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十一章

うちを出た梨香は佐川のところへ向かい、そこで一週間を過ごした後に佐川の研究室へと引き取られていったという。

「なんだかんだ、楽しんでいたよ」

 梨香が研究所に引き取られてから初めての週末、小百合に呼ばれ、佑人はケーキを片手に佐川家にお邪魔した。水原も誘おうか、少し考えもしたが、結局そうする理由が見つけられなかったので一人で向かった。誰かを頼るには、自分は少し冷静すぎる。それはきっと、今も昔もだ。

「家事をすごく手伝ってくれてね。遊んだらって言っても、一人じゃつまらないって言うの。一人遊びなんて得意だったくせにね」

 そう朗らかに笑う小百合は、思いの外気持ちを閉じてはいなかった。佑人がそうであるように傷つくだろうと踏んでいたが、彼女は彼女なりの穏やかさでいつも通りに暮らしていた。

「寂しそうな顔なんてしなかったし、あなたが思っていたように苦しむ様な姿はなかったわ。もちろん、隠してはいたでしょうけど」

 佑人が買ってきたショートケーキを食べながら、小百合は淡々と語った。真っ白いケーキ皿と、白地にターコイズブルーのデザインが施されたカップとソーサー。遣うのにも気疲れする高級品に、繊細なショートケーキは妙に気高く見える。

「あのコは未来を疑っていなかった。だから、悲しみたくないって言ってたわ。あの言葉に嘘はないでしょうね。自分が幸せになったみたいに、次もきっと幸せになれるからいいのって、そう言ってたわ」

 佑人は黙って聞いていた。そういう梨香の表情は簡単に想像ができたし、そうやって笑う梨香を見ているのが幸せだった。彼女は楽天家なのではなく、幸せを疑わないだけの強さを持っていたのだ。

「最後を預けるのはずるいと思っていました。だから、謝りたかったんです」

 小百合が目を眇め、わざとらしくため息をついた。

「佑人君。あなたも、なんだかんだ職人気質よね」

「そうですか?」

「最後まで自分でやり切らないと気が済まない。人の頼り方が分からない。自分だけが苦労すればいいのならそれでいい。そんなの、いつかパンクするわよ」

 小百合はこちらを咎める様な目つきで言う。それは忠告のようでもあり、茶化しているようでもあった。

「別にそんなつもりはないですけど」

 なんとなくそうなりがちな自覚はあったが、自分がそう選んでいる自覚はなかった。

「まぁ、そういうのって、生まれ持った性格とか、生育環境や境遇などで少しずつ形成されるものだから、意図してなるものじゃないものね」

 今日の小百合は妙にさばさばしているなと思いながら、彼女のケーキが既に残り一口になっていることにも驚く。佑人は気持ちが乗らず、一口食べた後、直ぐに小百合の入れてくれたアールグレーに手が伸びた。なぜ自分の分はチーズケーキやフルーツタルトなどの軽めのものにしなかったのだろう。同じものを同じだけ買う慣習につい流されてしまった。

「そう言えば、佐川さんは?」

「研究所よ。手伝うと言いながら、半分は余計なことをされないように監視しているのよ」

「そうですか」

 佑人は安堵して息を吐いた。

「あの人も、梨香ちゃん以上におろおろしてて、この一週間見れたもんじゃなかったわ」

 フォークを置き、小百合は髪をそっと整えた。

「よく、男は最初の男になりたがって、女は最後の女になりたがるって言うでしょう」

「オスカーワイルドの名言ですね」

「あれはいろいろな解釈があるけど、私は思い出の作り方の差だと思うの」

「思い出の作り方?」

「思い出をね、男の人はひとつひとつパッケージして大事に保管しちゃうのよね。でも、女は上書きしちゃう。どんどん積み重ねていくから、最後がよければそれでいい」

「なるほど」

「女は強いでしょ?」

 片眉を動かした小百合に、佑人はため息をこぼした。

「そうですね。ついでに、口も軽いですね」

 そういうと、小百合は口元を抑えて笑った。そのくせ、声は抑えていなかった。

「そうよ。女に隠し事の概念がないのよ」

 最後にやってくれたなと思いながら、そういえば梨香は水原にどんな手紙を書いたのだろうと考えた。当然聞くつもりはないけれど、きっと自分が読んでも理解できないような、二人だけの世界があるのだろう。

