第一話 人形と少年と少年(?)
本編は此方から。
「ふぅ……」
私立倉雁高校、二年C組。夕焼けで赤く染まるその教室の中で、俺はただひたすらにパチン、パチンとホッチキスで紙をとじていた。静かな教室の中で、その音だけが響く。
すでにどれだけの紙をとじただろうか。いい加減に手がだるくなってきた俺は、ホッチキスを置いてため息をついた。
「ちょっと平賀。まだ終わってないんだから、さっさと手を動かしなさいよ!」
「~~ああ、分かってるよ、全く……田沼はうるさいな。ってか源六はまだ帰って来ないのかよ? あいつ、別のクラスに用があるとか言って全然戻って来ないじゃないか」
「……あんたと違って、松平は周りから信頼されてるのよ。たぶん、他にも先生から頼まれた用が出来たんでしょ。ほら、そんな事はいいからさっさと手を動かす!」
そう言って、俺と向かい合わせで座る女子――田沼次美は俺を急かすように睨みつけた。女子だと言うのにこの気迫。まだ肌寒い季節ではないのに、何故か俺の背筋に冷たいものが走る。この感情は……恐怖。
せっかくの『夕焼けの教室で、女子と向かい合わせに座っている』というシチュエーションだと言うのに、なんで俺は寒い思いをしなければならないんだろうか。
俺はちらりと、目の前で俺と同じようにホッチキスを動かす田沼を見る。ただホッチキスで紙をまとめているだけだというのに、そいつがやると何故か様になるから不思議だ。
田沼は、見た目は美人である。クラス委員長にふさわしい、しっかりとまとめられた三つ編みや大きめの眼鏡が少し野暮ったいイメージを出しているが、他の学年では人気があるし、校外からも告白しに来た奴がいるくらいには、人気がある。
――が、俺らクラスメイトを含めて、この学年の男子で彼女と付き合おうと考える奴は極々一部だろう。そう。この見た目に反して、コイツはかなり危険な奴なんだ。
さっき言った、校外から告白しに来た奴。ちょっとアレな奴だったらしく、告白を断った田沼を殴ろうとしたんだが……逆に、立ちあがれなくさせられた。男性的な意味でも。
それからというもの、男子連中は若干田沼から距離を置いている。近くにいるのは何故か付きまとわれている俺か、もう一人の学級委員長である俺の親友、松平源六くらいなものだろう。
二人とも委員長としても人としても真面目で、教師からの信頼もある。だからか、やたらと仕事を押しつけられる連中だった。おまけにそれを嬉々として受け取りやがる。
……全く、今日だって源六と寄り道して帰ろうと思ってたのに、いきなり学年全体の『修学旅行のしおり』を作ることになるなんて……俺が手伝わなかったらもっと苦労してたんだぞ? 田沼ももっと俺を崇め奉れよ。
「――平賀、何か変なこと考えてる?」
頭の中で田沼が俺に土下座させていたら、何かを感じ取ったのか田沼が俺を睨んできやがった。ヤベ、顔に出てたか? なにはともあれ、話題をごまかさなければ俺の命が危ない。
「いや、その、な。えーっと、その……ふ、二人きりだなって思ってな!」
二人きりだから何だと言うのだろう。自分で言ったこととはいえ、意味不明である。なんだ、俺は自殺願望でもあるとでも言うのだろうか。
てっきりその辺を突っ込まれると思ったのだが……何故か、田沼は顔をほのかに赤くして俯いていた。まるで、突然告白されて驚いている女の子のような態度である。
「え、えっと、その、平賀? 私達、まだ、そ、そういう関係じゃないんだから……その、二人きりだからってどうこうなるわけじゃないわよ、ね?」
ほのかに潤んだ瞳。上気した頬。困惑し、それでいて何か期待するような顔――。
「スイマセンでした――――っ!!」
その表情を見た俺は瞬時に土下座へと移っていた。もちろん、床の上である。鏡が無いから分からないが、きっと今の俺の顔は真っ青になっていることだろう。正直、生きた心地がしない。
「えええええっ!? ちょっと平賀、どうしていきなり土下座してるのよ!?」
田沼が、俺の行動を本気で理解できないとでも言いたげな顔で声を荒げてくる。何と白々しい。もう分かっているくせに、俺にいちいち説明しろと言うのか。
