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19/62

合宿の次の日は昼遅くまで寝た。

自分が思っているよりも体はつかれていた。


あのホームベースに帰ってきた感覚、いままでなんども経験してきたと思ったのに

なにか違った気がする。

まだボーっとする視線の先の天井に手をかざしてみる。


母は相変わらず仕事に行っていた。


その手を自分の額に乗せた。手は冷房のせいか少しひんやりしていた。


その日の記憶はあまりなかった。あさってからまた練習が始まるということ以外、何も考えないに等しい1日を過ごした気がする。


そして合宿後初めての練習は思ったよりきつくなかった。

朝から晩まで投げていた分、午前中だけしか投げられないのに物足りなささえ感じてしまった。


そして帰る支度をしていた時、急に二階堂先輩に集められた。


「この中で午後空いている人っていたりしますか…?」

急な質問に一同黙ってしまったが、佐渡島さんが

「空いてるっちゃ空いてるけど、なにすんの?」と興味あり気に聞いた。


「ちょっと小さい子たちに野球を教えてほしくて」

意外な答えに驚いた。


「学校から少し電車で数駅言ったところの広場で小さい子たちが野球をしてるんです」

と二階堂先輩が付け足した。


「まぁ、行ってもいいよ」と佐渡島さんは言った。すると二階堂先輩は嬉しそうな顔で

「本当ですか?」と言った。


すると佐渡島が行くなら、と佐倉さんと豊島さんが手を挙げた。

小利木さんも賛同し、結局俺達1年もついていくことになった。


場所は先程言った通りそう遠くなかった。

広場というよりグラウンドに近い感じの場所だった。すると二階堂先輩がここで待っててください、といってグラウンドの方にかけていった。

誰か知り合いでもいるのだろうか?

二階堂先輩は不意に、「おーい、せん!!」と呼んだ。

するとたくさんいた子どもたちの中から一人、走ってくる子がいた。

そしてその子を連れて、二階堂先輩が戻ってきて自慢気に言った。


「この子、俺の弟です!ほら、自己紹介して」


まだ小さいその子は二階堂先輩のミニサイズ版みたいに見えてきて、たしかに可愛い。

すると小利木さんがいつの間にか俺の隣で呆れたように耳打ちしてきた。「律はブラコンなんだよ」

欠点がないと思われていたこの人にもついに、と考えているとその子が喋り始めた。

皆が耳を傾ける。


二階堂泉にかいどうせんです。しょうがっこういちねんせいです。えっと、やきゅうと、お兄ちゃんが大好きです!よろしくおねがいします」


とはきはきと一気に喋りきってから、ペコっと頭を下げた。その頭を二階堂先輩はなでて、上手にできたなぁとベタ褒めだった。


か、かわいい…と皆が見入っていた。

小利木さんだけが、「兄のブラコン愛が一方通行じゃなくてよかったな」とぼそっとそっぽを向いていったのが聞こえた。


二階堂先輩が説明し始めた。

「ここは、両親が共働きなどで長く保育所などに預けなきゃいけない小さい子たちを集めて、野球チームをやってるんです。普段は地域の人達が様子を見てくれるんですが、俺も時間がある時はここで練習をしながらみんなを見ています。でもなかなか金銭面などで監督を雇って教えてもらうことは厳しくて。」

