Ⅱ 竜人
何か。そう何かがあったことだけは強く頭に残っている。ズキッと二千年もの間痛みの感じたことの無い頭に衝撃が走る。
直後に周囲の何処かで小さな音が聞こえる。何かが蒸発していくかのような、何かが燃えていくような不快な音。周囲を見渡すものの、隻眼の私に見える範囲でその発生源は見つけられない。分からない。大地を見下ろしてみたところで雲の下に広がる場所から立ち上るものでも無い様だった。
「何事だ?」
周囲に居るもの全てに届く.......はずの声。しかし応えるものは居ない。ここは私達しか辿り着くことの出来ない天である故に当たり前.......そう言い切ってしまえば簡単な話ではあるのだが。
しかしある意外なことに気付く。どうやらその煙は私を包んでいくようであり、見渡した範囲の何処にも届いていない。
「そういう事か」
私は足元へと目を向ける。そう、そういう事だったのだ。神.......一体何を考えている。
「私に未来など見えないと知って.......」
そして空の光を虹色に反射する龍鱗は剥がれ落ち、体は水のように溶けだして大地へと零れ落ちる。ユラユラと自身から発生している煙は空気へと霧散して行く。
「何を知るべきか、何を得るべきか。理解しようとするな」
突如脳に届いた声。比喩ではなくそれは確実に奴の声である。私は小さく息を吐いて既に機能を停止しようとしている瞳を閉じる。そうして私としての私は何処か遠くへと飛んでいってしまった。
私は立っていた。座っていた訳でもなければ倒れているわけでもなく、ただ呆然とそこで立ち尽くしていた。
目の前に現れた山と山。そして見渡せば大きく広がるのは湖.......だろうか。私は確か空にいたのだが。
そう思い空を見上げてみるも、そこに広がるのは青と白だけ。そう、私は大地に立っているのだ。目線からでも自身のその小さすぎる体躯が分かってしまいまた混乱する。
何が起きたのかは理解が追いつかない。確か、私は神によって.......。
「おい、アンタどうしたんだ?
こんな所で素っ裸で突っ立って。昨日の嵐に服でも持ってかれたのか?」
唐突に聞こえた人間の声。ふと振り返ると、私よりも小柄な人間がそこに居た。少年はこちらをただ不思議そうに眺めているように見える。辺りには木々が散乱し、何かがあったことを報せている。
目の前の少年は私に話しかけているのであろう。言葉は理解出来る。理解は出来るが、どう返すべきかがよく分からない。
「いや。あ、あぁ……。」
迷った末の答えだ。
私の肉体に比べ一回り以上も小さい青年に私はまともな返しすらも出来ない。見れば私は裸のようで、目の前の青年からすればこの状態は異常らしい。
少年は小さく笑う。そして幸いなことに、同性な為か彼は答えきれない私に対して衣服を渡してきた。
「服を持ってかれたとしたら間抜けすぎるよな。ほら、あんまりいい生地ではないけど無いよりはまじだろ?それ着なよ。」
バサッ と広げ着てみる。それは藍色の膝上まである大きなシャツだった。
「感謝する。」
「感謝するってアンタ不思議な話し方するな。」
青年は笑う。それは悪意があるものでは無いことだけは分かった。
「俺の名前はシュラスってんだけど、アンタの名前は?ここら辺じゃ見ない顔だよな?」
見下ろしてた場所にいるはず。それは分かっているのだが、正確な自分の位置も分からない。自分の顔も分からない。
彼はきっと初対面という意味合いで言っているのだろうが、彼の表情からは人種的に雰囲気が違うというニュアンスも含まれてるように感じられた。
「私か……私は……ヴァイスだ。」
ヴァイス。これは青のやつが私を呼ぶ時に使っていた呼び名だ。赤と緑からはシロと呼ばれていたが、響きでヴァイスの方が気に入っていた。
「へぇ、ヴァイスね。なんでこんな所に素っ裸でいたのかとか色々聞きたいけど、取り敢えず街まで行こうか。俺の姉さんと.......あと誰か.......いや、思い出せないけど誰かがよく言ってたんだ。困ってるやつが居たら手を差し出してあげろって。兎に角着いてこいよ。」
私は彼に引っ張られるようにして街まで歩いた。
不思議なのは人間の肉体という初めて使うこの体が妙な程にしっくり来ている。歩く、話す、触る。
全ての司令が元の肉体とほぼ遜色ない程にスムーズに伝達されてる事を感じる。
体を支える二本の細く頼りない足で大地を踏むことも悪くは無いと思える程に。
