八話 平穏
「分かっちゃいたけど、いたけど……! ――はぁ」
風呂場に備え付けられていた鏡を見て優弥はため息をつく。そこに映るのはスタイルの良い裸体の美少女だ。複雑そうな顔をしたまま優弥はシャワーに手をかけた。
「初めて見る女子の裸が自分とか……脳みそバグるわー」
自分の体のあまりの変貌に苦笑いを浮かべることぐらいしか優弥には出来ない。
また、夕食を作ったときに使った調理器具が、男の体であったときより重く感じられたことも優弥を追い詰める一つだった。
自分が女になっていることを嫌でも意識してしまう。それを考えなくていいように料理を申し出たというのに。
「髪はともかくとして、体とか……いやこれは俺の体、俺の体……」
優弥は無心でなんとか自分の体を洗い終え外に置いてあったタオルで体を拭く。そしてその近くにおいてあった下着を手に取った。
それを着ることに抵抗がないわけではないが、男物の下着がないのでしょうがない、と腹をくくる。
サイズが合っていること、何より下着などいつ買ったのだろうかとも思ったが深くは考えないようにした。
「お風呂、ありがとうございました。気持ちよかったです」
「おう、じゃ俺も入ってくるわ」
そう言うとエナミヤは風呂場の方に向かっていった。優弥よりも先にお風呂に入っていた玲は熱心にテレビを見つめている。話している内容からして恋愛映画なのだろう。
しばらく見ていた後、テレビの中では男女がベッドの上で熱烈なキスを交わしていた。男の手が女の衣服を脱がそうとしている。
「ちょっ、おい! だめだろ! チャンネル変えろって!」
「あーー!! 待って優弥さん今良いところなの! メアリーとガイがやっとくっついたの! 絶対最後まで見るから!」
優弥は玲の持っているリモコンを取り上げようとするが、玲はリモコンを抱え込んで抵抗する。
「てかあたしどうやって子供が出来るとかも知ってるし! エナミヤさんも良いって言ってたし! ほら、これも教育のためだと思えば」
「なるかあ!! 他のでも見てろ!」
なんとか玲からリモコンを奪い取った優弥は適当にボタンを押してチャンネルを変え、テレビにはニュースが映し出される。
「もおお〜〜良いとこだったのに〜〜」
「こっち見てる方がよっぽどためになるだろ。こういうのはもっと大きくなってからにしとけ」
ニュースでは大量殺人事件が三日連続したということを一つ目の女性が淡々と語っている。
変える番組を間違えたと優弥が思ったと同時に、玲は優弥に話しかけた。
「物騒すぎないこの世界。それともここだけなのかな」
「……エナミヤさんの言い方だとまだ此処より治安悪いとこがあるらしいぜ」
「そっか、……ねぇ優弥さんは本当に元の世界に戻る気ないの? あたしは絶対戻りたいけど、こんなとこに居たらいつ死んじゃってもおかしくないじゃん」
「俺だって戻れるんなら戻りたいよ。でもこんな姿じゃな……戻れた所で誰も俺だって気づいてくれないだろ、ヤバい奴だって思われて終わりだ」
その言葉を最後に二人の間に気まずい沈黙が流れる。玲は何かを考える素振りを見せており、優弥にどうやって声をかけようか迷っている。
優弥はその玲を見て、小さな子供に気を使わせていることに少しのショックを受ける。この空気をなんとかしようと優弥が口を開くより早く、玲が口を開いた。
「えっと、優弥さん。あたしはやっぱ凄い戻りたいんだよね。あっちでやりたいことなんて数え切れないほどあるし。優弥さんが戻るのが難しいってことも分かってる。でも、でもさあ。優弥さんとも一緒に戻りたいって気持ちもあるんだよ。だからさ、一緒に戻れる方法探そう。それで見つかったらあたしも優弥さんも最高じゃん」
「玲……そうだよな、まだあるかもしれないもんな。うん、探そうかその方法」
玲の表情が、暗く影を落としたものからきらびやかなものに変わる。優弥に向かってふわりと笑いかけてきた。
優弥も玲に微笑みかけた後、その表情を少し引き締めた。
「でもな玲、これだけは約束してほしいんだ。もし戻る方法が見つかったけど俺は戻れるような状態じゃなかった時。その時は俺のことはこっちに置いていってくれ。もちろん一緒に戻れるならそのほうが良いけどな」
「っ駄目でしょそんなの! あたしだけ戻っても優弥さんが一人になっちゃうし、あたし一人で戻っても意味ないって! 優弥さんと会えなくなるなんて嫌だよ!」
玲は優弥の発言に勢いよく反論をした。それに対して優弥は困ったような笑みを浮かべている。
「玲……玲。分かってくれって。俺も諦めるつもりはないけどな、でもそれでお前が戻れなくなったらそれこそ駄目だろ。俺はお前だけでも戻って欲しいんだよ。な、だから約束してくれって」
「〜〜〜っ、……分かった。でも、その時が来るまではあたしも優弥さんと一緒に戻れることを諦めないからね」
玲は納得のいっていない表情をしているが、とりあえずは言葉だけでも了承をしてくれたことに優弥は安堵する。
「ありがとな玲、やっぱ良いやつだよお前は」
「……あんま子供扱いしないでよ」
拗ねたように玲は下を向いてそう答える。だがその後に玲から噛み殺したようなあくびが漏れ出た。
「ああ、もう十時半だし眠いよな。部屋まで送ろうか」
「大丈夫、一人で行けるよ。じゃあおやすみ」
玲はリビングから出ていき、そこには優弥が残るだけになった。自分ももう少ししたら寝るかと思い、優弥がテレビのある方に視線を向けると、そこではエナミヤがテレビのチャンネルをパチパチと変えていた。
「うおっ、……え、いつから居たんですか?」
「風呂から上がったらお前らが話してたからそれが終わるまで部屋に居たな。嬢ちゃんがいなくなったからこっちに来たな」
「そうですか。あの、話は聞いてましたか?」
「少しだけ、な。……よし天沢、映画見るのに付き合ってくれ」
「え? いきなりなんすか。もう寝ようかって思ってたんですけど」
優弥をよそにエナミヤは食器棚から皿とコップを取り出してきた。皿の中には冷蔵庫から出してきた枝豆がもう入れられている。そしてビールとお茶がエナミヤの影によりトクトクと注がれている。
「天沢、俺はお前が言ったことは間違ってないと思うぜ。――嬢ちゃんのためにもな」
「……絶対に全部聞いてましたよね。じゃあ映画付き合うんで、俺達が元の世界に帰れるようにエナミヤさんも協力してくださいよ」
「おう、多少はしてやるよ。まあ今はそれより映画を楽しもうぜ」
「……面白いんですか? これ」
テレビに映るものを指差し優弥がそう聞くと、エナミヤはビールを飲んでいた腕を少しの間止め優弥に苦笑いをする。
「あー、まぁ、面白いって思う奴もいるだろ。そうじゃなきゃ映画になんてならねぇよ」
面白いかを聞いてこう答えるということは、恐らく面白くはないのだろうと優弥は思った。