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従順たるしもべ

*冒頭に飲み物粗末行為あり

 

 ぱしゃ。彼女が手に持っていた紙カップから中身が零れ落ちる。それはたまたま、ではなく故意に。

 その証拠。手を傾けていた彼女の口元は微笑を形作り、その目は細く楽しげに笑っていた。


「違うわ。私が望んだのはこれじゃない」

 私が言ったのはあの店で売っているジンジャーティー。

 ほら、その足りない頭でも理解できたのならもう一度、行ってきなさい。


 顔に笑みを浮かべたまま、手を軽く振って促す彼女。はいと言って、従順たるしもべの俺はその場を後にする。


 彼女の女王様然としたその態度はもちろん彼女に似合っていたが、同性の女性には不評だ。

 今もほら、彼女から少し離れた場所のあちらこちらで、歪んだ顔の女性達が口々に騒ぎ立つ。

 俺達の話を聞いていたのだろう。付随して、今までの事も汚いその口に上っていた。


 小さくも、少なくも無いそれに彼女はもちろん気付いているだろうが、何も気にする事では無いと余裕の表情を顔に浮かべ微笑んでいる。

 けれど、あの厚い面の元で彼女が考えている事は俺にしか分からないだろう。

 あの女王様が案外見た目に反して寂しがり屋の、臆病ものだなんて事は。


 そんな彼女のわがままに振り回され、従う俺を見て女達は薄っぺらい表情を顔に浮かべどうでもいい同情を装い近づいてくる。


 ほらまた一人。


「大変ですね、川上さんも」

「いえ。仕事ですから」

「それでも、こんな事……」

「…………」


 視線を伏せた先に見ているものはなんだろうか。少なくとも女が描いているような未来は来るはずもないのにな。

 無駄な仕草は無駄に終わる。付き合う筋合いも、何もあったものではないのだから。


「失礼します」


 さっさと女から離れれば、粘着質な視線が俺の背中に張り付き追って来る。


 あぁ、煩わしい。 

 彼女の女王様面と似たような、俺の鉄仮面はぶ厚いから。上っ面で、頭の軽い、自己陶酔激しい勘違い女共には、きっとそんな事微塵も伝わっていないだろうけれど。


 

 彼女に指定されたそれなりに遠く離れた店で買った、彼女のお望みの飲み物を手に戻ってくれば。


「あぁ。そこに置いておいて」


 すぐさま飲むでもなく、感謝の言葉がある訳でもなく、視線すらもなく。

 たった一つの指がそこ、とさして彼女から近くもない場所をさす。


「はい」


 返事をし、従順に従えば彼女の綺麗な顔。眉間に皺が微かにより、すぐさま誰に見取られることも無い程の速さで消えさった。


 あぁ、不快感を覚えながらもどうする事も出来ない自分自身に苛立っている彼女は、とても愛おしく、可愛らしい。


 一人、悦に入る。



 撮影は順調に進み、彼女の女優魂が香り立ち、咲き誇る花と成る。

 あでやかに、つややかに。大輪の花がそこに咲く。


 先ほどまで煩いほどに汚らしい口を開いていた女性達も、彼女の前に為す術もなく口を閉ざし声を失う。


 彼女は、女優。

 この場は、彼女の独壇場。

 この空間は、彼女に圧倒されている。


 彼女の力を発揮する場所は、ここでしかあり得ない。余計な場所に余計な物はいらないのだ。


 それでも、俺が欲してやまないのは女優とは程遠い、ありのままの彼女だけれど。


「はい、ok!」


 監督の声が現場に響き渡り、撮影は無事終わる。

 これで今日の終いの撮影に、その場で労いの声が飛び交った。


「お疲れ様です」 


 終了の声が放たれたその瞬間から、人目を惹く物を消し去り彼女に戻りつつある彼女に声を掛ければ、静かな視線で俺をさす。

 返事もなく差し出したものを黙って受け取り、彼女は与えられていた部屋へと帰っていった。


 スッタッフやら共演者やらが入り混じる中を、ただ一人の背中が出入り口に向かう。

 その、なんともいえず寂しげな光景に、俺の口角は自然と持ち上がってしまうのだ。


「お疲れ様です」


 幸せな気分に浸っていれば、それを邪魔する声が入り込む。


「……お疲れ様です」


 これも仕事と面倒、迷惑、邪魔するなといった感情を抑えて込み、言葉を返す。

 いやいやながら、とうに彼女の背中が消えていた出入り口から名残惜しみながらも視線を離し、邪魔者に顔を向ければそこにあるのは化粧で普通から、そこそこ見られる顔へと変化させている女が一人。


 微笑をかたどる、ゆったりとしたまやかしの優しげを装うその表情は、邪心溢れた瞳がふいにしていた。


 あぁ、煩わしい。


「この後、皆さんで飲みに行くんですけど、川上さんもいかがですか?」

「いえ、仕事がありますので」

「いつもそればっかりですよ。偶にはどうですか、少しの時間だけでも」


 甘えたな声を発する粘着質な視線の持ち主は、もちろん粘着質。


 いいから、ほっとけブス。


 たいした見た目でも中身でもないくせに、何を根拠に自信たっぷりと迫り来るんだろうか。

 醒めた視線を送りそうになる自分を必死に抑えて応対する。

 仕事だ、仕事。


「いえ。私は他に用事もありますので。どうしてもとおっしゃるのでしたら、うちの向坂をお誘い下さい」

「あ、……いえ、向坂さんはお忙しそうですし」

「そうですか、それでは」


 早々に背を向けて、この場にいない彼女の後を辿っていく。


 ほらな。彼女の名を告げれば断りの言葉が返される。

 ……まぁ、それを見越して名前を出したのだけれど。彼女の名前は体の言いお断り方法となるのだから。

 断られなかったらそれこそ驚き、そして俺は嬉々として参加してしまうだろうに。


 嫌な時間をこうして彼女の周りからの反応を確かめながら、乗り越える。


 俺の望みどおりに進んでいることに、余計な邪魔のせいで下降した気分が再び浮かび上がる。

 ふと緩んでしまう口元も、上がり気味。

 間違っても勘違いやらされないように、そっと口に手を持っていき隠し、その下でまた笑う。


 あぁ、首尾は上々。

 

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