第二話 無気力青年
「4番線ドアが閉まります。ご注意―――」
機械的に流れるアナウンスが流れると、十秒もしないで俺が立っている地面はゆっくりと動き出す。窓を見ると煌々とした駅のホームは右から左へと流れていき、すぐに暗くなる。ビルや信号の灯りで彩られた東京の夜景は妖しい魅力を包含するも、何十何百と見てきた者にとっては、スマホを眺めることの方がよっぽど魅力的だ。電車に乗っている大多数が携帯電話を眺めるか、仮眠をとっている。そして俺も、ご多分にもれずスマホをいじっていた。
車内に流れるアナウンスには耳を貸さず、俺はメールアプリを開く。ずらりと並ぶメールの中から、『二次選考の結果について』と書かれたものを開く。就活生にとってそのメールは宝箱のようなものだが―――どうやら今回もスカのようだ。これで通算20回目のスカ、当たりは未だひとつも無し。
全く気が滅入るったらありゃしない。何がお祈りメールだ、あんなもの落ちた就活生にとっちゃ呪いだ。『お前は社会に必要ない』『この程度で入れると思ってんのか?』って事を、丁寧な文章にして馬鹿にしてるだけなのさ。
まぁ、言ってることを否定できないのがまた辛い。適当に選んだ会社を適当な志望動機をでっちあげて面接に望んでるようなやつ、俺が採用担当でも落とすに決まってる。
「おおおお、中々綺麗だね~! 渋々こっち来たけど、ニホンもいいもんだねぇ」
ブツブツと考えていた俺の耳に、そんな明るい声が聞こえた。声の主は、向かい側のドアにいた中学生くらいの少女だった。その少女は、正直かなり浮いていた。コスプレのような和装、鈴をかたどった髪留めで縛った、地面に着くほど長い白髪、トレードマークのようにぴょこんとはねたアホ毛。まるで漫画やアニメの中から飛び出してきたかのような少女に、ついつい目が奪われる。
「…これ運転席の窓からも見てみたいな~ 運転席、あっちだっけか」
少女はそう言うと、窓を眺めつつそそくさと先頭車両に向かって歩いていった。
「…俺もあんくらいの時はマシだったのにな」
興味と明るさを振りまく少女を見て、ついつい思い出してしまった。
俺の子供の頃は、目立ちたがり屋な所もあったけど、学級委員長だなんて面倒な役職にも進んで手を挙げて立候補したし、水泳やサッカーといった課外活動にも全力で取り組んでいた。伝統芸能に挑戦したこともあるし、英語のスピーチコンテスト出場とか、とりあえず何にでも興味があって全部やらなきゃ気が済まないような子だった。それでいて性格は明るく、純粋で。学校に行くのも、友達と遊ぶのも楽しくて仕方なくて、毎日精一杯楽しんでた。
それに対し今の俺はどうだろう。
いつの間にか性格はひねくれ、何に対しても興味をもてなくなった自分。昔はあんなにやりたい事が見つかったのに、今じゃ睡眠欲求しか思いつかない。たまの休日は家でゴロゴロするだけで潰し、虚無感とえも言われぬ不安に怯える日々。ここ久しく心の底から楽しんだ事はなく、まるで生きながらにして死んでるようだ。
「まぁ、だからといって何かを変えようとも思わないけど… 」
これ以上考えたって余計に暗くなるだけだと判断した俺は、メールアプリを閉じ、気分転換にとチェスのアプリを開く。オンライン対戦もできる優れもののアプリだが、オンラインで勝てるほどチェスが上手いわけでもないので、コンピューター対戦しかしない。別にチェスが上手くなりたいわけでもないし、一緒にやる友達もいないのでそれで十分なのだ。
そうしてコンピューターとの対局をはじめようとした、まさにその時。どこからか、シャリンシャリン と、鈴がなる音が聞こえた。乗客の話し声、電車の走る音、車内のアナウンスといった大小様々な雑音がある中で、小さくか細いその音は不思議と響いていた。
「鈴…?」
鈴といえば、先程の少女がしていた不思議な髪飾り。そう思った俺はスマホから少女が先程までいた場所に目を移す。そこには赤と白の紐で結ばれた金の鈴が落ちており、電車の揺れに呼応してシャリンシャリンと鳴っていた。辺りの人はイヤホンをしていたり、会話に夢中だったりと、どうにも鈴の音に気づいていない様子だ。