 その日の夕方、一人の家に帰った佑人は、思い出したように庭に行き、朝顔の種を収穫した。遅咲きとなった朝顔は、それでも秋の始まりと共に花を咲かせなくなった。褪せた色となって枯れていく植物に、切なさよりも生命力と正しい推進力を感じた。また来年咲かせよう。梨香も楽しみにしていた、種を取り出し、両親の仏壇の前に並べて乾かした。



 梨香がいなくなった次の日、佑人は職場に池谷へと梨香からの手紙を持って行ったのだが、彼は出社しなかった。正式には、本社に招集がかかったという。

「アンドロイドが居なければ仕事がないのは、オレもお前も同じだよ」

 後に忙殺の合間を縫って連絡してきた池谷はそう言って、深いため息をついた。彼からの電話がかかってきたのは十一時も近かったが、まだ職場で帰れそうにないから一服しているという。電話を支える腕が僅かに痙攣し、佑人は慣れない左手に持ち代えた。何方の腕も、慣れない作業の連続に気怠さが纏っている。

「こっちもパニック状態。如何に自分が無能かを思い知ってる」

 佑人の自虐的な言葉を彼が鼻で笑ったのが気配でわかる。とてつもなく自傷的に、彼は疲れを滲ませていた。

「アンドロイドに関わってるからこそ仕事があるのに、アンドロイドがいなくなって仕事が増えて、このまま分野的に衰退したら、俺達マジでただの無能」

 全くその通りだ。佑人もまた、職場の事務室で睡魔と戦っていた。朝から続く肉体労働に、既に腕も脚も痺れるほど疲労がたまっている。アンドロイドたちがいない今、自分たちで肉体労働に励むしかなくなり、数が普段の半分にも満たないメンバーで必死に、普段の何倍もの時間をかけて介護職に従事している。専門的な知識を持っていても実効的に行ったことがない佑人や水原のような、いわゆる中途組は右も左も覚束ないため、現状足手まといでしかない。こういう時の広田ほど頼りになる人間はいない。きびきびと指示を出しながら自身も動き回っている。その昔の知り合いだとかいって、多くの介護経験のある助っ人を呼び、おそらく広田が居なかったら職場はパンクしていた。それでも介護職に休みやストップは存在しない。想像するだけで気疲れしそうな惨事を未然に防いだ広田の賢しさと人望を、佑人は羨望の眼差しで見ていた。

それまでなかった夜勤の業務が回ってきたのも当然、その影響だった。初めての夜勤の時は身体の重さと終わりの見えなさに絶望した。学生時代に夜が明けてくれるなと思いながらゲームに熱中した時とは時計の進みが天と地ほど違い、感覚のバイアスに唖然とした。

 それでも、梨香のいない家に帰るよりましだと思う自分が情けなかった。未だに帰り際に佐川家に梨香を引き取りに行きそうになるし、食事を二人分作りそうになる。ふと家が静まり返る度に梨香の声を捜し、布団に敷く度に一つの布団に部屋を広く感じた。彼女の持ち物を見る度に、彼女のちょっとしたしぐさや笑顔を思い出す。

「池谷。落ち着いたら、飲みに行こうぜ」

 佑人はそれらをかき消すように、頭に思いつく限りの酒を並べた。浮かんでくるのは、スーパーの酒コーナーずらりと並んだ大瓶や味の違いも分からない安酒ばかり。趣味でもなければ強くもない、辛うじて下戸でない程度だ。付き合い程度の飲みしかしたことがない。