少し困ったが、ここで選択肢を間違えると俺も男として死にかねない。俺は大人しく、自分の行動を説明することにした。
「だってあれだろう? 『まだ俺達がそういう関係じゃない』ってのは……『いつか、殺す関係になる』ってことなんだろ? その時に二人っきりになったら俺は殺されるんだろ? なら……とにもかくにも謝るしかないじゃないか!」
「あんた、どんな思考回路してんのよ!? 何で、私があんたを殺さなきゃならないの!? むしろそのぎゃく――って、あ!」
「スイマセンスイマセンスイマセン、謝りますので殺さないでください――――っ!」
田沼が何か言っていた気もするが、俺はただひたすらに地面に頭をこすりつけて謝っていたため聞こえなかった。さっきの表情を忘れてはいけない。アレは――何かを狙っている、狩人の目だった。
「……均、お前は何をやってるんだ……」
「おお!? 源六、戻ったか! これで一安心だ、さあ、さっさと続きをやろうぜ!」
源六が戻ってくれば、とりあえずは安心だ。この身長が190 cmを超える男は、実家の道場でかなり鍛えているつわもの。もし俺が田沼に殺されそうになっても何秒かは身代りになってくれるだろう。その間に、俺は逃げる。
「……何か不穏な事を考えているみたいだが……まぁいい。それより、先生がもう今日は遅いからさっさと帰れとおっしゃられた。……例の噂に、過敏になっているらしい」
意気揚々と席に着いた俺に、源六はその巌のような顔をしかめて待ったをかけてきた。そのまま、田沼の方に向き直る。
例の噂って言うと……ああ、アレの事か。
「『首刈り人形』の噂ね……」
俺と同じく思い当たる事があったらしい田沼が、ぽつりと呟く。それを耳にした瞬間、源六の体がびくっと震えたのは俺だけの秘密にしておいてやろう。……源六の奴、これだけの図体、鍛え上げた精神を持っていても、何故か怪談の類が苦手だがらな。ま、小学校来の付き合いの俺くらいしか知らないだろうが。
そう、件の噂とは、一種の怪談。その名の通り、首を狩る人形の話である。
噂自体は、良くある話だ。最近T都のほうで、中学生~大学生ぐらいの女性の首なし死体が多く発見されている。だいたい、月に1、2件ぐらいだ。そこまではよくニュースでもやっているし、犯人はまだ見つかっていないとかでちょっとした怪事件になっているのだが……いつの頃からか、一つの噂がささやかれるようになった。
曰く、その殺人事件は『首刈り人形』が首を刈り取っているのだ、と。
噂の出所は、その殺された被害者と親しかった友人という。
ある日、その被害者となった女性が夜道に一人で歩いているときに、何処からともなく一人の女が現れた。女性はその怪しい女を訝しんで、あまり近づかないようにして通り過ぎようとしたのだが……ふと、気付いてしまう。その女が、じっと自分の方を見ていることに。そして、その瞳が……何も映さない、ただのガラス玉であったことに。
瞳だけじゃない。よくよく見れば、その髪や皮膚も、何処となく人工的な感じがする。――そう。その女こそが、『首刈り人形』。
初めて女性がそれに遭遇した時、その人形はこう言った。
『――つぎは、あなた』。
驚きのあまり腰を抜かしてしまった女性には手も触れず、その人形は人間ではありえない動きでその場を後にしていった。――そして。その女性は周囲の友人に相談したが信じてもらえず、数日後に無残な姿で発見された。
それが、『首刈り人形』の噂。
「――それで、つい最近ついに隣町の高校生のところにその『首刈り人形』が現れたって噂よ。先生達が神経質になるのも無理はないわ。噂の真実は置いておいても、確かに事件がこっちの方に近づいて来てるのは事実なんだし」
「(別に、田沼なら人形でも問題なく撃退できると思うんだけどな……)」
「何か言ったかしら? 平賀君?」
「いいえ! 何も言ってません!」
田沼がとてもイイ笑顔で俺に微笑みかけてくる。何でこいつはこう、バイオレンスなんだろうか。コイツに惚れる男なんて、俺が知る限り一人しか知らない。なあ――源六?
