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孫呉三代目の地味男は目立ちたい

掲載日:2026/08/20




「はぁーーー……。」



 建業の政庁に、深いため息が響いた。


 江東の虎、孫堅。

 小覇王、孫策。

 天下に名を轟かせた英雄たち。


 その偉大な父と兄の後を継いだ、一人の若者。

 孫権仲謀であった。



「女装してみようかなー……」

「……お前は何を言ってるんだ?」



 美形は、思わず筆を止めた。



「最近、暑い日が続いているからな」



 部屋の隅で腕立て伏せをしていたハゲも、腕を伸ばしたまま止まった。



「いや、違うんだ。周瑜、黄蓋」



 孫権の顔は、真剣だった。

 冗談を言っている様子はない。


 美形とハゲは、ゆっくりと顔を見合わせる。

 だからこそ、余計に分からなかった。



「俺は、兄上のような武勇もない。父上のような豪胆さも……。」



 今一度、孫権は深いため息を吐いた。

 それが呉の君主となる前から抱えていた悩みだった。


 自分は平凡で、地味な男だ。

 そう、ずっと思っていた。



「だからって……。なぜ、女装なんだ?」



 美形も、深いため息をつきたかった。


 しかし、できなかった。

 自分は、小覇王から孫権を託されている。

 ならば、どのような悩みであろうと支えなければならない。


 たとえ、『新たな趣味に目覚めた』という告白であっても。



「……だな。武を磨けよ」



 ハゲは、それだけ言うと興味を失ったように視線を外した。

 何事もなかったかのように、腕立て伏せを再開させた。



「夢を見たんだ」

「……夢?」



 孫権は少し見上げた。

 目を細め、遠い目を向ける。


 それは、江東の虎も、小覇王も見ることのなかった、果てなき景色だった。



「遠い未来、東の島で俺は可愛い女の子になっているんだ」

「……は?」



 美形は、言葉を失った。


 孫権の悩みに寄り添うため、いくつもの言葉を用意していた。

 だが、その全てが一瞬で頭から消え去った。



「裾の短いひらひらとした着物を着てな。胸が大きくて、髪は桃色だった」



 孫権はうっとりと微笑んだ。



「べ、別にあなたのことなんて、何とも思ってないんだからね!

 ……って、普段は厳しいけど、たまに甘くなるところが、俺って最高だよな!」



 長い沈黙が政庁を包んだ。


 美形とハゲは、ゆっくりと顔を見合わせる。

 そして、静かに頷いた。



「……医者を呼ぼう」

「そのほうがいいな」



 二人の意見は一致した。



「甘寧も女だった!」



 突然、孫権が立ち上がった。



「胸は控えめだったが、尻はほぼ丸出しだ!」



 握った両の拳を突き上げ、力説する。

 美形とハゲは、ただ呆然と見つめるしかなかった。



「実にけしからん! ぷりんぷりんっ!」



 孫権の魂の叫びが響き渡る。

 美形とハゲは、もはや何も言えなかった。


 呉は、もう駄目かもしれない。

 そう、ほんの少しだけ思ってしまった



「大頭領、頼まれたやつを持ってきたぜー」



 そこへ、いつもの調子でならず者が入ってくる。

 孫権とならず者の目が合った。


 次の瞬間。



「却下! 大却下! 俺の甘寧を返せえええええっ!」

「のわっ!?」



 孫権が机を踏み台にし、ならず者へ飛びかかった。



「あの冷たい目で、もう一度罵ってくれえええええっ!」

「何なんだよ、いきなりっ!?」



 美形は竹簡へ視線を戻した。

 ハゲは、何事もなかったかのように、腕立て伏せを再開した。


 二人はもう、考えることをやめていた。




 ******




「くそっ!? 周瑜も、黄蓋もおいしい役をやりやがって!」



 長江の烏林、赤壁と呼ばれる地。

 今まさに、魏の大船団と呉の大船団が激突しようとしていた。



「俺もっ……。

 いえ、私も負けてられないわ!」



 呉の総本陣に、変な男が二人。


 女物の衣装。

 筋骨隆々。

 化粧までしている。


 美を目指した結果、何か別の生き物になっていた。



「さあ、甘寧! やるわよ!」

「……やりたくねー」



 孫権だった何かの合図で、太鼓が一斉に打ち鳴らされた。



「諸葛亮を助けるのよ! この想い、届け!」



 篝火が円を描いて燃え盛る。

 その中心で、筋骨隆々の乙女が二人、踊り始めた。



「ぽうっ! ぽうぽうぽうっ! ぽおおおおおうっ!」



 両手には、松明。

 炎を振り回しながら、二人は軽やかに舞う。



「あれ、止めさせて……。気が散るんだけど?」



 西の高台。

 羽扇を手にした男は、その光景に顔を引きつらせた。


 東南の風は、まだ吹いていなかった。




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