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エドガーは馬車の荷台を覗いた。
「んあ?」
間抜けな声を出し、荷台の中をゴソゴソしている。
大きい包みを肩に担いだままで、よく動けるわね。筋肉質な体型だけれど、どこにそんな力があるのかしら。
エドガーは白い布切れを取り出し、替わりに獣の包みを放り入れた。反動で荷台が揺れる。
「パティ、転移魔法で来たのか」
「パトリツィアよ。転移魔法って?」
「ぱとりつぃあって言いにくいんだよ。転移魔法ってのはこれだ、パティ」
エドガーは取り出した布切れを広げた。布は白地に黒い模様が描かれている。
丸の中にいくつもの花が咲いてるわ。大きさも形も違うのに、全ての花が調和しているわね。
「美しい模様ね。所々焼け焦げているのが残念だわ」
「焦げてんのはパティが使ったからだろ」
「わたくしが?」
「転移魔法ってのは、飛翔点の魔法陣から着地点の魔法陣へ飛ぶんだよ。なくても飛べるヤツはいるが、最上位魔法使いか伝説の聖女くらい魔力がねえと無理だ」
「魔法陣は使い捨てってことね」
魔法陣から魔法陣へ飛ぶなら、わたくしが使った飛翔点の魔法陣があることになる。それならきっとあの舞台にあったはずだわ。
けれどもわたくしは見た覚えがないし、そんなものがあったら兵士が見過ごすはずがない。
エドガーの言うように、魔法は本当にあるようね。
おとぎ話は真実だったと言うことかしら。それともここは違う世界なのかしら。
答えの出ない、いくつかの疑問が頭の中を通り過ぎる。
わたくしは頭を振った。
ふふ、考える必要がないってことね。
わたくしは焼け焦げた転移魔法陣を改めて見る。
「とても綺麗な模様なのに、もったいないわ」
「大理石に彫った魔法陣で三百年使われ続けてるのもあるぞ。伝説の魔法使いが作ったと言われてるな。でかくて模様も複雑らしい」
「これ以上に複雑なの? 見てみたいわね」
エドガーが広げた魔法陣を改めて見る。
綺麗だわ。黒一色で描かれてこの美しさなら、色とりどりの糸でドレスに刺繍したらどれだけ美しいのかしら。
「で? どうやって来たんだ?」
エドガーが話を戻した。目と顔と体から好奇心が溢れている。
見世物のように見ないで欲しいわ。わたくしだってなぜここにいるのか、全く分からないのだもの。
「知らないわ」
「その格好で森の中にいるって、おかしいだろ」
わたくしは薄汚れたドレスに目を落とす。
確かに森に行く姿ではないわね。
「転移魔法陣を使ったと思うんだがなあ。まあ、言いたくねえならこれ以上聞かねえよ」
エドガーは魔法陣の布をくしゃくしゃに丸め、空いた手を差し出した。
「何?」
「いつまでも地べたに座ってちゃあ冷えるだろ。行く当てがねえなら安全な場所まで送ってやるよ」
「あなたについて行って安全な保証はあるの?」
「ここで獣の餌になるよかマシだろ」
「それもそうね」
ここにいたら、またあの黒い獣が出るかも知れない。どうやっても対処できそうにないし、わたくしには普通の狼でも脅威だわ。
「街まですぐだ。よろしくな、パティ」
「パトリツィアよ、エドガー」
わたくしはエドガーの手を取った。
馬車は森の中を走る。
もっと揺れると思ったのに、道が良いのかしら。
馬車の荷台は思ったより悪くない。わたくしは後方へ移動し、少しだけ荷台から身を乗り出す。
見なれない木々が通り過ぎていく。花が咲き、実がなり、時折野うさぎなどの小動物が走って行く。
夏の初めのような暖かさだわ。
頬にあたる風が気持ち良い。元いた場所では寒さに体を丸めて耐えていたのに。
「ねえ」
御者台にいるエドガーの返事はない。
わたくしは荷台の前方へ行き、手綱を握るエドガーに近付いた。
「ねえ」
「あ? どうした」
「今は夏なの?」
「おかしなことを言うな、パティは。冬が終わったばっかりだろ。春だよ、春」
こんなに暖かいのに、春だと言うの? それに冬が終わってるなんて……。
わたくしは場所も季節も飛んだのね。
「おい、どうしたんだ」
ここはわたくしの生まれ育った場所とは異なる世界なんだわ。
「おーい、聞こえてるか」
自然と口角が上がる。
「おーーい、パティ」
「ふふふ」
「……大丈夫か?」
「ふふふふふふ」
「ぱとりつぃあさん?」
なぜかは分からないけど、次があった。
「あれか! 腹が減ってるんだな!」
「エドガー」
「な、なんだよ」
「わたくしは、好きなことをして、わたくしらしく自由に生きるわ」
「あっ、ああ。良いと思うぞ」
エドガー越しに見える景色が変わった。
森を抜け、小さな集落を通り過ぎる。
「美味しいものが食べたいわ」
「やっぱり腹が減ってたんだな!」
「早く案内して」
「おっおまえ、自由に生きすぎだろ」
もっと好きなことをして、もっともっとわたくしらしく自由に、この世界で生きるわ。