孫呉三代目の地味男は目立ちたい
「はぁーーー……。」
建業の政庁に、深いため息が響いた。
江東の虎、孫堅。
小覇王、孫策。
天下に名を轟かせた英雄たち。
その偉大な父と兄の後を継いだ、一人の若者。
孫権仲謀であった。
「女装してみようかなー……」
「……お前は何を言ってるんだ?」
美形は、思わず筆を止めた。
「最近、暑い日が続いているからな」
部屋の隅で腕立て伏せをしていたハゲも、腕を伸ばしたまま止まった。
「いや、違うんだ。周瑜、黄蓋」
孫権の顔は、真剣だった。
冗談を言っている様子はない。
美形とハゲは、ゆっくりと顔を見合わせる。
だからこそ、余計に分からなかった。
「俺は、兄上のような武勇もない。父上のような豪胆さも……。」
今一度、孫権は深いため息を吐いた。
それが呉の君主となる前から抱えていた悩みだった。
自分は平凡で、地味な男だ。
そう、ずっと思っていた。
「だからって……。なぜ、女装なんだ?」
美形も、深いため息をつきたかった。
しかし、できなかった。
自分は、小覇王から孫権を託されている。
ならば、どのような悩みであろうと支えなければならない。
たとえ、『新たな趣味に目覚めた』という告白であっても。
「……だな。武を磨けよ」
ハゲは、それだけ言うと興味を失ったように視線を外した。
何事もなかったかのように、腕立て伏せを再開させた。
「夢を見たんだ」
「……夢?」
孫権は少し見上げた。
目を細め、遠い目を向ける。
それは、江東の虎も、小覇王も見ることのなかった、果てなき景色だった。
「遠い未来、東の島で俺は可愛い女の子になっているんだ」
「……は?」
美形は、言葉を失った。
孫権の悩みに寄り添うため、いくつもの言葉を用意していた。
だが、その全てが一瞬で頭から消え去った。
「裾の短いひらひらとした着物を着てな。胸が大きくて、髪は桃色だった」
孫権はうっとりと微笑んだ。
「べ、別にあなたのことなんて、何とも思ってないんだからね!
……って、普段は厳しいけど、たまに甘くなるところが、俺って最高だよな!」
長い沈黙が政庁を包んだ。
美形とハゲは、ゆっくりと顔を見合わせる。
そして、静かに頷いた。
「……医者を呼ぼう」
「そのほうがいいな」
二人の意見は一致した。
「甘寧も女だった!」
突然、孫権が立ち上がった。
「胸は控えめだったが、尻はほぼ丸出しだ!」
握った両の拳を突き上げ、力説する。
美形とハゲは、ただ呆然と見つめるしかなかった。
「実にけしからん! ぷりんぷりんっ!」
孫権の魂の叫びが響き渡る。
美形とハゲは、もはや何も言えなかった。
呉は、もう駄目かもしれない。
そう、ほんの少しだけ思ってしまった
「大頭領、頼まれたやつを持ってきたぜー」
そこへ、いつもの調子でならず者が入ってくる。
孫権とならず者の目が合った。
次の瞬間。
「却下! 大却下! 俺の甘寧を返せえええええっ!」
「のわっ!?」
孫権が机を踏み台にし、ならず者へ飛びかかった。
「あの冷たい目で、もう一度罵ってくれえええええっ!」
「何なんだよ、いきなりっ!?」
美形は竹簡へ視線を戻した。
ハゲは、何事もなかったかのように、腕立て伏せを再開した。
二人はもう、考えることをやめていた。
******
「くそっ!? 周瑜も、黄蓋もおいしい役をやりやがって!」
長江の烏林、赤壁と呼ばれる地。
今まさに、魏の大船団と呉の大船団が激突しようとしていた。
「俺もっ……。
いえ、私も負けてられないわ!」
呉の総本陣に、変な男が二人。
女物の衣装。
筋骨隆々。
化粧までしている。
美を目指した結果、何か別の生き物になっていた。
「さあ、甘寧! やるわよ!」
「……やりたくねー」
孫権だった何かの合図で、太鼓が一斉に打ち鳴らされた。
「諸葛亮を助けるのよ! この想い、届け!」
篝火が円を描いて燃え盛る。
その中心で、筋骨隆々の乙女が二人、踊り始めた。
「ぽうっ! ぽうぽうぽうっ! ぽおおおおおうっ!」
両手には、松明。
炎を振り回しながら、二人は軽やかに舞う。
「あれ、止めさせて……。気が散るんだけど?」
西の高台。
羽扇を手にした男は、その光景に顔を引きつらせた。
東南の風は、まだ吹いていなかった。




