ああ勇者、早く僕を倒しに来てよ
空は黒い雲に覆われ、日が差すのは年に数日。地の果てまで続かんとする荒れ地と黒い森。
人々はここを魔境と呼ぶ。
人間の住む国から遠く離れ、ここに住むのは魔物だけ。
「魔王様、」
「どうしたの、アルヴァンス。」
窓から部屋に飛び込んできた蝙蝠は人の姿を取る。年齢不詳の吸血鬼は目を伏せたまま報告した。
「人間の国の勇者がこちらへ向かっているようです。」
「勇者、勇者か。」
”勇者”それは人間の国で選ばれる、魔境の王たる魔王を倒すための冒険者だ。
魔王がこの世に生まれると同時に、人間の国の王都に一本の剣が現れる。その幻の剣を引き抜くことができた人間が勇者となるのだ。
勇者は英雄になることが約束された存在。
「こちらへたどり着くにはまだまた時間がかかりますが、今のうちに殺しておきますか?」
「時間、ね。」
「魔王様、勇者を侮ってはいけません。剣を手に入れたものは人とは思えぬほどの力を持つようになります。しかし彼奴はまだ剣を手に入れて間もない、幼子同然。早いうちに憂いは摘んでおくべきではありませんか?」
「魔王様、魔王様!俺が行く!俺が殺す!俺が火を噴けば勇者なんて一息で灰になる!」
どこから話を聞いていたのか、何もない空間から突然竜頭の魔物が現れる。
「リンクス、貴様の出る幕ではない。小隊を一つ動かせば終わるのだから。」
「アルヴァンスも黙って。」
一言いうだけで部屋の中の音はすべてなくなる。
部下たちはどこまでも忠実だった。
「お前たちは手を出してはいけない。勇者は僕がやる。」
アルヴァンスは眉を顰め、リンクスはオロオロと大きな目を彷徨わせた。
「アルヴァンス、勇者の名前は?」
「…………セロ・レオンハート、です。」
「やっぱり。」
口のするのも嫌だといわんばかりの顔つきに思わず苦笑いする。アルヴァンスがその名前を僕に言いたくないのはよくわかる。けれどなんとなくわかっていた。
彼は勇者になるべくしてなったのだ。
「アルヴァンス、リンクス。みんなに伝えて。勇者はこの魔境へ来る。そして魔王である僕を殺そうとするだろう。けれど君たちは決して彼を殺してはいけない。勇者の仲間は殺してもいい、勇者一行を襲ってもいい。でも決して勇者だけは殺さないで。あ、連れてくるのもやめてね。」
「……魔王様、あれに情けを、」
「勇者は僕が殺す。」
アルヴァンスが息を止めたのが分かった。
「勇者だけはこの城に、その足で来させるんだ。たくさんの魔物と戦って数多の困難を乗り越えて、それから僕の所へ来るんだ。誰もよりも強くなって、”勇者”に選ばれた英雄らしくなってからね。」
そうじゃなきゃ、ダメなんだ。
*********************
「ドマは本当にどんくせぇな!」
「ま、待ってよセロ!」
幼いころの僕はよく、幼馴染に連れられ近くの森の中で遊んでいた。
人間の国の中の小さな村の一つ。平和でそれから何もない、何でもない村に僕は住んでいた。
両親は病気で死に、小さな村で僕は孤児として育てられた。
両親がいないのは村の中で僕だけで、それから黒髪黒目の子供も僕だけだった。そのせいで子供たちからは仲間外れにされ、大人たちからは疎まれた。
けれど、それでもありがたく思っていた。
村の大人たちは何かが起こった時の身代わりにできるようにという理由があったとしても、僕を育ててくれた。
「またドマがベリだ!」
「鬼ごっこやるといっつもドマが鬼にだっておしまいだな?」
「だっせぇ!」
子供の中でもカーストは一番下だった。
「お前一人じゃ何にもできないもんな!大きくなったら俺の部下にしてやるよ!」
それでも仲間外れにされないのはセロがいたからだ。
セロ・レオンハートは僕の憧れだった。
