第三話 日常と般若と胃薬
「ふわぁああ、ああ」
「平賀殿、眠たそうでござるな」
司と手を取り合った後、緊張が緩んだせいか大きなあくびをする。時計を見てみれば、すでに丑の刻を回っていた。明日も高校があるし、眠たくなるのも当然だろう。
「さて……んじゃ話もまとまったし、さっさと寝るか。司の部屋は客室でいいよな?」
「はい……って、はいいいい!?」
俺があくびを噛み殺しながらも客室の準備をしに行こうとすると、司が素っ頓狂な声を上げて驚いていた。近所迷惑になりそうなくらいの音量に、俺の眠気も吹っ飛ぶ。
「何だ、どうしたんだ!?」
「せ、拙者もここで寝ろと!?」
「……いや、護衛なんだからそのほうがいいと思うんだが……外に宿とってあるのか? でもどっちにしろ今日はもう遅いだろ、泊まってけよ」
妙にうろたえる司を見て、俺は合点する。確かに人形を追っているという割に、司は何の荷物も持っていない。宿とかセーフハウスとかそういうところに置いてあるのかもしれないな。とはいえ、さすがにこの時間。強いとはいえ、見た目は中学生くらいの少年なのだ。外に出したら警察の厄介になりかねない。
「あ、そ、その申し出はありがたいのでござるが、その……」
俺の視線を受け、歯切れ悪く答える司。
妙な奴だ。これくらいの年齢なら、護衛関係云々を除いたとしても男友達の家に泊まるくらい普通だろうに。それともアレか? 何か泊まりたくない理由でもあるのか?
「服とかなら俺の貸すぞ。かなり大きいかもしれないが、それぐらいなら何とかなるだろ」
「ち、違うでござる」
「そんじゃ、飯か? 言っちゃなんだが俺の料理は結構うまいんだぞ?」
伊達に一年と半年を自炊してるわけじゃない。滅多にやらないが、特に土鍋を使って炊き上げた米は絶品だ。米にうるさい源六の奴に結婚してくれとまで言わせたからな。当然、全力で断ったが。
「それはちょっと魅力的だけど、そういうわけでもないでござる!」
司は顔を真っ赤にして否定する。衣でもなく、食でもない。後は住くらいだけど……家は確かに古ぼけてるが住めないわけじゃない。女じゃあるまいし、家で泊まるくらい別に……。
……女?
「な、何でござるか?」
俺は改めて司の事を観察してみる。つややかに黒い髪はしなやかに伸び、それを後ろでポニーテールにしている。身長はおよそ百四十センチ。手足や腰回りなど、全体的に細身で小柄。服装は学ラン。
結論。男か女かわからない。
「その、なんだ。お前男だよな?」
すっかり男だと思っていた俺は、心の中で万が一の覚悟をしながらストレートに問いかける。もしコイツが女だったら……いや、別にどうというわけでもないんだけど。そうだったとしても俺の好みの対極にあるわけだし。ただ、女を一晩泊めたとなるとばれた時の世間体が気になるわけで。
「――お、男でござるよ! ……わかったでござる、一晩世話になるでござる!」
そんな俺の微妙な心境を知ってか知らずか、司は真っ赤なまま俺の言葉を力強く否定した。男であることを疑われたのが癇に障ったのか、司はそっぽを向いて怒る。やはりこの外見で女扱いされるんだろうな。
……それなら結局、何が嫌だったんだろうかとも思わなくもないが、まあ本人も吹っ切れたみたいだしべつにいいだろう。
「……OK、それじゃ客間の方を用意してくるから、シャワーでも浴びて待ってろ。服ならお前が入ってる間に持って来てやるから。タオルは脱衣所にあるもんを適当に使ってくれ」
「う、うむ……その……平賀殿?」
「なんだ?」
「覗かないでござるな?」
「……誰が覗くかっ!?」
さすがに男の風呂を覗く趣味はない。俺はその場に司を置いて、さっさと客間へと向かった。
ちなみに。