「先言っておくと、俺、酒癖悪いらしいよ」

 内容とは裏腹に冷静な声に、佑人は呆れた。佑人は池谷と呑んだことはあるが、深飲みするほどではなかった。

「自覚してるなら直せ、早急に」

「自覚はないけど指摘される」

「一番最悪なパターンじゃねーか」

「でも、お前ならなんだかんだ介抱してくれそうだから、安心して飲める」

 最早呆れで言葉も出ないでいると、微かに笑い声が聞こえ、そしてすぐに消えた。

「こっちも殺伐としてるから。なんかお前の声聞くとちょっと安心する」

 池谷の疲れた顔が浮かんできて、何と声をかけるべきか悩んでいると、彼は返事は求めていないように続けた。

「もちろん忙しすぎるのも一因なんだけど、どこか隠蔽作業してるような後味の悪さ、仕事と職場への不信感が日に日に強くなっていく。何よりもさ、誇りを奪われた感じが強いんだよね。うちって悪く言えばプライド高い人間の集合体なんだけど、それでも自分たちが最先端を走る技術者であることには誰もが誇りを持っていた。だから職場の雰囲気だって悪くなかったし、それなりに居心地よかったんだ」

 知ってる、佑人は聞こえないくらいの声で呟いた。彼らの作業場に、佑人は幾度となく遊びに行った。大抵は池谷に会いに行っていたが、互いにシフト勤務故にすれ違うことも多く、彼がいないときはすっかり顔見知りになった人たちと何気ない会話で暇をつぶした。彼らは例え徹夜明けだったとしても、いつもどこか穏やかな態度を貫いていた。しょっちゅう急な残業を食らい、徹夜だって少なくなかったというのに、彼らは仕事に対して真摯だった。それはまさに武士は食わねど高楊枝の如き気高さであり、普段はチャラついた言動が気になる池谷だって、佑人は何処かで尊敬していた。彼らにとって仕事とは金を稼ぐ手段ではなく、誇りをかけた戦いだったのだ。

「戻りてーよな」

 思わずつぶやくと、戻すからと彼はきっぱりと言い切った。反芻していると安堵で肩の力が抜けた。そこで初めて、自分の身体が強張っていたのを自覚した。

「お前が言うと、信じられる」

 佑人がそう言ったところで、事務所の扉がノックされ、巡回に出ていた水原が戻ってきた。佑人の手元の電話を見つめ、彼女は僅かな微笑みだけ残し、給湯器でお湯を注いでいた。

「必ず、梨香をお前に返すから」

「うん」

「泣くなよ」

 茶化す口調が似合う男だ。彼の唇の片端がが僅かに引かれる様子が、ありありと浮かんだ。ニヒルで、悪役的だ。とはいえあからさまな悪役はむしろ、味方であるのは物語の常套手段だろう。

「とりあえず、お前が置いていったレゴが中途半端に残されてて泣きそうだし、ゲームもセーブデータが残ってなかったら泣きそう」

「手伝いに行く。酒もって」

「レモンチューハイ」

「未だにビール飲めないの」

「飲む必要ないから」

「仰る通りで」

 その後、互いに鼓舞だか煽りだかわからない声を掛け合い、電話を切った。買る愚痴をたたける相手が居るというのは、意識外で自分を安心させるようで、電話前の殺気立った不安が自分から去っているのを感じる。

 携帯を机に置いたのとほぼ同時に、水原がそっとマグカップを差し出してくれた。顔をあげてお礼を言う。濃いブラックコーヒ―は底がない様に黒々と艶を感じさせる。

「池谷さんですか?」

 向かいに座った水原に、頷いて見せた。

「やっぱ、大変みたい」

「当然ですよね。あんな発表されたら」

 アンドロイド協会は佐川の言う通り、TG型廃止宣言と共に、そうでない型の安全を強調した。ワイドショーはアンドロイドの分類について、連日何故件のアンドロイドが暴走したのかを、まるで事実の様に憶測している。当然冷ややかに見つめていた佑人だが、何処かでその気持ちもなくなった。TG型だから、とか、FE型だからとか、そんなのは人間の勝手な分類であり、自分の傍にいた少女を説明する人などいない。やれ血液型だ、やれ人種だ、やれ年代差だと、何かとつけて分類しては論争を巻き起こすのは、人間の悪癖だ。たとえそれらしい分類が数値的に見出だされたとしても、それが全てではないという平均化を、人は忘れ過ぎている。

