そして誰もいなかった。
ぺたぺたという足音が背後から聞こえてくる。それに気づいたアリスは、おそるおそる後ろを振り返るったよ。もしかして、誰かが戻ってきたのかもしれない、という淡い期待を胸に抱きながらね。
「あっ、またウサギのぬいぐるみ!」
振り返った先には、アリスがこの世界に迷い込むきっかけとなった白いウサギのぬいぐるみがいた。暗い夜道でも迷わないように、カボチャのランタンを手にしている。ジャックオーランタンの怪しげに、淡く光る光源によって、白ウサギのガラスの目が夜の闇に浮き上がっていたよ。
白ウサギはアリスが自分に気づいたのを確認して、踵を返して歩きだした。ジャックオーランタンをゆらゆら揺らしながら、まるでついてきてごらん、と誘っているみたいだったよ。
「まって、ウサギさん!」
アリスが叫ぶ。そして立ち上がり、ウサギを追いかけるのであった。何度目かのウサギとアリスの追いかけっこが始まったよ。
元の世界に帰るための手がかりは、今のところウサギしかいない。そのためアリスは藁にもすがる思いで追いかけたね。でもウサギは待ってくれない。しかし、それでいて、アリスとずっと同じ間隔を保っているようだった。
薄暗い夜道でもランタンの光のおかげで足下は見えたよ。しかし、それを除けば真っ暗な未知なる道を突き進む。まるで宇宙を歩くそんな不思議な感覚であったね。
幾ばくかの時間の間、アリスがウサギを追いかけてゆくと、徐々に周囲が明るくなっていく。真っ暗闇から灰色へ、ブラックからグレーへ、空の色が変化していった。
それにより、アリスは周りの状態を少しは確認することができたよ。そこはトラックにはねられて最初に気がついた森のように木が生い茂っていた。ただ最初の場所とまるきり同じかは不明だったね。でもただ言えることは最初の森と同じで整備されているようで走りやすかったってこと。
「ねぇ、あなたはなんなの? なんで私の前に現れて、すぐに逃げてくの?」
アリスはウサギに向かい叫ぶけれども、特に変化はない。黙々とアリスを煽動するかのように進んでいく。それはあらかじめ目的を定められた機械のように淡々と前に進み続けていたよ。
「ねぇ、あなたが黒幕なんでしょ。ちょっと何とか言いなさいよ。もー」
アリスは、必死で追いかける。歩いても走っても同じ間隔を保つのは前と同じ。何度か全力疾走で追いつこうとしたけども、ウサギとの距離が縮まらないのを感じて途中から歩いていたようだね。ただ、あまりにも遅いとウサギがいらついたようにランタンを振るので、早歩き程度のペースでウサギについて行ったよ。
そして、また幾ばくかの時間がたち、周りが灰色から白に、グレーからホワイトになったころ、整備された森を抜けた。ばっと、開けた場所に出たようだね。
開けた場所の先には木の柵があって、その内側はに何軒か家らしきものが立っている。どうやら村のようだった。
「あっ、村かしら? ここなら話が分かる人が居るのかも。あれ? ウサギはどこいったのかしら」
アリスが村に釘付けになっている間に、ウサギはまたいなくなっていたよ。ほんのちょっと目をはなしただけですぐ居なくなった。あたりを見回してみるが見る影もなかったね。
「また、ウサギ居ないし。なんなのあれは。ここに連れてくるのが目的だったのかしら」
しばらくきょろきょろとウサギのことを探していたアリスだったけど、見つからないのであきらめ、村らしきものを観察することにした。
「それで、ここは?」
村の周りにある柵は飛び越えることができない程度の高さだったよ。なので、アリスは柵をつたって入れそうな場所を探してみた。ぐるっと柵沿いに歩いてみると、街道のようなものと村への入り口らしきものが見えてきたよ。
そこには大きな看板が掲げられており、そこには『ここは始まりの村』という文字が書かれていた。
「始まりの村……まるでゲームの世界のようね。となれば定番の門番さんがいるはず……あの人かしら」
