117 第二のゴングが鳴りました
「もう一度、教えてくれ。アナベラは生きているのか?」
それまで、無表情で死んだ目をしていたフェルナンド氏の瞳は、息を吹き返したみたいに色付いていった。
無意識の行動で立ち上がり、ゆっくりと私に近付いてくる。
が、二メートルぐらいになって、ファティマが張る守護結界にぶち当たり、足が進まなくなる。
敵対した相手が改心しようとも、ファティマやフィディルが私に近付けるはずがない。
法廷の衛士が、警戒してフェルナンド氏の両脇に控える。
原告と被告人の間柄が解消しない限りは、両者は接触厳禁が規則なので、衛士の行動を裁判長や裁判官は咎めたりはしない。
「あっちに座っているバウルハウト侯爵令嬢で、次代女王筆頭候補のシェライラが赴任したライザス領地の一養護院に、フェルナンド氏によく似た顔立ちのアナベラちゃんなら、生きてますけどね」
「ええ、ミーア様がおっしゃる通り。現在は養護院は閉鎖して、ある別の地に庇護されておりますけど。確かに、フェルナンド卿のご息女は存在しておりましてよ」
うちの農園に視察という名目で、執務の息抜きに訪れるシェライラは、元ライザスの養護院の子供達を何かと気にかけている。
まぁね。
養護院を経営していた父親役の男性は屑野郎だったし、前領主の不正に関与していた訳だしで、人身売買にて売られていった子供達の安否情報を集めていたりする。
で、数人の子供が奴隷扱いされながら生存しているのが判明して、父親のバウルハウト侯爵さんも巻き込んで、大捕物をしたそうな。
近々、事情聴取を終えた子供達の引き取り先に、うちの農園が候補にあがっていたらしいが、母親のマルローネさんが居るのが分かると難色を示しているのだとか。
そりゃそうだ。
マルローネさんは、見てみぬ振りしたんだから、信頼関係が揺らぐのも当然の成り行きだ。
となると、必然的にうちの農園は早々に候補から外れ、バウルハウト侯爵さんが精査した避難所に一時預かりとなるのが決定した。
しかし、その救いだされた子供達は、マルローネさんの側にいるのが心配だとかで、一緒に避難所に避難できないかと打診があった経緯もある。
そこで、少年組のリーダー格のマイク君が近況を手紙に書いて、自分達が如何に安全で仕事とは言えない程度の仕事しかさせて貰えないか愚痴を溢していたとか。
ちゃんと、冒険者ギルドを仲介した雇用関係なのだけど、簡単な仕事しか割り振られないわ、平民には難易度がありそうな上級の教育まで施してくれるわ、果ては貴族の推薦で高等教育の場である学院へも金銭的支援も含まれて薦められる始末。
平民でも底辺の環境にいたのが、随分と変化したのを延々と愚痴っていたそうである。
その手紙に、これだけの仕事でこんな給金貰えないともあったりで、非常に別な心配をした先輩お兄さん達から、私にも手紙が来ていた。
要約すると、私のメリットは何であるのかと言う事で、単なる小金持ちの慈善事業だと返信したが、果たして信じて貰えたであろうか。
話が逸れた。
「裁判長。フェルナンド氏に信用して貰いたいので、本人を法廷に連れて来ても構いませんか?」
「まあ、本来ならば、バーシー伯爵の領地から、本法廷にご息女を連れていただくには距離の問題があるのですが。賢者の石板からは、承諾せよと指示がありますゆえ。どうぞ、善きにおはからいください」
「では、フィディル。保護者役にナイルさんで、マイク君とアナベラちゃんをよろしく」
「承知致しました。暫く、お側を離れます」
裁判長の許可が出たので、フィディルにお願いしてみた。
フィディルは、法廷の扉を抜けて農園に移動して、正味五分も経たずに戻ってきた。
勿論、ナイルさんとマイク君とアナベラちゃんを連れて。
私が、保護者役にナイルさんを指定したのは、マルローネさんでは力不足な感が否めなかったからで、アナベラちゃんが再びマルローネさんの養護院に戻されたのも、アーゲード侯爵が何かしら裏で密約交わしてそうに思えたしさ。
裁判長や裁判官、アーゲード侯爵側に転移の秘密を暴露したようなものだが、彼等が吹聴しても個人で転移技術を所持出来ない不文律があるから、誰もが虚言だと一笑するだろうね。
ただし、裁判長側は、宰相閣下なり、賢者の石板なりで情報が正確であると思うも、悪戯に世間を騒がせる事は忌避すると思う。
何しろ、私は六柱の大精霊を守護者に持つ、危険人物で、ある意味女王よりも重要人物だからね。
この世界には数多の神々が信仰され、存在を認識されているも、自然界の理と自然環境を担うのは精霊に比重がいく。
よって、大地に生きる生物が、大地と水と樹木の精霊から嫌われようものなら、お先は真っ暗。
生きていけるはすがない。
だもんで、それを知る方々は、私に敵対する気にもなったりしてはならない。
人外さん側からも、精霊に関する称号貰ってしまい、守護者の眷族外の精霊からも好かれやすい体質になっているから、私に敵対=精霊の恵みの恩恵が喪失=国の一大事で下手したら滅亡コース。
きっと、そうなったら、私は希代の悪女となるのが目に浮かぶわ。