その後、シャワーを浴びた司は俺のジャージを見事に着こなしていた。濡れた髪はさすがにまとめずに、長髪のまま流している。上半身は大きめのTシャツの上にジャージ。下は――
「……何でズボンはいてないんだ……?」
「サ、サイズが合わなくてずり落ちてくるのでござる! あんまり見ないでほしいでござるよ!」
――上半身のジャージが大きくて下着は見えないが、司はズボンをはいていなかった。本当に鍛えているのかわからない白い脚が眩しい。
そのままさっさと寝ると部屋に行ってしまったが……その後にシャワーを浴びた俺が悶々としていたのも、仕方ない話だろう。
色々な意味で、妙に疲れた一日だった。
「はぁ……」
翌日……というか、その日の朝。俺は一人台所に立ち朝餉の支度をしていた。
俺の朝は早い。学校まで少し距離があるため、大体毎日五時半くらいには起きだして飯を作っている。
一応休みの日にバイトをしているし、婆ちゃんの遺産もそこそこあるのだが、節約できるところは節約していくのが俺のポリシー。弁当も毎日作っている。
昨夜はさすがにいつもより遅く寝たとはいえ、その生活リズムを変える気はない。
「っと、今日は二人分だったな」
朝二人分の食事が食卓に上るのは本当に久しぶりだ。フライパンの中のウインナーを炒めながら、ひと際小柄な少年の事を思い浮かべる。妙な人形を追っているという少年。その腕は細く、ても小さく、そして脚も折れてしまいそうなほど華奢で……。
「――ってオイ俺! 寝ぼけるな、正気に戻れ! あいつは男で、巨乳のお姉さんでもない! 迷うなよ、俺!」
卵焼きにつけるつもりだった大根をガシガシとおろしながら、必死に煩悩を振りはらう。どうも夜中のジャージ姿? を見てからおかしい。これじゃまるで、あいつに恋してるみたいじゃないか。
大根が下ろされる音とともに、心が静かになってくる。そうそう、この感じ。ただ無心に手を動かせば、脳裏に――
『平賀殿……』
「だーっシャー!」
ドゴン!「ゴフ!」
――脳裏に、上半身裸の司が思い浮かんだ瞬間、俺全力で自分の顔を殴っていた。かなり痛いが、おかげで眠気も覚めそうだ。頭を振って妄想の残照を振りはらう。意味深に胸を隠しているあいつの映像が、細切れになって流れた。
「ふむぅ……ひらがどの? なにやらさわがしいでござるが……」
そうやって必死に猛る心を静めていた俺の背後から、司の声が響いた。ただしその発音がおかしい。どうもまだ眠っているような感じである。自制に成功した俺が油断して後ろを振り返ると――
「だーっシャー!」
ドゴンドゴン! 「ガフッ! ……効いたぜ……!」
――やっぱりズボンをはいていない司が立っていた。昨夜は着ていたジャージの上も、寝るために脱いだのか今はTシャツ一枚という艶姿である。おかげで、俺は再び自分の顔面に本気パンチを叩き込む羽目になった。
「すう……すう……」
そしてそのまま、電池が切れるように床で丸まって眠る。その格好は際どいなんてもんじゃない。ギリギリだ。俺の位置からかろうじて見えていないだけという感じである。長い黒髪が放射線状に広がり、傍目にはTシャツだけの女の子が寝ているようにしか見えない。
「せめて、学ランに着替えてから来てくれ……」
俺は切実そう思う。とはいえ、このまま司を放って置くわけにもいかない。はっきり言って邪魔だし、……目の毒だ。
俺は恐る恐る司を抱きあげる。最深の注意を払って万が一にも下が見えてしまわないように気をつけながら、客間へと司を運んで行く。
「ふむぅ……」
布団の中に突っ込まれた司が幸せそうに呟くの聞いて、俺は盛大なため息をつくのであった。
「というわけで、俺は学校に行くつもりだがお前はどうするんだ?」
