第1話 善意
–現在–
いつもの通学路を歩く。30年ほど前までは夏は暑くてたまらない季節だったらしいが両親が小さい頃から段々と冷えて行き、今では他の季節よりはマシ程度のものでしかないと聞く。
たしかに普段より少し暖かい気がするが寒いものは寒い。みんなダッフルコートにマフラーを身に纏い。ガスマスクを着用している。
「待ってよー!」
ガスマスクでこもってはいるが声で誰だかすぐわかった。振り返るとブロンドの胸まである髪をなびかせこちらに手を振りながら駆けてくる女子がいた。
間違いなく双子の妹、アナだ
僕はため息をつくついでに手を暖める。
僕の前まで辿り着いたアナは息を荒げ、膝に手をつき呼吸を整えている。
「もうなんで待ってくれないの?」
「いつも遅いからだろ。余裕を持って行きたいんだよ。アナに合わせると遅刻ギリギリなんだもん。」
「女子なんだから時間がかかるのは当たり前じゃん!髪乾かすの手伝ってくれればその間にメイク済ませられるのに!」
「はいはい。とりあえず歩きながらにしよ。そこまで余裕があるわけじゃないし。」
話によると最近幼馴染のデイブと付き合い始めたらしい。昔から3人でよく遊んでいて2人の距離感に薄々そんな気はしていたが嬉しい反面、なんだかもどかしさもある。
「今日も学校が終わったらデイブとデートなのか?今日はスモッグが濃いみたいだから早めに帰るだぞ?」
「分かってるよ!もう!お母さんみたいなこと言って!今日は帰り道にあるカフェに寄るだけだからすぐ帰るよーだ!」
こんな口調だがアナの顔はずっとニコニコしている。もどかしさを差し置いてただ妹の幸せそうな笑顔は嬉しい。
「そうか、近頃物騒だから気をつけるんだぞ。」
僕の生まれた国は豊かだった。TVでは環境汚染や他の国々の紛争など暗いニュースばかりだったけど、そんなものどこ吹く風のように平和を謳歌している。
と言っても、人類の発展の代償として悪化し続ける環境汚染の影響はこの国にもある。
一年中空を厚い雲が覆い、化学スモッグが濃い日はガスマスクの着用が義務付けられている。
それに厚い雲が太陽の光を遮ってしまい常に寒い。
僕が物心ついた頃にはそれが当たり前だったから特に苦痛は感じないし、最初からそうなら最早普通の日常だ。
「あ、またあのおじいちゃんガスマスクしないで外に出ようとしてる。」
通学路の途中にある今にも壊れそうなボロ屋に住んでるこのおじいちゃんは昔はとても優しくて気さくな人だったがここ4.5年で痴呆症が始まり、ああやって朝になると徘徊しようとする。
「僕が行ってくるよ。アナは先に行ってていいよ。
この先でデイブが待ってるんだろ?」
「分かった!ありがと!なんか最近暴力的になってきたみたいだから気を付けてね。」
そう言って妹のアナは駆け出していく。二つ返事とは…まぁデイブを待たせてるから仕方ないか。
さて、とりあえずいつも通りおじいちゃんを引き留めつつ家族の人を呼ばないと。
「おじいちゃん。どこ行くの?今日はスモッグが濃いからガスマスクしないと病気になっちゃうよ?一回取りに戻ろうよ。」
「うるさい!どこに行こうが私の勝手だろ!」
そう言いながらおじいちゃんはどんどん前へ進んでいく。やはり聞く耳を持ってくれない。僕はため息をつきつつ急いで玄関のチャイムを押す。
「すみませーん。近くの高校のものですが、おじいちゃんがまた外に出てますよ!」
バタバタと2階から駆け降りる音がする。出てきたのはいつものお兄さんだ。
「いつもごめんね。どっちに行った?」
僕は向かった方向に指を刺そうとしたが一人で連れ戻すのは大変だろうと思い一緒に行くことにした。
「こっちです!」
そう言って僕は駆け出す。3分もしないうちに空き地でしゃがんでいるおじいちゃんを見つけホッとする。
だけど…何をしてるんだ。あれは…雑草を食べてるのか?
「親父!なにしてんだ!」
そう言ってお兄さんは羽交締めにして引き離す。
「またお前か!やめろ離せ!誰か助けてくれ!知らないやつに監禁されてるんだ!飯もまともにくれない!このままだと餓死してしまう!」
おじいちゃんは暴れているが2人がかりでなんとか引きずって空き地から出る。
「親父!今朝もたらふく食ったじゃないか!その膨らんだ腹を見ろ!餓死には程遠い体型じゃないか!」
「うるさい黙れ!それに親父と呼ぶな!私の息子はもっと小さい!お前みたいな年寄りじゃない!」
通行人はみんな見慣れているのか冷めた目でこちらを伺っている。なんでみんなこうも冷たい目をするのだろう。
ここで揉めていても仕方ない。まずは家に連れて帰らないと。
それから10分ほどお兄さんと共に格闘し、なんとか家の中に入れることができた。
「本当にいつもありがとう。君みたいな優しくて勇敢な子がいて嬉しいよ。見ての通りうちは貧乏だから何も返せるものが無いが…」
「いえいえ、こんな時代ですけど助け合いは大事ですから。」
そう言って僕は再び学校への道へ進む。後ろを振り返るとまだお兄さんは深くお辞儀をしていた。
とてもいい事をしたと僕は僕を誇らしげに思った。
父親が昔買ってきた古い本にあったヒーローに少しは近づけただろうか。
僕ももう高校生だ。
漫画のようなヒーローが存在しない事は分かっている。
でも心だけなら近づくことができるはずだ。
きっと僕にしかできないことがある。