「池谷さんを見かけなくなると、少し寂しい気がしますね」 

「うん。あいつって、変人でいることに関してはプロだったから」

 水原は飲みかけのマグカップの陰で軽く笑い、羨ましかったと呟いた。

「本当に強い人って、彼の様に真っ直ぐで誰も傷つけない人間なんでしょうね」

 自分が見ていた池谷より僅かに美化された池谷評に、佑人は僅かに笑いそうになるのを堪えた。美化はされているが、本質は間違えていない。むしろ、的確だった。池谷をそうと見ればそうと言えるし、なにより一見さんの評価が低い池谷をそこまで水原が見ていたことに驚きだった。

「池谷さんとのゲームもいいですけど、私との約束もお忘れなく」

 水原はそう言って、席を立った。事務所の重い扉がもう一度閉じられ、置いてきぼりを食らった佑人は一人、頭を抱えた。慣れていないことは苦手だ。けれど、佑人の中には僅かな兆しがあって、それは万能の効き目がある。無理だと思うことは罪ではない。諦めることも悪い事ではない。けれど逃げ回っているだけでは、いづれ逃げ道だってなくなる。ただ、それだけのことだ。

 


 あの日から二週間が過ぎた週末、水原とデートという名目で都内を歩いた。目的らしい目的はなく、人通りの少ない道を選んで歩き、話をしやすい落ち着いたカフェで食事をした。

秋晴れの空は高く、のびやかに広がって果てがない様に見えた。水原はお店はほとんどないような裏路地を選んではのんびりと歩くので、遅れない程度に彼女の歩幅に合わせて歩いた。そういえば梨香はちょこまかと自分についてきたっけと思いながら一人笑っていると、水原は天を仰ぐように伸びをして、休日っぽい時間ですねと振り向いた。

「梨香を連れてさ、行きたいところっていっぱいあったんだよね。でも、実際には時間が無かったりどうしても気が引けちゃったりで、大してお出かけらしいことってしてあげられなくて」

 梨香は何処かに連れて行ってくれだとかそういう我がままは一切言わなかった。それだけの知識がなかったこともあるが、基本的に要望らしい要望を口にはしなかった。

「今度はたくさん出かけたいなって、今思った」

「未来のことを考えるときって、自分が少しだけ健全だと思っちゃいますね」

 水原は華奢な腕をまっすぐに伸ばしたまま、のんびりとした口調で言った。

まさにその通りだ。十年後の自分を想像するのは気が重いけれど、数か月先に目が向けられる自分は、絶望の手前できちんと前を向いている。

 散々歩いて疲れたので、近くにあった隠れ家的なカフェで遅めのランチを取った。大した量は出なかったが、多くの話をしていると自然と食事の手が止まり、空腹感を忘れる時間も多かった。

 自分たちは互いのことを知らな過ぎた。急激に近づいた割には信頼感はあったけれど、その分見落としたものもたくさんあった。それを互いに開示し合うと、以前よりもはるかに相手を自分の内側に感じた。佑人は梨香がなぜ野沢家に来たのかを尋ねてきたので、佑人は一からすべてを話した。長い話だった。話しながら回顧する日々は、遠い過去のように懐かしく、つい昨日の様に鮮やかだった。

「じゃぁ、お父さんが梨香ちゃんを作った張本人で、このアンドロイド旋風の仕掛け人、ということですか」

 驚いたように目を見張った水原に、何とも言えない気持ちになった。彼女からすれば驚くべき事実だろうが、佑人からすればやはり置いて行かれた気持ちはまだ拭えていない。

「でも、そう思うと、お父さんは野沢さんを信頼していたんですね」

 食後に出てきたデザートのアップルパイをフォークでつつく姿が幼く見える。着ていたバーガンディーのニットは彼女の肌の白さに映える。思わせぶりなことを言われたせいでてっきり気取ったワンピースでも着てくるのかと思ったが、細身の黒いパンツと組み合わせた姿はいたってシンプルで拍子抜けしてしまった。