「もぐもぐ……ふむ、拙者も付いていきたいところでござるが……さすがに、学校の中までは大丈夫でござろう。拙者はその間に仲間と連絡を取ってくるでござる。もし何か事があったら連絡してくだされ」
弁当を作り終え、朝餉を今に運んで並べてる頃には司も起きだしてきた。その表情は眠たそうではあるが、さっきのように寝ながら歩いてくるというわけではない。服装はもちろん学ランである。安心すると同時に、ちょっとだけさびしく思ったのは……秘密だ。
そのまま、飯を食べながら本日の予定について話し合う。協力すると言ったからには、お互いの関係は密にしておかなければならない。そういうわけで、司は自分の携帯電話の番号、アドレスが書かれた紙を渡してきた。
「了解。……そういえばお前って携帯持ってんだよな。なんか意外な気がする」
「ふむ……拙者もあまり必要ないのでござるが、どうしても持って行けという奴がいるので仕方なしに持ち歩いているのでござるよ。まぁ今回は役に立ちそうでござる」
実際、この妙に古ぼけたしゃべり方をする少年が携帯電話を使いこなしているイメージはあまり湧かない。とはいえこの情報社会。携帯電話が無いと仲間内で困るのだろう。
しかし、『奴』……? 若干嫌そうな顔をしてるし、親しくない相手なのか?
「誰なんだ? その携帯を持たせた奴って?」
「簡単にいえば、拙者と同じ一族の者でござるよ。世の中が変わっても人形と戦い続ける、頼もしい同士達なのでござるが……」
味噌汁をすすりながら、苦々しそうに司は言葉を続ける。
「この携帯を渡したやつはなんていうか、その、面倒くさい奴でござってな。拙者のことをショタだなんだと言って追いまわしてくるのでござるよ。この携帯も本来は一族の技術がふんだんに使われている高性能な物なのでござるが……」
前に調べた時には超高感度盗聴器と同じく超高感度・半永久稼働盗撮カメラが着けられてたでござる、と司はつづけた。それはもう、立派な犯罪者ではないだろうか。
……どうしよう、そいつにむかつくと同時に俺もその映像が見てみたくなってきた。むしろ、その技術を使って是非とも綺麗なお姉さんの生態を……。
「言っておくでござるが」
突然の冷気。目の前の司から発せられるとてつもなく冷やかな目線に、俺の頭は一気に冷める。
「その時は受け取った瞬間にバラしたでござる故、そんなモノは残ってないでござるよ。その技術も厳重に封印させてもらったでござる」
眼だけが笑わずに、しかしにっこりと笑う司。
その表情に、俺は人類の希望が一つ潰えたことを知った。
キーンコーンカーンコーン。
登校している生徒も少ない朝の学校に、厳かにチャイムが響く。俺はその音が嫌いではなかった。
昨夜から調子が狂いっぱなしだが、それでも俺はいつも通り源六を迎えに行き、いつも通り一緒に登校していた。まだ朝のHRには、一時間以上の時間がある。
そうやって早く来ている理由は源六にある。超がつくほど真面目で文武両道を行くこの男が、学級委員長が他の生徒より遅れるわけにはいかないとして早く来るようにしているのだ。おかげで、俺も付き合うはめになっている。
「おはよう、平賀、松平」
「ああ、おはよう田沼」「……おはよう」
基本どんな生徒よりも早く登校している俺達だが、例外もある。それが、同じ学級委員長である田沼だ。俺達よりもさらに早く登校してきて、黒板をきれいにしている。
元来そうした仕事は日直の物であって、委員長のものではない。ところがこの二人は真面目なのか馬鹿なのか、そうした仕事も積極的に引き受けてしまっている。何でも、自分がやらないと落ち着かないらしい。
俺としては適当に他人に任せるべきだと思うんだが……こいつらはそれを言っても聞かない。仕方なしに、俺も手伝ってやっているのである。