村の子供たちの誰よりも足が速くて、頭の良くて、喧嘩も強かった。みんなのリーダーのような存在で、何もかも彼の望むままだった。何もかも恵まれていて、欠けたところなんて何もない、そんな子供だった。
自信に満ちて、才能に溢れたセロ。何もかもに自信がなくて、何も持ってない僕には、彼がいつも輝いて見えた。
「俺は大人になったら”勇者”になるんだ!」
「ゆうしゃ?」
「なんだよドマ知らねえのかよ。」
「ご、ごめんねセロ。」
「仕方ねえなぁ。勇者ってのは魔王を倒す英雄なんだ!王都には今幻の剣が現れてる。その剣を引き抜けると勇者になれるんだ。勇者になってその剣を持つと誰よりも強くなれるんだ。」
「今よりもっと強くなるの?すごいね!」
勇者も魔王も、きっと10分の1も理解していなかった。けれど僕はきっとセロは”勇者”になるんだと思っていた。
だってセロは強くて怖くて、かっこいいから。
きっとセロは英雄になる。
「ね、ねえセロが勇者になったら、僕も魔王退治に連れて行ってくれる……?」
「しょーがねーな!ドマは何にもできないもんな。一緒に連れて行ってやるよ!荷物持ちにしてやるよ。でも魔物と戦うときは隠れてろよ!お前じゃすぐに殺されちまうからな。」
「う、うん!ありがとう!いっぱい荷物が持てるように頑張るね!」
幼いころは、なんだかんだ幸せだったんだと思う。小さな村じゃ魔物なんて見たことなかった。魔王も魔物も勇者も、お伽噺のようにしか思ってなかった。ただ王都には本当に剣があったから、その全部がこの村の外にはあるんだな、という程度の認識でしかなかった。村のはずれには森があって、冒険と称して探検したこともあったけど、兎やリスが出るくらいで魔物なんて遭遇したこともなかった。
けれどある日それは崩れた。
村の中で病が流行ったのだ。
その原因は森の奥にある洞窟だという。そしてその洞窟に住む神様が病気を村の人間にかけているのだという。
それを初めて聞いた時、ああ大変なんだな、と他人事のようにしか思えなかった。
「すまない、悪く思うなよ。」
「ああ、この時のためにお前を養ってきたんだから。」
他人事などではなかった。神への生贄として僕が選ばれたのだ。
神様なんていない。病気が流行ったのはほかの理由があるはず。けれど根拠も何もなかった。すべては村人の不安を少しでも減らすため。実際がどうとかはどうでもいいのだ。
わかっていた。この日のために生かされていたことくらい。
僕を囲む大人たちの向こう、足の間からセロが見えた。
「セ、セロ……、」
助けを求めたところで、子供のセロにできることは何もない。わかっていたけれど、僕に頼れるのはいつだってセロだけだった。
「セロ、一緒に魔王退治に連れて行ってくれるって言ってたよね……、」
「ねえ、頑張ってるよ、いっぱい荷物が持てるように、君の足手まといにならないように、ねえ、もっと頑張るから、」
セロはわらった。いつものような太陽のような笑顔だった。
「やっぱいらねえわ。」
「え……、」
「だってお前よりデロイトの方が身体もでかいし、力もあるし。」
「セロ、」
「お前じゃなきゃいけない理由って、ねえだろ?」
セロは、さも当然のようにそう言って、興味がなくなったように群衆から離れていった。
僕は森の中の洞窟へ連れていかれた。僕が洞窟の中に入ると入り口には大きな岩で蓋がされた。
水と土の匂いがして、空気がひんやりとしていた。寂しい場所だった。
僕はもうここから出てはいけない。
けれどもう出る気にもなれなかった。出たところで僕は生きていけない。
真っ暗な洞窟へ、壁を伝うように奥へ奥へと歩いて行った。
ぴちょんぴちょんと水が落ちる音がする。道は狭くなり、水のにおいは増していた。洞窟があるのは知っていたけれど、こんなに長く続いているとは思わなかった。
