第33話 溢れ出る感情
なんだあれは。
男の左半身が萎んでゆき右上半身が肥大化していく。まるでそこに全てをつぎ込んだようなその肉体は人間としての形を維持できず異様な程に血管が浮かび上がりまさしく化け物そのものだった。右手は到底人が持てないほどの巨大な刀身に変化していき血管が張り巡らされていく。まるでその刀身が本体かの様な、呼吸すらしているのではと思わせるその見た目に身体は硬直し動かない。
ダメだ。勝てる気がしない。先程から呼吸をするだけで頭痛がする。これがこの能力があっても逃れることのできない死の予感か。
手が激しく震える。両手に持ったスパイクシールドは巡り巡る感情の乱れで維持できずその薄緑色のエネルギー体はノイズを走らせながら空気を揺らす。
男との距離は15m程。先程まで余裕のあったこの距離がとてつもなく近く感じる。実際今のあいつなら間合いに入るまで一瞬だろう。
辛うじてわかる口だと思われる穴が三日月状に広がる。笑っているんだ。あいつは。
私は震える手を強く握り締め気を確かに持つ。
恐怖や絶望。虚無感に無力感。それに後悔。マイナスの感情が私の中で膨れ上がっていくのが分かる。
ここまで感情が自分を支配する気持ちは初めてだった。だが同時にヘッドギアを通じて今までとは比べ物にならない程のエネルギー量が溢れていくのを感じる。
そうか、こんなマイナスな、死を目前にした心すら感情エネルギーになるのか。
私の無力感とは裏腹に身体全身に力が湧いてくる。
そうだ。私はまだ死ねない。
呼吸するたびに起こる頭痛を無視して両手にトマホークを生成する。
私は最後まで諦めない。
深呼吸をして覚悟を決める。
「そろそろ準備もできたかな?ははは。分かるよ、今君は溢れ出る無力感を追い越し万能感で溢れてるんだろ?面白いよね、死を前にした時の感情の爆発は。だがその感情では私には勝てないよ。」
男は右手の刀身を地面に引き摺りながらこちらに向かって歩いてくる。地面は刀身の形に沿って抉れていく。
再び恐怖が私を支配した。身体は勝手に動き後ろに下がりながらトマホークを男に投げつけては生成し、投げつけては生成する。
だが男は避ける素振りすらせずに歩き出した時と変わらないスピードでゆっくりとそして確実に近づいてくる。
「ははは、がむしゃらだねぇ。」
「クソッ!!クソオオオ!!!」
男との距離はあと約12mもう後がない。
息は切れ切れになり最早一瞬で終わるはずの頭痛は断続的に私を襲う。
一際大きい頭痛に襲われあまりの痛さに思わず一瞬目を瞑る。そして再び目を開けた時に何故か頭が冴えきっていた。
この溢れ出る感情エネルギーの扱い方が手に取るように分かる。
この一瞬が勝負だ。
既に生成してあったトマホークを男の頭めがけて投げつけ精神を統一する。
右手を左側へ回し、腰を捻る。左足を思いっきり後ろに下げ空気を思いっきり吸う。
手にはまだ何もない。だがこれでいい。
男はケタケタと笑いながら余裕の態度でこちらへ歩みを続けている。
タイミングを間違えればそこで終わりだ。男を注視し動きの癖を記憶する。
頭が冴えきっているせいか男の動きがコマ割りのように見える。
左足を上げ重心を前に傾け着地する。右足を上げ重心を前に傾け着地する。
左……そして右足。
ここだ。
男の右足が宙に浮き着地する0.3秒前。
1番体幹がブレる瞬間に合わせ右手を振り抜く。
右手が男と一直線上に並ぶ0.2秒前に出せる全ての感情を爆発させる。
私の手からは今まで見たことのない半透明な黒色の刀の形状をしたエネルギー体が格技室の壁を貫かんほど一瞬で伸びそのまま振り抜く。
切った!!確実に!!
男は右側に吹き飛び凄まじい衝撃音と共にコンクリートの壁に大きな穴を開け粉塵が立ち込める。
「……やったのか?」
粉塵が晴れ、私は目を疑う。そこにあったのは巨大な刀身の切先のみだった。
「なっ!!」
男がいない!私はこの男と出会ってから更新し続ける痛みの強さを遥かに上回る頭痛に襲われ背後に感じる酷く突き刺さるような冷たい気配に振り返る。
「やっと気づいてくれたか。やっぱり君は脅威だよ。まだ序盤なのにもうそこまで引き出しちゃうんだから。でも全盛期に比べるとまだ10分の1にも満たないね。」
負けた。これで終わりだ。
「じゃあまた会う日まで。」
男が右手を振り上げる。足が動かない。理由はわかる。もう心が諦めてしまってるんだ。
ウィル…アナ…レニー。すまない。
男の右手が振り下ろされる。私は目を瞑りただただその時が来るのを待つ。
プルルルルルル
なんだ?何故こない。そしてこの音はなんだ。私は恐る恐る目を開けると鈍く光る刀身が眼前で止まっていた。
「ったく、なんだよ。いいところだったのに。」
男は悪態を突きながら左手を体内に突き刺し何かを探している。
右手は私の眼前で止まったままだ。チャンスなのか?逃げるべきなのか?一瞬頭をよぎるが足は動こうとしない。動いたら死ぬのが嫌でもわかるからだ。
「あったあった。」
男の体内から左手が抜き出て小さな端末が顔を出す。血液や肉片がこびりつき血管まで癒着してるが男はそれを無理矢理剥がし取り耳に当てる。
「もしもし?一体なんだい?今いいところだったのに。ん?トミー君?まだ生きてるよ?」
一体誰と会話してるんだ。こいつが黒幕じゃなく組織で動いているのか?
「うん。うん。変更?なんで?ちゃんと許可は取ってるんだろうね?うん。うん。どういうプランか知らないけど後々面倒になったりしない?
うん。………うん。分かったよ。じゃあ今回はそう言った手筈でね。了解。」
通話が終わったのか?男は耳から端末を離し再び胸に開いた穴にそれをしまう。
「はぁ。ごめんね。いいところだったのに。計画変更だってさ。」
計画?変更?どういうことだ、助かるのか?
「へ、変更とは?私をどうするつもりだ。」
「ああ、気になるよね。君を殺すのは中止して、」
男の右手が微かに動く。
「ガハッ」
刀身から細い針が伸び私の首を貫通する。
「廃人にしてくれってさ。」
首に刺さった針を抜こうと手をかけるが力が入らない。
「まぁどんなプランになるか分からないけど殺すなってことはその内また会えるって事じゃないかな?その時を楽しみにしてるよ。」
意識が遠のく中最後に見た男の顔はやはり笑っていた。