「落としたのかな?」
このまま知らん顔するのも可哀想なので、鈴に近寄り手に取る。少女が運転席の窓から景色が見てみたいと言っていたのを思い出し、先頭車両に向かって歩き始める。
「綺麗だなぁ… あ、鈴には魔除けの力もあるんだっけ。面接惨敗中の厄も落としてくんないかな」
そんな軽口を叩きつつ、揺れる足元に気をつけ歩みを進める。車内の人混みを巧みにすり抜け、車両と車両を繋ぐ連結部へとたどり着く。
「…あれ、ここって扉あるんだっけ? 」
普段乗っている電車の連結部には扉がないのだが、そこには手動の引き戸があった。
「んぇ、意外と重い…」
開こうと試みるも、電車がカーブに差し掛かり、遠心力が働き想像よりも少し重い。とはいえ開けられない訳でもないので、先程より力を込める。
「次は、田端、田端。お出口は左側です。京浜東―――」
車内に流れるアナウンスを聞きつつ、そろそろ降りる駅だなぁとぼんやり考えていた俺だが、そんなどうでもいい考えはすぐに吹き飛んだ。
「…何これ」
扉をくぐった先に広がっていたのは、一面の緑だった。電車の中では感じるはずのない心地の良い風が草花を揺らし、心から温まるような日光が柔らかく全てを包む。電車とはうってかわった開放感溢れるその光景に、俺はただただ惚けていた。
「ARか… 幻覚… 死後の世界? いや、明晰夢も……」
言葉に出して考えてみるも、そのどれもがしっくり来ない。
「―――あ。入ってきたドアから帰れるんじゃ」
そう思い振り返ると、そこにはドアがなく、代わりにあったのは朱色の鳥居と注連縄を巻いた大木。そして、腰より長い白髪を風に揺らめかせる和装の少女が、宙に浮く丸みを帯びた椅子に座ってこちらを覗いていた。
俺が少女を見つけたことに気づいたのだろう。少女は花が咲くように笑うと、椅子ごとこちらに向かってくる。
「やっほーやっほーやっほっほー! おにーさんさっきぶりだね!」
「…へ?」
呆気に取られる俺にはお構い無しに、少女はさらに続ける。
「突然だけどおにーさん、今からゲームしよ!」
「…は?」
「ボクに勝てたら、ボクができる範囲で一つだけどんな願い事も叶えるよ! でももしボクが勝ったら…」
少女はそこでタメを作り、勢いよく椅子から飛び降り口を開く。
「ボクにトーキョーで一番のお土産を頂戴!!」
□□□
時を少し遡って、場面は神世界ティラ・ミコノス郊外、万楽亭。縁結びの神であるリンと元人間のツムギが住まうこの社は、リンの顔の広さや心柄の良さ、ツムギの気立ての良さも相まって、神々の憩いの場となっていた。
そんな万楽亭に、今日も一人、客神が訪れた。やって来たのは首元に大きなヘッドホンをかけたパーカー姿の少年で、万楽亭につくなり境内を掃除していたツムギに声をかける。
「やっほーツムギちゃん。元気ー?」
「あれ、アミュ様じゃないですか。どうしたんです?」
「仕事疲れたし息抜き。リンはいる?」
「あぁ、中にいますよ。多分居間か客間でゴロゴロしてるはずです」
「はははっ、相変わらずだね。それじゃ、お邪魔してもいいかな?」
「えぇ、もちろんですよ」
そう言って二人は本殿の中へと入る。ツムギはお茶を準備するからとパタパタと奥の方へ行ってしまうが、アミュは慣れた足取りで居間へと向かう。居間の襖を開けると、そこにはツムギの予測通りうつ伏せでゴロゴロしているリンがいた。
「んえ、アミュじゃん。おひさ~」
顔だけ音のする方に向けたリンはアミュががやってきたことに気づき、よっこいせと声を漏らしつつまくらにしていた座布団に座る。そして、空間に穴を開け右手を突っ込むと、ふっかふかの座布団を取りだしアミュに手渡す。
「どーぞどーぞお座りになって~ 」
アミュは手渡された座布団をリンの斜め前の場所に敷き、すすめられるまま座布団に座る。
「それで、今日はどしたの? また部下に仕事押し付けて逃げてきたの?」
「いやなに、あの縁結びの神が働く気なったって聞いてね。冷やかしがてら寄ってみたんだ」