突然、壁がなくなった。
支えにしていた壁面がなくなり身体が傾く、そのままどこかへ落ちるような感覚に襲われた。内臓がひっくり返るような感覚に、無我夢中で手を伸ばした。何か身体を支えられるものを、掴まるものを。
そして冷たい石の柱を掴んだ。
そこでここの洞窟が鍾乳洞であることに気が付いた。けれどそれも一瞬のことで、あっけなく右手でつかんだ鍾乳石は折れてしまった。
「っああ!」
今度こそ死んでしまう、と思ったとき、何かに身体を掴まれた。
「魔王様!魔王様ずっとお探ししておりました!ようやくあの人間どもから解放されたのですね!」
蝙蝠の羽のようなものを背につけた男は、どこからともなく現れ、そして僕を抱えて洞窟の出口へと飛んで行った。
それがアルヴァンスと名乗る吸血鬼との出会いであり、人間の国との決別だった。
何もわからないまま、僕はアルヴァンスによって魔境へと連れていかれた。
道すがら混乱する僕に彼は丁寧に事情を説明した。もっともその半分も理解はできなかったけれど。
僕は実は魔物を統べ、魔境に君臨する魔王で、かつて赤子であったとき人間に攫われてしまったのだと。その際何とか攫った人間の夫婦を殺したものの、アルヴァンスもまた重傷を負い鍾乳洞の中に閉じ込められていたのだ。恍惚とした声色で語るアルヴァンスには悪いが、まるでお伽噺でも聞いている気分で、何一つ自分の身に起こったことだとは思えなかった。
魔王、といえば恐ろしいものだろう。きっとものすごく強くて、とてつもなく怖くて、人間なんて簡単にたくさん殺してしまうような。
何もできなくて弱い僕は、きっと魔王なんかじゃない。
そう言ったけれどアルヴァンスはまるで信じてはくれなかった。それどころか少し憐れむように僕に言った。
「貴方は弱くなどありません、貴方にできないことなど何一つとしてありはしない。」
「でも僕は……、」
「ああ魔王様、お労しい……。人間どもにあれこれ吹き込まれたのでしょう。あの”セロ”といった餓鬼。まったく貴方様に対する敬意の一つも持ち合わせてはいない蛮族。万死に値する。あのような劣悪な環境に貴方様が10年もいたなんて……、この身の至らなさをどうぞお許しください。」
アルヴァンスが幼馴染の名前を呼んだとき、喉の奥が引きつった。気遣うような優しい声色で話していたのに、セロの名前を口にした途端凄まじい憎悪と嫌悪を孕んでいた。
「っ……、」
「ご心配なさらないでくださいドマ様。人間の国にいたからこそ、貴方の力の百分の一も振るえていなかったのです。魔境に戻れば貴方様も本来の力を取り戻すことでしょう。」
アルヴァンスは今まで会った人たちの中で、一番優しかった。疎ましい目で見ない、蔑んだりしない。けれどだからこそ、その優しさの裏に透けて見える”魔王”という存在に対する期待が恐ろしかった。その期待に応えられなければ、きっと僕はこの恐ろしい羽根の生えた男に殺されてしまうだろうから。
この男だけじゃない。魔境に行けばたくさんの魔物たちがいるだろう。森の中に住む野犬すら遭遇したら息を殺して身を隠していた僕が、魔物たちがたくさんいる魔境で生きていける気がしなかった。
助けて、そう言いたかった。
でもそれを聞いてくれる人は誰もいない。
セロなら、セロならきっと助けてくれる。
だってセロは誰よりも強い、”英雄”だから。何もできない僕に「しょうがねえなあ」とか言いながら、助けに来てくれるんだ。
僕を助けに来なくても、セロは”英雄”で、誰にも負けない。だからきっと、”魔王”や魔物を倒して、僕のこともついでに助けてくれる。
ふと、気が付いた。
違うんだ。今は僕が”魔王”になるんだ。
空を飛ぶ浮遊感に慣れたころ、妙な心地になった。