いつも通り、俺は自分の机に鞄を置いた後、田沼から残った仕事を聞き出して残りの仕事を手分けして片付けるのであった。……あ、今日の日直俺だった。
さて、朝の仕事が済めばもう暇である。俺達三人は各々自分の席で今日の予習やら昨日の復習やら、漫画を読んだり小説を読んだりしている。もちろん、最後の二つをするのは俺だけなんだけどな。
「ねぇ平賀……今朝のニュース見た?」
「いや、見てないぞ。今日は忙しかったからな」
今日はさすがに眠気に勝てず、机の中に入れっぱなしにした小説を広げようともせずにうとうとしていた俺に、前の席から田沼が話しかけてきた。その表情は、何処となく不安そうに見える。
ちなみに俺の席は窓際最後列、いわゆる不良の特等席である。夏場は熱く、冬場は寒いシビアな場所だが、今ぐらいの時期は風が入ってきてちょうどいい。
俺の前はさっき言った通り田沼で、右には源六が座っている。何の因果か学級委員長に閉じ込められている形になっているが、まあ知らない仲じゃないので構わない。
……平賀(源内)、松平(徳川)、田沼(意次)という名前から、俺達を『大江戸トリオ』なんて呼ぶ奴までいる。その流れだと俺が一番下っ端っぽいからやめて欲しいが……ある意味事実なので、文句も言いづらい。
「……大丈夫? なんか顔青いわよ?」
「ああ、大丈夫だ。少し寝不足なだけだから」
思考がそれていた俺を、田沼が呼びもどす。コイツに心配されるほどの顔をしていたらしい。……授業中は爆睡確定だな。
「それならいいけど……。あのね、平賀。昨日……というか、今日かな? 日付が変わるくらいに、隣町で首刈り事件が起きたの」
「……! そうなのか? いや、知らなかった」
もちろん知らないはずがない。巻き込まれたどころか、今やそれにどっぷりとつかり込んでいるからな。しかしそんな事を言うわけにもいかない俺は、適当に答えをはぐらかした。
……他人の口から言われると、あの事件が嫌でも現実だということを思い出させる。同時に、あの人形の瞳も。何も感じない、ガラス玉の人形の瞳。振り下ろされる冷たい鎌。醜い声。
「ちょ、ちょっと平賀! 本当に大丈夫!?」
「……大丈夫だって。心配すんなよ」
気がつけば、俺の体は震えていた。ふさがっているはずの胸の傷が痛む。あの人形は、俺の体だけじゃなく心まで傷つけて行きやがったらしい。……チクショウ、こんなんじゃ餌役が務まらないじゃないか。
「……その話なら、俺も朝聞いた。比較的うちの町に近い場所だったらしいな。夜中にやたらとサイレンが聞こえたのはそう言う理由かと合点したものだ。……平賀は気づかなかったのか?」
「あ、ああ。昨日は最近買ったゲームをやり込んでたから気付かなかったんだろ」
「……そうか」
源六は俺の顔を見て何事かを考えていたが、それ以上なにも追及してこなかった。勘の鋭い源六の事だ、今のでごまかせるとも思えないが……うまくごまかされてくれよと祈るしかない。
「ゲームって……もう! 昨日言ったでしょう? 隣町で首刈り人形に会った子がいるって。殺されたのも、きっとその子よ!」
「いや……まだそうときまったわけじゃないんだろう? ……」
実際には恐らくその通りなのだろうが……いかん、あまりの眠気に思考がまとまらない。田沼のどなり声が妙に心地よく感じる。その声につられて、少しずつ瞼が重たくなっていった。
「でも、少なく…も殺人事件が起きているのは間…いないでしょう? ……ねぇ…賀。もし、…しも私…その事…に……込ま…たとしたら……助け…来て…れる……? い、…や、勘…いし…い…よ…!? 別…助け……し…とかじゃ……て、一人…男…し………な……っ…い…、一…論………って……!?」