街につき、辺りを見回すことでようやく自分のいる位置に凡その予想がついた。辺りを囲む山々、それらに群がる人々。鉱石の採掘がここまで盛んな街はこの大地に二つと無いだろう。
普段は空から見る景色。そして今の実際にその場に立って見る景色は同じ場所であってもなかなかそれには気づけないのだと実感した。
なんと言っても、翼もない、強靭な足もないとなれば移動も一苦労なはずなのだから。ふぅ.......と息を吐きまた歩き始める.......が。
「クロズミ、邪魔だ。」
ドンと後方から強い衝撃を受ける。制御しきれなくなった体は前方に放り出されるが、近くにあった柱に衝突して静止する。何が起きたか、分からないと言われれば全く分からないが想像に難しくは無い。
「ヴァイス!!」
「私に何の用だ。」
振り返れば想定していた通り嫌な笑みを浮かべた男が立っていた。金色の装飾を身にまとったその男は周りに数人の人間を引き連れて道の中央でただ嗤う。
「用なんてねぇよ。ただそこに居たから邪魔だと言っただけと言うか何?その眼?」
明らかな敵意。しかし、その敵意というものは今まで味わった事がない種類のものであった。対等.......いや、その目はまるでゴミクズを見るようなもので向けられているのは間違いなく私であろう。
正真正銘初めて。この種の屈辱は想像したことすらも無い、初めてのものだ。
「平伏せ。」
私はゆっくり右手を上から下へと振る。しかし、その腕は何を掴むわけでもなくただ虚しく空を切る。
「あはは、何それ?神様にでもなったつもりってか?」
男が笑う。神にでもなったつもりか.......その言葉の真意は分からない。どうであれ私は神.......いや、それに準ずるものだったはずなのだが、今の私には何も無いということだった。
「死んじゃえば?」
目の前に迫る拳。私は右手を振るうが、それが男に届くことはなく胸元に受けた拳によりその場に膝をつく。
「ヴァイス!お前ら.......。」
「何?もう一人も痛い目に合いたいって?」
男達はシュラスに詰め寄る。素手ではあるが、シュラスより二回りは大きな男が四人。私が叫ぼうと何かしようと彼らが止まることは無いだろう。
ドッ
鈍い音がした。そして腹部を抑えて一人の男がその場に蹲る。
「貴様.......。」
蹲る男が唸るように声を上げて周りの男は一気に殴りかかる.......が、その拳はほぼ全てが虚しく振られるだけでシュラスが倒れることは無い。
「いい加減にしなさい。」
突如として聞こえた声。透き通るような美声と中性的な容姿。青い服には鳥を象ったような紋様が描かれている男が男達を静止するようにシュラスとの間に割って入っている。
「この様な公衆の面前で荒事を起こすとは流石は中流貴族ですね。あまりに不快な様子ですと貴方たちの権限も全て剥奪することも出来るんですよ。」
「あ、あ、いえ。申し訳ございませんミレア様。」
男は跪いてミレアと呼んだ男に許しを乞う。その姿は先程までとは完全に別人のものであった。
「分かればいいんです。但し次はありませんよ。やるならば静寂で迅速に、これは基本です。」
ミレアはそう告げるとこちらを一瞥して、大通りを歩いて行く。
「気をつけてくださいね。」
優しそうな声。しかし薄らと見えたその目は先程の男の目とは比べ物にならない程冷たく無機質で、酷いものだった。
「大丈夫か?ヴァイス?ごめん.......俺の渡したその服のせいだ.......。クロズミの服.......それ以外のものを着ていればヴァイスがそんな目に合うことは.......。」
シュラスが申し訳なさそうに俯く。だが実際私はこの程度なんとも思っていない。
「あぁ。気にしてないさ。」
派手に飛ばされ、派手に殴られたものではあったが傷自体はほとんど無い。あってかすり傷程度のものであろう。
「そうか、なら良かった.......けど心配だからとりあえず着いてきて。」
シュラスはそう言って私の手を引く。その力は驚く程に強い。そしてその目はどこか悲しそうに見えた。
街の中を行く。ガヤガヤと雑音がひたすらに響き活気があることだけを私に告げる。
「やぁシュラス君お疲れさん。ん?一緒にいるのは何方かな?」
シュラスに着いていき、街のとある店内からそう声をかけられシュラスが立ち止まる。シュラスより一回りほど歳を食ってるであろう彼は茶色い短めの髪と褐色の肌、そして何より筋肉の塊のような体が印象的だった。
