第36話 始まり。
「あ?逃げないのかお前ら。面倒だな。」
男の名前は…確かバーンズ・レイモンだったか。レイモンはこちらに向かって歩いてくる。
勿論強者の装いで。堂々と道の真ん中を。
嫌、違うな。あれはそんなものではない。
たまたま歩いてた歩道でカマキリを見つけ、近寄ってみるくらいの足取りだ。
僕は小さな声でベンに指示を出す。
「とりあえず情報が少なすぎる。まずは死なないために守りに徹しよう。消えた瞬間に僕はエモーションシニックの引き金を引く。ベンは僕の背中にピッタリ張り付いて後方をお願い。なるべくエモーションビロウィを乱射して広範囲に散らすことを専念して。」
「了解。」
「おいおい。コソコソ話か?嫌いだなハブにされんのは。」
レイモンは大声をあげながら道路に沿って真っ直ぐ、僕らのいるビルの屋上を見上げながら歩いてくる。
やがてここからでは見えなくなり、凄まじい衝撃音と共に僕らのいるビルの上空に姿を現したレイモンは僕らとは対角線上の位置に着地した。
両足からは出血し、左足に関しては骨が突き出ていた。だが先程も身体が再生するのを見ているため驚きはしない。
やはりものの2〜3秒で綺麗に再生していく。
しかし何故だろう?何故こんなに傷つく?自分の力なのに。身体に対して力が強すぎるのか。
こんな存在が許されるのか?どう考えてもこの世界の理から外れている。
「ベン。きっと始れば終わるのは一瞬だ。なるべく会話を続けて時間を稼ごう。」
「ああ。」
レイモンは屈伸をして体を左右に捻る。両手の汚れを払うかのように2、3度手をはたき嫌な笑顔でこちらを見る。
「さて、どうする?もう殺していいのか?」
「いや、少し話をしませんか?レイモンさん。あなたが殺そうと思えば僕らなんか一瞬でしょ?」
レイモンは顎に親指をかけ、考えているようだ。
「どう思う?うん。ああ、分かってるよ。じゃあ5分だけだ。数えていてくれ。」
いったい誰と話してるんだ?耳にも身体にも通信機器と思われるものが見当たらないのだが…。
「よし、じゃあ時間もないしさっさと始めようか。えーっと…」
「僕がウィリアム・オブライエンで。」
「俺がベンジャミン・ヒルだ。」
「は??オブライエンって言ったか?ははっははははははははは!!!!!!」
レイモンは急に腹を抱えて笑い出す。なんだ?何故笑う。
「オブライエンってあれだろ?…ああ!だよな!確かそうだよな!こんなことあるか?はははは!最高だな!ん?ああ、そうだな!一応確認しとくか。」
やはりそうだ。こいつは自分と話してる。通信機器なんてない。だが一体…自分の中にある何と会話をしているんだ。
「お前……ブブッ!もしかしてトミー・オブライエンのブフフッ!息子か?」
レイモンは込み上げる笑いを抑えきれず吹き出しながら僕に問う。
何がおかしい?どこが笑える?怒りに支配されそうになる自分をなんとか抑えようとするが収まらない。父はきっと正義のために戦い負傷したんだ。そんなの見なくても分かる。それのどこが面白い。
「そうだ!トミー・オブライエンの息子だ!
何がおかしい?お前があんな目に合わせたか!!」
「いやいや!残念ながら君の父をやったのは私じゃない。ただ嬉しくてね!私の息子は君の父に殺された。その恨みをやつの息子である君に返せるなんて素晴らしい展開だと思わないか?」
父が?この男の息子を?あり得ない。いや、もしそうだとしても事故か何かでハメられたんだ。逆恨みに決まってる。
「父が子供を殺すなんて有り得ない。何かの間違いだ。父はこんな戦争の中でも如何にして人を傷つけずにに捕虜にするかを常に考えてるような人だ。正義が何かを知ってる。」
「チッ。やっぱり親が親なら子も子だな!無駄な正義感ばかり振りかざしやがって。こんな時代、こんな世界で正義なんてあるもんか!ここにあるのは差別と貧困と下方比較だけ。お前の父親は一時的に助けて自己満足してるだけの」
「黙れ!お前に、お前なんかに何が分かる!父はいつも、いつも必死だった!必死に考えて」
「だからそれが茶番だって言ってるんだ。」
レイモンはクラウチングスタートの体制をとる。
「少しの希望だけ与えて地獄へ送り返すお前らは悪魔そのものだ。可哀想だと思う気持ちが更に絶望へと向かわせるとも知らずに。」
「何を言ってる?何が言いたい!それ以上父を侮辱するな!少なくとも気まぐれで人を殺すお前よりは正しい!」
