秋好む鬼
そういう事で、澪子の山の上での生活が始まった。朝は今まで通り早起きし、ましろと炊事にとりかかる。百夜と朝餉をとり、その後は彼の希望に従って庭を散歩したり、澪子の部屋で一緒に他愛無い遊びなどする。
「澪子はどんな遊びが好きですか?」
貝合わせやすごろくなど一通りやってみたが、百夜は当たり前のように手加減をするのでいつも澪子の勝ちになってしまう。
「…一度本気の百夜様と戦ってみたいです」
「ふふ、何を言うんですか。私はいつも本気ですよ。もう一度しましょうか」
澪子は少し考えて、言った。
「遊びも良いですが…私、百夜様の事をもっと知りたいです。ご自分のこと、お話してくれませんか?」
彼はほんのりと笑って手を広げた。
「いいですよ。何を話せばいいですか」
「うーんと…では、百夜様の好きな色は」
「黒が好きです。あなたの髪と目の色のような」
百夜は臆面もなくそういった事を言うので、澪子は言われるたびにいちいち頬を赤くしたり、ぎょっと体を縮こまらせたりして反応してしまうのだった。
「…わ、私のことでなくて、百夜様の事を聞いているのに」
「ちゃんと答えたと思うのですが…」
「で、では…ええと、百夜様の得意な事を教えてください」
そう聞くと、百夜は少し迷ったあと言った。
「そうですね…強いて言えば、薬の調合が得意でした」
以外な特技に、澪子は目を丸くした。
「すごい特技ですね。とても役立ちそう」
百夜は首を振った。
「そうでもありません…もう二度と調薬はしないと思っていましたが、」
百夜は手を伸ばして、澪子の髪を掬って手に取った。
「髪、艶が戻ってきましたね。ちゃんと毎晩、塗ってくれているのですね」
初日に塗られた軟膏と液体を、澪子は次の日からは自分で塗りつけていた。澪子ははっと気が付いた。
「ではあれは…髪と肌の薬、だったんですね?もしかして、百夜様がおつくりになったのですか?」
「はい。効いてよかったです。作った甲斐があった」
澪子は思わず自分の頬を触ってみた。たしかに前よりも若干、しっとりとしている気がする。髪もぱさついて縺れ放題だったのが、少なくともすっと指は通る。
「ありがとうございます…私なんかのために」
百夜は澪子の髪を撫でながら言った。
「澪子は髪が短いですが…これからは、伸ばしてはもらえませんか」
澪子の髪は、背中にかかるくらいのごく一般的な長さだった。お姫様でもない限り、そんなに長々と髪は伸ばさない。生活の邪魔になるからだ。
「…百夜様は、長い髪の方がお好きなのですか?」
「そういうわけではないのですが…少しでもあなたの目方が増えるのが嬉しいのです」
彼は少し目を伏せて、澪子の方を見やった。思わずどきっとするような、艶のある流し目だった。
…ましろはいつもどおり炊事場へ戻ってしまった。今、この屋敷には2人きり。にわかに焦った澪子は、妖しい雰囲気を振り払うように聞いた。
「で、では百夜様、今度は百夜様のお好きな季節を教えてください」
「季節ですか…」
百夜はそうつぶやいて、障子の外を見た。秋も深まり、木々は最後の葉たちを大盤振る舞いして山へ空へ散らしていた。まるで錦の帯のように豪奢な光景だった。
「そうですね、秋が好きです」
「秋は素敵ですよね。紅葉は綺麗だし、食べ物もおいしいし」
そんな澪子を見て、百夜は静かにうなずいた。
「ええ。この山の紅葉は、故郷を思い出させます」
その言葉に、澪子は好奇心を刺激された。
「故郷?百夜様は、どこから来られたんですか?」
はぐらかされるかもと澪子は思ったが、百夜は案外あっさり答えた。
「ここよりずっと東にある、火ノ原という場所です」
「火ノ原…?初めてききました」
「そうでしょう。人間の住む地ではありませんので」
「鬼の住む場所…ですか?」
興味津々に身を乗り出した澪子に、百夜はくすりと笑った。
「鬼だけではありません。天狗や、ましろのような白狐もいます。あまりに高い場所なので、人間は足を踏み入れることができないのですよ」
「へぇぇ…!そんなに高い山なんですね。きっと紅葉も綺麗なんでしょうね」