「えーー、冷やかしなら帰ってよー。折角働こうとしてるボクの心が傷ついちゃうじゃんか」
机にベタっと体を倒し、口をとんがらせてそんな軽口をたたく。
「―――てか、その話漏れるの早くない!? ボクそれ、昨日決意したんだけど!」
「知識や情報を司る神々なら知っててもおかしくないだろ」
「いやいやいや、ぼくこーみえても神だよ?人間や動物相手の情報集めと違うんだから、神のプライベート知るには、それなりに権能を使わないと無理でしょ。それに、ここも結界つくったり魔法使って結構防衛設備整えてんだよ? それなのにこんなちっぽけなこと探るのに無駄に権能使う馬鹿いないって」
神世界ティラ・ミコノスにはありとあらゆる神々が存在している。土地神や付喪神といった権能の小さい神から、破壊神やら創造神といった最高神クラスの神まで多様性に富んでいるのだ。ともすれば勿論、知識や情報を司る神々も存在するのが道理だ。そういった神々は自らの権能によってありとあらゆる情報を仕入れることができると思われがちだが、探る相手によっては権能負けする可能性もある。
その一例が相手も神である場合だ。神である場合、相手が強力な耐性を持っていることがほとんどであり、特に相手に被害を与えるような権能を神相手に使う場合は、失敗する可能性が高くなる。リンは信仰心の少なさや権能が弱いことから、探ろうと思えば失敗こそしないが、神であるが故に非常に疲弊させられることには違いなかった。
そういった背景から、リンは自分の情報、それも万人に対してほぼ無価値である情報をわざわざ探るような物好きはいないと判断したのだ。しかし、それを十分に分かっているはずのもう一柱の神は、ニヤついた笑みを浮かべる。
「はははっ、それがいたんだよ、そんな馬鹿。それも結構な数」
「え、嘘でしょ? なんでそんな―――」
問い正そうとしたリンの声を遮るように、ガラガラと音を立てながら襖が開く。そこには、お茶とお菓子が乗っているおぼんを運んできたツムギの姿があった。ツムギは運んできたものを机の上に置くと、一礼して部屋を後にした。その様子を見ていたリンの脳裏に、とある可能性が浮かび上がった。
「ほら、今答えが来たじゃない」
アミュがニヤつきながら言った言葉で、リンは自分の考えてる答えに確信を持つ。
「もしかしてだけどさ、ツムギ狙いの神様の仕業…?」
「ピンポンピンポンだいせーかーい! 正解者には飴ちゃんをあげよー!」
アミュはツムギの運んできたお菓子の中から飴を取り出し、リンの手にのせる。
「リンが働くとなれば、ニートしてた頃と違ってここが手薄になるからね。その隙にツムギちゃんとお近付きになりたーい助平な神様とか、悪巧みしたい神様がいるんだよ」
「はぁ… 神だってのになんて人間くさいというか、ゲスいというか…」
「元々女癖の悪い神様は多いからね。ツムギちゃんみたいな綺麗で性格も良い女の子が狙われるのも当然でしょ? ―――あ、聞くところによると非公式のファンクラブもあるらしいよ」
信仰の対象である神々から、|ファン活動(信仰)される元人間という不思議な図が発生している事を知らされるリン。
「最初の頃はツムギのこと軽蔑してたよーな奴らばっかだったくせして、神様ってやつは随分と手のひら返すのが得意だね」
「まぁまぁ、認められたってことじゃない?」
苛立つリンを宥めるようにアミュがそう返す。
「はぁー… なんか余計に信仰心集め行きたくなくなったなぁ。ツムギに何かあったらと思うと気が気じゃないよ」
「ははは、あの子なら最高神相手でもひらひらと躱すさ。それに、万が一が起きても対処できるよう、色々と準備はしたんだろ?」
「そりゃ勿論したけどさ…」
「なら大丈夫だって。全く、リンは心配性が過ぎるんだから。まぁ、今日の所は僕が見といてあげるから、さっさと信仰心集め行ってきなよ」
「…ん、ありがと。それじゃ、行ってこようかな」
心配から信仰心集めに行くか悩んでいたリンだったが、余程アミュの事を信頼しているのか、アミュが残ると聞くとすんなり信仰心集めに行くことを決断する。
「ちなみに、どの世界にいくんだい?」
