17話 犠牲
「師匠、ごめんなさい。私は逃げるわけにはいきません」
弥生は勇気を振り絞り、自分に正直な答えを出した。
ラビはもう驚く様子もなく、辺りを確かめた。障害物の場所。敵の位置。部屋の形等、目視できる範囲で確認する。
理想の為には立ち向かう事も必要だろうが、弥生の言動からラビの出した答えは至極当然のものだった。
「分かった。それなら私は先に戻る」
感情の無い言葉だけを置き去りにするように、ラビは大きく後ろに跳ね、部屋の隅に移動しながら防御魔法を発動させた。直前に見せた盾とは違い、今度は霧状の魔力でダメージを受ける魔法だ。盾との大きな違いは攻撃を受け止める事のできる範囲と上限にあるが、この魔法は前だけでなく全方位に効果がある。
宣言通り構える弥生の姿がラビの目に映るが、もう諦観してしまったのだろう。そのままメニューを開き、ログアウトボタンを探していた。
ボタンを押すとすぐにログアウト10秒前と表示され、カウントダウンが始まる。このカウントが0になるまでにダメージを受けなければログアウト成功となり、ゲームから一時的に離れる事になる。
町や村、ダンジョン内の中間ポイント等の安全エリア以外でログアウトした場合、再ログイン時は近くの安全な場所からゲームが始まる。この仕様を利用すれば、移動不可エリアでも移動できるはずだった。
「これも、ダメなのか」
しかし言葉通り、ログアウトボタンを使用出来なかったようだ。
ボタンが見つからなかった訳でもなく、ラビは手慣れた動作で表示させ、ボタンを押した。普段ならすでにカウントが始まる頃だが、いまだに何も表示されない。どうやらこのエリアではそれすら許されていないようだ。
深い溜め息を吐き、彼は一度見捨てた弟子を見ながら物憂げに何か呟いた。
ラビが逃げるために四苦八苦していたその頃、弥生は1人で敵と対峙していた。戦闘慣れしてきたはずの膝が震え、それを止めるために強めに外腿を叩く。乾いた音と共に彼女の目に僅かに涙が溜まるが、震えは止まる。
「よし! 今度こそ……今度こそいける!」
自分に言い聞かせるように弥生は叫び、槍を片手に果敢にも敵に向かって走り出す。幸いにも敵の動作は鈍く、弥生にも動きが分かる程だ。
攻撃範囲にプレイヤーが入ったことを感じたゴーレムは、その巨大な右腕を引き、力を溜めるように僅かに停止する。
1秒に満たない停止の後、鉱石の塊である拳は弥生に向かって一直線に加速していく。
ラビとゴーレムの戦闘を一度見た弥生には、その拳の動きも早さも、一旦引く予備動作さえも分かっていた。しかし、分かる事と攻略できる事は別問題だ。
弥生には強力な攻撃魔法は使えない。ならばと思い、今使える一番強いスキル地を割る一太刀で叩き落とそうと構えたが、それが間違いだった。
「あれ。早い……?」
拳が目の前に来る瞬間を狙い、落とすつもりだったのだろう。
しかし弥生自身の溜める動作が想定以上に長かったのか、敵の攻撃が思っていたよりも早いのか。
気付いた時には遅く、どちらにせよ真正面から攻撃を体で受ける状況に陥っていた。
それでも中断して逃げはしない。何もしないよりはマシだと彼女は心の中で呟く。そしてスキルの動作に身を任せ、槍を強く握りなおしたその時だった。
「全く、もうこれしかないか」
声が聞こえると同時に体が突き飛ばされ、弥生は宙を舞う。HPバーは減っていないので、攻撃で吹き飛んだ訳ではない事が分かる。
ラビの姿を彼女は横目で確認した。一度は諦めかけた彼だが、目の前で弟子に死なれるのは我慢できなかったのだろう。
たとえ|ゲームの中だ(現実ではない)としても。
「誘爆系反撃魔法!」
ラビは目の前に迫る大きな拳を前にして叫んだ。人差し指をゴーレムの中央、赤い宝石の埋め込まれた場所を指差して魔法を発動させる。
魔法陣は指先ではなく、赤い宝石を中心に描かれ始める。
しかし、拳は無情にもラビの華奢な体を軽く吹き飛ばす程の衝撃を与えた。魔法の発動を優先した代償であろう。腕で防御する事すらできず、全ての衝撃を体で受けた彼は、洞窟の壁に爆発のような音と共に叩きつけられる。
そして重力に従い、鈍い音を立てながら地に落ちた。
「し……師匠おおおおおおおおおおおお!」
弥生の声が虚しく響き渡る。それでも返事はない。すんでの所で逃れるも体勢を崩し、尻餅をついた彼女であったがすぐさま立ち上がり、ラビの元へと駆けた。
「師匠! 大丈夫ですか?」
声を掛けると共に抱き上げ、彼の顔を覗き込んだ。頭上に表示されるHPバーはほとんど無く、僅かに残された表示も徐々に削られていく。
「大丈夫じゃないね。それよりあの宝石、あそこに……」
言葉が途切れると同時に、ラビの体から力が抜けていくのを弥生は感じた。
すっかりなくなってしまったHPバーの上に、『Dead』の赤文字が表示される。
こうなってしまうと喋ることはおろか、チャットすら出来ない。体が抉れたり血が溢れ出たりこそしていないが、完全に動かないラビを弥生は抱える。
仮想とは思えない妙にリアルな死を、彼女は痛感した。