その後はたかれて目を覚ました俺が見たものは、顔を真っ赤にして怒っている田沼と青い顔をして震えている源六だった。
さて、あっという間に午前中の授業が終わって今は昼休み。やっぱりと言うかなんというか、午前中の授業はほとんど寝て過ごしていた。何度か源六や田沼に起こされたらしいが全く記憶にない。
「さて、飯飯っと……って、ありゃ?」
俺は鞄の中身をあさるが、いつもの弁当箱はそこになかった。朝の出来事を思い出してみる。……ああ、台所に置きっぱなしだ。しまったな。
「あれ、平賀、お弁当は?」
「……購買か? 珍しいな……」
いつもはさっさと弁当を食べ始めている俺がそうしていないことに疑問をもったらしい田沼と源六が、机を動かしながらそう聞いてきた。そのまま俺の机も合わせて一つにする。
俺と源六、ついでに田沼はいつもこうやって昼時を過ごしていた。初めは俺と源六だけだったのだが、いつの間にか田沼が入ってきてこの形になったのだ。別に、男の友情に入ってきてどうのとは思わない。ただこんなことばっかりしていると、いつまで経っても源六と田沼がくっつかないんじゃないかと、俺は少々危惧している。
それはそれとして、このままでは俺は昼飯を食い損ねかねない。
「いや、弁当作ったんだが……忘れたっぽい。しょうがないから購買行ってくる」
この時間だとスタートダッシュの差で人気商品は売り切れてしまっているだろうが、背に腹は代えられない。俺は育ち盛りなのだ。腹が減ったままでは午後の授業を乗り切れない。
「あ、そ、それじゃあ今日私作りすぎちゃったから、これ、食べ-――」
『ブー、ブー、ブー』「あ、電話。はいはいっと」
「―――っ!」
突然かかってきた電話に、俺は自分の懐をあさって携帯を取り出す。田沼が鞄から何かを取り出そうとしたところで固まっているが、電話の相手を待たせるわけにはいかない。相手は……誰だ? 知らない番号だな。
「もしもし?」
『あ、平賀殿。拙者拙者』
ほう、拙者拙者詐欺とは新しい……って違うか。もしかしなくてもこのしゃべり方、この声。司の奴か。そう言えばあいつからもらった電話番号を、すっかり登録し忘れていた。
「司か?どうした?」
『ふむ。何、平賀殿昼食を忘れたようだったので学校まで届けに来たでござるが……どちらの教室にいるでござるか?』
「お、何? 弁当持ってきてくれたのか? スマンな。ああ、教室は2年C組で、場所は……」
これぞまさに天の助け。司に正面玄関からのこの教室の位置を伝え、電話を切る。
よかった。これで昼食代を無駄に使わないで済む。司は気がきくいい奴だなって、あ。
ふと、よく考えれば自分から受け取りに行けばよかったという事実に気づく。司が学校に入ってきたら、結構な騒ぎになってしまうんじゃないのか? ……まあもうこっちに向かっているだろうし、ここまで届けてくれるっていうならここで待ってればいいか。
そう自分を納得させた俺を、突如として凄まじい怒気が包み込んだ。身が燃えるような熱気でありながら、魂が凍りつきそうなくらいに寒い。
「ねぇ……平賀? 司さんって誰?」
俺は極力前を見ないようにしながら、震える手で携帯を懐にしまった。そのまま下を向いていると、徐々にその怒気が膨れ上がっていく。相反し矛盾したその感覚は、ただただ俺に生命の危機を伝えていた。
「ねえ平賀。その司さんって、お弁当持ってきてくれるような仲なの? だから今日お弁当持ってきてないの? もしかして……彼女さんなの?」
徐々に膨れて行く怒気は、このまま放っておけば物理的な脅威になりかねない。仕方なく、俺が観念して顔を上げると――そこには、般若がいた。
やばい。
何がやばいって田沼の目がやばい。あの首刈り人形なんて目じゃないほどの命の危険を感じる。婆ちゃん、俺何かしたっけ?