「こいつはヴァイスっていうらしいんだ。
サブ湖の近くにいたから取り敢えず連れてきたんだ。」
「ほぅ……。ヴァイス……君かな、ここいらじゃ見ない顔だが、 どこから来たんだ?」
男は私を不思議そうに見る。
そして、私が周りを見渡すとようやく彼等の反応の意味が分かった。
この街の人間のほとんどが褐色の肌と黒寄りの髪色をしていた。しかし、私は真っ白い肌と伸ばされた長い髪を掴んで見てみると少し青みがかった銀色をしていた。元の姿の体毛に酷似したそれは私の心を少し落ち着ける。
だがこの石を整形され組まれた家々が立ち並ぶ古風な街並みには余りにも不釣り合いな見た目なのだろうとも理解する。
「私は……首都から来たはずなのだが、少し記憶が曖昧なんだ。」
咄嗟の嘘だった。
しかし、首都ならば私のような見た目の人間がいる可能性があるのではないかと考えそう言う。
「ほう、首都からわざわざ。よく見れば傷もあるじゃないか。記憶が曖昧と言うことは昨日の嵐のせいで頭でもぶつけてしまわれたのか。」
「そうだな、でも実はさっきアイツらに襲われてヴァイスも怪我を負ってるんだ。だから治療しようかと思ってたんだけど.......。
というかヴァイス記憶喪失ならもっと早く言ってくれれば良かったのに。悪いけどちょっとここで待ってて。」
シュラスはそう私に話すと、店内へと入っていった。私はやはり不思議なのだろう、周囲の人間は皆私を見ているようだ。
そして、ここでもう一つ違和感に気付く。
「左目……。」
私は百年ほど前に左目を失っていたはずだ。しかし、この体には左目があった。
神の配慮なのか、それとも体自体が私本体とは関係ないものだからなのかは分からないが、私は言い様のない幸福感を感じた。
「ヴァイス待たせたな。行こうか。」
左目がある事の嬉しさで周囲を見渡していたが、気付けばすぐ横にシュラスがいた。
「あぁ……。」
シュラスの背中には先程より明らかに膨れた袋があった。私は目の前を歩く彼の後ろを着いて行った。
店が並ぶ大通りを抜け、黒色の石で造られた家々が建ち並ぶ場所でシュラスは止まった。
「ここが俺の家。なかなか立派だろ?」
黒色のその建物は確かに周りと比べてもなかなかに大きかった。
「あぁ、いい家だな。」
私は彼に連れられて家の中へと入った。
中は外見のイメージとは違い、白やグレーの石で造られた壁と木材の床が広がっていた。
「ただいま」
「おかえり。そちらは?」
長方形の大きな部屋には、シュラスによく似た女性がいた。黒色の髪と褐色の肌、そして優しそうな雰囲気を出す彼女も私を不思議そうに見る。しかし、その目には他の人々が向ける下らない好奇心は無く純粋に誰であるかを気にしてるように見えた。
「私はヴァイス。
シュラスに連れられてお邪魔した。」
「そう、シュラスが。ゆっくりしていってね。」
彼女はそう言うとシュラスの持つ荷物を受け取り、足を引きずりながら部屋を出ていった。
「今のは俺の姉さん。飯作ってくれるだろうから適当にくつろいでればいいよ。」
「そうか。」
私は彼女の足が悪そうな姿が気になったが、それを問うことすら面倒に思えた。
私は部屋に敷いてあるカーペットの上に座り込む。
知識として問題なく会話は出来るはずだが、こんな時にどうしたらいいか分からない。
感謝を伝えればいいのだろうが、どうすべきか上手く判断できなかった。
こんなことならば、もう少し人間とも深く関わるべきだったのかと考える。
しかし、昔に戻れたところでそう出来るかと考えるときっと私は聞き入れなかっただろうという結論に落ち着いた。
ふわりとした良い手触りを感じながら、私は心地よい眠気に襲われた。
それ程の運動量では無いはずなのだがな と考えたものの、私は眠気に身を任せることにした。
私は未来が見える。
より正確に言うならば、未来の道筋全てを見ることが出来るのだ。つまりは起こりうる可能性の分岐を線として可視化出来るということである。
その分岐点は無数に存在するが私は短い未来なら全てを把握することが出来るのだ。
私は神に与えられたこの眼と、時間を飛ぶ力で幾つもの分岐点を望む方向へと変えてきた。
しかし、約百年ほど昔私の眼は。私の左眼は。
忌まわしき記憶だ。私の左眼は人間により奪われてしまったのだから。
人間により奪われた。だが、私が根城としていた高き空は人間等には到底辿り着けぬ場所。
