周知の通り、聖剣様は約束を違えない
「私の問題だ」
スキーナは振り返り、聖剣を鞘に収めた。
金属同士の乾いた音が、林の中にくっきりと響いた。
「もう遅くない。このまま行かなきゃ、日暮れまでに冒険者協会に着けない。
任務の報酬も、明日に引き延ばすわけにはいかないから」
「…… は、はい」
まるで別人のように冷たく、無機質に振る舞うスキーナに、
セリアは戸惑いを隠せなかった。
道中の空気は重く沈んでいた。
セリアはふと、今回の任務が成功したところで、何の楽しみもないと感じていた。
町まであと半分の道のりが、こんなに苦痛だったことはない。
この旅が、あとどれだけ続くのだろう。
その時、突然、スキーナが足を止めた。
「気配がする」
セリアは胸を強く締め付けられ、思わずスキーナの側に寄り添った。
目の前の藪の中から、
一対、また一対と、幽緑に光る目が浮かび上がる。
低い唸り声が漏れていた。
「狼……」
「執着深い連中だな」
スキーナは、昨夜襲ってきた群れだと見抜いた。
迷わずセリアの手を引き、後ろへ走り出す。
だが、数十頭の野良狼が草むらから飛び出し、行く手を塞いだ。
もう、逃げられない。戦うしかない。
スキーナは身をかがませてセリアを前に立て、聖剣を輝かせた。
二頭の狼が、すぐに飛びかかってきた。
血まみれの口を開け、襲いかかる。
白い閃光が一瞬、走った。
二頭の狼は宙で動きを止め、
滑らかな切り口から、鮮血が噴き出した。
剣さばきは速かった。
だが群れの数は多すぎる。
一斉に押し寄せ、二人を包囲していく。
「くそ……。冒険者たちは、道の手入れをサボりすぎだろ」
「ど、どうしましょ…… スキーナさん」
聖剣は無敵に切れる。
だが狼たちは死を恐れず、連携も巧みで、
スキーナは次第に体力を削られていた。
腕一つ、野良狼の鋭い爪に引っ掻かれ、
袖が血に染まる。
「スキーナさん! けがをしてる!」
セリアはすぐに手をかざし、癒しの柔らかな光を宿らせ、
スキーナの腕にあてた。
「気をつけてください! 治しますから!」
「心配するな。どうなっても、お前を生かして出す」
言葉の直後、数頭の狼が隙を突いて横から襲いかかってきた。
狙われたのは、背後のセリアだ。
スキーナの瞳が小さくなった。
考える間もなく、勢いよく振り返り、
自らの背中で、狼の爪を受け止めた。
「くっ…… 痛い」
背中から血が溢れ出す。
鋭い爪が、深く食い込んでいた。
痛みをこらえ、スキーナは歯を食いしばって、一撃で狼を斬り伏せた。
彼女は、やっと気づいた。
こいつらは、急いでいない。
ただ、二人を翻弄して楽しんでいるだけなのだ。
「ごめんなさい…… 私が悪いの。
私が弱くて、あなた一人に戦わせてしまって……」
セリアはスキーナを支え、涙を溢れさせた。
スキーナは、そっと彼女の涙を拭った。
「お前のせいじゃない。
私は、自発的に守ってるだけだ」
狼たちは、再びゆっくりと迫りくる。
目には、貪欲と凶悪が浮かんでいた。
もう、逃げ道はない。
魔力の回復は遅すぎる。
しかも、古傷は癒えたばかり。
もし、今回生き残れたら、
本物の魔法を学ばなければ――
もう戦う力は残っていなかった。
スキーナは、老牧師グレイの覚醒を思い出した。
まだ、希望が残っているかもしれない。
セリアと契約を結ぶこと。
ただし、そうすれば、自分の嘘がバレてしまう。
「セリア、実は私……」
言葉の途中で、林を揺るがすような遠吠えが響いた。
威厳に満ち、凶暴な声。
灰色の狼たちは一斉に振り返り、
敬うように脇へ下がり、頭を垂れて服従の姿勢を示した。
二人は困惑した。
林の奥から、一つの影がゆっくりと現れた。
見た目は、ただの灰色の狼。
たくましくもない。
だがスキーナは、目を細めた。
この狼は、昨日見た気がする。
こいつが、頭狼なのだ。
ゆっくりと近づいてくる。
見た目は普通なのに、
魔獣狼よりも、はるかに強い圧迫感を放っていた。
「我々は自然と共生し、生きてきた。
自ら進んで人間に敵対したことはない」
「それなのに、お前たち人間は、
同族を狩り、草原を奪い、子獣まで虐殺し、
我々を絶望の淵に追いやった」
「今、お前たちが死ぬのは当然の報いだ。
我のせいではない」
