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歴史を変えた研究

作者: 鈴木美脳
掲載日:2021/05/08

 彼は、疑いもなく天才でした。

 彼は、私達人間が織りなす社会について、突出して優れた洞察を残しました。

 彼の思想や理論は、同時代の人々には理解されず、彼は孤高のままに世を去りましたが、ずっとのちになって世界を一変させました。

 ここでは、彼のその思想について説明します。


 人間は、有限の計算力を持つ情報処理装置であり、認知される客観は、必ず抽象化を経ています。

 彼は、その抽象化の利己的なゆがみに着目しました。自己欺瞞の心理的な特性が、人間という生き物と不可分に存在している。むしろ、自己欺瞞の心理的な特性は、人間という生き物を特徴づけている、と彼は考えました。

 そして、人間が自己欺瞞する生き物である結果として、人間が構成する人間社会についても、累積した自己欺瞞が構成する構造こそが、本質的な骨格になっているとしたのです。

 ですから、人間や人間社会が言う主観の側から物事を見るのではなく、社会のその骨格に注目したモデルによって人々を認知することを通じてこそ、社会の行く末は精度よく占え、また目的のために適切な判断をくだすことができる。彼はそう考えました。


 彼は、知識は無益だ、と言いました。

 それというのも、多くの知識や入力情報と、そこから導いた出力や行動の妥当性について、相関はあまりに微弱だと言うのです。

 たとえば、本を読んで歴史を学ぶとします。そこには、いつどこで何が起こったか、具体的な情報が羅列してあります。しかし彼は、それはゆがんでいる、と言います。中央権力によって学校の教科書がゆがめられるような作用以上に、庶民の主体的で無意識な願望によってこそ、流通する情報はゆがんでいると言うのです。

 そのことは、歴史学以外のすべての学問についても無縁ではなく、直接的に関係します。たとえば数学についてさえ、数学の価値に対する潜在的な意識として作用しています。

 ですから、彼が言ったことは、近代科学は無力だ、と吐き捨てたに等しいのです。

 そのため、彼が、既存の権威や権力に敬意を持たず、孤高として人生を送ったことは、必然だと言えるでしょう。


 彼は、発達障害のうちのアスペルガー症候群に注目しました。

 他者の立場や感情に配慮する能力が弱く、自分の価値観でばかり躊躇なく一方的に価値判断する性質に注目したのです。

 そして彼らが、世界と摩擦したり、社会的な他者との関係が何かうまくいかなかったとき、自分を否定するのではなく、世界を否定することで自分を肯定しようとする心理的な機序に気づきました。

 すなわち、ある種の知的能力が先天的に低い人ほど、自己中心的に都合よくゆがんだ認知で世界を捉えているというのです。

 そして、その心理的な機序を程度問題として見たならば、すべての健常者も間違いなく同じ作用を備えている、と彼は言います。

 そうして彼は、常識的な世界観はまったくの共同幻想にすぎない、と結論しました。近代科学全体がなす言明は、客観的な現実の妥当な近似ではない、と言い切ったのです。


 彼は、西洋近代を否定しました。

 西洋を中心とした近代革命以降の世界全体を否定しました。

 また、西洋近代思想が由来するところの、歴史的な西洋キリスト教思想も否定しました。

 それらの否定の中心には、個人主義、つまり、個人的で物質的な幸福観への否定がありました。彼は、個人主義は人々を幸福にしない、と言いました。それはむしろ人類を地獄の底に叩き落とすものだと、彼は言い切りました。

 そして、個人主義に覆われているものとして現代世界を、近代大衆主義思想と呼んで否定しました。


 歴史的な遊牧民が、家畜の生涯を道具として管理することに気づいたとき、人間は狂気に沈みはじめた、と彼は言います。

 人間の理性は、そのとき、対象を憐れんだり敬ったりすることをやめた、と言うのです。そうして、多神教の中から一神教が生まれた、と言うのです。そのとき、完全なる他者という感性が理性の上に発明されたと言うのです。

 それまで、人々は、草木にも石ころにも心があると信じていました。万物には、各々の痛みの感覚や喜びの感覚があると信じていました。人々は、主観的に共有される感覚の中に、自らの生を楽しんでいたのです。

