plologue.Marifa
プロローグ終了。次から本編へ
そのエルフはどこか自信がなさそうに、目抜き通りを歩いていた。
深い森のそのまた深く。エルフという種族の住む集落はそこにある。
そのエルフ――ここでの名は、マリファと言った――は、所謂「落ちこぼれ」であった。
彼女の身長は150cmに満たない。エルフ族の平均身長は175cm以上である。
彼女の耳はひどく短く、そして形が悪い。エルフ族の本来の特徴は、長く、美しい耳を持つことである。
そうした身体的特徴――言い換えて、身体的ハンディキャップを持つ同類に対しては、人、あるいはエルフもまた容赦はない。嘲り、罵り、謗り、蔑む者は圧倒的多数であった。
そうして彼女は、それだけはまっすぐに育っていたはずの人間性をも歪めていき、エルフ族の末端の末端、底辺中の底辺の干物エルフと化して、早二百余年が過ぎようとしていた。
マリファには姉妹があった。二十年下の妹のカリファである。カリファはマリファが野鼠一匹狩れない間に大きな猪を一人で狩り殺し、呪術の素養を極め、そうして嫁いで行った。もうそれから六十年経つ。
(――いい加減、私のブサイク加減にも飽きろっての!)
通りを俯きながら歩くマリファは、心の中で呪詛を唱えていた。周りの視線は、既に彼女にとってはお馴染みである。
俯いて歩いても、醜い形をした耳は隠れないし、角ばった胸板は寂しく自己主張するばかりだった。数十年前、懇ろになりかけた雄のエルフが一人だけ居たが、寝室でマリファの滑稽な乳首を見た途端、百年の愛は醒めていたようだった。陰部は荒野のように整ってない陰毛が寂しく茂っているくせに、それと同等の体毛が太ももや二の腕にも生えている。なんとも哀れな様だ。
自傷行為に走ったこともある。一生残るまいと思った手首や太ももの傷も、百年もすれば皺と区別が付かなくなってしまった。
(――二百年以上この姿だし、あと数百年はまだまだこの姿と思うと、流石に死にたくなるわ)
エルフは長命である。マリファは、短命な人間族や小人族が羨ましかった。
(――それか、ドワーフに生まれてたら私、モテモテだったかも)
そんなことを考える。勿論、ドワーフ族には会ったこともない。益体のない考えを頭の中で巡らせて、足早に通りを過ぎる。
嘲笑や侮蔑がマリファの醜く貧相な背中に刺さっていた。
通りを過ぎて、小さな木々の間を抜けた先に、マリファの居住地はあった。口うるさい親元を離れて、静かでじめじめとした、清潔を好むエルフならまず近寄らないであろう、日の当たらない木々の隙間に、小さな小屋を設けてある。
「たっだいま~我が家っ」
家の敷居をくぐり、部屋の明かりを灯したところで、マリファの心にもあたたかな火が灯る。あたたかな、というよりは、ゆらゆらと空しく燻る炭のような温さ、という表現の方が適切かもしれないが。
すぐさま部屋着に着替える。やっとの思いで狩った狐の毛皮で自作したダウンのようなものである。マリファには、狩りの上手い友人などいなかった。
ソファーに腰をかけ、市場で日用品と交換してきた乾物を開封する。これと、食用植物の茎を燻したものを肴に蒸留酒を飲むというのが、マリファのささやかな楽しみであった。
「――…………」
虚空を見つめ、ぼうっとする。何十年、何百年経っても、辛いものは辛いということを、マリファはよく知っている。
最近は、何かを思い出すということも少なくなってきた。誰かと親しく話した記憶も、誰かと肌を触れ合った記憶も、もう百年以上前になるかもしれない。正確な時間なんて、とうに忘れてしまっている。
「……今日もやろっかなー」
マリファはソファーを立ち、奥の部屋へと向かう。一段と暗く、証明のないその部屋が、今の彼女が現実から逃避するための、聖地となっていた。
――筐体である。
大きな筐体の中に、エーテルや魔法素子とは別の、非常に機械的な信号装置がいくつも設置されていた。音声認識と映像認識、また皮膚感覚に干渉するための、コードに繋がれた小さな針のようなものが用意されている。
「ログイン。マリファ・ジャパン・ネーム、マリ」
マリファはそう呟くと、筐体の中に設置された寝台に横たわった。内側にびっしりと、感知器がフジツボのように付いている。その気持ち悪い卵の中に、マリファの体は完全に閉じ込められた。マリファは手首と首筋に描かれた「的」に向かって針を突き立てた。痛みはない。そうして間もなく、マリファの目の前を、眩い光が覆っていく。
――大規模ソーシャルメタバース・コミュニケーションゲーム「Alterpia」。その架空の世界へと、マリファは逃げ込んで行った。