七話 束の間の休息
優弥はふかふかの布団の中で目を覚ます。目と鼻の先には玲の顔があった。すぐに玲とは反対の方向に転がったが、段々と寝る前の記憶を思い出してきた。
昨日はエナミヤの家に入ったあと、エナミヤは優弥にマンションの間取りの紹介を終えると、一つの何もない部屋に布団を敷いた。
今回だけは玲が起きた時、一人だと混乱するかもしれないということで玲の隣に優弥が寝ることになったのだ。本来はもう一つ使っていない部屋があるらしいのでそこが優弥の部屋になるという。妹が自分の部屋を欲しがったため、今まで自分の部屋を持てなかった優弥にとってはそれは少し楽しみでもあった。
一通りの説明を終え、エナミヤは優弥になにかあったら自分の部屋に来いと言い自分の部屋に戻っていった。
優弥はわりと間を空けて敷かれた布団に入り眠りについた。だからなぜ玲がこんなにも近くにいるのかが分からなかったのだ。だが布団の位置を見ると、寝る前と変わらず玲だけがこちらに移動してきたのが分かる。それにしても寝相が悪すぎるだろう。
「びっくりした……顔洗ってこよ」
変な汗がダラダラと流れ止まらない。自分は悪くないと思いつつも、少女と添い寝するというのは犯罪になるだろう。玲が先に起きてこなかったのは不幸中の幸いだ。
これは事故だったと優弥は思うことにした。
排泄や洗顔を終え、玲の戻ろうとした所で近くの扉が開いた。
「よ、おはよう。つってももう夕方だけどな。ああ、起きたばっかでなんだがちょっとこっちに来てくれ」
「? はい。あの、でも玲を起こさないと」
「時間はかけさせねぇよ。すぐ終わるからな、ちょっとそこに座っててくれ」
ラフな格好をしたエナミヤに招かれ、優弥はリビングのカーペットの上に座る。エナミヤは棚の上においてあった球体に無数の目がついている悪趣味としか言いようがない物体を持ち優弥の前に座った。
「おい、そんな目で見んなって。これはお前にかけられた呪いを解く道具なんだぜ。ほとんどの呪いはこれで解けるだろ」
「……全部じゃないんですね。じゃ、やっぱ元の体には戻れないんですか?」
「諦めろって言ったろそれは。それ以外が解けるんだから良しとしろって。その呪いを解きゃあ嬢ちゃんの方も色々聞けるだろ」
「え、玲も俺と同じのにかかかってるんですか?」
「嬢ちゃんがお前にぶつかった時に移ったみてえだな。お前にかけられた呪いはな、お前を媒体にしてどんどん広がっていく厄介な呪いなんだ。どういう条件なのかは分かんねぇけどな。まぁ今回は結構雑にかけられてるから、お前の呪いを解けば嬢ちゃんのも連動して解けると思うわ。じゃちょっとじっとしてろよ」
球体から黒いモヤが吹き出るとそれは優弥の体全体にまとわりついた。優弥はふわふわと体を撫でられているような感覚に、くすぐったさを感じ少し身を捩らせる。
暫く経つと黒いモヤは優弥の体から離れていき、球体に戻っていった。モヤが全て球体に戻るとその無数の目は一つ残らず閉じられていた。エナミヤはその手に持つ球体を机に置くと優弥に向き直った。
「これで呪いは解けたろ。……大丈夫か?」
「んっ、はぁ……っ。だ、大丈夫です、ちょっとくすぐったくて」
少し息を切らせながら優弥は答える。顔もほんのりと赤くなっている。
「そうか、なら早速試したいんだけどな。天沢、お前どこから来たんだ?」
そう聞かれることを優弥は予測していたが、それでも恐怖はある。もし解けていなかったらまた自分は首を絞められ、あんなにも苦しいことをまた経験しなければいけないのだ。
「悪いな、あんな事あったんじゃ言いたくねぇよな。ま、お前が言える時に言ってくれ」
「あ、ごめんなさい。……あ、あの、やっぱ言います。言えます、……俺、あの、多分こことは違う世界から来ているんだと……思います」
エナミヤは驚いたように少し目を大きくした。
「は? …………はあ?! マジかよお前、クッソ面倒くせぇじゃねぇか」