「い、いや、司はそのなんだ、親戚の子でな? 昨日うちに泊まったってだけで……彼女っていうか――」
「泊まった……っ!!? 平賀の家に!?」
俺の言葉は最後まで言い切る前に、田沼の大音量でかき消された。教室を揺るがすそのあまりの音量に、クラス中がざわめきだす。俺は、音の直撃を受けて目を回していた。
「い……いや、だから、泊まったって言っても……そいつは、男なんだ!」
「――嘘。平賀、楽しそうに電話してたもの。まるで好きな人に話しかけるみたいに」
「……マジか!?」
ショック。自分の会話なんて自分からは見えないものだが、そんな顔して話していたのか。一応相手は男なんだし、『好きな人に話しかけている』ようとか言われると色々と困る。主に、俺のアイデンティティが。
「泊まったって言ってたわよね? ……そう、とっても仲がいいのね。私がこんなにも苦労してても進展しないって言うのに、その女は……」
いけない。こいつが今何を言っているか分からないが、このまま放置したら確実にまずい。俺はおろか、司まで巻き込みかねない。
「(タスケテクレ、ゲンロク)」
「(……ムリダ、……イキロ)」
最後の頼み、大将軍源六へとアイコンタクトを送る。しかし返ってきた答えは絶望的な物だった。その源六の顔が何よりもその事を雄弁に物語っている。
……なあ、源六よ。俺とお前の出会いは小学校一年の頃、同じクラスでの事だったよな。あれから十年近く。中学校の時はお前についてって不良退治とか暴れん坊将軍とかやってたっけ。楽しかったよ。楽しかった。
だからな、源六。
頼むからそんな土気色の顔して震えてないで、俺の事を助けてくれ。
今にも拳が飛んできそうな圧力の中、俺は昔の懐かしい日々を思い出しながら源六へと最後の助けを求めた。……あ、目をそらされた。
(……ついに修羅場か……)
(むしろ今までなかったのが不思議なのよね)
(てっきり将軍と平均の殴り合いとかと思ったが……まさか平均が二股とは)
(平賀殺す……)
静かな教室のところどころからヒソヒソ話が聞こえてくる。俺とはかなりドキドキのベクトルが違うようだが、今やクラスメイトの誰もがもこの事態をドキドキしながら見守っているようだった。ああ、ちなみに『平均』は俺のあだ名だ。本当にどうでもいいことだが。
「(そう、そういうことね。私がこれだけやっても効果がなかったのはその女がいたからなのね。っふふふふ。いいわ、だったらそいつを×すれば)」
俺と源六が血の流れていない顔で震えている中、田沼は一人ブツブツと何事かを呟いていた。教室のざわめきの所為でよく聞こえないが……何か、法律とかそういう次元でやばい気がする。
「失礼するでござる。ここに平賀殿はおられるでござるか?」
そんな混沌とした中に響く、ソプラノのよく響く声。ああ、来てしまった……。
ある意味非常に空気を読み、そして非常に空気を読まないタイミングで登場したのは、ポニーテールの小柄な学ラン。肩には竹刀ケースを背負い、右手には風呂敷を持っている、若干時代錯誤の少年。
「おお、平賀殿! お弁当をお持ちしたでござるよ!」
そう言って少年――司は風呂敷を掲げながら、とことこと俺たちの机に向かってきた。その中性的な顔満面に浮かべた笑顔が、今は少し憎らしい。
司が入ってきたときから、教室から音が無くなっていた。先ほどまで騒いでいたクラスメイト達が息をのんでいるのが分かる。それはそうだろう。
これだけの美少年が現れたんだ、驚くなと言うのが難しい。しかも、現在進行形で話題の中心人物だからな。……ってアレ? そしたら今、クラスメイトの中ではこいつと俺が出来てるって話になるのか? ……勘弁してくれ。
