を見せないように。
後数時間後、俺の最初で最後の甲子園が始まる。