つまりは奴らのどれかが。
考えれば考える程に忌まわしい。私が時間を飛べれば。過去へと帰れれば。
そんな願いも虚しく、失った左眼と失ったタイムリープ能力。
残ったのは怒りのみだった。
冷たい。ヒヤリとした感覚と、体がゆらゆらと動いてる感覚に急速に意識を覚醒させる。
「ヴァイス……大丈夫か?」
夢……。
あまりにもリアルな自身の怒りの感情。
それはどうやら夢の中での事だったようだ。
「すまない。少し嫌な夢でも見ていたようだ。」
心配そうに見つめるシュラスとその姉。俺は精一杯笑ってみようとするが、人間の真似はどうも上手くいかない。
ふぅ、と小さく息を吐けば代わりにとてもいい香りが戻ってきた。
「寝てたみたいだったから、そっとしてたのだけれど用意ができて来てみたら何かに魘されてるみたいだったから……。
落ち着いた?」
「あぁ……。」
いい香りは彼女の作った料理からのようで、冷静になった体はどうやらそれらを欲してるように感じた。
「良かった。なら食べましょうか。」
私達は彼女の作った食事を頂いた。
人間の食べ物という物も初めて食べたが、何度も食べたことがあるかのように感じた。
「そう言えば名乗ってなかったね。私の名前はレーネ。ヴァイス君、宜しくね。」
レーネは笑顔でそう言った。
「私はヴァイス、宜しく。」
「そう言えば、ヴァイスは嵐のせいなのか分からないけど記憶喪失なんだっけな。
明日は俺休みだし、巫女様の所に連れていけば何か分かるかもしれないから行ってみようと思う。
姉さんはどう思う?」
「記憶喪失!?大変じゃないの。」
「そうなんだよ。実はヴァイス、裸でサブ湖に居たんだ。ほら、姉さんよく言ってただろ困ってるやつが居たら手を差し出せって。
だから昨日の嵐のせいなのかなんなのかは分からないけど、放っておけないと思ったから連れてきた。途中でアイツらに目をつけられて怪我しちゃったし、俺のせいでもあるから力になりたいと思ってる。
首都から来たみたいだし早めに解決出来るならした方がいいだろう?」
「ええ。困ってるアナタと私を助けてくれた人がいたんだもの、助け合いは当然よ。巫女様、空いてればいいのだけれど、行く意味はあるんじゃない?」
「だよな。巫女様なら記憶を戻すとはいかなくても、何があったか、何があるかなら分かるかもしれないよな。」
今更実は……等とは言えず、私の入る余地も無く話は進む。
「白い髪と肌、そしてその碧眼。
この街の人間ではないとは思っていたのだけど、首都からいらっしゃってたのね。
首都には貴方みたいな見た目の方が他にも居るのかしら?なんて。記憶がないんだもの答えられないわよね」
碧眼。そこでようやく私は己の容姿のほぼ全てを知れた。なるほど、皆が物珍しそうにみるだけある。
しかし、それよりも気になるのはその巫女様という存在。
「巫女様とは一体……。」
この街にそんな超人的な力を持った人間がいるとは私は考えたことは無かった。
いや、仮にもしもそれが本当だとするならば記憶喪失という嘘がバレて話がややこしくなる可能性すらある。その時は逃げればいいだけではあるが、友好的な人間にそうそう会えるとも考えられないため、面倒な事態だけは避けたい。
「巫女様はこの街に居る神の使いらしくて色んなものが見えるらしいんだ。
この地には神の使いである巫女様と、白い龍神様がいらっしゃって天からは龍神様が地では巫女様が俺たちを護ってくれてるって言われてるんだ。
巫女様は先代までが元々首都に居たらしいんだけど、何故か今の代はこの街に住んでるんだよね。
俺たちからしたら、助かる話だけど。」
「それで私をその巫女様に?」
「そう。もしかしたら記憶が戻るきっかけになるかもしれないし、首都からわざわざ来たってことはなにか重要な用事でもあったんじゃないかって。
例えば巫女様に会いに来た……とかね。」
なるほど。
小さくそう呟き、話の内容を整理する。
白い龍神様……か。
「とにかく、そういう事だから今日はもう休みなよ。
早めに行かないと明日中に謁見出来るかも分からないからな。」
シュラスはそう言うと白い布切れを私の前に置き、近くの布の塊へと体を突っ込んだ。
胡散臭い話しだとは思いつつ、自身に並べられて人々に崇められる 巫女様という存在には興味が湧いていた。最悪明日にはこの街を出ることも視野に入れつつ、私はまた眠りについた。