「あ、あー、司、御苦労。ありがとうな、恩に着る」
「別に構わぬでござるよ。実は拙者も平賀殿が通う高校の中を見てみたかったでござるし、やっぱり平賀殿からあまり離れたくないでござるからな」
とびっきりの笑顔でコロコロと笑いながらそう言う司。――ああ、こいつやっぱり空気読めないやつなのか。
「……」「……」
田沼と源六、そして教室中の司以外の人間が固まっていた。……誰かこの状況を何とかしてくれ……。
「と、言うわけでござる。」
「なるほど……つまりえっと、戦間君? は平賀の親戚で、用事でこっちに来たから平賀の家に泊まったのね? それで平賀がお弁当忘れたから届けに来たと……」
「司で結構でござる。戦間は言いづらいでござろう? ……居候故、それぐらいは当然でござる」
あの後。真っ先に再起動を果たした田沼が俺らに説明を求めてきたので、適当に話をでっちあげた。その内容が今述べたようなことである。……これで何とかなってよかった。危うく、俺と司のどちらが上とかそういう話になりそうだったからな。
「しかし拙者もここで頂いてよいのでござろうか……。やはり部外者があまり長い時間いるのは問題あるのでござらぬか?」
そんなこんなで司も状況説明のために田沼に半ば強引に残らされたため、俺らと一緒に食事中である。席は源六の前の席を貸してもらった。当事者である俺と司が横に並び、その向かいに田沼と源六が座っている。
いつもだったらこの二人を並ばせたと内心で喜ぶところだが、今日ばかりはあまり嬉しくない。どちらかと言うと、俺をこの田沼の前から移動させてほしかった。
「問題ないでしょう。いざとなれば高校見学に来て話をしていた、とか言っとくわよ」
司の質問に田沼が答える。前にも言ったと思うが、田沼も源六も先生からの信頼は大変厚いのである。その二人の知り合いかつ監視下にあるということなら、まぁ問題ないだろうの一言で話が済んでしまうのだ。……俺? 多分、二人のおまけくらいにしか思われてないと思う。
「それに、司君もちゃっかりお弁当持ってきてるじゃない。それ、平賀が作ったやつでしょ? ……うらやましい」
「ふむ、ちょうど昼時だった故、平賀殿に届けた後自分もどこかの公園とかで食べようと思っていた次第。場所を探す手間が省けたのはよかったでござる」
殺気、もといさっきから田沼から出ていた禍々しい怒気は消えていた。司が出てきてどう転ぶかとひやひやしていたが、うまい方向に転んだらしい。改めて、俺は田沼との距離を考えた方がいいと思わせられた一件だった。コイツには付かず離れずの距離勘が必要である。……できれば早く源六とくっついて落ち着いてくれるといいのだが。
――そう、一安心していたのがいけなかった。
「……それにしても、司君、背、小さいわね。今歳いくつ? 中学一年生くらい?」
あ、地雷。
「小さくないでござる! 拙者が普通でござるよ!」
予想通りさっきまでの温厚な司は消え、ちっちゃな大魔神・ミニマム司が現れた。その変化っぷりに、教室中がまた静まる。うちのクラスメイト達は本当に好奇心旺盛だな、チクショウ。
「それに拙者、中学生ではござらん! 見ての通り高校生でござるよ!」
「何いいいいい!?」「うそっ!?」「……何……だと……!?」
(ありえん……!?)
(リアル合法ショタだと!?)
(なんということだ。彼こそが私の天使だというのか!)
(もう俺、彼でも構わない!)
(むしろショタが良い!)