アリスが言ったとおり、村の入り口には門番らしき人がいた。30代後半のダンディなおじさまがそこにいた。服装はゲームでよく見るような中世ヨーロッパのような装いだったよ。そんな門番の男性に、アリスは話しかけてみた。
「あの、すいませ……」
「ようこそ。ここは始まりの村です」
「えぅ? ここはどこ……」
「ようこそ。ここは始まりの村です」
門番の男性は、アリスの言葉に機械的な動作で言葉を返したよ。アリスがすべてを言い終わる前に答える。でも以前のスライムと同じように、同じ言葉しか言わなかった。どんな言葉をかけても、返ってくるのはいつも同じ「ようこそ。ここは始まりの村です」だったね。
「えーっと、ここは始まりの村なのですか?」
「ようこそ。ここは始まりの村です」
「私アリスっていうの……」
「ようこそ。ここは始まりの村です」
「えーっと、」
「ようこそ。ここは始まりの村です」
……
何度か返事を期待して話しかけても門番は同じことしか言わなかったよ。壊れかけた機械人形のように、同じフレーズをリフレインする門番。会話を諦めてアリスは村に入ってみた。特にとがめられることもなく、すっと入ることができた。
村には家がぽつぽつ点在していて、20軒ほどあったがどうも外には人はいない。村の入り口の人は全く動かない。だけど家畜の牛や鶏はいるようだ。家畜小屋みたいなところに入れられているが、その世話をしているような人はいない。家畜小屋の周囲の様子を見てみるが、やっぱり誰もいない。
不気味なほど人がいない、ゴーストビレッジの雰囲気を醸し出す始まりの村だったよ。
周囲の探索で人を探すのは辞めて、家の中に入ることにした。村の家には扉がなく暖簾のようなものがかかっているだけだった。アリスは不用心だなぁ、って思いながらも近くにあった家に入っていく。
「おじゃまします」
その家は平屋で簡素な作りをしている。昔の日本風の建物だったよ。土間といろり、釜が有るが、食事場には西洋風のテーブルと椅子があって、とてもアンバランスな様子だった。
そして案の定、家の中にも人はいなかった。しかしながら、そこにはテーブルには今し方、作られたばかりの食事があったよ。ご飯とおみそ汁、スクランブルエッグにトーストが、四人分。テーブルいっぱいに料理が並べられていた。
「なにこれ。へんだわ」
まるで、何かがあったかのように、急に出て行った様相だった。テーブルの上の料理は湯気が立っており、それが出来立てであることを主張している。あたかもメアリー・セレストのような状況であった。
まるでアリスがここにくる少し前にみんな消えてしまったかのように。
アリスは誰もいない食事場を後にし寝室も見てみた。でも布団の上には日記帳が置かれていただけで人はいなかったよ。
その日記を見てみると、
『8月32日、きょうはなんにもないすばらしい1日だった』
とだけ書かれていた。他のページを見るとぐちゃぐちゃで、黄色と緑の絵の具をぶちまけたかのような様態だったよ。
アリスは気味が悪くなり、後ずさる。どこかからヒグラシの声が聞こえてくる。カナカナカナ……突然の蝉の大合唱に驚いてアリスは翻り、その建物から急いで出た。
カナカナカナ……
その後もアリスは他の建物も見てみたけど、どこも同じ様子だった。
出来立ての料理が並ぶけれども、それを食べる人はいない。そんな奇妙な状態。村の入り口から中に入っていって、いくつかの建物も見たけど全部同じ。どこもきっかり、朝食を食べ損ねたかのように。そして寝室には奇妙な日記だけが残されていた。
アリスはげんなりしながらもめげずに、最後に残った村の端っこにある大きな建物の前までやってきたよ。この建物は他の家との作りは違っていた。
そこの建物には扉がきちんとあって、『冒険者ギルド』と書かれた看板もある。ここなら何か知っている人がいるかもしれないと期待して、アリスは扉を開けたのだった。




