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俺だけを見て

*ブスという言葉が多発しています。

 

 ぱんっ。

 乾いた音が耳のすぐそばで聞こえた。まぁ、それはそうだ。


「っ、川上さん!」


 今度はブスの声が聞こえた。別に聞きたくもない。耳が腐る。


 仕事のために鍛えている体でも、女性らしい綺麗なラインを崩すほどのものは不要。従ってそれほどの力は彼女には備わっていないし、中途半端に振り下ろされたばかりで力もそれほど乗れていなかった事もあるけれど、彼女は女。


 叩かれたってさして痛さも痒さも感じられない。

 ブスに向けて手を上げていた彼女とブスの間に割り込んで、ブスの代わりといえば非常に不愉快だけれど。彼女の平手を頬で受け止めた。

 ブスに向かって降ろされる前に割り込んだから、ブスに向けた角度でも見事俺の頬にジャストミート。自分から狙っていったのもあるけれど。


 平手を受けても顔の向きさえぶれる事もないままに、俺はただ彼女を見つめた。

 彼女は狙った対象ではなく、俺が頬で受け止めた事に動揺しているのか、少々瞳が揺れている。

 俺が声を出そうと口を開こうとしただけで、びくりと彼女の体は揺れた。


 あぁ、彼女はただいま動揺中。

 笑い出しそうになる口元をなんとか押し止め、彼女から視線を外して彼女の利き手に視線をもっていき、手を伸ばす。

 優しく触れれば、細かく震えている掌。


 愛おしい。

 よっぽど撫でまわしたい衝動を押さえ込んで彼女の手をそっと目の高さまで持ち上げ、じっと見つめてから彼女の瞳に視線を戻す。 


「雪さん」


 彼女の名を呼べば、こっそりと俺の顔を窺っていた視線を俺から外し、斜め下方へと彷徨わせ、眉間にはっきりとした皺を刻み込みながら口を開く。


「……何よ」


 小さめの返事に、噴出しそうになるのも必死で堪える。


「手を痛めたでしょう。冷やしに行きましょう」

「…………余計なお世話よ」


 随分間を空けた返事。頑なな彼女に内心で微笑みながらもう一度、同じ言葉を紡いだ。


「行きましょう」

「………………」


 動くまで離しませんよと、言外に。視線と、僅かに力を込めた手で告げればやっと彼女は一歩足を進めた。重そうな、足取りで。


 さぁさぁ、行きましょうと思っていれば。

 また、邪魔者の声がする。


「川上さんっ!」


 聞き苦しい声に、止めたくもない足を一度止める。そして、逃げようとする可愛らしい手をまた力を込めることで留め置いた。


 可愛いなぁ。

 彼女の掌に不快な気持ちを癒されながら、作った顔を向けることさえなくただ問いかける。


 ブスに。視界にも入れたくないブスに。本来なら口も利きたくないのに。


「誰が何時、貴方に頼みました?」


 この騒ぎ。彼女の態度、主に俺への態度に文句を付けたブスが原因という事は、近づきたい気持ちを押し殺して悪友と話している時に知れたこと。

 全くもって、迷惑な事をしてくれた。


「勘違いもはなはだしい」


 温度の無い声音で呟けば。ブスは切羽詰ったように、いい訳めいた事でも言おうというのか、俺の名をまたその汚らしい口で呼ぶ。

 聞き苦しい音など聞きたくなくて、途中で遮り念には念を入れて、更なる勘違いを回避しておく。


「あぁ、念のため。貴方をかばいたくて入ったわけではありませんので、自惚れないでいただきたい」

「っ!」


 視界にも入れたくなくて、見たくも無いブスだけれど、仕事と思い今の今まで耐えて耐えて耐えてきていた冷たい視線を、迷惑料の請求書代わりに送っておく。


 ブスが目を見開き固まると更にブスになるのは当然で。ブスがどんな顔をしてもブスなのは当たり前か。


 汚された視界を、ブスから視線を逸らし洗浄目的で彼女をちらりと視界に移してから、止めていた足を動かし彼女を連れてその場を去った。



 彼女の女優という一面は本物だから、俺は油断もしていられない。

 カメラが向けられていないその時の彼女は、酷く好きだらけになってしまうから。

 よくよく見れば、すぐに揺らぐ表情は、見る者が見ればすぐに分かってしまうから。


 現に一人。俺を抜きにしてもあの悪友なら気付いていただろう。


 けれどこれでまた。

 対価代わりに、ブスに視界と耳を汚されたけれど、これでまた。


 確実に一歩進められた。


 俺によって狭められ曲がりくねった道を行く彼女は、その自らも知らないままに育まれた気性で、どんどん孤立していくだろう。

 そしてその傍に、人はいなくなる。


 俺以外は。


 だから、なぁ、早く俺だけを見て、俺だけをその瞳に映して。


 ***


 周りに気付かれず、周りに嫌われる彼女を仕立て上げていく十数年来の昔馴染みに、男は溜息が胸の奥底から込みあがり、それを自覚したまま重苦しい溜息を吐いた。


 あーあ。見る目のない奴等は彼女に良いように使われて、可哀想だとあいつの事を言うけれど、本当に可哀想なのは果たしてどっちなのだろうか。


 彼女もまた、彼女だろうけれど、……。


 あーあ、こまった奴に目をつけられたもんだ。


 愛しの彼女の手を引いて遠ざかる悪友の背を目に、男はまた溜息を吐く。


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