「どういう事?」

 水原は顔をあげ、フォークを置いた。

「だって、梨香ちゃんをあなたに託したということでしょう?普通の人間だったら、梨香ちゃんを育てようだなんて思えないし、最後までやり切れるとは限らない。でも、お父さんは、そうしてくれると信じていたわけじゃないですか。もちろん、突然倒れてしまうとは予測はできなかったでしょうけれど」

 水原はフォークを持ち直し、嬉しそうにアップルパイを崩した。隣に添えてあったクリームはともかく、チェリージャムの小瓶が出された意味はよく分からない。

 佑人は持ち上げたままだったコーヒーカップを見つめながら、そんなわけがないと考えていた。父から信頼してもらえるような人間ではなかったし、関係性ではなかった。

「人は信頼している人に程口出ししないものですから」

 そう言われても、佑人はぴんと来なかった。

「それにしても、まさか、ロッカーに保管されていたって考えると、梨香ちゃんは相当寂しかったでしょうね」

「うん。あんな薄暗いところに、あんな無機質な入れ物に、よく何のデリカシーもなく入れておいたよなって思う」

 そういえば、あれ以来父のプレハブ小屋に行ってないなと考えた。それこそ、初めは掃除のためにあそこに入ったというのに、すっかりその手も止まっていた。正直言えばそれどころではなかったし、あの場に導かれた務めは果たしたように思う。

「でも、逆に言えば、そこまでして父は梨香を隠していたってことなんだよね。佐川さんは処分を勧めたっていうんだから、父なりに大事に思っていたんだと思う」

 自分たち親子に数少ない共通点を見出すのならば、口数の少なさと会話の下手さだった。お互い言いたいことを正確に伝える技量もなければ、気の利いた言葉で会話をする努力もしなかった。後者に関しては佑人の態度の悪さが根本的な原因だが、それにしても子供だった自分とのコミュニケーションを母に一任していたのは父の怠慢だ。だからこそ、佑人は梨香という少女を禁忌に近い形でも作り出した父の幻想を、ほんの少し理解できた。無邪気で、真っ直ぐで、こちらが慌てるほど人を疑わなかった梨香は、自分たちがどうすることもできずに取り続けた距離を一瞬で埋めてしまう存在だ。そういう存在を、佑人も昌弘もどこかに求めていた。結果として、昌弘を救う前に彼はいなくなってしまったけれど。

「野沢さん。実はこの前、実家に帰ったんです」

 驚いて目線をあげると、彼女はにこりと笑った。この人は本当によく笑うようになった。

「勝手に教師を辞めたもんだから、後ろめたくて実家に帰ってないどころか連絡もまともにとってなくて。でも、いい加減そうしてるのもどうかなって思たんです。だってそれって、今の自分を幸せじゃないって思ってることを認めているようなもんじゃないですか。劣等感ばっかりの自分の方が可笑しいなって自覚をしたんです。自分はちゃんと生きている。確かに昔思っていた自分じゃないし挫折した現実は変えられないけど、後ろにあるのは思い出でしかなくて前にあるのが人生じゃないのかなって思ったんです」

 強い人と言うと折れない一本の硬さばかりを想像していたが、しなやかに揺れて一度底辺を彷徨ったとしても、もう一度前を向くことを選んだこの人を、好きでいてよかったと思った。池谷にしてもそうだ。佑人はないものを自分の内側に求めすぎていた。完璧な人間などいないのだから、足りないものは人を頼ればいい。自分にないものを持つ人間は存外多くいるものだ。

 紅茶のカップを両手で丁寧に持ち上げてすすった水原の、伏せた瞼。長いまつ毛が瞳を守る様に、下を向く。やがてゆっくりと上げられた目線に自分の目線が絡み取られ、佑人は一瞬身動きが取れなかった。指先までし似れる様に、身体が固まったことを理解すると、妙な焦りが浮かんだが、水原は全く気付いた様子もなく、カップを置くのに目線を外した。

