惚れた弱み
あれから数日たって、そろそろ撮影は終わりに向けてラストスパートに入る頃。
彼女のいつものお願いで、現場を抜けて戻ってくればなにやら騒ぎ声。
一方的に、きんきん声のヒステリック女の声がまくし立てられていた。
本当なら、耳に入れたくもない声だ。撮影ならまだしも、そんな物でもないだろう。
遠巻きに見ているスタッフ等はなにやら居心地悪げな、どこか楽しそうな、愉快そうな、面白そうな顔をしているから。
撮影時独特の張り詰めた空気も無い。
他の現実的な張り詰めた空気は漂っているけれど。
彼女の声ならがなり声でも、笑い声でも、泣き声でも、きんきん声でもなんでも聞きたいくらいだが。
小汚い声を関係ないと切り捨てて、彼女のもとに向かおうとすれば、ふと気付く。
この騒ぎ、彼女が居る辺りで起きている。
特に焦る事なくいつも通りの歩調で彼女に向かえば、思った通りにどこかで見たこともあるような、ないような顔が彼女に向かって喚いていた。
醜い顔が更に醜くなっている。
そこでまた、ふと気付く。
この前の、邪魔してくれたブスだ。
一人幸せ気分に浸っているところを邪魔した女。思い出して降下する気分を、彼女に視線を移すことで上げることにしよう。
あぁ、彼女はどんな顔でも可愛らしい。
眉間に皺をよせ、迷惑そうな顔した彼女。事実迷惑だろうな、迷惑だからなあ。
当事者ではない俺ですらそう思う。楽しげな顔した馬鹿なスタッフ以外にも迷惑だろうに。
第一、彼女の時間を無駄な事に奪う馬鹿は許しがたい。
……まぁ、俺の意図する方向性的にはけして外れてはいない行為だけれど。
一人、ほくそ笑んでいると、声が掛けられた。今度は知った声。
顔は彼女に向けたまま、視線だけをちらりと横に向ければ思った通り。むしろ無駄に知りすぎている十数年来の顔。だてに多感な青春時代を共にしてはいない。
ガキの頃からの数少ない俺の中身を知っている悪友が楽しげに、馬鹿正直に、思っている事を思っているままに顔に出しにやついている。
お前それでも人気俳優か、ちょっとは内心隠して見せろ。ファンにその顔見られでもしたら事だぞ。
「なんだよお前、随分楽しそうじゃないの」
「まぁな」
「お前が惚れこんでるって言うから、見てみれば。……彼女ねぇ」
「悪いか」
「いーや、むしろ悪いのはお前の方。何で皆気付かないかなぁ。可愛いのになぁ、彼女」
見飽きている悪友の顔から彼女に視線を戻して、顔と同様、随分楽しげに弾ませている声に耳を傾けて、付き合い程度の返事をしていれば、好き勝手にいいやがる。
内心では負けないほど言い返してはいるけれど。
聞き逃せない言葉に瞬時に睨みつければ、大して効いてもいないクセして おー、こわ。おちゃらける。
「彼女も彼女だよなぁ。さっさと気付いた方が身のためなのに」
「もう遅い」
「はいはい」
余計な口を開きすぎる悪友に、きっぱりと告げれば分かってますと、頷く気配。
ただまっすぐ視線の先にいる彼女を見て、彼女に告げるように呟いた。
「俺だけをその瞳に映せばいい」
「お前……」
自分でも理解している。まさかこの俺が、なんてありふれた言葉を思うほど意外な独占欲に、長い付き合いの友でさえ言葉を失った。
まぁ、そうだよな。自分自身で驚くほど彼女にのめり込んでいるのだから。
「そのためなら何でもするさ。これが、惚れた弱みってやつかな」
「それは違うだろ」
「そうか」
昔なら到底言うまいと思っていた言葉がするりと口に出る。が、すぐさま否定された。
それもそうかと頷いて、止めていた足を動かし彼女のもとへと向かう。
体の横で握り締められて、小刻みに震えている掌にそろそろ彼女の忍耐の限界を感じたから。
彼女には、あの汚いブスに一欠片たりともふれさせたくはない。