9.
歯車を出る。気持ちの良い風が吹く。爽やかな空気だ。
オレの気分は、ゴミを貪って泥水を啜っているかのように、最悪な気分だが。
オレは剣を抜く。そして、魔女の背後からオレは握り締めた剣を突きつけた。
「……ッ!? ライト! なんのつもりなの!?」
その様子を見たベルベートが動揺したように叫ぶ。まったく。急にクソッタレな気分になってきやがって。なんというか、今、オレは激昂している。この魔女が無性に苛つく。ああ、苛つく。腹立たしい。
オレは無言で魔女を睨む。親の敵のように。
魔女に剣を突きつけたが、こんなことをしたところで魔女を斬り殺すことができないことなど、自分自身がよく知っている。オレは非力だ。対して、この魔女は『災厄の魔女』ほどではないにしろ人並み外れた力を持っていやがる。
オレはこいつには勝てない。知っている。知っている。知っている。そんなこと知っている。
でも、怒りが鎮まらない。だから、オレはこいつに剣を突きつけていく。
反抗的な態度を取った。機嫌を損ねることをしてしまった。カアッとなってやってしまった。
が、どうでもいい。オレは逃げ腰に生きてきた人間だが、オレにだって踏み抜いてはいけない地雷というものが存在する。それを、この魔女は踏み抜いた。
故に、オレは魔女を敵対視する。
「おい。お前、名を名乗れよ。フレイアなにがし?」
オレは魔女に怒りをぶつけていく。殺されても良い。どうでもよくなった。
オレは臆病者で生きるためだったらホイホイとこんな奴らに味方してしまうような人間だが、最低限の誇りというものがある。それは守らなければならないだろう。
この魔女はそれを汚そうとしている。今までのこいつの行動は……オレのことを馬鹿にしていた行動なのかもしれない。さらに腹が立つ。メラメラと怒りの炎が燃えていた。
何が可愛い、だ。何が美人なお姉さん、だ。この魔女はクソッタレの中でもクソッタレすぎるクソッタレだった。最低の下種だ。下卑た笑いを散々オレに見せやがって。
死ね。死ね。オレはお前のことが憎い。ああ、憎くて堪らない。脳が茹立ち、溶けていきそうだ。
オレ自身のことを馬鹿にするのは構わない。言われたって、多少傷つき心がへし折られる程度だ。
だが、この魔女は〟馬鹿にする相手〝を間違えた。やってはいけないことをした。冗談だとしても、笑えない冗談だ。悪趣味がすぎる。
オレは屈辱的な気持ちを胸に、剣に力を込めていく。ジリジリと迫り、魔女の首に剣の先がつき、首から少量の血が流れた。
「ライト! それ以上は許さ――」
「うるせぇ! ……魔女。名乗れよ、お前の名を。さあ、早く……」
オレは怒鳴り声を上げ、ベルベートを黙らせる。邪魔をするな。お前のことなんか、さらさら興味がない。
オレが話しているのはこの魔女。オレが答えを求めている相手はこの魔女。はき違えるな。オレはお前に答えを求めているわけではない。餓鬼は黙ってねんねしておけ。
オレは散々な言い様をする。あくまで胸中で、だが。
「……フレイア・ガーネット」
「…………!」
フレイア・ガーネット……だと!?
オレはその名を聞き、さらに怒りが身体の中を駆け回っていく。この魔女はオレがここで殺す。斬り殺して、この魔女の首を晒し首にしてやる。
オレは身体が怒りと興奮で熱を帯びていくのを感じた。
……フレイア・ガーネット。そいつは、オレが幼い頃いっしょに遊んでいた奴の名前だ。
当時のオレはいつもいつもいつもいつもいつも退屈だった。
だから、毎日のように誰かと遊ぼうとする。今日はあいつと、次の日はべつの友人と、その次の日もべつの友人と、さらに次の日もべつの友人と……というかたちで来る日も来る日も誰かと遊んでいた。遊び三昧の日々だった。毎日、遊ぶ奴はちがったが。
今思えば、あのときのオレは上手くコミュニケーションができていたのだと思う。でなければ、そんな日々を過ごすことはできやしない。その話は置いておこう。
ある日、退屈だからと街を歩いて回っていたオレは泣いている黒髪の少女を見つけた。
そいつがフレイア・ガーネットだ。オレはそいつのことをガーネットと呼ぶことにし、暇だったからガーネットに付き合ってやることにした。
オレはガーネットの涙のワケを訊く。たしか、誰かにいじめられたとか石を投げられたとかそんな理由だったような気がする。幼かったから、もう記憶なんて曖昧になってしまったのだが。
いじめなんてよくある話だったし、オレも受けたことがある。まあ、オレは受けてもへっちゃらだったし、そもそも遊び相手が欲しかったからいじめられてもそいつに近寄ったり逆にそいつで遊んだりとか、今考えればよくわからないことをしていた。だけれど、心の許容量ってものには個人差がある。それは当時のオレも理解していた。ガーネットの心は脆いのだ。
だからオレは、毎日退屈でもあったわけだし、遊び相手と遊ぶ、という名目でガーネットのことを守ってやることにした。過去の出来事なので、多少美化されているかもしれないが、だいたいそれで合っていたと思う。
それから、オレとガーネットは毎日のように遊んだ。遊んで、遊んで、遊び尽くした。
野で遊び、山で遊び、海で遊び。
兎に角、オレたちはいつもいっしょだった。
山で遊んでいたとき、オレたちは獣に遭遇した。あのときは怖かったな。
血を見るのが怖いオレではあったのだけれど、命の危機を感じてオレは勇敢に立ち向かっていった。偶々持っていた果物ナイフ片手に。
……瀕死な状態になりながらもなんとか獣をぶっ殺すことができた。オレはガーネットを守ることができた。ホッとひと安心したが、そこは危ない場所だってことがわかったし、身体がボロボロだったので、オレたちは街まで逃げ帰った。帰ったら、母さんにめちゃくちゃ叱られたし、心配されたのも覚えている。当時のオレは、頑張ったなぁ。
……と、ここまでならただの微笑ましい話だ。ここで終わってくれれば良かった。
あるとき、オレはいつものようにガーネットと遊ぶため、ガーネットの家まで行った。待ち合わせをしていたような気がするのだが、いつまで経っても待ち合わせ場所に来なかったので焦れったくてガーネットの家まで行ったのだったかな。
……ガーネットの家は燃えていた。火事か!? 放火か!?