「実家に帰って、今自分がしている仕事の話をじっくりしたんです。未知の人からすれば、聞く話聞く話が新鮮だったみたいで、父親なんて初めは困惑していたくせに、興味深々でアンドロイドの話に食いついてきて。どうも世間では、アンドロイドの組み合わせはあまり認知されていなかったみたいですね。そもそも身近じゃないって言われたとき、普及したと言ってもそれが当たり前になったわけじゃないんだなって改めて実感しましたね。今回起きたあの事件のことも、少し説明したら、理解してるんだか納得してるんだかわからない顔で聞いてました」

 水原の淡々とした語りの中で、佑人は唐突にあのアンドロイドを思い出した。彼は今も黙秘を続けているようだ。今までにもアンドロイドの事故は多数あったが、意図して人間に手を下した事件は例に無く、当分は世間の関心を引くだろう。殺人罪が適用されるのかどうかが最大の焦点とされており、アンドロイド協会がTG型メモリーカードに事件を起因させたため、彼の身をどうするべきかの論争は各専門家が火花を散らし、それをテレビが面白おかしく取り上げる。人権がある身なのだからきちんと司法のもとに平等に裁くべきだとする意見もあれば、内蔵された機器の誤作動であれば刑法第39条を適用すべきとする意見も数多くある。そもそもアンドロイドなのだから特例的に処分すればいいのではという過激な意見も当然あり、それぞれの持つ倫理観が激突しているように思う。もしかしたら根底の認識の違いかもしれない。みずはらもいっていたけれど、佑人たちからすればアンドロイドに関わった時間の分だけ彼らの存在を強く意識するけれど、そうとしなければ所詮機械の延長だと思われることも、致し方ないのだろう。佑人はそれを梨香と過ごしたことで知っていたし、だからこそ今、変わってほしい思いもあった。

責任問題も大きな焦点となっている。これだけのアンドロイドが普及し、既に成長型アンドロイドが世間にも浸透している中で、この事件が世間に与えた衝撃は相当なものだった。家電商品ですら破損の原因が元からなのか使い方のせいなのか曖昧で揺れるというのに、人を殺す可能性まで出てきたとなれば責任の押し付け合いが勃発する。アンドロイドを取り巻く環境は当分は落ち着かないだろうと、佐川が零していた。

「家族の関係は修復した?」

 佑人が尋ねると、彼女はゆっくりと目を伏せ、

「人間は完全に疎まれて生きていくなんてことはできなくて、きっと誰かにとっては大切な誰かで、でもそれだけじゃ生きていくには足りなくて、生きるっていうのはバランスでしかないんだって改めて思いました」

 そう言って肩をすくめて見せた。肩が下がるとより一層華奢な姿になり、この人は本当に良くも悪くも女性的だと思った。

 まだ完全に振り切れたわけじゃないのは佑人にもわかった。もういいなどと口で言えば言う程、そう思いたい感情が透けて見える。夢見て努力を重ねたうえで手に入れた教師職だっただろうに、背を向けるように辞めたことをそんな簡単に受け入れられない部分は当然あっただろう。努力した自分を否定するように、夢見た自分を裏切るようにも感じただろう。佑人にだって、数多くの後悔がある。

 決して、全てを後悔しているわけではない。だけどこの選択をどこかで正解にみなさなければ過去の自分が浮かばれないと思うから、今手にあるものを握りしめて現実を信じてみる。幸せなはずだと信じてみれば、生きているだけで正解なのだと言えなくもない。だけど健全な心で選んだわけではないから、何処かで強がった自分を見透かしてしまう。自分で決めた道だと誰かに言われてしまうと途端に間違いのように思うし、過去の自分はあくまで自分じゃないから猜疑する自分がいることもある。揺れ動く心に、変えようのない過去は足手まといになりやすい。それでも、わざとらしくすくめた肩や、佑人を見て浮かべた愛想笑いに近い弱気な笑顔も、それらを抱合したうえで口にされている。言霊というが、口にすることから始まる何かもある。