何で私が、敵対してきた相手の為に、精霊のご機嫌を取らなくてはならないのか。
誰がやるかっての。
「ミーアさん。緊急事態とは何事でしょうか」
「ああ、ナイルさんには直接の関連性はないのですが、引率役のマルローネさんに信用がありませんので、代理の保護者となって貰いました」
後、アナベラちゃんを虐待した輩がいるんで、牽制役にもなって欲しかったというね。
案の定、アナベラちゃんは自分を凝視するフェルナンド氏(ランドルフ伯爵)を見るなり、ナイルさんの背後に隠れてしまいました。
事情を知るマイク君は敏感に察知して、眼前の貴族がアナベラちゃんを捨てた貴族だと把握した。
険しい眼差しで、フェルナンド氏を睨み付けては、アナベラちゃんとの間に割って入った。
うん。
まあ、正直平民の子供が貴族に喧嘩腰になったら、不敬罪を適用されて処罰ものだが。
マイク君の後ろ楯には私がいるので、苦情は私が受け持つ所存だ。
食って掛かってくるなら、対処は万全に反撃してあげようではないか。
「アナ、私とプリシラの可愛い娘。良かった、生きていてくれた。もう、それだけでいい。アナが生きていてくれるのなら、私は罪を一つ残らず申告し、反論せずに従います。だから、一度だけで構わない。娘を抱き締めさせて欲しい」
脱力したのか、アナベラちゃんと目線をあわせたのか、跪いたフェルナンド氏に懇願された。
優しい声音に困惑したのか、アナベラちゃんはランドルフ伯爵邸で垣間見たランドルフ伯爵との違いに忙しなく私とフェルナンド氏に視線を向ける。
「あのね、アナベラちゃん。この人は、正真正銘アナベラちゃんの父親のフェルナンドさんで。あっちで、口を開いても声が出てない人の二番目の息子さん。アナベラちゃんが、伯爵家に引き取られた時はファルゼンと名乗っていたけど。それはお兄さんの名前で、アーゲード侯爵というアナベラちゃんのお祖父さんが、アナベラちゃんに危害や怪我をさせたり暴力を受けないようにさせる為、仕方なく無関心な養父にならないとならなかったの」
「ミーアさん。それって、アナベラが人質にされてたから、言いなりになるしかなかったのかな」
「マイク君、正解。で、フェルナンドさんは、アナベラちゃんがアーゲード侯爵に殺されたと思わされて、アーゲード侯爵が悪どい犯罪を犯していたのを証言したの。自分も、連座制で処罰されるのを希望してね」
「成る程。愛娘が亡き者とされ、自分も死ぬ覚悟をなされた。そうして、ミーアさんはそれが無駄であると思わせる為に、アナベラちゃんに会わせてあげたのですか」
ナイルさんも二児の父親だから、娘を道具のように人質扱いされた経緯を読み解き同情はするも、その内面は父親の自暴自棄を唾棄しているなぁ。
表情から、愛娘を助けたいのなら死に物狂いで反抗するなり、然るべき場に訴え出れば良かったのではと言い出しそうである。
ナイルさんは、それを実践して拷問受けちゃったけどさ。
貴族なら、社交の場なり、目上の上位貴族にご機嫌伺いで訪れに行って、助けを求める事が出来ただろうね。
しかし、貴族の矜持なんかが邪魔して、出来ないとほざくなら無駄だろうが。
ああ、でも奥さんとの婚姻届を提出に行った貴族院で、アーゲード侯爵の手の者に捕まった経緯があるから、誰が味方になってくれるか判断出来なくなった可能性もあるか。
「どうする、アナベラ? おれは、この人はアナベラを虐めたりするようには感じないけど」
「……マイクお兄ちゃんが、そう言うなら信じてもいいかな。何だか、お屋敷で会った時みたいに、怖いのないし」
おずおずと、マイク君と手を繋いでアナベラちゃんは、ナイルさんの背後から出てきた。
少しずつだけど、ゆっくり歩みより、フェルナンド氏の一歩前まで行く。
「顔に触っても良いかな」
「……うん」
フェルナンド氏は涙を滲ませて、アナベラちゃんに問い掛ける。
了承を得て、恐る恐るアナベラちゃんの頬に両手を伸ばす。
「顔立ちは私に似ているが、目元や鼻の形、口元はお母さんのプリシラによく似ているな」
「そうなの? お母さんの事は、あんまり覚えてないけど。お父さんは、肩車してくれた? 林檎の実を一緒に取った事ある?」
「ああ、ああ。あるよ。アナが取った林檎で、お母さんはパイを焼いてくれたよ。アナは美味しいと言って、お腹が一杯になるまで食べて、夕御飯が食べれなくなって、お母さんに怒られたね」
多分、監視付きの逢瀬での思い出話に、フェルナンド氏はアナベラちゃんと奥さんの記憶を大切に忘れない様にしてきたんだと分かった。
けれども、漸く邂逅出来た父娘に向かって、悪意はまた振りかざされた。
「嘘よ。そんな筈はない。だって、アナベラは始末したって、遺体だって確認したんだから。生きている訳ないじゃない」
「そうだ。そいつを屋敷から出す時は、虫の息で死にかけだったんだぞ。治療はするなって、治癒師や医者には金をばらまいたんだ。絶対に、偽者だ」
自己申告ありがとう。
遺伝子上は叔父と叔母で、戸籍上は従兄弟の身内から看過出来ない犯罪の申告がなされた。
罪状追加ですなぁ。
ふむ。
では、第二ラウンドの始まりだ。




