表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生贄姫は鬼に溺愛される ~とこしえの蜜月~  作者: 小達出みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/30

湖と告白

「澪、どこへ行っていたのですか」


 二人して膳を持って歩いていると、廊下の曲がり角から百夜が現れた。今朝は白緑びゃくろくの単衣に、青丹あおに色の羽織を纏っていた。まるで夏の竹林のような色合いだ。


 ましろが耳をぴくっと動かしたので、澪子は明るい顔で説明した。


「ましろさんとご飯の準備をしていました。朝餉にいたしましょう?」


「そうですか…澪は、早起きですね。あなたを起こしたかったのに」


 少し残念そうに百夜は言って、座敷へと腰を下ろした。ましろは膳を百夜の前に置いた後、下がってしまった。


「あっ、ましろさんは…?」


「ましろ、ゴハン食べない。鍋、片付ケル」


 障子の向こうでそう答え、ましろは行ってしまった。百夜と2人きりが少し気づまりだった澪子は、少し肩を落とした。彼が嫌というわけではないのだが、昨日今日あったばかりの男性に意味もなく優しくされる事は、澪子を落ち着かない気持ちにさせた。


「ましろさんは、一緒に食べないんでしょうか」


「あれは一緒に食卓にはつかないのです。狐なので」


「そうですか…」


「なので、遠慮なく召し上がってください」


 釈然としなかったが、澪子は諦めて自分の前に膳を置いた。青々とした葉に包まれた寿司はまるで折り紙のようにきっちりと巻いてあり、茎は丸い蝶々の形に結んであった。

 先ほどから食べたいと思っていたお寿司を開き、澪子はおずおずと口へ運んだ。


握り飯からは、ほんのりとした塩気がした。そしてその上の刺身は、鮭の中でも最も脂がのった部分が贅沢に太く切られているのがわかった。家では、絶対に澪子が口にできなかったような上等な部分だ…。


「どうですか?」


「とても美味しいです…この太いお刺身…」


 そして噛むごとに、柿の葉の香ばしい匂いが口に広がる。思わず頬を緩ませた澪子を見て、百夜も微笑んだ。


「よかった、澪が喜んでくれて」


 そういわれて、澪子ははっとした。


「昨日のお雑炊も、ありがとうございました。とっても美味しかったです」


 なんでそんなに、良くしてくれるんだろう…?という疑問がまた起こった。が、澪子がそれを口にする前に、百夜は言った。


「今日は天気も良いので、澪にこの山の上を案内しましょう」


「え、案内…?」


「ええ。慣れれば狭い庭ですが、初めてのあなたには面白いこともあるかもしれません」


 食事を終えると、百夜は分厚い肩掛けと毛皮の襟巻を持ってきて澪子をくるんだ。


「あなたには寒いでしょうから、これを」


 澪子は幾重にも布で巻かれて着ぶくれ、反対に百夜は着流しに羽織という簡素な出で立ちで、門から外へと出た。


「少し上まで歩きます。この先に、あなたに見せておきたいものがあるのです。」


 昨日と同じように、天気の良い日だった。ところどころ日の差すうららかな山道を、2人は歩き出した。百夜は頻繁に振り返って、澪子に聞いた。


「寒くありませんか」


「大丈夫です」


「足が疲れはしませんか」


「平気です」


 澪子がそういうたびに、彼はなぜか少し悲し気な顔をするのだった。その顔を見ると、澪子もなぜだか申し訳ない気持ちになりうつむいた。そんな微妙な雰囲気のまま、二人は山道を登って行った。

 しばらくすると、山の中の開けた部分へと出た。その先には、霧の立ち込める静かな湖があった。湖面のきわには東屋が建っており、百夜はそこへ澪子を招いて湖の底を指さした。


「あそこがこの山の水源になります」


 澪子は東屋の欄干から身を乗り出し、水面を覗き込んで思わず目を見張った。


 百夜が指さしたその部分は、翠色すいしょくに透き通り、底から水が湧き出して水面に水の輪を絶えず生み出していた。澄明なその水底は、太陽の光を受けて光の粉を散らしたように、水草までもが光って見えた。