「教師を辞めて、今の仕事をしてるから野沢さんたちに会えた。もう、それだけで十分です」

 カフェのテーブルはことのほか大きく、向かい合って座った水原は少し遠くに感じ、囁くように言われた言葉はそれでも、真っ直ぐに届いた。

「水原さん。オレ達と出会ってくれてありがとう」

 運命なんて言葉を、人生で使うつもりはない。でも、自分も水原も挫折し思い描いたのとは違う道を歩いて、今を生きている。そこで当時持たなかった幸せを得ているのだから、もうそろそろ一方通行の後悔は終わりにしたい。悩むたびに振り返り、傷つくだろう。これでよかったのだろうかとふと我に返るだろう。それでもちゃんともう一度前を向ける自分を気付かせてくれたのは、間違いなく彼女だ。



 その日の夜、佑人は一人で父親のプレハブ小屋にいた。外が暗くなると、ここは本当に光を拾わないと思いながら電気をつけると、薄暗い蛍光灯が遠慮がちに灯った。水原との会話で思い出したが、ここに入ったのは梨香と出会った日以来だ。梨香をここに入れるのは怖かったし、物理的な忙しさに後回しにする心もどこかにあった。

 早めに片付けたら、この小屋は壊そう。佑人には使いようがないし、所詮プレハブでつくったようなものはすぐにがたが来る。朽ち果てる姿を見るくらいなら、勤めを終えた時点で鮮やかに壊してしまえばいい。

 黒くて大きなロッカー。梨香の保管されていた箱。佑人はひんやりとする箱を触り、やがて重い扉を引いた。こんな狭いところにずっと入れられていた梨香を思うと、今でも心が痛い。今梨香がどういう状況なのか、佑人は知らない。佐川にも聞かないようにしている。中途半端に聞いてしまったら堪えられそうになかった。池谷も本社に顔を出していると言っていたが、そう言うに留めていた。扉を大きく開いて、佑人は中をまじまじと見た。その気になれば佑人でも入れそうなほどの大きさで、でも理性ある人間かこんなところに閉じ込められたら一日もせずに頭がおかしくなるだろうと思った。これが歩いても歩いても出口のない荒野だとしても、同じことが起こるだろうと思った。人にとって必要な広さというのはある一定の広さのことで、広すぎても狭すぎても人は壊れてしまう。

 顔をあげたところで、天井部に貼り付けられた一枚のレポート用紙を見つけた。薄い紙きれは四つに折りたたまれており、開くとえんぴつでびっしりと文字が並んでいた。

 父から佑人にあてた手紙だった。


「佑人へ。

これを見つけたということは、自分はもういないんだね。梨香を見つけてくれてありがとう。こんなものを残していくなと思っただろうね。でも、佑人は母さんに似て優しいから、安心して任せられる。

この子は梨香。七歳のアンドロイド。父さんの最後の力作だよ。賢くて優しい子だから、すぐに仲良くなれるだろう。

佑人には謝らなければいけないことばかりだ。母さんを亡くしてから、佑人が戸惑っているのに気が付きながらも仕事に追われて話をまともに聞こうともしなかったことは、今でも後悔している。父親失格だ。どんどん大人になるにつれて、比例するように心を閉ざして父さんを避け始めて、やっと事の重大さに気が付いたけれど、もう遅かったね。仕事を辞めるときも佐川には相談したのに父さんには事後報告で、あれは正直参った。もちろん仕事を辞めたことじゃない。仕事なんて生きていくために最低限度やれば十分だ。父さんみたいに没頭しすぎると、それはそれで大事なものを無くすからね。

仕事仕事ばかり言って家族を蔑ろにしていた自覚は一切なかった。家族のために必死に働いているつもりでいた。でも、母さんはあっさり逝ってしまうし、佑人には本音を隠して避けられてしまう。研究者としてはいい人生だったけれど、父親としては最低な人間だった。引退をして何も残っていない自分に絶望した時、梨香のことを思いついたんだ。父さんの様に不器用で繊細さの欠片もない人間はすぐに人を傷つけてしまうから、傷つかない人間と関わればいい。そういうアンドロイドを作ればいい。