「第三世界に行こうかなーって」
「第三世界っていうと… あぁ、科学が発達した世界か」
「そうそう! そこにあるトーキョーって所が、ツムギのオススメらしくてね! 帰りにちょこっと観光する予定だから、アミュの分のお土産も買ってくるよ~」
リンはそういって起き上がると、ぼそぼそと何かを呟く。すると、先程まで何も無かった空間に突如として光り輝く鳥居が現れる。鳥居の中は淡い光が渦を巻いており、見る角度によって様々な色を放っていた。
「それじゃ、行ってくるね~!」
リンは手を振りつつ、鳥居の中へ。光の渦の中へと消えていった。
□□□
「と、東京で一番のお土産?」
「うん、それを頂戴よ。…それで、ボクとゲームしてくれる? それともやらない?」
「あ、えと… や、やります」
「おっけー! そんじゃ、そこ座って~」
「じゃあゲームを―――」
「ま、待って!! そ、その前に、君は何者なの? 何の目的でこんな事を?」
「あーっと、その話すると長くなっちゃうから、ゲームしながら話そうよ。あ、おにーさんはどのゲームが好き?」
「ゲ、ゲーム? …あぁ、えと、チェス…とか?」
「じゃあ、チェスで勝負しよっか」
少女がパチンと指をならすと、地面から白い円盤型のテーブルが浮き出てくる。そのテーブルは椅子と同じく空中に浮かんでおり、人ならざる力が働いてることは疑いようがなかった。
「えーっとチェス… チェス… あれだよね、白黒のやつ…」
少女はブツブツと呟いた後、テーブルの上に手を差し出す。そこから半透明の光が集まり出し、数秒程で一際強い光を放ったかと思うと、テーブルの上にはオセロが用意されていた。
「いやこれ白黒ですけどオセロですよ」
「あれ、違った!? ごめんごめん出し直すね」
少女は顔を赤らめながらオセロに片手を差し出し、光を集める。そして、先ほど同様に数秒程で強い光が放たれ、テーブルの上にはチェスが用意されていた。
「さ、始めよう!」
白側をとった少女がナイトを動かした所からチェスは始まった。俺も対抗するようにナイトを動かすと、少女が口を開いた。
「さて、じゃあまずは自己紹介しようか。ボクはリン、この世界を担当する神様だよ」
ポーンを動かしつつ少女が言い放ったその内容に、チェスを指す手が一瞬止まる。しかし、よくよく考えてみれば相手が人智を超えた存在であることは薄々感じてはいた。俺は混乱する頭を落ち着かせ、少女に質問を投げかける。
「神様…? っていうと、その、ギリシャ神話のゼウスとか、日本神話のアマテラスとかみたいな?」
「そうそう、それで合ってるよ」
「でも、俺はリンっていう神様を聞いたことなんかないけど…」
「ははは、残念ながらボクは先の二人みたく勤勉じゃなくってね! この世界じゃ無名に近いのさ。それに、ボクはどっちかと言えば他の世界の方に注力してたから、余計にね」
リンと名乗る少女は、俺の指し手に対してノータイムで返しつつ答える。
「その、他の世界って…?」
「んーとねぇ、科学が発達した世界に住んでる君には特に信じてもらえない話なんだけど、世界って夜空に輝く星々のように、無数にあるんだよ!」
「へ?」
「君が住んでる世界は特に科学が発達した世界なんだけど、他の世界じゃ魔法が発達した世界もあるし、超能力が発達した世界もあるのさ。それらを全てを管理してるのが、ボク達神様ってわけ!」
そう言ってリンはビショップを動かす。その一手はそれまで膠着状態だった盤面を打開する良手で、リンの言葉にも喜びがにじみ出る。
「でもほら、いくら神様っていったって、無数にある世界の全てを管理するのは無茶があるじゃない? そこで、神様毎に担当する世界が決まってるのさ」
「そ、そうなんだ」
思考の追いつかない俺にお構い無しに、リンはスラスラと話す。突然他の世界があるだなんて言われても、信じろというのが無理な話だ。しかし、既に目の前には神様という理解不能な相手がいるわけで。俺が幻覚や夢を見てるわけじゃないなら、その話を嫌でも信じるしかない。
「それで、ここからが目的の話なんだけど、ボクらの目的は信仰心を集めることなんだ」