「そこで、皆さんにお願いしてみようと」


それぞれ自分のポジションの子たちのそばについた。


そして俺もつこうとしたら、佐渡島さんがいたずらっぽく笑いながら

「瀬尾は喋んなくて怖がられるからしばらく見てろ」

貴方のほうがよっぽど俺は教えられたくないですよ。


なんだかんだで断られたので、一人で高い階段を少し登った。

階段に腰掛けていると、大きい子どもと小さい子供が交流しているのが見えて、不思議な光景だった。


しばらくすると、一人の子がみんなにばいばーい、と言いながら走っていくのが見えた。

その視線の先を見てみると、その子の父親らしき人が立っていた。


みてみるとまだその子はグローブをはめたままで、父親のもとに小さいリュックを背負って走っていった。

父親らしき人は、優しいほほえみを浮かべると、その子の頭をぐしゃっとなでた。

「野球、今日も楽しかったか?」

「うん!」

そんな会話が風に乗って聞こえてきた。


うん。昨日も、今日も、その先も、ずっと何回でも、そう答えたかったよ。

ずっと俺も、頭をぐしゃっとなでてもらえるんだと思ってたよ。

俺も、あんなふうに父さんのもとにかけよって、肩車をしてもらいたかったんだよ。

もっと、俺の投げるボールを捕ってほしかったんだよ。

もっと友達に、俺の父さんは野球チームですごいピッチャーなんだよって、自慢したかったんだよ。


もっと、


その先の言葉が続かなかった。

数m先にある父と子の姿が、眩しくて、愛おしくて、羨ましくて。

目をそらしたいのに、そらすことができないままずっと見ないふりをして隠していた涙が溢れた。

せめて、あの親子には俺と同じ思いをしてほしくない。

ずっと幸せで、不幸なんて知らないで生きられたらどんなに良いだろうか。


その親子の背中が夕日に隠れて見えなくなった時、急に声をかけられた。


「お兄さん、だいじょうぶ?」

泉くんだった。

はいこれ、僕の貸してあげるね、とポッケから小さいハンカチを出してくれた。

断ろうとしたけれど、せっかくの小さい子からの気遣いを断ったら悪いと思ってハンカチを受け取った。

もう涙は風でほとんど乾いていた。


「ぼくもね、しあいでまけちゃったときとかね、ないちゃうときあるんだよ」

「でもね、そのときにいっつもお兄ちゃんが言ってくれるの」


「勝っても負けても、泣く時がある。悲しくても嬉しくても、泣く時がある。

結局は人間、どんなときも泣いちゃうんだって。だったら」


「いつか嬉しくて泣けたほうが、良いよね」って。と泉くんが頑張って難しいことを教えてくれた。

二階堂先輩も途中から小利木さんに混じって野球をやってきて、苦労したんだろうか。

俺は申し訳ないけれど、嬉し涙なんて流す予定は今のところない。


それでも泉くんが可愛くて、俺は笑ってしまった。

「お兄さん、ずいぶん難しいことを泉くんに教えてくれるんだね」というと、

お兄ちゃんは物知りだもんね、と逆に自慢されてしまった。


ふと泉くんのはめているグローブに目が行った。

これは…と久しぶりに思い出した。

昔、まだ父と野球をしていたあの時代、父にグローブをもらった。

父のセンスなのか赤茶色のかなり目立つ色だったが、ワンポイントで虎の模様が親指の付け根に入っていた。俺はそのグローブを気に入っていて、いつも使っていた。

でもある日、父が突然帰ってこなくなってから2日後ほど立って母が急に

「ねぇ、澪馬。このグローブ、母さんにくれない?」と聞いてきた。

俺は戸惑って黙ってしまったが、母に「新しいのかってあげるから、ね?」

と言われ、頷いてしまった。

あの時うなずいたほうがよかったのか、持っておいたほうが良かったのかわからないが

それからそのグローブを見ることはなかった。

思い出を再生していると、颯が「おーい、そろそろ帰るぞー」と言ってきた。

俺は立ち上がり、泉くんにお礼を言ってハンカチを返した。

最後に振り返ってみて、慣れないが頑張って、というと嬉しそうに頷き、また来てね、と言ってくれた。


俺はなぜかスッキリした気持ちで家に帰った。

帰ったら珍しく母がいて、「遅くなったけど、合宿お疲れ様」と言って俺の好きなカレーライスを作ってくれていた。


その日の夜は、夢を見なかった。

明日会ったら、二階堂先輩にお礼でも言おうかな。

そんな事を考えながら眠りについた。


甲子園、長野県予選まであと20日。

時間は俺の周りで止まること無く一定に流れていく。






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