あんこ玉
からりとした空気。あっちぃな、と思わず呟いてしまう。本当に夏は暑過ぎる。
「……後一ヶ月、か……。」
この町で唯一自慢できる事。そのお祭りまで後一ヶ月だ。大きな打ち上げ花火が夜空を彩る、年に一度の大切な行事。
今までは幼馴染と行っていたけれど、今年は皆でいけないんだろうな。
幼馴染といえば、皆で通っていた駄菓子屋だ。梨絵と咲歩がまだ営業している、と教えてくれた。そして、駄菓子屋といえば、
「……あんこ玉。」
きっと、もう……。
少年は自転車にまたがった。
行ってみようか、懐かしいあの場所に。
***
昔の友人からメールが来た。高校の教師になった奴だ。自分の指導している野球部が、甲子園出場を決めたらしい。……自慢か、おい。
まぁいいけれど。駄菓子屋を守る事が俺の夢だったから。
青年は伸びをして、金平糖を口に含んだ。じんわりと甘い味が広がる。毎週やって来るスーツの男達を追い払うのはなかなか疲れるのだ。しょうがないのだが。
からん。
音が鳴った。
「いらっしゃい。」
最近、あのお面の少女は神様だったのか、と思うようになった。今まではお客さんが来る事などなかったのに。
そして青年は、
やって来た少年の顔を見て固まった。
「……あっ……。」
それは、少年も同じだ。
たっぷり一分間二人はそのまま固まって、
「……あー……、あんこ玉、元気?」
先に口を開いたのは、少年の方だった。
「……お前はあの、歳を取っていた犬がまだ生きていると思っているのか?燕。」
「……思わないね。」
燕、という名の少年は、青年の祖母が生きていた頃の常連客だった。青年も良く話していた相手だ。
仲良くなった理由として、燕が拾って来た犬が挙げられる。あの日、泣きながら彼は駄菓子屋にやって来た。捨てられていた犬を拾ったはものの、家では飼えない為駄菓子屋のばぁちゃんが飼ってくれ、と訴えてきたのだ。
そして青年の祖母は笑顔で引き取り、名前は何故か“あんこ玉”。燕のこのセンスの悪さは一体なんなのか。
「まぁ、とりあえず久しぶり。」
青年は笑う。
「うん、兄ちゃん。」
燕が懐かしそうに店内を見渡した。
「懐かしいなぁ。小学校卒業以来、一度も来てねぇもんな。」
青年は微笑む。そうだな、と。
「まだバスケ、続けてんのか?」
「勿論。……あ、俺、これ集めてたーっ!」
どれどれ、と覗くと確かに彼が何時も買いに来ていた消しゴムだ。様々な形をした、子供心をくすぐる商品。
「嗚呼……。毎年祭でも売ってた奴だな。」
「今年は屋台、出すのか?」
青年は、そんな事を考えてもいなかった。
「……それもいいな。」
だが、今はそれどころではない。残念な事に。
「兄ちゃん。俺、これ買いたくなっちまった。お会計頼むよ。」
消しゴムは、嬉しそうだ。バスケットボールの形をしたそれは、ぽんっと弾んでいるかの様にいきいきとしている。
「……有難う。」
「へ?なんで?」
「……否、消しゴムがそう言っているから。」
燕はきょとんとして、それから豪快に笑いはじめた。
「あいからわず、変な兄ちゃんっ!」
燕はレジ台の上で、購入した消しゴムをころころと転がしている。
「……なーあー。」
「ん?」
「……なんでもね。」
なんだよ、と青年は笑う。あ、そういえば。
「前は友達と大人数で来てただろ。彼奴等はどうなったんだ?」
燕が、へ?、と目を大きくした。
「二人はこの間、来ただろ?ほら、お面を集めてる咲歩と、金平糖が好きな梨絵。」
ああ!
青年は驚いて身を乗り出した。
「お前、あの二人と友達なのか!」
「?うん。」
人の繋がりってすげぇなと思う。
「……なぁ、兄ちゃん。」
「ん?」青年は燕を見る。
「……あんこ玉のお墓、何処に作った?」
燕はそれの為に来たのだと思う。此処に来ては何時も一緒に遊んでいた、あの犬に会う為に。
「裏庭。行くか?」
「おうっ!」
少年は嬉しそうに笑う。
「あ、カルメ焼き供えてある。好きだったもんな。でもタッパーに入れたまま供える?普通。」
「そのまま供えたら虫が寄って来るんだよ。」
それもそうだ、と燕は笑った。
「……あんこ玉、幸せだったと思う?」
あんこ玉は、というか……。
ばぁちゃんも……。
青年は、当たり前だろ、と。
「幸せだったんじゃねぇの?飢え死してねぇんだから。」
お前に拾って貰って、と言外に青年は言っていた。
「でも、俺、あんこ玉の世話なんもしなかった。なんか、あんこ玉にもばぁちゃんにも申し訳なくて……。」
なんでこんなに舌がまわるんだろう。
そういえば、咲歩も梨絵も不思議なお兄さん、と言っていたな。なんでも話せる気がする。
「……別に、そんな風に思ってねぇよ、婆ぁちゃんは。」
そんな風に思う人じゃない。それは、青年が一番知っている。
「……まぁな。」燕はそう言うと、ぱぁん、と大きな音をたてて手を合わせた。ほう、と青年は目を細める。不真面目な餓鬼に見られがちな彼だが、意外に真面目なのだ。
本当に、本当に、心からあんこ玉の事を思って手を合わせている。
いい奴だな。
***
また来るよ、と言って駄菓子屋を出た。夕日が眩しい。
自転車にまたがって下り坂を駆け下りる。
あんこ玉。
俺は元気だよ。