「信仰心?」
「そ、信仰心。ボクらの力の源みたいなものだよ。少なすぎると存在ごと消えちゃうから、こーやって担当する世界に現れては信仰心を集めてるってわけ」
リンはビショップの駒を手に取り、その駒を弄びながら盤面を見据える。
「ボクの集め方はゲーム式だね。気に入った子を自分の所に引き寄せて、その子とゲームして信仰心を集めるタイプ。ゲームに負けた時は無償で相手の望みを叶えるけど、勝ったらこっちの頼み事を聞いてもらうの」
「…え、でも、話聞く限りだと、その形式だと信仰心集まらなくないか? 負けても東京のお土産あげればいいだけだろ?」
俺がそう言うと、リンは何がおかしかったのか口元を抑えて笑い出す。
「あはは、それはボクだけね。普通は負けたら、神様から結構無茶な命令を受けるんだよ。『絶対服従』とか『死ぬまで信者を増やせ』とかね。あとは、そもそもゲームを受けるために大量の信仰心を必要とする場合もあるよ」
「そ、それならリンはどうやって…」
「ふふふん、ボクの場合はちょっと特殊でね。こーやって新しい縁を結べれば、それだけで信仰心が手に入るのさ。まぁ、ほんとに少ししか手に入らないから、家族に怒られちゃったりしてるんだけど…」
苦笑いを浮かべたリンだったが、すぐに明るい表情を取り戻す。
「さ、そろそろ攻守交替! おにーさんの話が聞きたいかな。おにーさん、名前はなんていうの?」
「あ、ごめん、名乗りもせずに質問して。俺は雨宮 優、大学四年生だよ」
「そっかそっか、スグルおにーさんか。それで、スグルおにーさんは、もしボクに勝てたらどんな願い事をするの?」
少女の言葉に、俺はすぐには返答できなかった。突然なんでも望みを叶えるって言われても、色んな願が浮かんでしまって、ひとつに絞ることは難しい。
「…その、今までの人はどんな事を叶えようとしてたの?」
「え? あぁ、この世界でよく聞くのはお金持ちに成りたいとか、パートナーが欲しいとかかな。あぁ、一度だけ嫌いな上司を殺してくれってのもあったね」
「えっ、や、やったのそれ?」
ありふれた願いの中に、「殺す」というショッキングな願いがある事に驚いてしまい、ついつい聞き返してしまう。
「んー、間接的にね。スグルおにーさんは『異世界モノ』って知ってる?」
「えと、ラノベとかでよくある、異世界転移とか異世界転生のこと?」
俺の答えに、リンは頷く。
「そうそう、それそれ。ボクらは沢山の世界を管理してるからさ、実際にそーゆー事が出来ちゃうんだよ。それでさ、『異世界モノ』って、当たり前だけど、選ばれた人は別の世界に行くわけだから、元いた世界では死んだことにしたり、失踪したことにする必要があるんだよ」
「―――あぁ、なるほど。リンはそれを利用して、その上司に『異世界モノ』の話をもちかけたってこと?」
「そゆことそゆこと♪」
なるほど、確かにそれならば間接的に殺したことになる。しかも、リンは異世界モノをもちかけただけで、最終的に決めたのはその上司なわけだから、全員にとってWinWinになったわけか。
「ま、そんなわけだから、お望みとあらば異世界モノもできるけど。スグルおにーさんはどうするの?」
「えーっと、そうだなぁ…」
「あ、ゆっくり考えていいよ。ボクも長考するし…」
リンは盤面を見てあーでもない、こーでもないとうなり出す。どうやらさっき打った手がリンとしては中々厳しい一手になったようだ。
さて、それはそれとしてどうするか。「願い事を叶える権利を増やしてくれ」なんて子供じみた手は通用しないだろうし、叶えられる願いは一つだけだろう。となると、異世界モノは結構魅力的だ。異世界にいって、のんびりと暮らすのも、俺TUEEEEをするのも楽しいだろう。ただ、異世界転移したからといって必ず成功するわけではないのが懸念点だろう。フィクションじゃないんだから、ご都合主義も働かないだろうし、最悪言葉も通じずバッドエンドの可能性があるだろう。となると、一番叶えたいのは―――
「うん! なんの不安も感じず、ただただ寝て過ごせるだけのお金が欲しい!」