俺が意味ありげに源六の顔を見ると、『将軍』とも呼ばれるこの偉大な友人は、目を閉じて静かにたたずんでいた。そのあまりにも堂々とした立ち姿には、例え男であっても惚れてしまいそうな雰囲気がある。例えるならそう、『北斗の拳』のラオウみたいな雰囲気か。
……ま、現実は怪談が怖くて必死に聞かないようにしていただけなんだろうけどな。あ、少しだけ足が震えてる。
「とにかく、遅くなると危ないからさっさと帰れってことだろ? んじゃ、もう帰ろうぜ」
俺は喜び勇んで机の物を片付ける。ホッチキスや書類は、まとめて教卓の上にでも置いておけばいいよな。出来た物はこっち、と。
「……で? 平賀はそんな怖い噂を聞いて、どうするの?」
「俺? もちろんさっさと帰る」
男が狙われてるとは聞かないが、危険だと言うならさっさと帰るにこしたことは無い。俺は石橋は叩かないと渡れないんだ。
「そ、そう。いや、あのね? 私、一人で帰るの怖いな~~、なんて……」
「そいつは大変だな。頑張れ」
「即答!? 断るにしても、もう少し悩んでくれたっていいじゃない! っていうか、男なら断らないでよ!」
「はっはっは。何をおっしゃる。俺がついていったところで何もできないぞ」
というか、俺が守られること間違いなし。自慢じゃないが俺は喧嘩なんて高校になってからほとんどしてないんだ。そこら辺の奴より弱いとは言わないが、田沼よりは確実に弱いんだぞ? 適材適所、そう言うのは俺の役割じゃない。
「そう言うわけだから、源六。田沼の事家まで送ってやれよ? 俺はもう帰るから」
「……わかった……」
まだまだ青い顔をした源六は、それでもしっかりと頷いてくる。さすが、校内男子生徒による抱かれたい漢ナンバーワン。その辺は全く痺れないし憧れないが心強い。
田沼も罪づくりだよな。これだけいい男に惚れられてるっていうのに、全く気付かないなんて。やれやれ、恋のキューピット役ってのも大変だぜ。
俺は自分の机の上を綺麗に片づけると、蒼い顔の源六、呆気にとられたような顔した田沼を置いて教室を後にした。
後はお若い人だけで……ってやつだな。
「ふぃ~~、いいお湯だ……」
当然何事もなく帰宅した俺は、手っ取り早く晩飯を済ませた後、ゆっくりとふろにつかっていた。あの後、源六からは田沼を無事に家まで送った旨のメールが来てたよ。あいつなら早々間違いも起きないからな。個人的には、さっさとくっついてほしいところなんだが。
そうそう、俺は高校になってから一人暮らしである。
早くに、というか生まれてすぐに両親がいなくなった俺は、中学までは婆ちゃんと一緒に暮していた。でもその婆ちゃんも俺が高校に上がる時に他界してしまい……それから、一年くらい一人で暮らしている。
家は婆ちゃんから譲り受けたものをそのまま使っている。ちょっと古い一軒家だが、そこそこに広くて部屋数にも余裕があるし、庭には古くからの蔵もある。もっとも、その蔵がある意味俺の頭痛の種なんだけどな。
この場ではっきり言っておこう。俺は、怪談はそこまで苦手ではない。が、人形物であるなら話は別だ。めちゃくちゃ怖い。
『メリーさん』とか、『三本脚のリ○ちゃん人形』とかだな。その類の話になったら、こっそりと逃げ出しているくらい嫌いだ。実は田沼の話しの時、俺も源六と同じように足が震えていたくらいさ。
幽霊は見えないし、触れない。それなら別にそこまで怖がることも無いと思うが、人形は呪われているとかは置いておいても、実体としてそこにあるからな。実際に動き出したら、現実的な被害がありそうじゃないか。
俺がそんなに人形を嫌うのには、理由がある。それが、庭の蔵なんだ。
子どもの頃に、婆ちゃんに入るなと言われていたその蔵。好奇心が旺盛だった俺は、婆ちゃんが買い物に行ってる間にこっそりと忍び込んでみた。そうしたら……。
目。
目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目、目。
おびただしいまでの、人形の目。それが一斉に入口の方向、つまり俺の方を見つめていたんだ。びっしりと、数十、数百、数千の日本人形の目線。そりゃあ、トラウマにもなるってもんだよ。それ以来、人形が怖くてしょうがない。