「綺麗…」


 うっとりとそれを見つめる澪子を見て、百夜は微笑んだ。


「水源を澪にあげたいのは山々なのですが…あの封印があるので、それはできないのです」


 今度は百夜は、湖の奥に浮かぶ社を指さした。言われなければ目立たないほど、簡素で小さい鳥居が建っていた。


「昔、巫女が行った封印です。あの封印は、山に踏み入れた人を惑わせますし、この湖に入る者を罰します。私もこの湖に入ることはできません」


「そうなのですね…。あっ、でも、私は迷わずここまで来れましたよね。なぜでしょう…?」


「それは、ましろを使いにやったからですよ」


「ああ、だから迎えに…」


 納得した澪子は、この山の封印だというその社に目を凝らした。じっと見つめていると、たしかにそこの部分だけ異質な何かが感じられ、澪子の心はざわざわとし始めた。

一度社を見つけてしまうと、この湖全体が見つける前とは違って見えた。水の沸く水底は美しいが、あまりに青く透き通っているので、じっと見ていると恐ろしくなってくる。舟を浮かべれば最後、青い水に捕らわれ、二度と浮き上がってこれない…そんな想像が、澪子の頭の中に広がった。そして気が付いた。


(ここの湖…魚が一匹も見当たらない)


 この場所は禁足地だ。本能的に、澪子はそう感じて欄干から身を引いた。


「年月が経ち、封印は力を増しつつあります。危険なので澪、あなたもひとりでここには近づいてはなりませんよ」


 百夜は真剣にそう言った。


「わかりました。近寄らないようにします」


 澪子はうなずいて約束し、2人は湖を後にし屋敷へと戻った。玄関をくぐって草履を脱ぐため縁側に腰かけたとき、澪子はやっと息が付けた。


(ああ…綺麗だけど、怖い場所だったな)


 一人ではあそこに行くまい。そう考えながら澪子は草履を脱いだ。百夜がすすめるままに草履に脚絆きゃはんで出たので、解くのに時間がかかる。恐ろしさのせいか、湖を渡っていた涼しい風のせいか、澪子の身体は冷えきっていた。脚絆を解き終えた澪子は、無意識にぎゅっと肩掛けをぎゅっとかきあわせて座敷へ上がろうとした。が。