「ははは。お前には分からないさ。一生な。」
どうやらこれ以上の時間稼ぎは無理そうだ。ベンに合図を送りいつでも撃てるように身構える。
「さて、時間切れだ。なんの理解もできないまま死んでいけ。」
レイモンが正面を向き地面を蹴飛ばす。同時にビルの一部が崩壊しレイモンが消える。
エモーションシニックの引き金を引く。
見えた。真っ直ぐこちらに走ってくる。25m。10m。5m。
再び衝撃音が鳴りレイモンはエモーションシニックのエネルギー体を飛び越え僕の背後へ消える。
体勢を右に捻り後ろを向こうとするが身体がゆっくりとしか動かない。
そうか、見えてはいるけど身体は速度に追いつけてないのか。
レイモンの身体にベンが放射状に放ったエモーションビロウィの弾幕が触れる。
レイモンの横っ腹が抉れ、地面に着地する頃には左足はあり得ない方向に曲がり千切れかけていた。
そして右足を曲げ再びコンクリートを蹴り上げ僕へと迫る。
シールドを展開する。もうこれしか手はない。六角形のエネルギー体が頭部と胸を守るように出現する。
レイモンは真っ直ぐ僕を見つめていた。ベンのことは全く眼中にないようだ。
こんなにレイモンの一挙一動が全て見えているのに身体が動かない。
ダメだ…やられる。
スローモーションに見えていた世界が急に加速し、次の瞬間にはレイモンは消えていた。
正面を向き直すと左足、そして左肩から先が消し飛び、やっとの体勢で立っているレイモンがいた。右手には何かを持っている。なんだあれは…
「お、おい!ウィル!お前!」
「え?」
なんだこれ。右腕がない。それにこの噴き上がる血は……だめだ…意識が朦朧と…。
「ウィル!おい!ウィル!!おい!おい!!クソッ血が止まんねえ!!!
「おいおい。まだ1本目だぞ!あと3本あるんだからしっかりしろよ。」
レイモンは右手に持っていたウィルの腕を放り投げ再びクラウチングスタートの体勢をとる。
いつの間にかレイモンの身体は完全に再生しきっていた。
その姿に止血していた手を止がとまる。何もできない。俺には何も。
「…冗談…だろ。どうすればいい?」
「ベン!ウィル!応答して!どうしたの?」
「ドリィ、すまねぇ。俺らはここで終わりだ。逃げろ。」
「え?なに?ウィルはどうなったの!?ここからじゃ見えない!今そっち行くから!!」
「おい!来るな!!」
コンクリートが砕ける音とともに目を閉じる。
せめてもの最後の抵抗としてウィルの身体に覆いかぶさるがきっと無駄だろう。一緒にあの速度で蹴り飛ばされるか殴られるかそのまま轢かれて終わりだ。
なんでこんな所に来てしまったんだろう。なぜ人を救いたいと思ってしまったんだろう。こんなにも自分の命が大事で自分一人守るのにも精一杯なのに。でも……きっとそう言う運命だったんだろう。
きっと…きっと、何度やり直せたとしても俺はここに立っていた。それが俺だ。
それにしても長い。何故衝撃が来ない。背中に水が滴る感覚がある。なんだ?雨か?これは走馬灯ってやつなのか?先ほどまでの後悔の念すら浮かばずここにあるのは嫌な静けさだけだ。
背中に当たり続ける水滴の音だけがやけに響く。
恐る恐る目を開け背後を確認するとすぐ目の前に金網らしき物に引っかかったレイモンがいた。
高速でぶつかったからなのか全身が網目状に食い込み血が滴っていた。背中の感触はこれだったのか。
だがこの金網はいったい…。
「なかなか待ち合わせ場所に来ないなと思ったら…何してんのさバーンズ君。」
急に聞こえてきたその声に辺りを見回すが誰も…いや、いた。見つけたと言っていいのか?金網が徐々に向かって左側に集まって行き、段々と人の形を成形していく。
レイモンの異常な力を目の当たりにしていたためそこまでの驚きはなかったが流石にこれは…人間と呼べるのか。
「ははは。悪いね。向かってる途中でトミーの息子を見つけちゃってね。」
レイモンは顔にこびりついた血を拭いながら男に応える。全身に広がっていた網目状の切り傷はもう塞がっていた。
まだ半分金属のままの男は俺の方を振り返る。
あまりの殺気に一歩も動けない。その恐ろしいほどに冷たい目は俺の事を全く見ていないのに。
そうだ、視界にすら入っていない。
俺越しにウィルを見ている。
なんなんだこいつは。
「はぁ…。もう虫の息じゃないか。これだからイレギュラーは嫌いなんだ。後で文句言ってやる。」