僕なんか歯牙にかけず、なんの期待もしてなかった僕が、”魔王”として”英雄”のセロの前に立ちはだかるなんて。
それはお伽噺のようで、何かの間違いのようだった。
魔境に到着するとアルヴァンスの送っていた蝙蝠の手下たちが既に情報を伝えていたようで、今まで生きてきた中で一度たりとも見たことのないような生き物たちが僕たちを出迎えた。
「魔王様!」
「ああ、あれが今代の魔王様!」
「魔王様がお帰りになられたぞ!」
おどろおどろしい城に集まっていた魔物たちは皆一様に歓声を上げて僕が魔境に来たことを歓迎していた。
「アルヴァンス、さん、」
「アルヴァンスで結構です、我が王。」
「アルヴァンス……どうして僕みたいなのが、その、魔王だってわかるの?僕の見た目はまるっきり人間だし、強そうでもないだろうし……、」
「我々魔物、魔族は皆本能で自身の主を感じ取るのです。どれだけ力のある者であろうとも、”魔王”でなければ決して従わず、どれだけ魔族らしくなくとも”魔王”であれば首を垂れる。それが魔王と魔族というものです。」
どうもそういうもの、としか説明できないものらしい。
地響きのような声を全身で受け止めながら、これから僕の”家”になる恐ろし気な城に足を踏み入れた。
端的に言って、不安はすべて杞憂となった。
誰も彼も、恐ろしい見た目をしていたけれど、僕に対してはとても友好的で、危害を加えようとしたり悪意を向けるものはいなかった。アルヴァンスは何もわからない僕に魔境について、魔王や魔物について丁寧に教えてくれた。
そして何より奇妙だったのが僕の身体の変化だった。
村にいたころは誰よりも身体が小さく力もなかった。けれどここに来てからものの数か月で身長は10㎝弱も伸びて、怪力なんじゃないかってくらいの力もついた。
そんな話をアルヴァンスにするとクスクスと笑われた。
「それが本来の貴方の姿ですよ。人間の世界では魔族の力は低減してしまうのです。これからここで過ごしていくうちにもっとご立派になられますよ。」
そして僕が怪力だと思っていた力もせいぜい子供程度のものだとも。もっともっと強くなれるらしい。この場所で過ごすだけで強くなるのはずるをしているようで後ろめたかった。けれど話に聞く魔王が悉く魔王城で勇者を待ち構える理由はよくわかった。弱体化する人間の国へ行く意味が魔族にはない。むしろ魔族魔物が魔境に引きこもって人間との関りをすべてなくせば平和になるんじゃないかと思う。
ふと村のことを思い出す。あの場所には魔物や魔族がやってくることは一度もなかった。あの村と魔境とはどれだけの距離があったのだろう。
「ねえ、アルヴァンス。僕がいたあの村のことなんだけど、」
「ああ!あの忌々しい村のことですか。もうありませんよ、ご安心ください!」
「え、」
「あの洞窟には私が閉じ込められていたので、そこから瘴気が漏れ出していたのですが、ドマ様を連れ出す際洞窟も壊したので村にも瘴気が蔓延したことでしょう。それでも仕損じている者もいると思いましたので、邪龍のリンクスに村ごと消し炭にいたしました。」
声がでなかった。何と言えばいいのかわからなかった。
魔族と人間は対立している。
けれどあの村は魔族とは縁のない小さな村だった。僕という要素がなければ消されることはなかったはずだ。
あの村での生活は今の生活と比べれば雲泥のものだった。幸福でなく、満たされず、誰かに心砕かれることもない。けれど生きていけるほどには、与えられていた。あの洞窟に生贄として連れていかれるまでは、確かにあの村の人間に僕は生かされてきた。
手をかけてくれた大人がいた。一緒に遊んだ友達がいた。それらはもうない。僕の知らないところで、僕が原因で殺されてしまった。
「……アルヴァンス、」
「はい、」
「ありがとう。」