「でもまぁ、狙われてるのは女子だって言うし。俺は大丈夫だろ」
未だに頭にこびりついた恐怖映像を振りはらうように頭を振り、一人つぶやく。そうやって自分に言い聞かせないと、足が震えて風呂場から出れなくなる。
そう。今回の噂も、そもそも単なる都市伝説。首なし死体というあまりにも猟奇的な事件が、若者の感性を刺激しただけに過ぎないのだろうと思う。
事件がこっちに近づいているとなれば当然警戒は必要だが、この広い町でその殺人鬼に出くわすなんて、どれだけの確立だろう。よっぽど運が悪くない限り、問題は無いだろう。もし出会ったら……仕方ない。ある意味運命だったと諦めるかな。
「……上がるか」
ついつい長湯してしまったようだ、頭がぼーっとする。俺は体をシャワーで洗い流してさっぱりすると、ふろ場から上がるのであった。
「いかん、プリンがない」
冷蔵庫を開けた状態のまま、俺は両手を地面に着ける。いわゆる嘆きのポーズ。ふろ上がりにプリン、それが俺のジャスティス。これだけは、譲れないんだ……!!
「十一時時半か……」
時計を確認すると、あと三十分ほどで日付が変わる時間だった。源六たちの手伝いの他、明日までの課題を一気にやり遂げたのがまずかったのか。思ったよりも時間を食っていたらしい。
「……」
風呂入った後に外出るのはあまり好きではない上に、深夜のコンビニ。不良がたむろしていたりしてあまり近づきたくないのだが……風呂上がりのプリンには変えられまい。
すっかりプリンを食べる気でいた俺は、結局その欲求に抗えず、コンビニに行くべく部屋に戻って財布を手にするのであった。
ガチャリ、と玄関の鍵が落ちる。
二、三回ドアを引っ張り、しっかりと鍵を閉めたことを確認して、俺はコンビニに向かって歩き始めた。季節はまだ夏が過ぎたばかりだが、夜は少しばかり、風が冷える。もう冷めたとはいえ、風呂上がりの体にはよくないのではなかろうか。
俺はジャージのジッパーを上げて、風に対抗する。そうすると、顔に当たる風が若干心地よくなったような気がした。
ここ、狩間町はいわゆる地方都市のひとつである。南側はビルが建ち並び発展しているが、俺が住んでいる北側の街は昔ながらの家が多い。さらに言えば俺の家は北側の端っこ、すでに北側の隣町の方が近いという場所にある。だから俺は、少し歩いて隣町のコンビニに行くことが多かった。
ちなみに。
「田沼が言っていた『隣町』ってのも、こっちの町だったりする、と。……やっぱりやめときゃよかったか?」
『……噂だと、ついに隣町の女子高生の所に来たって』
田沼の言葉が頭をよぎり、思わず身震いする。独り言を言っているのも、結局は恐怖を紛らわすためだ。
何もない。あるはずがない。明日も今日と同じ日常で、また暇をしてあいつらの手伝いをする。俺は頭の中でそう何度も繰り返し、足早にコンビニへ向かった。
……今にして思えば、このときにすでに予感がしていたのかもしれない。自分が、非日常に巻き込まれる。そんな、予感が。
「ありがとうございましたー!」
そのまま早歩きできたせいか、いつもより早くコンビニについた俺はさっさとプリンその他を購入。何かないかと、暇つぶしにチャンピ○ンも会計に入れといた。コンビニの袋を手に、意気揚々と店を後にする。
個人的にはジャ○プ派である。とは言え、最近大好きだったジ○ガーさんも終わり、少し物足りない昨今。たまにはチャンピ○ンも読んでみたくなる時があるのだ。
「……!!」
「ん?」
風に乗って、何かが聞こえた気がする。女の子の悲鳴のような、そんな音だった。
「……まさか、な」
そんな非日常がそこにあるとは思えない。俺はこのまま帰ってプリンを食いながら、チャンピ○ンを読んで眠りに就くのだ。そしてまた明日、あいつらとくだらない会話をする。
そう考えているのに。
「……」
何故か、俺の足は主の意思を無視して、悲鳴らしき声が聞こえたほうへと向かって動き始めた。よせ、やめろ、後悔するぞ、と心の中で必死に叫ぶ。しかし足が止まることはない。まるで、何かに憑かれているように足が動く……!
