え?危機?
兄妹が去るのを見て、スキーナはセリアと町に戻ろうとした。
狼族のために鎖帷子十セットを作り、薬と大量の生肉を買っても、
まだ金貨五枚と銀貨四十三枚が残っていた。
多くはないが、これでもう少し広い家に引っ越して、
住まいをゆったりさせることはできる。
それがスキーナの考えだ。
地味で、飾り気のない願い。
「ウーッ……」
聞き覚えのある狼の鳴き声。
だが今のスキーナは、もう怖くなかった。
「おい、また何だ?」
振り返ると、さっきの狼の親分が、
体の大きな魔物狼三匹を従えて近づいてくる。
その迫力は、なかなかのものだった。
「闇討ちか?」
スキーナは剣を抜き、鋭い目でにらみながら、
一歩、後ろに下がった。
「スキーナ様、心配することはない」
「ここは、お前に知らせるためだ。
せめての助けになればと思って」
親分はゆっくりと話し、声は厳かだ。
「ここ数日、俺たちは気づいた。
ドルイド山脈の魔物が、異常に騒ぎ始めている。
種族を超えて集まり、いらだっている。
何か、よくないことが起こる気がする……」
「獣潮……?」
セリアは驚いて目を大きく見開き、信じられない様子だった。
「もし知っているなら、話してくれ」
スキーナは彼女を見た。
いつもの生活が崩されるような、不安な予感が胸に広がった。
セリアはふるふるとスキーナの袖につかまり、
どもりながら話した。
「スキーナさん…… 獣潮は、本当に、本当に怖いんです。
まるで、イナゴの大群みたいに……
もともと別々に餌を探している魔物たちが、
理由もなく一カ所に集まって、流れのようになって突っ走るんです。
通った場所は、みんな食べられるか、踏みつぶされるか……
何もかも残らず、本当に、悲惨なんです……」
「その通りだ」
狼の親分はうなずき、セリアの言葉を認めた。
「俺たち狼族は、ここに長年住んでいるが、
こんな光景は見たことがない。
身を守るため、俺たちはこの数日のうちに、
できるだけ早くここを離れ、
もっと安全な場所に逃れようと思っている」
親分は一瞬、言葉を切り、スキーナを見つめ、
誠実な口調で言った。
「お前に教えに来たのは、実は、もう一つ頼みがあるからだ」
「何だ?」
スキーナには分かっていた。
親分には、悪意などない。
「もっと、食料が必要なのだ」
狼の親分の声には、わずかな願いが込められていた。
「さっきお前がくれた生肉では、
一族全員が旅路を支えるには、到底足りない。
だから、どうか、もっとたくさんの生肉を買ってくれ。
多ければ多いほどいい。
報酬は、倍で払う。
絶対に、損はさせない」
この世界では、生肉の値段はそれほど高くない。
大きな魔物はどこにでもいるし、
冒険者は素材だけを持ち帰り、肉は市場に流しているからだ。
普段なら、こんな差益の取れる取引を聞けば、
スキーナはとっくに笑いが止まらなかっただろう。
だが今回は、全然、気分が乗らなかった。
「応じてやる。
それに、魔物が騒ぎだした理由は知っているか?」
普通の魔物の騒ぎなら、大して気にすることもない。
だが親分の声はあまりに厳かで、一族を挙げて逃げる決意をしている。
どう考えても、事態はそう簡単なものではない。
しかもドルイド山脈は、町のすぐそばにある。
魔物の騒動が大きくなれば、町にも被害が及ぶ可能性が高い。
スキーナには、町に財産も友人も未練もない。
セリアを連れて、明日にでも逃げ出せる。
だが、これからのためにも、
この異変について、何か知っておく必要があった。
狼の親分の顔に、困り顔が浮かんだ。
そっと、首を振った。
「俺にも、分からない」
「手下を山脈の奥に探査に行かせたが、
手がかりは何も掴めなかった。
ただ、魔物たちが狂ったように騒ぎ、
あちこちに突進していることだけは分かった。