 ですから、人々は、動物を殺すことも恐れたし、人間を殺すことも恐れた、と彼は言います。動物を虐げることも恐れたし、他者を虐げることも生理的に拒絶する感性を持っていた、と彼は言います。

 理性的に創造された狂気によってはじめて、人間が人間同士で他人を、ときには家族すら、道具と見なす格差社会が準備された、と彼は考えます。


 人を道具のように見なしたり、他者の尊厳を侮辱して軽んじる態度は、歴史的には、人倫に反するものとして感覚されました。

 しかし、市場では貨幣が流通していき、近代兵器と法律のもとで、労働力もまた商品になっていきます。労働者が純粋にお金を目当てに働くことや、企業が彼らを道具として取捨選択して使役することは、例外ではなく普遍的な前提になりました。

 歴史的に感覚されてきた、徳やモラルといった人格的価値は、個人の第一の価値とされるどころか、最下位の価値としてすら認知されなくなりました。

 そして人々は、それでいい、と感覚しました。人間は、個人的で利己的な存在であって、それは唯一無二の普遍的で当たり前の事実だと考えるようになっていったのです。

 彼は、そのような近代思想を、歴史的な自己欺瞞の累積にすぎないと唾棄しました。


 そして彼は、階級闘争史観こそが逆説的に階級社会を完成させるだろう、と予言しました。

 なぜなら、庶民に存在する社会悪を権力に転嫁することで、実際の原因は解決されなくなるからです。

 自己欺瞞によって、認知から滑り落ちることで、目の前にある原因すらが永遠に目に映らなくなる、といいます。

 大衆の不徳を決して断罪することのない、権力という架空の神だけを断罪しつづける自由主義や共産主義こそは、資本主義さらには科学主義の完成形だといいます。

 その結果、人類はテクノロジーの奴隷として幸福を喪失するだろうと彼は予言しました。奴隷の喜びと苦しみは使役のために制御され、人々は、有用な機能に分解して変形させられた上で、結局不要な存在は一掃されるにちがいないからです。


 彼は、平等主義を否定しました。

 人間の価値が平等である、という考え方によって人々が自分自身の心を安らげることは、まったく割に合わない結末を引き起こす、と彼は言います。

 一方で、個々人の価値は人徳によってこそ序列される、という思想を彼は肯定しました。極端には、アスペルガー症候群の人々の尊厳に対する否定こそが、近代を通じた本質的な禁忌だとして、そこに踏み込みました。そしてそれゆえ、彼は必然的に、同時代から唾棄されました。

 彼は、近代的な悪しき平等主義の由来として、西洋キリスト教や一神教を否定しました。それらは本質的に大衆主義であり、有害な自己欺瞞の思想だと断じました。

 そして彼は、人徳の威厳こそを懐かしんだ。

 しかし、人徳の尊厳の再興のみを彼が訴えることはありませんでした。それを直接行うことは不可能だと、彼は知っていたからです。


 代わりに彼は、人間の利己的な自己欺瞞の時間的および空間的な蓄積がいかに社会構造の骨格を形成しているか、詳述しつづけました。

 人間や人間社会のその性質を俯瞰できてはじめて、人類の行く末を妥当に軌道修正できると、彼は考え、その視座を伝え残そうと努力しました。

 近代的な経済や科学の全体が、金銭やテクノロジーへの狂った没頭であると明らかになる、思想的な革命を彼は希望しました。

 しかし、彼の言葉が真実であるなら、私達人間がひどく矮小化されることにもなります。私達が見るものの真実性や、感じる誇りの正当性は、限りなく頼りないものになってしまいます。

 普遍的な正義や価値は存在せず、価値や正当性の一切は、知的に少しより優れた存在にとってみれば、簡単に完全にひっくり返ることになります。


 つまり、人間ははじめて、自分自身の知性の性質的な本質的上限、種としての根本的な弱さを自覚しました。

 そのようにして、人間存在は主観から客観へと進化し、人類がアスペルガーであった時代は、永遠に幕を閉じたのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  難しい命題のような気がします。  よく解らないにで、ブクマ登録してそのテーマが出たら見ようと思います。  科学、宗教、道徳、知性、哲学などの概念の中で、人間の指針となりえるのは哲学と…
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