「だ、誰か、助けて!」
――っ!?
もう、今のは間違いないし、ごまかせない。悲鳴だ。確かに、女性が助けを呼ぶ声だった。
その声を聞いたためだろうか。いつの間にか俺の脚は道路を大きく蹴っていた。今まで出したことないような速度で走る。
俺はそんなに正義感が強かったのか? いつもは女の子のピンチに駆けつけるようなタマじゃないんだが……!
脚は俺の意思を無視し続け、全速力で町を駆け抜ける。流れ去る景色、早くなる鼓動。そして俺は、とある公園にたどりつく。俺の家の方でも、緑豊かな散歩道が楽しめるとしてそれなりに人気の、大きめの公園。
昼間ならマラソンをしているだろうその公園のコースを、俺の脚は迷いなく駆けていく。
一歩を駆けるごとに、俺の体もヒートアップしていく。汗が額を流れ、服の中も洪水になっていた。すでにジャージの前は全開にしている。それでも、俺の脚は止まることなく駆け続けた。
まるで、どこに声の主がいるかが分かっているように。
「だ!! 誰かっ――」
ザク、ブシュー!
俺の脚がようやく止まった時、俺の耳が聞いた音は表現すればそんな感じの音だった。何かを切る音と、水よりも粘性がある何かがあふれ出す音。その直前の――最期の叫び声。
その光景を、俺は認識することができなかった。否、情報としては捉えられる。だが、現実の物として理解できなかった。
暗い闇の中、目の前にいるのは二人の人影。一人は草を刈る鎌を手にし、もう一人は尻もちをついている。ただ、その尻もちをついている方。その、首が無かった。そして首の代わりに立ちあがる、赤黒い液体。
首はどこに行ったのか。ふと上を見てみれば、くるくると回転しているボールのようなものがある。それはくるくると、くるくると。宙を舞って、もう片方の人影の手におさまった。
その人影は、何の感情も感じさせない動きで、ただ静かにその宙を舞っていた物を袋につめる。何かの革でできたその袋は、人の頭サイズに大きく膨らんだ。
そこまでの一部始終を、俺は見続けた。見たくは、無かった。しかし脚が動かない。先ほどまで全力疾走を続けた俺の脚は、あの時あれほどに軽やかだったというのに今は鉛のように重くなっている。一歩も歩けない状態だった。
周囲は異臭に包まれ始めている。それは鉄分の匂い。赤黒く錆びた、人の――
「―――っ!」
気がつけば、残っていたもう一つの人影がゆっくりとこちらに向かって歩いて来ていた。明かりに照らされて、その表情が闇に照らされる。
照らされた顔は、無。もちろん目や鼻、口もある。ただ、表情と言う言葉の全てがはがれおちた、まるで能面のような顔だった。
もしこんな事態ではなく、遠目に見たのなら――それは、ただ変わった格好をした少女だと思っただろう。青い原色の髪だとか、ひらひらとした服、いわゆるメイド服だって、何処かのコスプレ会場何かに行けば普通にいると思う。整った手足なども、きっと人の目を引くに違いない。
でも、今この場において、それは恐怖の体現者でしかなかった。
無表情のまま、血にまみれた服で、同じく血だらけの鎌をもって近づいてくる、それ。徐々に近づいてくれば、その異形がよくわかる。人工的な質感の肌、髪のつや。そして何より。――ガラス玉の、目。
「人……形……!!」
俺は思わず後ずさった。そのうつろな目、何も移さないガラス玉。人間の形をまねただけのそれは、確かに人形であった。
人形が動き、人の首を刈る。それは、まさしく都市伝説。
『首刈り人形』。人の首を刈り取る、噂の中の殺人人形。それが今、現実として俺の前に現れていた。
「もくげきしゃをはっけん。ただちにしょぶんします」