アルヴァンスがあまりに得意げに話すから。
こう言うべきだと思ったんだ。
「……はい!これくらいのことはお安い御用です!」
「うん。でも今度からは僕にも声をかけてほしい。みんなが何をしてるか、知りたいんだ。僕はまだ知らないことがたくさんあるから、みんなから話を聞きたい。」
「ええ!それではそのように。では我が王、次はどこを攻め滅ぼしましょうか?」
活き活きとしだすアルヴァンスを見て、苦笑いをする。
「いや、しばらくはいいよ。みんなの食糧とか住む場所は足りてるんでしょ?わざわざみんなが怪我しかねないところに行く必要ない。魔境の中でのことを聞かせてほしい。」
「かしこまりました。……貴方様はご遠慮なさっていることが多いようですが、我々はドマ様の僕。望むことがあれば何なりとお申し付けください。」
「ありがとう、アルヴァンス。また何かあれば言うね。」
恭しく下げられた頭の形のいい旋毛が見えた。
彼らは僕の望むままに動く。その代わり、何も望まなければ僕の望みそうなこと、喜びそうなことを各々している。ある魔物は牛の首を持ってきて、ある者は宝石を持ってきて、そしてアルヴァンスとリンクスは僕のいた村を消してきた。
内容はともあれ、どれも僕への好意からだった。
”魔王”である者への無条件の好意。最初は信じがたく、恐ろしかったけれど慣れればどうってことはなかった。不明な点も多いが要するに”そういうもの”なのだ。
アルヴァンスの言う通り、この魔境では僕の一存で何もかもを動かすことができる。
ならばきっと人間と争うなく、ある程度平和に暮らすこともできるんじゃないだろうか。
ここはとても居心地がいい。
誰もが僕に好意的で、疎まれることも攻撃されることもない。人間の村にいた時と違って、僕自身が力を持つことができて、たとえ一人でも立っていられる。
どこまでも僕にとって都合の良い夢のような場所だ。
けれどどうせ期限があるのだから、それまではここで、優しい仲間や楽しい部下たちと一緒に暮らしていたい。
”魔王”とは”勇者”に倒されるものだから。
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「ドマ様、あの小僧が生きていることをご存じだったのですか?」
「まさか。僕があの日から人間の国に一度も行ったことがないのは一緒にいたアルヴァンスが一番知ってるでしょ?」
「……千里眼を、身につけられたとか、」
「良いね。ほしいよそれ。カッコいいし。」
何年も前、アルヴァンスはリンクスを連れて僕の育った村を焼き払った。瘴気により病に侵され、龍の息吹で燃やし尽くされた村は焦土と化し、何も残っていないと、得意げなリンクスから聞いていた。
けれどあの村にいたはずの幼馴染は難を逃れ、数年後王都の剣に選ばれ、”勇者”となった。
「生きているのは知らなかった。王都に行っていたのも知らなかった。でもわかってはいたよ。」
「わかって……?」
「うん。セロは簡単には死なない。だってセロは”勇者”だからね。」
セロ・レオンハートは”勇者”だ。
それを僕はずっと前からわかっていた。
僕の言わんとすることがわからないと、珍しくも怪訝そうな顔をするアルヴァンスを笑う。
「僕がわかっていただけさ。僕も、君たちもすることは変わらない。”勇者”は”魔王”を倒しに魔境、ひいてはこの城に来るだろう。それを僕らは阻む。それだけ。」
「……けれど殺してはならないと?」
「うん。最終決戦は魔王と勇者の一騎打ちって相場は決まってるでしょ?」
はああ、と深く深くため息をつかれた。
「我が王をそのような危険にさらせるわけがないでしょう。」
「ここまで来させちゃうほど君たちが頼りないって言いたいんじゃないんだ。僕が彼と一対一で戦いたい。……それに君たちが命懸けで、それこそ彼らと死闘をしないでほしい。セロが狙っているのは僕だからね。」