「今日こそ、血で血を償う。
死にした同族の仇を討つ」
「し、しゃべってる……。魔獣が、言葉を……!?」
「スキーナさん、今、驚いてる場合じゃないです……」
周囲の野良狼たちは、再び凶く吠えたて、
赤く光る瞳で、飛びかかる体勢を整えていた。
スキーナは、体を支えて立ち上がった。
額から汗が流れ落ちる。
内心では、自信など微塵もなかった。
――これで、俺の冒険は終わるのか。
狼に食い殺されて。
一触即発の空気に包まれた時、
頭狼は、人間的な笑みを浮かべた。
「人間。お前たちには、生き残るチャンスがある」
「どういう意味?」
スキーナは背中の痛みをこらえて訊いた。
「落ち着け。昨日、遠くからお前の戦いぶりを見た。
勇気がある。腕も立つ。
頼れる相手だと思った」
「協力……?」
セリアとスキーナは顔を見合わせ、
互いの瞳に困惑を映し合った。
魔獣が、人間と協力したいなど。
「人間のルールは知っている」
そう言って、頭狼は袋を投げてきた。
口が開き、中から黄金と銀貨が溢れ出した。
スキーナの呼吸が一瞬、荒くなった。
思わず手を伸ばした。
「ちょっと」
頭狼は、スキーナの反応を見て満足げに、
手を爪で払いのけた。
「これが手付金だ。
我々には、食料、薬、それに…… 鎧が必要だ」
その金を見れば、心動かないはずがない。
冒険者として、どれだけの任務をこなせば手に入る額だろう。
今回の報酬だって銀貨 7 枚。
レート換算で、C 級任務をもう一回やっと、金貨 1 枚分だ。
「スキーナさん、承るなんて……。
危険すぎます。
裏切られるかもしれないし、利用されるかもしれません!」
「利用? するものか。
お前が承知しなければ、この場で生きては帰れないだけの話だ」
「承知する」
スキーナは支えられながら立ち上がり、
唇の端に、淡い笑みを浮かべた。
「ただし、条件がある。
もう牧夫たちを襲うな」
「もちろんだ」
金の袋が、スキーナの前に差し出された。
数枚の金貨が転がり出て、眩い光を放っていた。
スキーナは慌てて一枚ずつ拾い、
袋を縛り直した。背中の痛みなど忘れた。
この一銭一貨は、全部、俺のものだ。
無くすわけにはいかない。
「これでいいのか?」
金貨は重く、抱えているだけで額から汗がにじむ。
だが、興奮で頬が染まり、手放したくなかった。
「俺が、品物を買ってくる。
残りの金貨は、全部、俺のものになる?」
「光明神の名で誓え。
約束を裏切るな。
指定された場所に、時間通りに物資を届けろ。
我々の痕跡を漏らすな。
機を見て、一族に危害を加えるな。
これを守れ」
スキーナの顔の興奮が、一瞬、ひいた。
戸惑いながら、後ろのセリアを振り返った。
光明神の名前は聞いたことがあるが、
神聖な誓いなど気にしたことがない。
ただの口約束だと思っていた。
「これ、どういう意味?」
「スキーナさん。光明神は世界全体を見守る神様です。
神の名で誓うことは、この世で最も厳粛な契約です。
一度誓ったら、絶対に破ってはなりません」
「もし誓いを破れば、光明神の祝福を奪われ、
神罰が下り、一生安らかにはいられません」
セリアの瞳には、真剣な色が宿っていた。
「安易に誓うべきではありません。
だが、一度誓った以上、守らなければならないのです」
スキーナには、少し重く感じられた。
もし、何かのアクシデントがあったら……
自分だけが罰を受けることになる。
だが、胸に抱えた重たい金貨は、
まるで我が子のようだ。
親が我が子を捨てるわけがない。
スキーナは歯を食いしばり、頭狼を見上げた。
「光明神の名で誓うなら、
お前たちだって、同じように誓え」
「いい」
頭狼は、あっさりと承諾した。
セリアは深く息を吸い込み、
ゆっくりと瞳を閉じ、真剣な面持ちで詠唱した。
「光明神ルミエルの名において、
神聖なる契約を結ぶ。
誓いし者は、約束を守らねばならず。
誓いを破る者は、必ず罰を受ける……」
詠唱に合わせ、手のひらの白光が、ますます強くなっていく。
聖約術の詠唱が終わり、セリアは瞳を開いた。
この取引が、正しいのか間違っているのか。
魔獣は、昔から人間の敵だ。
だが、勇者様は、そんなことはあまり気にしていないようだった。