「わっ…!?」


 突然後ろから、百夜が澪子を守るように抱いたので、澪子は体を固くした。


「ど、どうしたんです…?」


 驚いて聞く澪子に、百夜はぽつりと答えた。


「怖がらせてしまいましたね、すみません」


 澪子は首を振った。


「いえ、大丈夫です。教えてもらって、ありがとうございます…気を付けようと思います」


 律儀にそういう澪子を、百夜は少し責めるような目で見た。


「澪…そんな事はいいのです。それより寒ければ寒いと言ってください」


「ええと…その」


 温めてくれているのか。背中から感じる温もりを感じながら、澪子は言葉に詰まった。まるで夫婦めおとのような体制だと思ったのだ。


「…手もこんなに冷たい。言ってください。私には、なんでも…。冷えれば温めますし、疲れれば抱き上げて歩きますから」


 澪子の指先を握り、百夜はもどかしそうにそう言った。しかし澪子の戸惑いは深まるばかりだった。

 昨日はぐらかされたばかりだったが、また同じ質問が澪子の口へと昇った。


「百夜様…なぜ、そんなに私のことなどを、気にかけてくださるのでしょう…?」


 澪子は百夜の腕の中で身をよじり、彼の正面へと向き直った。澪子の真剣なまなざしを受けて、百夜はかすかにうなだれた。


「…あなたは、私を信用できないと思っていますね。得体が知れないと…」


 ずばり言い当てられて、澪子は言葉に詰まった。


「そう…当たり前、ですよね。あなたにとって私は、昨日会ったばかりの鬼なのですから」


 彼は唇をかみしめて、眉根を寄せていた。やるせない悲しみが、その顔に現われていた。だが澪子も譲れない。一番気になっている事を聞かなければ。


「私を…食べるおつもりは、ないのですか…?」


「食べる…はは」


 百夜は苦く笑った。


「私があなたをむしゃむしゃ食べると思いますか?」


「ええと…その、」


「人間を食べる鬼もいることはいますが、私は食べません。まして澪、あなたは絶対に」


「…私を食べる気は、ないと…?」


「ええ、ありませんよ」


「え…?」


 人を食べない?ならばそもそも彼はなぜ、この山に封じられているのだろう。彼の真意がよくわからなくて、澪子は首をかしげた。


「なぜ気にかけるのか―…と聞きましたね、澪」


「…はい」


 百夜は澪子の頭の後ろに手を添えて、ぎゅっと澪子を抱き寄せた。彼の胸板が、澪子の頬にあたる。白いのに、温かな肌だ。どくんどくんと彼の心臓が脈打っているのを感じていると、上から震える声が降ってきた。


「あなたが好きだからですよ、澪。もうずっと、私は…」


 彼の言葉はそこで途切れた。その言葉を聞いて、澪子の身体はしびれたように動かなくなってしまった。心臓は早鐘をうったようにやかましく鼓動している。


(百夜様が…この山の鬼が、私を好いている―…?なんの接点もない私を?なんで…?)


 澪子はおそるおそる顔を上げた。するとこちらを見下ろした百夜の紫の目が、真正面から澪子を捉えた。


「なぜだかわからない―…そう思っていますね」


 その目は切なく潤んでいた。


「いきなり信じてと言っても無理なのはわかっています。でも…私にとってあなたは、大事な宝なのです。あなたと出会って、私ははじめて幸せというものがどういうものか、知る事ができたのです」


 よくわからないまま、澪子は聞き返した。


「それまでは…知らなかったと?」


「はい。ずっと孤独でした。自分が孤独であるという事に気が付かないくらいに、一人ぼっちでした。何も知らなかったのです、私は。善も悪も。誰かを愛おしいと思う事も。」


 百夜は澪子の頬に手を添え、包むように撫ぜた。


「あなたを抱え込んで、ずっとこの手に持っていたい。この命の終わりまで…」


「百夜、様…」


 じっと自分を見つめるその目の熱量に、澪子は圧倒された。彼はどこまでも真剣にそう言っているということが、さすがの澪子にも伝わった。

 なぜ、澪子なのか。その理由はわからない。だが。


(信頼して、いいよね…食べないって、言ってくれたし…)


 口だけではなく、彼は澪子に食事を与え、寝る場所もくれた。両親が死んでから、こんなに誰かに親切にされたことは初めてで、澪子はもう、彼が悪い鬼とは到底思えなくなっていた。


(なんで封印されているのかはわからないけど…きっと彼は、邪悪な鬼なんかじゃない)


無意識に肩の力の抜けた澪を見て、百夜は再び微笑んだ。昨日見た、どこか痛むような笑みだった。


「でも、無理強いはしません。私とちがって、あなたはこの山を出ることができます。好きにして…かまいませんよ」


 言っている内容とは裏腹に、その声はとても寂しく澪子の耳に響いた。澪子は思わず言っていた。


「私、帰る場所なんてないんです。だからよかったら…ここに居させてください。大した事はできませんが、下働きくらいはできますので」


 澪子のその言葉に、百夜の顔がぱっと明るくなった。その晴れやかな笑みは、まるで雲間に現われた月のように、儚く綺麗だった。


「本当ですか…澪。私と一緒に、いてくれるのですか」

 

「はい。ましろさんも料理を手伝ってくれると言ってくれましたし…」


 彼は再びぎゅっと澪子を抱きしめた。その腕はかすかに震えていた。


「料理なんて、下働きなんて…澪は何もしないで、ただ私の横にいてくれれば、いいんです」


「いえ、そういうわけには…」


 澪子は首を振ったが、百夜にはもう聞こえていないようだった。彼は澪子よりも体温が高かった。そのまましばらく抱きしめられ、澪子の身体はすっかり温まったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