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盗賊と魔の卵



 ヒュゥッ。


 風の強い新月の夜。鋭い音が、闇を切り裂くように聞こえた。

 強風によってもたらされるものか、人為的なものか、区別がつかないほどさりげなく紛れ込む。

 大きな石造りの屋敷は、みな寝静まっているようで、部屋の明かりは見えない。背の高い外壁との間には中庭があり、警備の兵が角灯を持って巡回し、端々には篝火が焚かれている。厳重に守られた屋敷は、よほど大きな力を持つ金持ちの住まいなのだろう。

 すると、闇が動く。いや、闇と同化していた人間だ。頭巾を被り、布で口元を覆い隠している者達が、音もなく外壁の傍へ集まっていく。一人が壁を背に手を前に組み、闇にまぎれた者たちが順にその手へ向かって走り、足をかけ天へ放られた。誰の目にも付かぬうちに外壁を越えた早業で、警備の者に気付く様子はない。内側に残された最後の一人は、壁伝いにスルスルと降りてきた縄を掴み、辺りを確認したかと思ったら、一呼吸の間に上る。まるで体重を感じさせない上に音を一つも立てず、あっという間に壁を乗り越えた。

 手際よく縄を回収し、先程最後に残った者が靴底で地面を、トト、ト、と僅かに踏むと、影たちは四方八方に駆け出した。追っ手を撒くための策で、たとえ屋敷の者に気付かれていないとしても、万が一を考えての事だ。


 しかし、そこに一人だけ残る者がいた。

 仲間に合図を出すなど、影の者たちを纏めていた男だ。

 出てきたばかりの屋敷をもう一度見上げると、腰から鉤のついた縄を取り出し、壁の向こうに投げる。くんっと引き手ごたえを感じると、再び人の背丈以上もある壁を乗り越えていく。

 男には気がかりがあった。

 屋敷の中の、堅牢であり容易に突破できない造りの部屋――

 目的が違うので手は出さなかったが、あまりの厳重さに妙な引っ掛かりを覚えていたのだ。



 男は、盗賊を生業としていた……というか、気が付いたら盗賊になっていた。

 物心ついた頃から親など知らず、廃屋や物置小屋の裏手、時には洞窟に住み、いつも腹を空かせていた。朦朧としながら食料を探して歩き、知らぬ間にたどり着いたのは、盗賊団の巣窟となっていた山奥に建つ砦だった。

 そこで食べ物を盗もうと侵入したのだが、即座に発覚してしまい、盗賊たちから瀕死の重傷を負わせられた。だが、丁度人手が足りないと下働きとして飼われる事になり、命だけは助かることができた。

 その時の年齢は、おそらく……十を超えたくらいではないか。生まれを知らない身としては、年齢すら推し量るしかない。

 下働きを始めおよそ五年、盗賊たちの暴力を受けては日々耐えていた。ここにいれば、少なくとも衣食住は賄えていたからだ。しかし度重なる理不尽な乱暴に耐え兼ねた男は、盗賊たちから隠れて体を鍛え、ある日先頭になって男を苛めていた相手を、完膚なきまでに叩きのめした。

 だが勝ったことによる高揚感は、砦にいる盗賊たち全員から殺意を向けられたことにより、一気に冷える。そして男は、ここで俺は死ぬ、と悟った。

 覚悟を決めた男の前に、ふらりと酒瓶を持った頭領が進み出る。

「俺は強いやつが好きだ。だがな――」

 いつの間にか持たれた三日月刀が、風を切り裂くように男の顔を一閃する。

「やるなら、殺すつもりでやれ。これはその罰だ」

 右目の下が、火掻き棒を当てられたかのように熱い。しかし微動だにしない男へ、頭領はニヤリと笑い、今度は男の左頬に刃を当てると、皮膚が切り裂かれていくのを楽しむように、じわりじわりと押し進める。

 歪な横線を描かれた男の両頬は、真っ赤な血を垂らし、頬を伝わり襟元を染めた。それでも声一つ上げず頭領の目をまっすぐ見る男に、頭領は満足そうに頷いた。

「おいてめぇらよく聞け! いまからこいつは俺預かりだ! 手ぇ出すんじゃねぇぞ!!」

 声を張り上げ、息を呑んで成り行きを見守っていた盗賊たちに宣言する。この瞬間、男は立場を保証された。男に今まで通りの扱いをするならば、命の保証はなくなるのだ。そして、頭領に逆らえる者はこの砦には一人として――いない。