ただやはり、作ってから後悔したよ。こちらにとって都合のいい相手を作ろうなんて、そんな身勝手が許されるはずがない。人間は創作力を得た代わりに、想像力を失ったようだ。自分が他人に合わせるのではなく、他人が自分に合わせてくれるのを待つようになった。当然、父さんが梨香を作動するわけにはいかなかった。そもそも、世間が求めるのは賢しいアンドロイドではなく、聞き分けのいいアンドロイドだ。それだって人間に都合のいい相手に過ぎないね。父さんはどうやら、名誉の代わりにたくさんのモノを失ったようだ。あんなに世間を騒がすプロジェクトに参加したつもりはなかった。ただ、労働力不足の社会に役立ちたかっただけだった。倫理観に触れることも、概念を覆すようなことも、したつもりはなかったんだ。今更出回った全てのアンドロイドのことを後悔しても仕方ないと分かっていても、今でも時々考える。余計なことをしたのかもしれない、とね。

佑人には謝らなければならないことばかりだ。でも、今ここで謝罪をしたところで、佑人はそれを受け入れてくれはしないだろう。そういう所も母さんによく似ている。本当に怒ると謝罪など受け入れるどころかさせてもくれやしない。謝罪を受け入れたら許さなくちゃいけないから嫌だと言っていた。謝罪程度であなたが許された気になるのは嫌だとも。頑固で頑ななところも、佑人は引き継いだね。

でも、佑人に言っておきたいのは、怨念が佑人にもたらすものはないということだ。決して、父さんを許してほしいと言っているんじゃない。でも、父さんへの恨みを持ち続けて自分の幸せを遠ざけているのなら、それは佑人にとってマイナスにしかならないよ。佑人は佑人として、自分の幸せを掴まなければならない。

前にも書いたけれど、梨香にはマイナスの感情は存在しない。悪い事を自分の中に記憶しない設定にしておいた。佑人が与えてくれた幸せだけをきちんと覚えてくれて、傷ついたり苦しんだりする感情は記憶しない。これが正しかったのかはわからないけど、父さんにとっても佑人にとっても、梨香は太陽になる。母さんが笑えばうちが暖かい空気になったように、梨香はどこにいても温かい利発な子だろう。

人生を通して、父さんはたくさんのアンドロイドの設計をしてきた。実際に実用化されたアンドロイドの数は数限りない。だけど、どんなに多くの理想を作り上げたとて、父さんにとって息子は佑人一人だけだ。

自分が死んだときのことを考えて書くというのは難しいな。元々文章は苦手なんだ。そういう悪いところだけは佑人も似ていたね。読書感想文の課題図書を読まされた時はさすがに閉口したよ。なんで数学の問題を聞いてこないんだとも思った。でも、仕方ない。親子は似るものだから。



途切れるように終わった手紙を折り、封筒に戻す。何度も読み返す様なものじゃない、そう直感的に思った。少し救われた気持ちで、佑人は顔をあげた。自然と開いた唇からゆっくりと息を吸い込むと、秋の冷えた空気が口の中でわだかまった後悔を、少しずつ冷やして飲み込みやすくした。一つずつ乗り越えるしかないけれど、全く同じピースはないけれど、足りないひとつひとつの代わりになるものを見つけ、ひとつずつ自分の物にすればいい。佑人は手紙の入った封筒をもって、自宅に戻った。片付けは明日、最後の秋晴れと言っていたから、朝からじっくり、最後までやり切ろう。

リビングに戻り、佑人は手紙をどこにしまおうかと悩み、部屋を見渡す。真っ直ぐ見た目線の先に、固定電話と両親の遺影。その前に置きっぱなしにしたままの朝顔の種が、秋の爽やかな風にすら吹かれてしまえば舞ってしまいそうだ。電話台のケースに空きを見つけ、手紙の封筒を下に、種を入れたビニールごと仕舞う。来年必ず咲かせるからと、佑人は小さく呟いた。



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