「おぉ、実に人間くさい願い事だね!」
「…いやぁ、基本的に何もしたくないんだよね、俺。こう言っちゃなんだけど、生きるのって結構めんどくさいなって思っちゃって」
どん引かれるかと思いきや、リンは意外にも笑みを浮かべて受け入れてくれた。その様子に少し安心感を感じながら、話をさらに続ける。
「生きるためには少なからず努力しないといけないだろ? 仕事でも、勉強でも、人間関係でも。歳をとる度に努力しなきゃいけない事が増えてってるのを感じるとさ、あー生きるのって面倒だなーって思っちゃうんだよね」
「そっかぁ… 」
「あぁ、いや、全面的に俺の感覚がダメなのは分かってるんだよ? 努力する方が正しい事くらい俺もわかってるし、こんな事で悩めるだけ幸せな事なんだなってことも理解してるつもり。でもなぁ、分かっててもふとした時に思っちゃうんだよ、面倒な事ぜーんぶほっぽり出して、一生寝てたいなって」
ここ最近よく考えるようになってしまったことを思い切って吐露すると、リンは否定せずただただ頷いてくれた。
「ま、そんなわけだからさ、俺は一生寝て過ごせるだけのお金が欲しい!」
俺はポーンで相手のポーンを取る。それは、様子見をやめ、総攻撃をしかける一手だった。それに対し、リンはニヤリと笑って駒を動かす。
「ふふ、分かったよ。ボクに勝てたらその望みを叶えよう!」
リンが打った一手は、逃げるでも守るでもなく、真っ向勝負を受け入れる手だった。
「よっしゃぁぁ!! 言ったな、言質取ったからな! 絶対勝ってやる!!」
「ふっふっふ、ボクも心情的にはお金目当ての人に負けたくないからね…! 本気でいくよ!」
□□□
リンが第三世界へと旅立ってから8時間が経とうとしている万楽亭。その居間には携帯ゲームをしているアミュとリンが呼び出した鳥居があるのだが、その鳥居が淡い光を纏ったかと思うと、その中から両手に紙袋をもったリンの姿が現れた。
「アミュただいまー! ツムギに悪い虫はつかなかった!?」
「ん、三人くらい来たけど、全部追い返してやったよ」
「ほんと!? ごめんね、ありがとう~」
リンは紙袋をテーブルの上に置き、座布団の上に座りこむ。
「気にすんなって。それよりどーだったよ、久々の信仰心集めは」
「ん、楽しかったよ。ゲームもボクが勝ったし。ほら、これ戦利品の『トーキョーバナナ』と『鳩サブーレ』」
リンは紙袋の中から箱詰めされたお土産を取り出し、アミュに手渡す。
「お、ありがと。…それで、願い事は叶えてあげたの?」
「アミュってば、話聞いてなかったの? ゲームはボクが勝ったんだよ?」
「いーや聞いてたけどね、お人好しなリンの事だし、どーせお節介を焼いてるんじゃないかなってね」
「あははは、なんの事かな」
アミュの言葉に、リンは分かりやすく目を逸らす。
「鈴」
「え?」
「あの男を呼び寄せる時に使った鈴、回収してないだろ」
アミュの指摘に、リンの顔には動揺の色が広がっていく。
「ちょ、なんでそれを… まさか見てたの!?」
「そりゃあ心配だからね。…てか、チェスの腕なまってるんじゃない? 危うく負けるとこだったじゃん」
「遊技の神様からしたらどんなプロプレイヤーでも下手にみえるでしょ」
「ふふ、否定はしないよ」
アミュは自信に満ちた顔で悪戯っぽく笑う。
「そんな事より、リンがあの鈴に込めた力の方が気になるんだけど?」
アミュが更に問い詰めると、リンは観念した様子で話し出す。
「なんてことは無いよ。彼はお金持ちになりたいって願いだったから、金運との縁を結んであげただけだよ。どれほどお金持ちになれるかは、彼次第だけどね」
「あらお優しいことで。あんなクズ見捨てちゃえばいいのに」
「そーゆー訳にはいかないよ。相手が自堕落な人間だろうが、神様だろうが、獣だろうが、一つ一つの縁を大事にしてくのが縁結びの神様のモットーなんだから」
自慢げに語るリンの顔は、太陽のように眩しく優しい笑顔で彩られていた。
説明回にもほどがありますね。反省してます。
次投稿するのは7月になると思います。