 そこから男は一目置かれる存在となり、もともと素質があったのか、あっという間に盗賊としての技術を習得した。冷静な判断、的確な指示、驚異的な身体能力は群を抜いて高く、〝仕事〟の統率者として任されることが多くなり、いつしか頭領の右腕とまで言われるようになった。


 今回の案件も、男が頭領から受命したものだ。

 あの屋敷には、裏取引で潤った数々の貴金属が蓄えられている。中には、金貸しをした担保に奪ったその家の家宝なども――

 その家宝を取り返してくれ、との依頼が闇取引の経路から回ってきたものだ。もちろん、法外な依頼料は発生するし、盗みに入ったついでに目についた金目のものも奪う。こちらにとっても非常に旨みのある依頼であるので、引き受けたのだ。

 厳重な警備の為、男は連れていく仲間を厳選し、その結果無事依頼主からの仕事は片付いた。

 だから、男はここに戻る必要がない。

 しかし――

 完全に個人的な興味で、男は潜入する。

 巡回の兵をじっとやり過ごし、回廊を素早く移動する。影から影へ、死角に潜っていく。息遣いすら全く感じられないほど男は徹底して気配を消した。

 やがて、先ほど侵入した宝物庫の前にたどり着く。しかし目的はここではない。すぐ隣の棟だ。重厚な扉の割に鍵は単純な錠しかかかっておらず、あれほど厳重な警備をされていた宝物庫と比べ、そっけない印象を持つ。扉にも毒針などの仕掛けがなく、重要な部屋と思った自分の勘を少々疑いながらも、男は探索を進めていった。

 自らの衣服に仕込んだ小道具を取り出し、鍵穴に慣れた手つきで差し込み、難なく開錠する。そして腰紐に括りつけてある袋から油の入った小瓶を取り出し、扉の蝶番へ差してから、ゆっくりと重厚な造りの扉を開けていく。

 真っ暗な部屋は窓一つなく、ただの四角い部屋だ。その閉塞感のある部屋に罠を仕掛けられていないか入念に調べ、開けた扉の僅かな隙間に体を滑り込ませた。

 新月な上に窓もない部屋では、墨を溶かしたような暗闇で何も見えないはずだが、男は何の躊躇いもなく足を進める。気配を読み、夜闇でも不自由ない程度にその場の配置を一瞬で覚える。これは盗賊として日々の訓練の賜物である。

 部屋の片隅に、無造作に置かれた麻布の袋の前で男はしゃがみ込んだ。男の腕一抱えもありそうなその包みは、市場の野菜売りなどでよく見るものと同じだ。それと同じものが、周囲に多く置かれている……いや、部屋に投げ込まれたままの姿といっていいだろう。

 自分が知りたかったものはこれなのか――?

 男は躊躇いながら、その一つに手を伸ばす。

「……ん」

 もぞ、と中身が動き、声を上げた。

 もしかしたら、これは。

 男は、ハッと手を引っ込め、素早く周囲を見回し、再び躊躇いながら袋に手をかける。結び目を解くと、中からバリバリと何かを砕くような音と共に、小さな掌が出てきた。

「おかーさ……」

 続いて、母親を呼ぶ舌っ足らずな声と、灰を被ったような髪と――尖った、耳。暗闇でも煌々と光るような色彩の赤い瞳。髪には卵の殻らしきものがいくつか付いていた。

 間違いない。これは魔だ。それも、卵から産まれたばかりの、幼魔。

 だとしたら、この屋敷の主は、世の禁忌に手を染めていることになる。


 そもそも通常の生活をするうえで、魔と出会うことなど皆無だ。

 昔話として世間で語り継がれるのは、魔とは残虐な行為を好み、人の血肉を喰らう恐ろしい種族である――というもの。人間たちの世界が終わりに近づいたと皆が覚悟した時、神から命ぜられた救世主が、事態を収束に導いたのだ。その時の協定で〝人と魔は互いに干渉せず〟と取り決められた。それは、つい三世代前の事である。

 そのせいか、男は魔に出会ったことはなく、伝聞で見聞きしたことだけが魔に対する知識のすべてだ。

 しかしここ最近……裏の情報で、魔の違法な売買が行われているという噂が出回っていた。

 魔の卵を口にしたものは、魔の妖力を手に入れることができる――ということが、一部の間で信じられているようだ。しかし、そもそも人間の住まう地で見かけない魔をどう捕らえるのか、そして卵などそれこそ難易度の高いものをどのようにして手に入れるのかなど、よく考えればその噂は眉唾物だと分かるだろう。

 しかし、いま男の目の前にいるのは、明らかに生まれたばかりの――

「だあれ」

 幼い顔をした魔が、男を見た。





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