エナミヤは確かに驚いているのだがそれが優弥の思っていた反応と思いのほか違っている。というよりもこれほどすんなりと信じてもらえるとは思っていなかったのだ。
「え、驚かないんですか? 俺が言うのもなんですが、違う世界なんて突拍子もない事」
「別の世界から来るってのは、ここだと珍しいが無いことはないな。連邦じゃ禁止されてるが、実際はどうだか。王国じゃどこぞから召喚だのを今でもやってるってのはよく聞く。そこから連邦に来る奴もいるらしい」
「ちょ、一旦ストップしてください! 脳でうまく処理しきれませんて!」
まるで何でも無いことのようにエナミヤは言うが、優弥にとっては急に理解が追いつくものではない。慌ててエナミヤの話を遮る。遮られた本人は優弥が落ち着くのを静かに待っている。
「とりあえず別の世界から来たりする人っているにはいるんですね? あの、じゃあ俺もこっちに来る時に俺の他にも何人かこっちに来てるんだと思うんですけど、多分そいつらが行ってるその『王国』ってとこは大丈夫なんですか?」
「人が死んだとかそういうのは聞いたことがねぇな。よほど能力が特殊じゃねぇ限りは自由もあんだろ。まぁ生きてるのは確実だから、そうお前が気にすることじゃねぇよ」
優弥はそれを聞いてほっと息を吐いた。別段親しいわけではないが顔も名前も知っている者達が死ぬことは優弥としては避けたかったのだ。罪悪感から逃れたかったかといえばそうなのだが、それでも知り合いが死ぬということは誰でも嫌だろうと優弥は思う。
「安心してるとこ悪いけどな、お前は結構やばい状況に置かされてるってことを忘れんなよ。魔道士に恨みを晴らそうとしてる奴らをどうにかしなきゃなんねぇ」
「っでも、それは俺がやったことじゃないですよ。それにあの人はだめだったけど他の人なら話し合いでなんとかなるんじゃ――」
「いや、どうだろうな。昨日の肉塊といい、最初にお前を連れ去ろうとしてた奴もマトモじゃなかったからな。特に最初の奴なんてお前をどうやって苦しめて殺すか、ってのをずっと言っていた。クソ気持ち悪かったわ」
淡々と話されるそれに顔を青くした優弥にエナミヤは微笑みかける。
「心配すんなよ。そうそうやられるほど俺は弱くはねぇ。ただ俺がもし死んだらその時はその時で潔く諦めてくれ」
「……絶対大丈夫くらい言ってくれないと安心できないんですよ。てかエナミヤさんと心中するとか嫌すぎですよ。……でも、ありがとうございます」
思ったよりも頼りのないことを言われるが、それは裏を返せば死ぬまでは守ってくれるとも捉えられる。
優弥は何故会ったばかりでここまでのことをするのかという不信感は抱くものの、目の前の男のことを理解できる気もない。せいぜい自分にできることは困惑することぐらいだろうと思う。
だからといっては何だが、血迷ったセリフを吐いたとして彼に非はあまりないだろう。
「多分俺も玲もエナミヤさんが死んだら此処で行きていくのは難しいと思うんです。だから今だけは俺達のためだけに生きててください」
優弥の言葉にエナミヤは、一瞬面食らったような表情を見せた後おもむろに笑いだした。
「っく、ははっ、随分と恥ずかしいことをよくシラフで言えるな。あー、じゃなんだ。俺は――」
するとガタッと扉の方から音がした。優弥とエナミヤはそちらの方を向くと、訝しげな態度をとった玲がそこに立っていた。
「ふぅーん、へぇ〜〜。あ、いいよ、続けて続けて。邪魔しちゃってごめんね」
玲のそのおかしな様子に優弥は段々と青ざめていく。どこから聞いていたのかは分からないが、先程の発言を聞いていたのなら『そういう風』に捉えてもおかしなことはないとその答えに行き着いた。
「違う!! そういうのじゃない!! っ、エナミヤさんも笑ってないでなんか言ってくださいよ!」
何故か爆笑しているエナミヤにそう言うもそうそう収まりそうもない様子だ。玲も玲で困惑した表情が取れないでいる。
優弥は頭を抱えるしかなくなった。