3.14
ふと櫻は、左の方から忍び泣く声を、一瞬だけ聞いた。
がまた聞こえて、聞こえてくる。遠すぎるからか、静かすぎるからか、途切れて、途切れて。
後ろの真梨は気づいていないらしい。
――まさかと思うや否や体が先に声の方へ走っていた。「櫻!?」と真梨に叫ばれたが、背の高い草と木で覆われた道ではない中で、足元に注意しながら走っているから返事ができる余裕なんてない。そんな中で忍び泣く声が左前から聞こえた。近づいている気配。息も切れてくる。
驚かすかもしれないから櫻は走るのをやめた。走るのに近い早歩きで進んでいく。
何でここなんだ? とふと思った。まさか家まで堪え切れなかったから? とも思った。
その時には黒い木々が最奥に、薄く暗い青色のおぼろげな空間が見える。まるで木々がその辺りを、雲の小さな隙間から空が見えるその隙間のように、避けているみたいだ。その方から鼻を啜る音が聞こえたのだが、もうがさがさした音に気づいたからか、啜る音はしてこない。
「藤谷っ……」息を切らしながら櫻は叫ぶように言ったが、息を吐きすぎたし、言いにくい。
「……お……ぅ……?」と驚愕しているような藤谷の声が聞こえてきたが、姿は見えない。
「ハ……たハッ、大変だっ! ……東堂とハッ、高菜のケンカが、止まらないんだっ……!!」
「……どう、して? ……東堂、そこまで……高菜が嫌いじゃ……ないのに……」
「よく分、からないんだっ。か、……感情がば、爆発、したみたいで、な、何が、何だか……分からない。きっと僕には分からない、ことだと思う。ごめん、藤谷もきてくれ!」
そう言ってから少しすると、草が恐る恐る擦れる音がした。薄く暗い青のおぼろげな空間の、手前にあるらしい黒い木の右の方で、黒いシルエットが動いて、ふらつきながらだが近づいてくる。まるで中学の制服姿の私服のシルエットが薄くだが見えてくる。それで藤谷だと分かる。
櫻も藤谷に顔を向けたまま引き返す。早足の藤谷に合わせて早足になる。そんな中、藤谷が走り出したから櫻も走った。激しくがさがさ鳴る草の音に、藤谷の弱々しい呼吸が紛れ(まぎ)ている。