ガーネットの家は周囲の者からは虐げられていたらしい。だから、放火によって燃えたのだろうと思う。
オレと待ち合わせをする約束をしていたために外を出ていたガーネットだけが助かったようだ。ガーネットは地面に膝をつき、天を仰ぎ泣いていた。オレは言葉がかけられなかった。
……その後、フレイア・ガーネットは失踪した。理由はわからない。孤児院か何処かに引き取られたのかと思ったのだが、そうではないらしかった。
つい最近オレはガーネットのことを夢に見て思い出し、当時のガーネットはたぶん、この世に生きることがつらくて――自殺したのだろう、と考えた。誰にも発見されないところで、自ら命を……と。
その、フレイア・ガーネットの名前を、この魔女は名乗っていやがった。
「おい。魔女。お前、嫌がらせしてるのか」
「え?」
「お前がフレイア・ガーネットのはずがない。お前は白い雪のような髪をしているが、ガーネットは闇のような黒い髪をしていた。お前……ふざけるなよ。……なんなんだよ。ガーネットの名前を騙りやがって……!」
オレは吠える。吠えて、吠えて、吠えて――。
それでも気持ちが鎮まらない。腸が煮えくり返っていやがる。
こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ、こいつ。何処までもオレとオレの知っているガーネットを馬鹿にしやがって。ああ、憎い、憎い。憎たらしい。畜生が。ド畜生が。鬼畜が。
オレは心の中で罵倒の言葉を並べ立てる。罵倒したところで、何か変わるわけでもないのだが。
「話を……聞いてくれないかな……?」
魔女が言う。なんの話を聞けと?
抵抗する様子がなかったので、一旦、オレは剣を突きつけるのをやめた。オレの気持ち的にはそのまま突きつけておけば良かったのだが、何故かそうしていた。
「話せ。聞いてやる。聞いたあとにお前の首を斬り捨てる。あいつの名前を騙った罪は大きいぞ」
オレは吐き捨てるように言っていた。
戯れ言を吐くだろう。滑稽なことを言うのだろう。わかっている。
最期に言い残すことがその滑稽なことで終わるのがせめての罪滅ぼしとなるのだ。だから、聞いてやる。お前がガーネットの名前を騙った理由を。
ガーネットは黒髪だ。白髪ではない。
ガーネットはただの人間だ。魔女ではない。
魔女。お前はフレイア・ガーネットという人物と一致していないんだよ。
ただ、一部であれば一致していることはある。
例えば、ガーネットも炎のように紅い瞳をしていた。それは、この魔女も同じだ。同じ瞳をしている。
だが、一致している点と言ったら、それだけだ。あとは……まあ、ガーネットと過ごした日々はずいぶん前の話だし、例え今ガーネットが生きていたとしようが、背や身体つきなんかはあの頃と比べてちがっているだろう。
だとしても。だとしても、だ。この魔女とガーネットには一致しない点が存在している。故に、この魔女はフレイア・ガーネットではない。フレイア・ガーネットの名前を騙る、何者か、だ。
その行為は許さない。オレが許さない。オレの心が許していない。
お前は踏みにじった。オレの過去の記憶を。フレイア・ガーネットという存在を。嘲っていやがる。
騙るな。……騙るな。その名前を。嫌な記憶を思い出させるな。
もう、過去のことなんだよ。思い出すと苦しくなる。だから、思い出してはいけない。やめてくれ。やめてくれ。その名前を出すことをやめてくれ。
オレは叫びの声を上げる。声を出さずに。声を出さずに、叫び続ける。心がボロボロに壊れていくのを感じる。ああ、なんて気持ち悪いのだろう。この感覚は。
吐き気が喉元までやってくる。ぶちまけてしまいそうだ。どす黒い何かを。
オレはなんとかそれを抑え込む。少し、抜け出てしまいそうだ。
「……じゃあ、話すね。……ライくん」
ライく……ん……!?
オレは魔女に名を呼ばれて、驚いた。