一部の下級魔物は、すでに山脈の外に出て、
周りの種族を驚かせている」
「こればかりは、もう、天の采配だな」
スキーナはため息をついた。
「生肉のことは、やらせてやる。
ただし、先に金を払ってもらう」
「金は、もうあまり残っていない。
質の悪い肉でも構わない。
最近、俺たちの行動が目立ちすぎて、
冒険者たちがたくさん集まってきてしまった」
狼の親分は手下に袋をくわえさせた。
スキーナはそれを開けてみる。
中には、金貨二十三枚と銀貨二十一枚。
これだけでも、すでに大金だ。
だがスキーナの心の中では、こう思っていた。
── 狼親分、お前、落ちぶれたな。
金を受け取り、少女は一度、手に持って量ってみて言った。
「生肉のことは、できる限り用意してやる。
それに、魔物のことを教えてくれて、ありがとう」
「スキーナ様、ありがとう!」
狼の親分の顔に、感謝の色が浮かんだ。
親分というのは、大変なものだ。
一族の仲間のもめごとを処理し、
全員の生計まで心配しなければならない。
人間は、なぜ王になりたがったり皇帝になりたがったりするのか、
本当に分からない。
いつも親分としての威厳を保っていなければならないのなら、
本当は、一声、嚎き上げて、これまでの憂さを晴らしたいくらいだ。
スキーナは軽くうなずき、
それ以上は何も言わず、セリアの手を取った。
「行こう、戻ろう」
今回は、改めて契約などする必要もなさそうだ。
自分は、すでに狼の親分から、十分な信頼を得ているらしい。
道すがら、スキーナはずっと対策を考えていた。
もちろん、獣潮への対処法なんかじゃない。
町の人たちに教えるべきかどうか。
信じてもらえなければ、自分が憎まれ役になる。
信じられたら、物価が高騰し、自分の出費が増える。
みんなが逃げ出したら、周りの町が受け入れられなくなるかもしれない。
スキーナの眉間の影が、だんだん濃くなっていくのを見て、
セリアはそっと、彼女の手を握り返した。
少女は心の中で思った。
スキーナさんは、町のことを心配してくれている。
自分は、ずっとそばにいて、
スキーナさんの邪魔にならないようにしよう。
町は、相変わらずにぎやかだ。
だがスキーナには、もう、自分はここの人じゃないように思えた。
まるでゲームのストーリーがある地点に来て、
ここが滅ぶかもしれないのに、自分だけが他人事のように。
「スキーナ──」
扉を開けた瞬間、人型のぬいぐるみが飛びついてきた。
ノヴァだ。
「てんかんでも起こったのか?」
「いやだー、そんな言い方、ひどい!」
ノヴァは、スキーナの後ろにいるセリアを見て、
嬉しそうに **『爆炎法典』** を差し出した。
「基本魔法、マスターしちゃった!
それに、二星魔法使いになる方法も知っちゃった!」
これは、スキーナの興味を引いた。
彼女はノヴァの小さな手を引いて、家の中に入った。
もしかして、俺の魔法修行は、今日から始まるのか?
ノヴァはこの魔法書を開いてスキーナに見せた。
── 刻印こそが、魔法使いが強くなるための直接の道。
魔法を、精神回路と肉体の間に、永続的に刻み込むこと。
「つまり、俺に魔法刻印をしてほしいってわけか?」
スキーナは口元をひきつらせた。
こいつ、本当に、何も考えていない。
自分が何者だと思っている? ただの魔法見習いだぞ。
ノヴァは目を輝かせ、興奮してうなずいた。
「本気に?」
少女は、ごくりと唾を飲み込み、もう一度、確かめた。
「うんうん!」
こんなに熱意を示されたら、断りにくい。
それに、これから危機が迫ってくる。
戦力が上がるに越したことはない。
「わかった。どの魔法だ?」
ノヴァは嬉しそうに爆炎法典を開き、
そこに書かれた火の玉術を指さした。
これなら、難しくはなさそうだ。