震える俺をしり目に、その人形はボソッと呟いてこちらに向かって歩いてくる。その足取りは決して早いものではない。しかし、今の俺はまさに蛇に睨まれた蛙。恐怖で体がこわばり、逃げることが出来なかった。
人形が手にしているのは、鎌。実った穂を刈り取る農具にして、人の首を刈る凶器。――俺の命を、狙う物。
「あ……ああ……」
俺は必死になって足を動かそうとしていたが、全く動いてくれない。それでも無理に動かそうとしたら、バランスを崩して尻もちをついてしまった。両手と尻を地面につけ、ただ恐怖に震える。
「……いいえ、ごしゅじんさま。もくげきしゃはおとこです。……りょうかいしました、とうぶのかいしゅうはいたしません」
そんな俺に飛びかかるでもなく、人形は独り言のように何かを呟いていた。よくみれば、人形の口には通信用のマイクが付いている。――誰かと会話しているのか。
黒幕が他にいる。そんな情報が俺の頭に叩き込まれたが、それに何の意味があるのだろうか。今まさに、人形が俺の前に立ち、俺の命を刈り取らんとしている。
人形の目には、俺の命を奪うことに何の感慨も持っていない。恐怖も無ければ、狂気すら、ない。ただ、淡々と虚ろに輝いているだけだった。
その目に、あの日の事が思い出される。子どもの頃、あの土蔵で。幾百の人形の瞳に見詰められた、あの――。
「しょぶんします」
「……うわぁぁぁ!」
ザク!!
人形が鎌を振り上げ、下ろす。俺はとっさに、持っていたビニール袋を前に掲げていた。中に入っているのは、プリン他いくつかの食料品と漫画雑誌。厚みがあるとはいえ、そもそも盾としての役割を考えて作られた代物ではない。ただの本が、人の首を刈り取る凶器を受け止めることは不可能だろう。
しかし、鎌はチャンピ○ンを切り裂いたためか威力が弱まる。運がいいのか悪いのか、俺の胸を浅く切り裂いただけでその鎌は流されていった。
「~~っく!!」
「しょぶんにしっぱい。もういちどくりかえします」
『(――ザ、ザザザ―)いいぞ、さっさと始末しろ』
胸の痛みに混乱し、おびえた俺の耳にかすかに聞こえた、ノイズ交じりの男の声。それは人形の耳の辺りから聞こえてくるようだった。それが黒幕なんだと、俺の頭の冷静な部分が告げている。
「……!」
しかしそれがわかったところでどうなる? 今まさに人形は鎌を振り上げ、俺にはもう防ぐ手立てはない。あれが振り下ろされた時、自分の生は終わるのだろう。
……悪い、源六、田沼。もう手伝いできないっぽい。
……ごめん、婆ちゃん。約束守れそうもない。
目の前で、月光に照らされて人形の鎌が輝く。その冷たい輝きに、俺は静かに目を閉じた。今までの思い出が瞼の裏に浮かんでくる。楽しかったこと、つらかったこと。そして最後に。最後に浮かんできたのは――二人の友人と、懐かしい婆ちゃんの顔だった。
ガキィン!
……金属がぶつかり合う音。数瞬しても訪れない、死。
その事に違和感を覚えた俺がふと瞼を開けると、鎌が何かに阻まれて動きを止めたところだった。それは、日本刀。俺の横から伸びてきた美しい紋様を描いた刀が、月の明かりに照らされて静かに輝いている。その日本刀が、俺を守るようにしっかりと人形の鎌を受け止めていた。
ふと横を見れば、いつの間にか誰かが立っている。それは、小柄な体で長い黒髪を後ろに束ねた、学ランの少年。日本刀は、その少年が握っていた。
「大丈夫でござるか?」
人気のない公園に、高く澄んだ声が響く。人形を警戒しているためか、少しだけ、目をこちらに向けてきたその少年の横顔は。人ならざる人形よりもなお、美しかった―――。
そこまでホラーになる予定はないです。残酷描写も、コレ以上はないかと。
感想、批判、喜んでお受けします。