「しかし、」
「僕は君たちが彼のせいで怪我をしたり死んでしまうことが悲しい。」
「…………、」
「とても、悲しい。」
「…………わ、かりました。善処はします。しかしこれだけはご了承を。我々はあくまでも貴方様の僕。万が一御身に危機があれば、我々は命を賭して魔王様をお守りいたします。」
「それも悲しい。」
「我々はそういう在り方をしているのです。それが嫌ならどうか危機的状況に陥らないでください。」
「善処するよ。」
もごもごとまだ何か言いたげだったけれど、アルヴァンスは蝙蝠に姿を変え窓から飛び立っていった。おそらく今の僕の言葉を皆に伝えに行くのだろう。たくさんの魔族や魔物に意思を伝えるのに、たくさんの蝙蝠の手下を従えるアルヴァンスを重宝している。
アルヴァンス・ウェリントンは強い。云百年も生きている吸血鬼。広域での呪術に長けていて、接近戦でも強い。頭脳戦もできれば手下の蝙蝠を使った情報収集にも優れている。
リンクスは強い。若年の邪龍で血気盛ん。人型に近い姿を取っているが本来の龍の姿はとても大きく、口から吐かれる焔に焼かれれば後には何も残らない。忠実で勇敢、タフで単純な戦闘では勝てるものは数えるほどもいないだろう。
陽気なジン族のサカル、戦争屋の悪魔シュランゲ、水魔のアネーロ、無数の魔族や魔物たち。普通の人間であれば誰も太刀打ちできないだろう。
けれど”魔王”は”勇者”に敗れる。
どれだけ強くなろうと、どれだけ軍を強化しようとも、”魔王”は負ける運命にある。
勇者というものは、人々の期待を背負い、希望の光になり、そして勝利の象徴となる。
誰もが憧れる、子供の夢見る英雄だ。
絶対的で圧倒的な力。
強くて怖くて、かっこいいセロに、僕は勇者の影を見た。
いつだって僕の前に立っていて、僕はその背を追いかけていた。
この世界は間違っているんだ。
僕の方がセロより強いなんて、おかしいんだ。
セロは僕よりずっと強くて、怖くて、かっこいい。それなのに今では僕の方が強い、なんてことは間違っている。
僕が魔族だから。僕が魔王だから。そんな理由ではとても足りないんだ。
魔王と村人じゃ、力の差は明らかだ。
でも”魔王”と”勇者”ならば、きっとまた昔みたいに戻れると思うんだ。
だって物語の中の”勇者”はいつだって”魔王”より強いのだから。
セロは勇者になって、この世界の間違いを正しに来た。何の手違いか魔王になった僕を倒しに。
でもそれはまだだ。まだきっとセロは弱い。こちらに向かってきて間もないセロはまだ幻の剣を持っただけの村人だ。きっと僕がほんの少し手で払っただけでばらばらになってしまうだろう。
だからまだ待たなければならない。セロがちゃんと”勇者”になって、魔王を倒すだけの力を身に着けるまで。
アルヴァンス達には申し訳ない。
僕はここでとてもよくしてもらった。知らないことを教えてもらい、強さをもらい、力の使い方を学んだ。何でもない話をして、一緒にご飯を食べて、散歩をしたり、遊んだり。ここでの生活は、きっと、今までの人生の中で最も楽しく、満たされていた。だから僕は、彼らに傷ついてほしくない。なんなら僕をおいてどこかへ、人間の国からもっとはなればところまで逃げてほしい。僕と一緒にいれば、必然的に彼らも負けてしまうから。
”そういう”ものなのだ。
僕は決してセロには勝てないし、”魔王”も決して”勇者”には勝てない。
この世界の主人公はセロで、僕はその世界の隅にいるだけの脇役なのだから。
「ああ勇者、早く僕を、」
このおかしな世界から助けてよ。
読了ありがとうございました!
ちなみに勇者は元幼馴染が魔王と知ってガチギレしながら魔王城に向かってます