司の爆弾発言に、教室中がざわめく。一部、もう戻って来られない奴らが出ている気がするが……俺達はそれどころではなかった。高校生だと!? 俺でもそれは予想外だった。
「なんでござるかその反応は!? 拙者、見ての通りピッチピチの十七歳でござるよ!」
ピッチピチという死語にも突っ込みどころはあるが……今はそれよりも重要なことがある。
「同い年かよ!? すっかり年下気分で話してたぞ!?」
「平賀殿まで驚くでござるか!? 一体拙者を幾つだと思っていたでござる!?」
「……学ラン着た小学生」「……中学生かな、と……」「……中学生」
若干涙目になって質問してくる司に、俺・田沼・源六の順で答える。あ、二人とも中学生だと思ってたんだ。……若干目をそらしてるし、多分小学生かもとは思っていたはずだ。
「……平賀殿が一番ひどいでござるー」
司が裏切り者ーとでも言いたげな目線で睨んできたが、ある意味仕方ないだろ。俺はお前が学ラン以外の服着てるの見たからな。どう見ても小学校高学年くらいにしか見えなかった。さすがに、アレを見て十七歳って思える奴はいないと思う。
「っていうか平賀君は親戚じゃなかったの? 歳も知らないって」
「……お、俺も最近知りあったんだよ。ほら、婆ちゃんの葬式の時に初めて会ってさ」
「あ……ごめん」「……そうか……」
優しい二人は、婆ちゃんの事を引き合いに出せばそれ以上何も聞いてこなくなる。二人には悪いが、今回はそれを利用させてもらうとしよう。
二人には、婆ちゃんがいなくなって落ち込んでいた頃にだいぶよくしてもらった。両親がいない俺にとっては、婆ちゃんが唯一の肉親だったから。……亡くなった時はだいぶ落ち込んだ。ちょうど高校入学と同時だったというのもある。
そのままひきこもりそうだった俺がこうして学校に来れているのも、実際この二人が此処にいるからだ。だからこそ、俺はこの二人の手伝いをするし、この二人には是非ともくっついてもらいたい。
「いや、もういいよ。俺は大丈夫だから。とにかく、そんなわけだからこいつの年齢は今まで知らなかったんだ」
「そう……本当に司君は男の子だったのね。ん? てことはさっきの電話の時の平賀の喜んでる顔は……まさか平賀、本当にそっちの趣味が!?」
「誰がだ!? 言いがかりは止めてもらいたい!」
全く、源六とのカップリングといい、何で俺の周りの人間は俺を同性愛者扱いするんだ? こんなに立派な、巨乳のお姉さんが好きなノーマルの男子生徒なのに。
「あ、平賀殿。お弁当付いてるでござるよ?」
「何? どこだ?」
騒ぎながら食べていたせいか、ご飯粒が顔についてしまっていたようだ。司に言われて顔をぬぐい、粒を取ろうと努力する。
「とれたか?」
「いや、まだ……ここでござるよ」
ひょい、パク。
「お、スマン――」
「あ―――――――っ!?」
「――っ!! 耳が、耳が――?!」
俺の右頬に着いていた米粒をとってくれる司。その様子を見ていた田沼が、またしても大音量を上げた。いい加減、俺の耳も使い物にならなくなりそうである。ちゃっかり耳をふさいでいた源六が憎らしかった。
(なんとうらやましい、もとい恨めしい……!)
(いいなぁ平賀君。私も司君みたいな弟がほしい)
(この気持ち……まさしく愛!)
(死ね、平賀……!)
俺が耳を押さえて悶えていると、また何やらクラスが騒がしくなってきたようだった。小声だからほとんど聞こえないが、さっきから妙な殺気を感じる。ただし、田沼ほどじゃないから怖くもなんともないけどな。
「た、田沼。いきなり声を上げるのは止めてくれ……」
「あ、あんたの所為でしょ!?」
なんで被害者の俺の所為になるのかよくわからないが、顔を赤く染めた田沼はプイッと顔をそむけてしまった。……怒らせるようなことしただろうか。
「……誰か……胃薬を……」
「ってどうした源六!? なんか俺よりも重症みたいだぞ!?」
田沼の超音波攻撃をかわしたと思われていた源六は、頭を抱えたその態勢のまま悶絶していた。どうも腹が痛いらしい。……ストレスか? やっぱりあれだけの仕事をやらせるのは無理があったんだ……!
「……元凶は、お前だ……」
……はて。俺は源六に苦労させるような事をしてきただろうか。小さいことはともかく、これほどに重症になるような事をした覚えはないのだが。
「ごちそうさまでござる」
そっぽを向いたまま食事を続ける田沼。悶える源六と、それを介抱しようとしている同じくボロボロの俺。唯一人、マイペースに食事を続けていた司の声がいやに教室に響いた。