人間のあずかり知らない、妖だけの地。そんな所があるというのは澪子にとっては初耳だった。
「ええ。火山の峰なので、地表が温められて紅葉の時期が長いのです。崖の上から下をのぞくと、雲の中へごうごうと紅葉が散っていくのが見えます…」
そんな場所でした、と話す百夜の口調は静かだったが、抑えきれない何かの念が滲んでいた。
(そうか、百夜様はずっと、故郷に帰れてないんだ…)
鬼封じの巫女が生きていたのは、百年近く前の話と聞く。鬼封じが伝説となるほどまでの長い時間、彼はずっとこの山を出れずに、ましろがくるまで一人で過ごしていたのだろうか…。もし自分だったらどうだろう。澪子はそう考えて背筋が寒くなった。
失礼かもしれないと思ったが、澪子は質問するのを止められなかった。
「あの…なぜここから出れないのでしょう?私は百夜様が悪い鬼には、思えないのですが…」
澪子がそういうのを見越していたのかように、百夜は笑って首を振った。
「いいえ。あの封印はとても強力なのです。あの時巫女は、命がけで私を封じたのですから…その位、私は悪い鬼だったのですよ」
「でも人も食べないって、おっしゃってましたよね…?」
「ええ。たしかに食べはしません。でも私は…悪い鬼でした。人の命を奪いました。だからこうして封じ込められるのは当然なのですよ」
「人の、命を…?」
彼は少し唇を噛んでうつむいた。
「はい…。今は、後悔しています。どうしたら今の私に償えるのか、色々と考えました。結局、私がこの山を出ないことが、一番の供養になるのではないかと…今は思っています」
淡々とそういう彼に、なぜだか澪子の胸は痛くなった。彼の宙へなげかけられたその視線が、やるせなかった。
(昔人を殺してしまった事を…ずっと後悔しているのかな…)
どのような経緯でそうなってしまったのかわからない。その人たちの事も知らない。
だけど百年も前の過ちを、ずっと悔いつづけるのはどんなにか辛い事だろう。なぜ、彼はそこまで悔いているのだろうか。
(聞きたいけど、聞けない…こんな顔をしている人にそんなこと)
なので澪子は、喉に言葉をつかえさせたまま押し黙った。しかしその時、不意に百夜は澪子を見た。
「あなたのおかげなのです、澪。私が自分の悪事を悔いることができるようになったのは」
いきなり自分へ向けられたその言葉に、澪子は面食らった。
「え…?どういう事でしょう」
「人の命とは、どんな人のものでも、代えの効かない大事なものであると…澪のおかげで、知ることができたのです」
百夜は花がほころぶようにふわりと笑った。
「だから今、あなたがいるから私は幸せなのです。ここから出れないとしても」
そして、澪子の目をじっと見た。その目はあえかに潤んでいた。
「昨日、あなたがここに居ると言ってくれて、私は嬉しかったのです、澪。どうお礼してもし足りないほどに」
彼にそんな顔をさせたくなくて、澪子はとぎれとぎれに言った。
「そ、それは…私なんかで、百夜様のお気が晴れるのなら」
澪子がぎこちなく笑ってみせると、彼も安心したようにほうと息をついた。それを見て、澪子の内側に未知の気持ちが湧きおこってきた。胸をぎゅっとつかまれるような切ない思いだった。
(百夜様を…喜ばせてあげたい。辛さなんて忘れるくらいに、楽しいと思う時間を過ごしてほしい)
この気持ちは同情だろうか、それとも憐れみなのだろうか。だが、澪子は考える前に口走っていた。
「百夜様、今度一緒に、お弁当を持って紅葉を見にいきませんか」
「え」
百夜がふっと目を見開いた。
「えっとその、もうすぐ紅葉の時期も終わってしまうので…せっかくだし一緒に紅葉狩りとか、どうかなって。あ、ましろさんも一緒に」
早口でそう説明する澪子を見て、百夜はくしゃりと笑った。
「ふふ、お出かけですね。澪から誘ってくれるなんて…嬉しいです」
その笑顔は、今まで百夜が見せたなかで一番無防備な笑みだった。その笑みを浮かべたまま彼は言った。
「では場所は私が案内しますね。一番綺麗に紅葉が見える場所を探しますから…」
「はい!じゃあ私はお弁当を頑張りますね」
澪子は元気よく請け負った。




